人身牛頭4
9
鍵が回されて解錠された壁面。まるっきりの一枚板のように見えていた壁面は一部分が長方形のドアの形にズズズと動き始める。
「では暗いのであまり離れない様に願います」
キズキ青年はそう言いながら、壁面の中の暗闇に姿を消す。置いていかれない様に、全員がその後を距離を詰める。キズキ青年が暗闇に入ってすぐに止まったので、皆は入り口の前で止まる。
「中は迷路になっていますので、道に迷いかねません。およそ、自分の背を追えない状況になれば、1人の力では助ける事が叶わないかも知れないので、そこはご了承下さい」
小さな灯りを手に持ちながらキズキ青年はぼんやりと浮かぶ暗闇の中で言葉を使う。未だ日の光を浴びる他の皆々はその暗闇の中の青年の言葉に最後に心に飲み込ませる。
「加えて、皆さんは前と下とだけを意識して下さい。最低限、それだけで命は守られるでしょうから」
「はい、では行きましょうか」
先に並んでいた面々。彼らは先に暗闇の中に溶け込んでいく、四罪ヶ楽真空、怪盗、紳士。順々に真っ暗に居なくなる。
暗闇の建物の中からは服の隙間に入り込んでくるような不愉快な温度の風が流れ出ている。肌の隅々まで広がる様な風。ぬるい。
順当に僕の番だ。やはり、先ほど波止場をもう少しゆっくりと歩けば良かった。久しぶりの外に心が躍ってしまったのか、目的に近づくにつれて心が浮ついているのか。一時の感情によって自分らしさを欠いた故に、往年により累積して出来た心が痛む。
らしく無い行動は後悔を生む、分かっていても治らない自分の癖である。
「行かないのか?」
ワワさんが僕に声をかける。
「あぁ、行くよ」
暗闇、僕は一歩踏み出す。
暗闇に入ると、視神経は急にその働きを強め、瞳孔はそれを広くして光を出来る限り集めようと躍起になる。真っ暗闇では無いが、小さな灯りが天井に付いているばかりである。
「……迷路と言ったか、あの青年は」
ワワさんと永遠ちゃんも僕の後ろに続いて、暗闇の中に侵入する。
「迷路と言っていた。それも道に迷う様な構造をしているらしい」
「もし、あの円形の建物の全てが迷路だったのなら大きさは直径100mを超えるのでは無いだろうか。そうなのだとしたら迷い込むのにそう高尚な能力は必要無いだろう、簡便に迷うことが出来る」
今は入り口からすぐさま左折して、数メートル直進しているから感覚的に位置は分かるのだが、変化の無い連続のこの道、すぐに自分の足元すらどこか見えなくなりそうだ。
「……ここが島の主人、四罪ヶ楽王断の居住スペースって事は無いんだよな。いやつまり、この迷路が。いくらなんでも、極刑のやり過ぎで生活の価値観まで崩れているなんて訳は無いよな」
一応、喫緊の事だった。四罪ヶ楽王断、ことの旅行の絶対的な関係者である彼だけれど、何も関係者だからと言って、その寝食に興味があると言った事ではない。未だ、犯罪は起きていないのだ、取り調べは必要無い。いや、起きると断言している訳でもないのだけれど。
ただ、彼の居住スペースがこの中の、つまり煉瓦造りの殺風景の中の隠された部屋とかなのだとしたら、客人の我々も例外では無い可能性があるでは無いだろうか。郷に入れば郷に従え、郷というより島なのだけれど、されど言い方をより綿密に正せば、ただの島では無く、人殺しの住まう島なのだ。
暴力の前に人は抵抗出来ない。3次元に生きる者のどうしようもないルールである。
「さあ、そんなものは分かりもしないな。しかし、私個人としてはここの中で数日住むという程度は問題にはならないな。ここよりも余程不衛生な場所で過ごした事もある」
土壁の隅、湿気と混ざり合う様にドブネズミが横を走り抜ける。その姿は想像に対してあまりにも大きく、あまりに逞しい。野生のネズミの姿がありのままに跋扈している。
「まぁ、僕も数日くらいなら構わないけれども……」
「気をつけろ、右に曲がるらしい。さて、いよいよ潜り込むと言った感じだな」
右折。そのまま直進してもただ暗闇が続いているだけだった。曲がるべきだという目印など何も無い。
一枚、壁面の内側に。暗闇は一枚壁を越えただけでも強く濃度を増していく。出来れば早くここからは出たいものだ。光に順応してしまった生物としては暗がりは危険なものとして認識される。
「しかし、京介何か思うところは無いか?」
「思うところ?」
「思うところだ、つまりはこの迷路というものに対して」
思うところと言う質問をされると、それはそれは多く存在するのだけれど、清潔感が無いだとか、生活感が無いだとか、光が少ないだとか。文句は尽きないのだけれど。
されど、この思うところはこの建物、迷路に対して住居、生活空間としての認識を持った場合としての思うところなのだ。
誰だって、マチュピチュの遺跡の中に自動水洗の機能のついたトイレをつけて欲しいとか、アンコールワットをルンバに掃除をさせておきたいとかは思わないだろう。
ここはどちらかと言えば、そう言った建物に近い。歴史的遺産というか、生活より何か別の意味を持たせた様な作りを感じる。
だからこそ、思うところと言うのはそう言った生活面からの、文句の形を呈したものでは無い。
実際的なこの建物の意味合いとしての思うところをワワさんは聞いているのだろう。
「京介、これは、これで変な共通項であり、偶然と呼べると思うか?」
「…………」
「分からないか?中に入ると出る事が出来ない迷路、言い換えて迷宮。偶然なのだろうか。私達は何を探しに来ているのか。忘れている訳ではないだろう?」
忘れている訳は無かった。僕だって、自分が中心で無いからと言って他を蔑ろにする程自由に生きれる訳じゃ無い。ただ、この空間と旅の自由にややまだ頭が働ききっていないのだ。改めて、彼女達は、新聞部は人身牛頭、ミノタウロスを探していた。ミノタウロスだ。そう、ならばこそ……。
新聞部の先輩は口を開く。
「ピラミッドにスフィンクスが付く様に、ドラキュラに城が付く様に、ヒトに悪魔が憑く様に、それらと同じ様に、迷宮ってものにはミノタウロスが付きものだろう?」
「京介、これは偶然か?」
はたと、暗がりに何かが動く音がする。




