17. 複雑な心境
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1人の少女がいた。
少女は物影から顔を少しだけ覗かせ、何かを盗み見ていた。
視線の先には2人の人物。男性と女性が言い合いをしている。
言い合いと言うよりは、女性の方が一方的に話していると言う方が正しいかもしれない。
女性の話し方は段々甲高い叫び声のように変化していった。
そんな様子を少女は見ていた。
見ている事しかできなかった。
身体は僅かに震えており、その場から動こうにも動けずにいた。
そんな少女の背後に、1人の女性が近寄る。
甲高い声を上げている女性とは違った穏やかな声で、且つ焦るような声で少女に声をかけた。
少女は穏やかな声を持つ女性に手を引かれて歩く。
申し訳なさそうな表情でチラリと後ろに振り向こうとするが、直ぐに視線を前に戻した。
甲高い声、怒鳴り声が少しずつ遠ざかっていった。
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「―――……眩しい」
時刻は午後1時。
太陽の光が窓から強く差し込み、シルクの姿を照らしていた。
自室に戻り椅子に腰かけたまま仮眠をとっていたシルクだが、徐々に上っていく太陽の光に起こされてしまい、結局ほんの数時間程度しか睡眠をとれていない状態だ。
しかし再び眠りにつこうとはせず、椅子から立ち上がり軽く延びをする。
窓からの景色をぼんやりと眺めていたところでドアをノックする音が響いた。
「シルクさん、ミュスカです」
「…どうぞ」
扉が開き、エプロンを着用したミュスカの姿が現れる。
エプロンは料理用のもので、先程まで料理をしていたのだろう。
「シルクさんは昼食ってもう済ませちゃいましたか?」
「…いいえ、何も食べてません」
「ならこれから一緒にどうですか」
その直後、シルクは一瞬だけ身体を強張らせる。
時間帯で言えば昼食を摂る時間だ。ミュスカは特別何も不自然なことは言っていない。
しかしシルクの表情が若干曇ったのをミュスカは見逃さなかった。
「もしかしてあまりお腹が空いていません?」
「はい…普段からあまり食べない方なので」
私のことはお構いなく、と断りを入れようとするが、先にミュスカが言葉を発した。
「大掃除で先生よりも魔力と体力を使っているんですから、何も食べないのは身体に悪いですよ。せめて軽い物だけでも食べてください」
太陽光の反射のせいか眼鏡をキラリと光らせるミュスカに、シルクは妙な圧を感じ取る。
どうやら肯定するまでは引かないようだ。
「…では、お言葉に甘えて」
ミュスカは安心したかのように息を漏らし、一歩後ろに下がって部屋から出るよう促す。
内心複雑な思いを抱えながらシルクは部屋を出ることにした。どうやって切り抜けようかと考えを巡らせながら。
促されるまま一階の広間よりも先にある部屋に辿り着くと、既にグレイとシャロンの姿があった。
この部屋も大掃除の対象として整頓済みであり、各部屋に備え付けられている簡易キッチンよりも広めで様々な調理器具が揃えられている。
シルクは掃除前から備わっていた調理器具を見つけた時には一体誰が使用しているのだろうと疑問を感じていたが、ミュスカが主として活用していたのかと静かに納得する。
広めのテーブルには既に料理が並べられており、具材がよく煮詰められたクリームスープ、ロールパン、野菜のサラダが綺麗に盛り付けられている。
積極的に食事を摂ろうと思っていなかったシルクだが、料理の見栄えと良い香りのお陰か口腔内の唾液が若干増えたことに、内心驚くような嬉しいような複雑な気持ちで一杯になる。
「シルクさん連れてきたよ、まだ先に食べて…シャロン、パンが1つ減ってるね?」
「別に良いだろ1つくらい」
「君達学生は食べ盛りなんだから、良ければ僕の分も食べていいんだよ?」
「先生はちゃんと食べてください」
「そう睨まないでよ…」
空いた席に座るよう促され、シルクは素直に従って料理と対面する。
出来立てのためかスープからほんのり湯気が立ち、良い香りを運びながら空中に消えていく。
入っている具材はよく煮込まれて柔らかい状態になっているようだ。
「僕達が不在の間、先生はまともな食事を全く摂っていなかったでしょう。自室にインスタント食品とエナジードリンクが大量にあるの知ってるんですからね。あれだけ言っても自炊しないのは分かり切ってましたし…今日からもちゃんとまともな食事を摂ってもらいますよ!」
今回の料理はグレイの食習慣を正すための内容でもあるため、消化の良いスープがメインとなっているようだ。グレイはインスタント食品を常用する以外にも、平気で一日一食だけで過ごすこともある。1人で過ごしている期間はそれはもう好き勝手な食生活を送っていたようだ。
しかしシルクは今回、そんなグレイの食生活に少しだけ感謝してしまう。
久しぶりの食事でいきなり一般的な食事を摂るのは、現状のシルクにとっては厳しいものであった。




