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2章:邂逅

四国に住んでいた頃、日本の人口密度は非常に高いという事実を授業で習いはしたが、その感覚を実感することは殆ど無かった。

確かに、年に一度の阿波踊りには、全国から大量の人が狭い島国に雪崩れ込む。

あの数日間はテレビで観たスクランブル交差点を擬似体験出来たような気になった。


此処では常時人々が行き交い、1つの店に1日何百人もの客がお金をモノに交換していく。

それは時代に伴い確立されてきた社会的システムで、理性によって作られたものに違いない。

しかし、このような機構は人体に於いても行なわれている。


肺に酸素を補充させては、使用済みの二酸化炭素に交換する。

別に酸素が二酸化炭素に対して優位であるというわけではない。

ただの受容と供給の関係である。

身体が、人間がモノを欲するように、酸素を求めているだけだ。


「ドーナッツ1つとカプチーノのトールサイズをお願いします。」


店内はコーヒーの香りで包み込まれ、談笑する声、雑誌を捲る音や店員の挨拶などが適度に雑音になっている。

僕は窓際の席を陣取り、ひそかな読書を開始する。


現在、理数系の学部で勉強しているが、枠に囚われずにどんな分野の本でもよく読んだ。

《無関係な雑音の混合によって、かえって集中しやすい環境が出来るのは何故だろう》

取り留めのないことをぼんやり考えながら、少しずつ自分の世界に入っていった。


「カツン。」


何かが自分の机に当たるような音がした。

ふと視点を本から下げてみると、女性の靴がこちらを向いて止まっているのが見えた。


「相席しても宜しいでしょうか。」


顔を上げて状況を確認する。


語りかけてきた女性は鼻が高く、雪の結晶のようなイヤリングを着けていた。

落ち着いた色の服装に身を包み、清潔でクールな印象を彼に与えた。


「はい、構いません。」


微かに煙草の匂いがした。

本来煙草はあまり好まないが、この人なら自分の邪魔にはならないだろうと感じた。


「ふふ。」


また本でも読もうと開こうとした時に彼女は上品に笑った。


「あら、お兄さん全く気づかないのね。」


彼女はプラスチックの黄色いプレートを静かに置いて、ゆっくりと腰を下ろす。

サンドイッチとアイスコーヒーが妙に畏まって並んでいる。


「すいません、以前どこかでお会いしましたか?」


こんな綺麗なお姉さんなら、少しでも印象に残っているはずだが、全く思い出せなかった。

うーんと数秒唸った。


「ヤケになっているわけでも、虐待を受けている悲しい女でもないお姉さんと言えば分かるかしら。」


彼の眉は一瞬ピクリと上がり、数秒の停止後、眉は元の位置まで降りてきた。


彼女は驚いてくれる事を期待していたのか、にやついていた。

相手の思惑通りになるまいと彼は出来るだけ冷静な反応を心掛けた。


「お元気そうでなによりです。」


彼女は少しだけ不服そうな顔をした。


「なんか冷静な反応ね。面白くないわ。店の外から見つけて、せっかくおどかしてやろうと思ってやって来たのに。」


神妙に輝くグラスの氷がカランカランと滑らかに回り踊った。

わざわざ僕を見つけてここまで入ってきてくれるなんて。

なんと暇な方なのだろう。


「私の名前はミユキ。向かいの会社で働いてるの。」


道路を挟んで向かい側のビルを指差した。壁には植物が植えられている。

エコに対する関心が年々高まっている今日ではあるが、流石に壁一面に緑はやりすぎな気がする。

というか職業まで言う必要はないのではないか?


「蒼崎奏といいます。今は大学に通っています。」


面倒ではあるが、名乗られてはそれに答えるのが礼儀だろうと思った。

彼女が小さく首を傾けた。

テーブルに設置されたペーパーを一枚抜き取り、ボールペンで名前を書く。


「へえ、綺麗な名前。」


そう言って、サンドイッチを徐に口に運ぶ。

牧場の牛のようにゆっくりと咀嚼していた。

食べ終わるまで静かに待った。


「早朝の澄んだ海岸で、煌めく海原にトランペットを高らかに吹いている。もちろん一人でね。そんな感じの名前。」


彼女は肩肘をついて独り言のように呟いた。

なかなかの妄想家だと恐れ入ったが、なんとなく絵画的で綺麗だなとは思った。


「奏くん、いきなりで申し訳ないのだけど、私そろそろ仕事に向かなくてはいけないの。良ければ連絡先を教えてくれないかしら。また改めてお会いしたいわ。」


そう言って鞄を再び肩にかけ、立ち上がった。


「いえ、そんな大したお話は僕にはできませんし、お酒も飲めません。ミユキさんのお相手なんて出来る程、僕は大人ではないので。」


そう言って、逃れようとしたが、彼女は彼の首を指差した。

思わず巻いていたマフラーに顔を伏せる。


「其処に何が隠されているのか、気になっちゃて。私、あなたみたいな人とお話しするの好きよ。」


彼はポケットから携帯を取り出し、さっきのペーパーにアドレスを書き写した。

そして、敢えて相手に分かるように大きく溜息を吐いた後にそれを渡した。


「ナンパがお上手ですね。そして、美人にはどうも弱いみたいです。」


「嘘ばっかり。」


彼女は微笑み、姿勢良く出口に向かった。

カプチーノは既に冷えてしまっている。

もう一杯頼もうかな。

ただし、アイスコーヒーだけは絶対にやめようと思った。


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