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12. 汚部屋

時は昨日、シルクが入居した次の日に遡る。


この日グレイはシルクに研究内容についてより詳しく説明しながら実験しようと意気込んでいた。

久しぶりにベッドに潜りまともな睡眠を摂ったことで思考がスッキリしているように感じ、今日なら気付かなかったことに気付けるかもしれないと内心ワクワクしながら簡素な朝食を済ませて自室を出る。


シルクの部屋の前に辿り着き、3回ノックすればガチャリと扉が開く。



「おはようございます」


「おはよう、朝自宅は済んでるかい?」


「はい、大丈夫です」



シルクの室内は前日と特に大きく変化無く、強いていえばテーブルの上に置かれていた薬草が無くなっていたくらいだ。擂鉢と薬研は綺麗にされた状態で置かれており、グレイはそれらをチラリと見ては嬉しそうにニヤけるが直ぐにシルクの方へ視線を戻す。


今日もいつも通り研究に勤しむ為に2階の研究室へと向かう。


本命の扉の前へと辿り着き、さあ開けようとグレイはドアノブに手をかけてシルクの方へと視線を移す。

しかしドアノブを動かすことなくグレイは固まってしまう。



シルクの顔にはガスマスクが装着されていた。

フードは被っていないがもしそのままフードを被ってしまえば全身がほぼ漆黒に染められるだろう。



「そのガスマスクは一体」


「流石にこちらが無いと入れないと思いまして」


「そこまで警戒しなくても良いよ、最初は少し匂いがキツいと思うけど直ぐに慣れるから!」


「すみません、外せません」



ガスマスク越しの声は若干籠っているが、目元の硝子部分からの警戒的な視線は鋭くグレイに注がれる。


数秒間睨めっこをするかのように互いに視線をぶつけ合う。その後グレイは軽く溜息をつき、ガスマスクについては大目に見ることにした。


肉眼で実物を見てもらいたかったが、具体的に研究内容を説明すればいずれガスマスクを外してくれるだろう。そう軽く考えてからドアノブを掴む手に力を入れる。



扉が開かれ、研究室に入っていく。ガスマスクを付けていることにより表情は分からないが、シルクはこの時非常に険しい表情をしていた。


目の前に広がるは汚部屋の光景。


壁一面に設置された棚には液体瓶や薬草入りの保存容器が並べられているが、その前に立ち塞がるように段ボール箱や書類の山が高く積められている。これでは棚から取り出したいものがあっても手に取るまで苦労するだろう。奥にある段ボールと書類の山に積もっている埃から、それらがどれだけ放置されているのかを物語っている。


作業台らしきものの上には研究で使用しているピュアポトスが大きめの保存容器に入れられている状態で置かれている。周りには山積みの書類や参考書、実験用の道具、別に何種類かの薬草が入った小瓶も乱雑に置かれていてまとまりがない。


おまけに作業台から扉に向かうまでの床は道のように開けているのだが、それ以外の床は物が置かれているせいでほぼ通れない状態となっている。




絶句。その言葉通りにシルクは固まって動けなくなる。




「ごちゃごちゃしていてごめんよ、もう1つ椅子は…あったあった」



研究室内の光景を見慣れているグレイは手を軽く振りかざし、部屋の隅に置かれていた椅子をふわりと空中に浮かせて作業台近くへと置いた。普段からこのようにして物を取っているのだろう。それなら奥にある物も取り出すことが簡単となる。


…それを理由にこの状態を放置するのはどうなんだ。



シルクはガスマスク越しにゆらりとグレイの方を向く。

何かしらの圧を感じ取ったのか、グレイはびくりと肩を震わせて引きつった笑顔になる。



「何だか妙な圧を感じるんだけど…やっぱり見るのは止めておくとかは無しだからね!?この部屋に入ったのなら絶対に協力してもらうんだからさ!」



そう言って椅子に座るよう促しながら作業台へと向かって行くグレイの後ろ姿を見つめ、外には漏れ出ない溜息をつく。


グレイが本気で協力してもらう気でいるのは確かであり、このまま直ぐ実験に取り掛かるだろう。しかし改めて研究室内の環境を見渡すと集中できそうにならない。閉鎖的な空間が落ち着くと言ってもこのような閉鎖的な汚部屋は御免被りたい。


渋々とグレイに促されるまま椅子に座ろうとするが…ふとシルクの視界に1つの縦長な水槽が入り込む。



中には水が張られており、淡い水色の大きな花が咲いた植物が1つ浮かんでいる。

水は濃い青緑色に変色し濁ったように見えるが、水中にとある微生物が存在しているのだ。




「ハイドロリリィ」



シルクはぽつりと水槽に浮かぶ植物の名前を呟いた。

睡蓮の見た目をしており、これも魔法植物にあたる。



「あぁ、研究の合間に敢えて別の植物を使ったりしててね。関係ないものに触れたりすれば気分転換になって、ふと新しいアイデアが浮かぶかもと思って色々扱っていたんだよ」



グレイは呑気にそう答えるが、シルクは再び動きを止めて水槽を見つめる。

先程の汚物を見るような険しい表情ではなく、目を見開いて強張った表情。相変わらずガスマスクは付けたままの為、勿論グレイは気付いていない。




「博士、このハイドロリリィは角部屋の…以前の研究室で扱ったりしましたか?」


「えーと…そうだね、確かに扱ってたけ、ど……」





グレイは途中で言葉が詰まった。

シルクが何を言おうとしているのかを理解したのだ。額から冷や汗が流れていく。

そして当時頭がまともに回っていなかった自分を殴りたくなるような思いに襲われる。



水槽に入れられているハイドロリリィは一定の条件を満たすことで水素を発生させる。

青緑色に変色している水中に存在している微生物、それも同様に一定の条件で水素を発生させる。

つまり一定の条件によって水槽から大量の水素を発生させることが可能になる。


現在進めている研究ではピュアポトスを使用し、大量の酸素が発生される。

これも一定の条件…光合成により起こるものだ。




「…当時、火を使ってませんでしたか?」


「…使ってたかも」




大量の水素と酸素が混ざり合い、そこに火が加わってしまえばどうなるか。

結果は前研究室の状態が物語っている。

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