表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/3

前編


 「え、なに? お前、なに言ってんの?」

 「だからね。帰るんだよ、私の世界に」


 それは土曜日の昼下がり、近所にある神社の境内で起こった出来事だった。


 小学校からの帰り道、木下蓮は幼なじみであり同級生の天原ちとせから、半ば強引に寄り道へと誘われた。そんな日々の延長線で衝撃的な告白を受けた。


 「え、世界って……いつも、言ってる?」

 「うん、そう。ようやく準備ができたの。だから帰らないといけない」


 蓮は困惑した。

 彼は自分の幼なじみを、生まれついての電波か中二病か宇宙人だと思っていたから、彼女の妄想癖は今日も絶好調なのだと思いたかった。


 けれど今日の彼女は、やたらと真に迫っていて胸騒ぎを覚える。


 「お父さんとお母さんには、今日の朝にお別れを言ってきた」


 彼女の電波ぶりは、彼女の両親にもしっかり認識されている。

 だから、いつもの困った戯言(たわごと)として受け止められているだろうと蓮は思った。


 「お父さんとお母さんを悲しませてしまうのは、とても申し訳ないと思う。私にも子供たちがいるから、その気持ちはとても良く分かる」


 「なに…言ってんの?」

 「でもね、だからこそ、帰りたいの。私は私の場所に」


 風が吹いた。

 不可思議なことに、その風は幼なじみの方から吹きそよいでくる。


 「レンくんには、とてもお世話になったから、ちゃんとお別れを言おうと思って……ふふ。私の言ってること信じてないのは知っていたけど、今までありがとう。たくさん怒ったり、守ったりしてくれて嬉しかった」


 彼女の二つに結われた髪が大きく揺れる。

 赤いランドセルを背負ったままの幼なじみは、得体の知れない強風をものともしていない。


 「それじゃあ、バイバイ」


 それが合図だったかのように、彼女の足下から光が溢れ、日中の境内を照らし出す。

 光の帯が伸び、ゆるやかな螺旋を描きながら見る間にも彼女を絡め取っていく。


 「――まっ」


 光に呑み込まれかけた幼なじみを目の当たりにして、蓮は手を伸ばしてしまった。




****




 「―――レンくん。レンくん」


 体を揺り動かされ、頬がざらつく痛みを感じた。


 目を覚ました蓮は声の方向を見上げ、そこに見慣れた幼なじみの顔を見付けた。


 ちとせは、眉をハの字に曲げて蓮の様子をうかがっていた。


 「痛いところとかない?」

 「…………うん」


 「起き上がれる?」

 「……うん」


 答えてから、蓮はゆっくりと体を起こした。


 起き上がりながら、ふと疑問に思う。

 いつの間に地べたへ寝そべっていたのか、しかもランドセルを背負ったままである。


 ゆっくりと辺りを見渡せば、森林と木漏れ日に囲まれていて、神社の境内とさほどの違いはなかった。

 ただ、近くにあったずのお社や玉砂利が、今はどこにも見あたらない。


 「――――ここ、どこ?」


 「私の世界だよ。神領地の名前はグランリーゼのままだと思うけど、国とか町の名前は変わってるかもしれないから、わかんない」


 「…………」


 「……レンくん。ごめん」

 「…え?」


 「お別れのあいさつ、ビックリさせたかも? ついて来ちゃったね」


 「…………」


 蓮は、何と答えたらいいのか分からなかった。

 確かに神社の境内ではないようだったが、ちとせの言葉をすぐに信じることは出来ない。


 ここが本当に別の世界なのか、まだ何ひとつ確証がない。


 「立てる? 行こう。レンくんは元の世界に帰らなきゃ」


 ちとせは立ち上がり、蓮へと右手を差し出してきた。


 その手をじっと見つめる。

 少しだけ迷ったが、蓮はちとせに応えてその手を取り、立ち上がった。


 「あのね、近くの町に迎えの人が来ているはずだから、行ってみよう」

 「……町に、迎え?」


 「そう。わたし神さまだけど、今は小さな人間の体に入っているでしょ。しかも子供だから無力でしょ。だから、守ってもらわないといけないの」


 「……お、おう」


 何だか色々なことで置いて行かれている気がしたが、蓮はとりあえず、ちとせに従い歩き出した。


 二人ともランドセルを背負ったままで手をつなぎ、どこかの森林らしき場所を何の目印もなしに歩いていく。


 蓮は、迷いない足取りで自分の手を引く彼女の手を見た。

 昔は良くつないでいたけれど、小学校5年生の男子ともなると照れくさいことが多くて、そういう触れ合いからすっかり遠ざかっていた。


 意識してしまうと余計に恥ずかしい気がして、蓮はつながれた手から視線を逸らす。


 神社の鳥居を通り過ぎる距離は、もうとっくに歩いている。

 けれど、知っている街並みが見えてくる気配はなく、遠くに聞こえる何かの鳴き声や、風にゆらされる木の葉の音ばかりが耳に付く。


 いくら歩いても代わり映えのない景色が続き、不規則にそびえ立つ樹木の檻が永遠と続いているように見えた。


 今度は急に心許なくなってくる。

 足下から這い上がってきた不安を振り切るように、蓮は疑問を投げかけた。


 「…天原、ここ本当にお前の世界なの?」

 「そうだよ」


 「お前の世界って、確かお前が神さまをやってたっていう?」

 「そうだよ。あ、でも違うよ。この世界じゃなくて、この土地ね。この辺り一帯、神領地グランリーゼの神さま、グランリーゼ」


 そう、グランリーゼ。いつの頃から言っていたのかは思い出せないが、ずっと昔から彼女が言っている彼女の世界。


 彼女はグランリーゼという神の住まう大地の神さまで、一年の実りや、生き物たちの営みを見守り、循環と安寧を司ってきた存在らしい。


 それが、のっぴきならない事情があって蓮の世界、地球の日本に生まれてきてしまったという。


 のっぴきならない事情というのが、けっこうエグい内容だったはずだが、その辺の話はあまり話したがらなかったので、どうにもうろ覚えだった。


 「……じゃあ、ここがお前の世界だっていう証拠は?」

 「うーん、そうだな。町に行けば何かあるかもしれないけど、今は無いかな」


 「…………」


 疑問を投げかけてはみたものの、どうやら迎えの人がいるという町に行ってみないことには判断しようがないようで、蓮は口を閉じた。


 残ったままの不安を持て余しながらも、ひたすら歩くことに専念し、額に汗がにじむほどの距離を歩いた頃、樹木の密度が薄れはじめ、やがて森林の檻から脱出した。


 「レンくん、見える? あそこに町がある」


 ちとせが指さした方へ目をやれば、家屋らしき外観の建造群が見えた。


 彼女が進んだ先に、本当に町があった。

 高まる信憑性に、蓮は戸惑うばかりだったが、ちとせが再び手を引いて歩き出したので、何も言わずその手に導かれた。






 「近くに関所があるみたいだから、そのための宿場町みたいだね、ここ」


 町の入り口にさしかかった時、ちとせが言った。


 木材で組まれた囲いの付近には見張りのような人が立っていた。

 ゲームか漫画、コスプレでしか見ないような革鎧を着ており、蓮はやや尻込みする。


 「大丈夫だよ。関所があるってことは、色んな人が集まって来るってことだから、格好が少し変でもそんなに目立たないはずだよ」


 ちとせの言葉通り、二人で横を通り過ぎても、見張りは一瞥をくれたただけで見咎められることはなかった。


 間もなくして、西洋風の建物に挟まれた大きな通りに出る。

 この地を踏んだばかりの蓮の目の前には、やはりゲームや漫画に載っているような格好をする人々が行き交っていた。


 しかも髪の色がやたらカラフルで、蓮の好奇心をくすぐった。


 「目抜き通りだね、分かりやすく言うと繁華街かな。宿場町だから、多いのは食べ物屋さんと宿屋さんだと思うけど」


 何か目に付くものがあるたび、ちとせが解説をしてくれた。

 あまり綺麗だとは言えない通りを進みながら、蓮はきょろきょろと周囲を見回していくが、ふと町の人たちが喋っている“言葉”に気が付いた。


 何を言っているのか、まったく分からない。


 好奇心で鳴りをひそめていた不安を煽られるようで、蓮は自分を先導する手をくいくいと引っ張っていた。


 「…天原、ここの人たちの言葉わかるか?」

 「え?」


 振り返るちとせは、蓮の言いたいことをすぐに察し、行き交う人々へと注意を向けてくれた。しばらく耳を傾けていたが、しだいに首の方が傾いていく。


 「…………あれ?」

 「あれって、おい、大丈夫なのか?」


 「ちょ、ちょっと待て」


 ちとせは蓮の手を引いて、何かの店先で看板の拭き掃除をしていた男性に近寄った。

 無精髭を生やした男に気後れした様子もなく話しかけるが、思いっきり日本語だった。


 髭の男は、ちとせに向かって困った表情を浮かべたあと、何事かを言うが、やはり一言も理解できない。


 彼は、蓮たちの服装やランドセルをじろじろと見ながら怪訝そうな顔になっていく。


 「―――――えだから、また後で来てくれないか」

 「……? なんて?」


 蓮は聞き返していた。


 「だから、店はまだ開店前だから、用があるならもっと後で来な。ボウズは言葉が分かるなら、さっさとお嬢ちゃんを連れてどいてくれ」


 「えっ」


 蓮はちとせを振り返る。きょとんとした顔が返ってきて、髭の男が何を言ったのか理解できていないような顔をする。


 今起こった現象を説明しようとしたが、掃除の邪魔だからと髭の男に急かされて、蓮はいったんちとせを連れてその場を離れた。


 通りから逸れ、道のほとりまで移動してから蓮は話した。


 「なんか良くわかんないんだけど、オレさっきのおじさんが言ってること理解できた」

 「なんでっ!?」


 「いや、こっちが聞きたいんだけど……お前、ここの神さまなんだろ。お前が何かしたんじゃないのか?」


 「え、何もしてないよ? ていうか、私が神さまだよ。神さまなのに……なんで私はわからないの?」

 「だから、聞くなよ……」


 ちとせは、困惑気味に何度か目を瞬いたあと、頭を捻りだした。


 「もしかして人間の体に入っているから? 矮小すぎて? なんてこった」


 不測の事態に直面しているはずなのに、発した言葉はやけに緊迫感がない。


 「……大丈夫、なのか?」

 「んーと。とりあず、迎えの人に会いに行こうか。腰を落ち着けられる場所が必要だし」


 言って、周辺に立ち並ぶ、鉄製や木製の看板に目を配らせていく。


 「確か、看板に2匹のネコが描かれた宿屋さんにいるはずなんだけど……」

 「……看板って言っても、たくさんあるぞ」


 蓮もちとせに倣って、様々な形にデザインされた看板に目をやるが、かなり抽象的に崩されているものもあって、何が描かれているのかすぐに見分けることができない。


 しばらく間その場に佇んで、間違え探しのような作業をしていたが、やけに視線を感じるような気がして、蓮は通りに目線を戻した。


 目抜き通りを思い思いに歩いているはずの人たちが、もの珍しいそうにこちらの様子をうかがっている。通りすがるついでとばかりに、蓮たちを見物していく。


 「……なんか、目立ってないか? オレたち」

 「…うん。ランドセルが赤いのはマズかったかな。迎えの人が見付けやすかと思ったんだけど……悪目立ち、してるかも」


 衆目を集めているという状況に居たたまれなくなって、蓮は握る手に力を込めた。


 「天原、はやく探そう宿屋さん」

 「うん」






 寄り添うように歩きながら、目に付く看板を手当たりしだいにしていたが、蓮は何とはなしに、目抜き通りから別の通りにつながる路地裏のような場所をのぞいた。


 建物の裏口などが置かれた通路は、狭くはないが広くもない。

 ただ、ぼんやりと仄暗くて近寄りがたい雰囲気を漂わせていた。


 「お嬢ちゃんたち、迷子かなぁ?」


 背後からかかった太い声に、蓮はどきりとした。


 振り返れば、薄汚い身なりをした男が三人、ニヤニヤと嫌な顔で笑いながら立っている。

 男たちは、目抜き通りから蓮たちを目隠しするように取り囲んでいた。


 「おじさんたちが君たちの探しているところ、連れてってあげようか?」


 現代日本に生まれた今時の小学生が、そんな言葉に騙されるはずがなかった。


 「――レンくん、わかる?」


 囁くようなちとせの声に、蓮は、えっと聞き返したが、彼女には言葉が通じていないことをすぐに思い出す。


 「なんか、オレたちが探してる場所に連れてってくれるって言ってるけど、絶対嘘だと思う」

 「うわ、ひでぇ。おじさんたち信用なさすぎ」


 囁き返したつもりが、聞こえていたようで男たちの馬鹿にした笑いが、蓮の胸に恐怖を植え付ける。


 「レンくん、行こう」


 ちとせが強く手を引いて行こうする。しかし、すぐさま男の一人が立ちはだかった。


 「まあ待てって。ここじゃあ人目があるからさ、そこの路地に入ってくれないかな」


 男があごで指したのは、蓮がのぞいていた背後の路地裏だった。


 「大丈夫だって。その背中に背負ってる鞄をちょっと貸してくれるだけでいいからさ。そうすれば痛いことはしないから」


 ちとせが目配せで通訳を求めてくる。応えようとした蓮の声は震えてしまった。


 「か、カバン。ランドセル渡せって言ってる。路地に入れって」

 「駄目。カバンはあげるけど、路地には入らないって言って」


 ちとせの固い声に、蓮は怖じ気づきそうになりながらも、男たちに彼女の言葉を伝えた。


 男たちが顔を見合わせる。

 一人がにやりと笑うと、他の二人もつられるように笑った。


 「いいから入れって」


 蓮の襟元が掴まれた。力任せに引かれ、ちとせの手を離してしまった直後、後ろに向かって放り投げられた。


 簡単に浮いてしまった体は、地面へと滑り込むように落ちる。半身が地肌に擦られ、熱が走った。


 「やめ――」


 ちとせの声が不自然に途切れ、くぐもった。


 擦られた部分をかばうように身を起こせば、路地の入り口を塞ぐように男たちが歩いてくる。


 ちとせ男の一人に首を掴まれながら、歩かされていた。

 呼吸がままならないのだろう、苦しそうに顔を歪め、それでも蓮の名前のようなものを呼んでいる。


 「とりあえず、その鞄の中身みせてもらおうか。ほら、寄こせよ」


 一番手前にいた男が、座り込んだままの蓮に近づくが、蓮は恐怖に身がすくんで動けなかった。ほとんど無抵抗にランドセルを奪われる。


 「へえ。少しくたびれてるけど、そうとうな職人芸モンだぜ、コレ。こんな金属の使い方見たことねえよ」


 「なにだよ、やっぱりお坊ちゃんたちなの? じゃあ護衛とか近くにいたりする? いないように見えたんだけどな」


 「おい、どうやって開けるだよ。鍵があるのか?」


 答えられない蓮に、男は苛立って胸ぐらを掴みあげてくる。


 「殴られたくなかったら、鍵を出せ」


 唸るような声ですごまれる。


 ―――鍵なんてない。


 底に付いている金具を回せば、それで開く。

 それを説明しなきゃいけないのに、蓮の口は上手く動き出してくれなかった。


 男が舌打ちをした。胸ぐらが楽になった瞬間、蓮の頬を衝撃が襲った。


 頭に響くような平手打ちと共に、ちとせのくぐもった悲鳴を耳が拾う。


 「ほら、痛いだろ。早くしてくれよ。自警のやつらが来ちまうだろ」


 打たれた頬の痛い。だがそれ以上に、早鐘を打つ心臓が蓮の思考を乱雑にかき混ぜていく。


 早くランドセルを開けないと、また殴られる。

 早く開けて、中身を出して、教科書を―――


 教科書? そうだ。ランドセルの中には教科書と筆記用具しか入っていない。

 そんなものを取り出したところで、男たちが喜ぶとは思えない。


 けれど出さなきゃいけない。抵抗したところで逃げられない。

 大の男三人を相手に、小学生ができることなど何もない。でも、中身を見られた後に男たちが逆上しない保証もない。もっと酷い目に遭わされるかもしれない。だけど、逃げられない。ちとせが捕まっている。逃げられるわけがない。逃げられるわけ―――


 ―――――……本当に?


 本当に逃げられないだろうか。


 奇妙な感覚があった。

 突如として、思考の波が凪いでいき晴れ渡るような感覚。


 恐怖も、焦りも、混乱も、栓を抜いたように静まっていく。


 蓮はランドセルに視線を落とす。ランドセルの片側には、ストラップが付いていた。

 それは全校生徒に配られた、強く引くだけでいい、防犯ブザー。


 考えるより先に動いていた手が、引きちぎる勢いで引っ張った。


 平手打ちなど比にならない衝撃音が、爆発する。


 耳をつんざく音が一瞬にして場を支配し、男たちを怖じ気づかせた。


 蓮の体は勝手に動いていた。

 男のゆるんだ手からランドセルを奪い返し、両の肩掛けを掴みながら一歩後退する。足の重心を軸にした遠心力に任せて、ランドセルを男の側頭に叩きつけた。


 バランスを崩した男は、そのまま路地の壁に頭を打ち付ける。男は動かなくなったが、お構いなしに今度はちとせを捕らえている男へと向かった。


 音に怯むあまり反応の遅れている男のあごに狙いを定め、下からランドセルを振り上げるが、寸前のところで躱される。


 しかし、ランドセルが頂点から落ちきる前に腕力で軌道を変え、直下に振り下ろした。

 ランドセルの底が顔の下半分を強打し、男は聞こえない呻きをあげて顔を押さえ込む。


 蓮はランドセルを投げ捨てて、ちとせの手首を取り、走り出した。

 男たちはもう一人いたが、逃げる方が先決だった。


 今なお、けたたましい音を立てているランドセルを背にして蓮は走った。


 男たちが追ってきているかもしれない。

 そう思うと、蓮は止まることが出来なかった。


 なりふり構わず全速力で駆けていたが、足の遅いちとせが、すぐさま息切れしてしまう。


 「ちとせっ、乗ってっ!」


 蓮は自分でも何故それをしようと思ったのか分からなかったが、ちとせの前に背中を差し出しながら膝をついていた。


 「――でも」

 「いいから乗ってっ!!」


 有無を言わせぬよう叫べば、ちとせば躊躇いながらも蓮の背中に体を預けてくれた。


 自分とほとんど体重の変わらない少女を背に担ぎ上げると、蓮は何かに駆り立てられるように疾走した。


 知らない町の中を闇雲に走る。途中で入った、ちとせの制止も聞こえていたが止まることが出来ず、町を囲っていた木の垣根すら乗り越えて、蓮は走り続けた。






 蓮が逃げ込んだ先は、一時間以上前に脱出したはずの樹木の檻の中だった。


 酷使し続けた蓮の足は限界をむかえ、ちとせを背に乗せたまま倒れ込む。


 「レンくんっ!」


 ちとせの呼びかけに答えることは出来なかった。


 喉が引き攣れ、肺が痛い。ままならない呼吸に視界がかすむ。

 吐き気がこみ上げてくるが、えずくだけで吐くこともできない。

 全身がバラバラになりそうなくらい、肉や筋が軋んで涙が出てきた。


 「レンくんっ、レンくんっ! ごめんっ、ごめんねっ、ごめんなさい」


 死ぬほどの苦しみに苛まれながら、ちとせが何かを叫んでいる気がした。


 意識が遠くなる。得も言われぬ浮遊感があって、全ての苦しみから解放されかけた時、ようやく彼女が謝っていることを知った。


 どうして彼女が謝るのか。こんなところに連れて来てしまったから?

 違うだろ。あれはこっちが勝手に―――


 蓮の思考はぷつりと途切れた。


 次に目蓋を開けた時、蓮の視界には青空が映った。


 木々の隙間からのぞく景色をぼんやりと見ながら、何か大変なことがあった気がして、記憶を探ってみれば、かなり大変な目に遭ったことを思い出す。


 「……ちとせ?」


 近くに姿が見えなくて、蓮は身を起こした。

 手のひらに当たった小石にビクリとしたが、その痛みはすぐに消える。


 激しい苦痛を味わったせいで痛みに敏感になってしまったが、改めて意識してみると、体はずいぶんと軽かった。


 体のどこにも不快感はなかったし、打たれた頬も痛くなかった。腕をまくってみれば、倒れ込んだ時に負ったはずの擦り傷さえ跡形もなかった。


 「レンくんっ!」


 どこからともなく現れたちとせが、声を上げながら蓮に駆け寄ってきた。


 「だ、大丈夫なの? 平気? 苦しくない?」

 「……うん、なんか、大丈夫っぽい」


 ちとせの目は真っ赤だった。頬も透明な液体で濡れていて、ひどい状態だった。


 「ちとせは、大丈夫?」


 彼女の目から涙が溢れてきた。

 蓮の腕を掴み、肩口に額を乗せると、泣き出してしまった。




****




 ちとせは、近くの清流で濡らしてきたハンカチを持っていた。


 砂だらけの顔を拭おうとしてくれるが、拭うべき顔なのはちとせの方だったので断ると、それならと一緒に川岸まで行くことにした。


 はたいたり拭ったりして、適当に汚れを落とす。


 ちとせが少し怪我をしていた。蓮と一緒に倒れ込んだ時のものだろう。

 幸い擦り傷だけで、血も出ていなかったが、どうして蓮の傷は消えて、ちとせの傷は残っているのか疑問に思っていると、蓮のお腹がぐう、と鳴ってしまう。


 その音はちとせにもしっかりと聞かれ、彼女は嬉しそうに笑った。

 それから、「ちょっと待てて」と自分のランドセルを持ってきて中を開いた。


 ランドセルの中には菓子パン2個とサンドイッチ1個、コンビニのおにぎりが3個、小さな菓子類がいくつか、そしてペットボトルの紅茶まで入っていた。


 どうしてこんなに沢山あるのかと聞けば、食べ収めにと買っておいたらしい。

 なんだか急に遠足みたいな気分になりながら、蓮はありがたくお相伴にあずかることにする。


 ただ、おにぎりがの具が全て鮭なのには笑ってしまった。ちとせの好物で、いつもそればかりを選んでいるのである。


 他に容れ物がないので、ペットボトルは回し飲みになってしまった。蓮は川の水でいいと言ってみたのだが、生水は駄目だと怒られた。


 決まりの悪いことはあったものの、ひと通り食べ、そのあとはお腹が落ち着かせるため、しばらくのんびりすることにする。


 蓮はそれとなく、自分の身に降りかかった不可解な現象について聞いてみた。


 「…うん。気になるよね。私も気になる……あのね、予想はあるんだよ。でも確実にそうなのかは分からない。それで……」


 「……言いにくいことなの?」

 「うーん…ちょっとだけ」


 「……確実じゃないなら、確実になってから教えてくれるのでもいいよ」


 ちとせは、わずかに目を見開いた。

 それから小さく笑い、ありがとう、と聞こえるように呟いた。






 日がずいぶんと傾いている。

 蓮は、こちらの昼と夜がどういう風に移り変わるのか知らなかったが、もうすぐ日が暮れようとしている気がした。


 このまま森林は夕闇に包まれて、屋根も壁もない場所で夜を迎えることになるかもしれない。


 それでも二人は、何も言い出さなかった。


 ―――町に近づきたくない。


 もうすぐ夜になるのなら、なおさら近寄りがたくて、蓮のそんな心情をちとせは汲み取っているのだろう、探るように隣を見ても、彼女は何の憂いもないような笑顔を返してくれるだけだった。


 ちとせがそうしているなら、ここで一夜を明かしても大丈夫のような気がして、蓮も人生ではじめての野宿を覚悟していた。


 そうして何をするでもなく、樹木の影が伸びていくのをただ緩慢に眺めていた時、かさりと何かが草を踏む音がした。


 いち早く反応したのはちとせで、蓮の手を引っ張るようにして二人とも立ち上がる。


 音のした方向をじっと注視していれば、近づいてくる足音と共に人影が現れた。

 外套のフードを目深に被っているせいで、顔を見ることはできなかったが、二本足で歩く人間には違いなかった。


 ちとせが、ぎゅっと蓮の手を強く握る。


 フードの人物は地面に置いたままの赤いランドセルに目に留めたようで、一度下を向いたが、すぐに顔を上げると、さらに歩み寄ってくる。


 「レンくん、それ以上こっちに来ないでって、その人に言って」

 「それ以上こっちに来ないで。そこで止まって」


 蓮の言葉をフードの人物は聞き入れてくれたのか、その場で立ち止まった。


 少しの間、その人は静止していたが、ゆっくりとした動きで腕をあげた。頭のフードに手をやると、フードをおろし顔を見せてくれる。女の人だった。


 二十代くらいで蓮たちと同じ黒髪だったが、瞳がルビーのように赤い。

 はっきりとした清潔感のあるその人は、やわらかく微笑む。


 「顔を隠したままでは不躾でしたね、申し訳ありません」


 口調も穏やかに聞き取りやすくて、蓮の警戒心は幾分かゆるんだ。


 「地母神グランリーゼ様の、依り代様とお見受けいたします」


 女性は、ちとせの方を見ながら頭を下げた。


 「お迎えに上がりました。神領地アルトルベーヌより、迎えの使者を仰せつかった、神殿騎士のレオノーラにございます」


 「なんて?」

 「えっと。グランリーゼ様かって。あと、自分のことを……えと、アルト、ベーヌ? の使者で、名前はレオノーラ。神殿騎士だって言ってる」


 蓮はできるだけ女性の言葉を拾ったが、ちとせの顔は緊張したままだった。


 「神殿騎士である証しを見せてくださいって、言って」

 「…うん」


 ちとせの言葉をそのまま伝えると、女性は少し不思議そうな顔をしてから頷いた。


 丁寧に腕をまくり、右手にしていた革の手袋を外す。

 手の甲を上にしてこちらにかざす彼女の手には、赤い石が嵌め込まれていた。


 丸く磨かれた石はかすかな光を放ち、何かを象るように石の上に集まっていく。

 はじめて目の当たりにしたファンタジー現象に、蓮は目を見開いた。


 光の集合体は、やがて簡略された花らしき図形を形作った。


 それを認めたのだろう、蓮の隣でちとせが、ほっと息をつく。


 「大丈夫、この人本当に神殿騎士さんだよ。町まで私を迎えに来てくれてた人」

 「うん。なら良かった」


 ちとせの言葉に蓮も安堵して、彼女に笑いかける。

 けれど、ちとせから太鼓判を捺されたはずの女性は、蓮とちとせの顔を見比べた。


 「…あの。失礼ですが、どちらがグランリーゼ様であられるのでしょうか?」


 さきほどは確信を持ってちひろを見ていたのに、今は自信がないようだった。

 ちとせの喋る言葉が分からないうえ、それを蓮が通訳しているせいかもしれない。


 「あー、こっちがグランリーゼ。たぶん」


 蓮はちとせを指さしたが、ちとせがそれを聞きとがめる。


 「たぶんって何? ひどい。私ちゃんとグランリーゼ様なのに」

 「えー。だって、たぶんじゃん」


 なにやらぷりぷりと怒り出すのが、そういう言動のせいでますますグランリーゼなんてご大層なものには見えなくなってくる。


 ちとせのふくれ面が面白くて、ついついからかう言葉が出てくるが、気付くと、神殿騎士の女性が呆気にとられたような顔で二人の遣り取り見ていた。


 少しだけ気まずく思いながらも、蓮は事情を説明することにした。






 「……なるほど、色々と込み入ってしまったようですね」


 ちとせの言葉は全く通じないのため、すべて蓮が説明した。


 彼自身わからないことが多いため、上手く伝えられるか分からなかったが、神社からちとせを追って、こちらの世界に来てしまったこと。宿場町まで二人で歩いたこと。蓮にだけに言葉が分かるようになったこと。ごろつきみたいな男に絡まれて、ここまでちとせを担いで逃げて来たことも話した。


 レオノーラはずっと黙って聞いていたが、蓮が話し終えると、しばらく何かを考え込みだす。けれど、二人の視線に気づいて、にこりと笑った。


 「ひとまず、今日の宿について考えましょうか。二人のお気持ちを考えますと、これから町に入るのは好ましくないかと考えます。今晩は、この森の草床をお借りするのも良案だと思われますが、いかがされますか?」


 蓮はちとせに伝えた。ちとせは頷き、蓮も頷いた。


 「では、今晩の野営に食料品などを調達する必要がありますね。お二人の外套なども必要になりますから……私は一度、宿場町に戻ろうと思います。もちろん、お二人はここにいてください。そうですね、念のために御守りを施しておきましょう」


 レオノーラは、懐から赤い三角柱の小石を取り出した。


 「この石を中心に50メートル以内にいてください。その範囲にあれば、敵意や害意のあるものは近づくことができません」


 言って、三人の真ん中にそれを置いた。

 赤い小石は、三角柱の角を下にして独りでに立つと、独楽のように回り出した。


 「それでは行って参ります。すぐに戻りますから、お好きなようになさっていてください」


 立ち上がって軽く会釈をすると、レオノーラは外套をひるがえして二人の側を離れた。


 「レンくん、薪拾いでもしようか? 火とか熾してもらえるよ、きっと」


 ちとせの提案に異論のなかった蓮は、彼女と一緒に辺りの探索をはじめる。


 50メートル以内がどれくらいのものなのか、そもそもメートルという単位が“あちら”と同じなのか分からなかったが、できる範囲で枯れ木や落ち葉を探した。


 空の色がオレンジがかった頃、レオノーラが戻ってくる。


 集めた枯れ木や落ち葉に感心され、少しだけ嬉しくなりながら、夕食の準備とやらに取りかかった。


 何か手伝えることはないかと聞けば、レオノーラが用意した小さな鍋に水を汲んでくることを頼まれ、二人でこなしたが、すぐに手持ちぶさたになってしまう。


 次に、レオノーラがその辺の木から切り落とした太めの枝で、鍋の支柱をレオノーラに言われた通りに作ってみるが上手くいかず、結局すべて彼女任せになった。


 蓮とちとせは二人で相談した結果、火にかけられた鍋の様子を二人で見守るという大役に、大人しく納まっておくことにした。


 何かの燻製肉を火で炙る頃合いになると、辺りはすっかり暗くなっていた。


 レオノーラに切り分けてもらった固いパンを、言われたようにスープに浸しながら食べはじめる。スープとパンはいまいちだったが、燻製肉は美味しかった。


 遠足の次はキャンプのようだと、蓮は固いパンをふやかしながら呑気に思っていたが、ふと気になったことがあった。


 「……あの、レオノーラさん」

 「はい。何でしょう」


 「えと、どうやってオレたち――オレとちとせのいる場所が分かったのかなって。本当なら、町での待ち合わせだったのに」


 蓮の問いかけに、レオノーラは少し困ったような顔をした。


 「えー…、何と申しますか。少々、敬意を失する発言があるやもしれませんが……」


 レオノーラは、ちとせをちらりと見ながら続けた。


 「説明いたしますと、町では昼過ぎに、この世のものとは思えないおぞましい絶叫をあげる箱が現れたと、ちょっとした騒動になっておりまして」


 「…………」


 蓮には、心当たりがありすぎた。


 「それが、グランリーゼ様の、その…怨嗟だとか、悲鳴だとかと噂されておりまして。そこから、グランリーゼ様と関わりある品ではないかと判断を付けました」


 蓮は、ちひろを見た。レオノーラの言っていることは伝わっていないため、ふやかしたパンをスプーンで掬いながら通訳を待っている。


 「あー、何て言うか。オレが捨ててきたランドセルでグランリーゼ様のことに気付いたみたいだよ、レオノーラさん。それでここまで来てくれたんだって」


 言うべきかどうか、あれこれと悩んだが、蓮は大幅にはしょることにした。

 ちとせは、ふーん、とこぼすとスプーンを口の中に入れ、気には留めなかった。


 ランドセルも不憫だと思う。蓮たちをちゃんと守ってくれたのに、まるで呪われた品のように扱われているのでは浮かばれない。


 「それから変わった身なりの子供たちが、こちらの方に走っていったのを町の人たちに聞きまして。そのあとは、アルトルベーヌ様のご加護により、お導きいただけたのだと思います」


 「…加護?」


 「ええ、神々の御業によるものです。私はアルトルベーヌ様の神殿騎士として召し上げられたおり、いくつかの加護を受けております。レン様にもきっとグランリーゼ様の加護が授けられていますよ。こちらの言葉を解するのもそのためでしょう」


 言われて視線を移すと、会話から内容を察したのか、ちとせは呆然と蓮を見ていた。


 「……レオノーラさんが、オレにグランリーゼ様の加護がかけられてるって」


 事実を確かめるように言えば、彼女は申し訳なさそうに下を向いた。


 「……うん。私もそう思う。でもね。どうやってかけたのか分からなくて、だから、どんな加護をどれだけ与えたのかも分からなくて……解き方も、たぶん分からない」


 「それって、まずい事なのか?」

 「……レンくん、もし今、あなたは不老不死になりましたって言われたらどうする?」


 「―――え?」


 ―――そんなことまで?

 驚きのあまり言葉を失う。蓮の脳裏を横切るのは、漫画やアニメでよく描かれる不老不死者の末路だった。


 「……レンくん、レオノーラさんに聞いてみて。神さまに仕えている人なら、どんな加護がかけられているか、分かると思う」


 神妙な面持ちのちとせに、蓮は小さく頷いてレオノーラへとお願いした。


 彼女はとくに言及することなく蓮の求めに応じてくれ、神殿騎士の証しにと見せてくれた右手の石を手袋から取り出し、蓮の手に自らの手を重ねた。


 丸い赤石に、ぼんやりとした光が灯る。


 「……そうですね、やはり言語の万能性はあると思います。あとは精神の抑制、いえ、コントロールでしょうか。それに自然治癒の引き上げもありますね……身体の強靱化も加味されているかと」


 「……あの、不老不死はとかはありますか?」


 レオノーラは瞠目した。けれど、すぐに意識を集中してくれる。


 「―――いいえ、聖人と呼ばれる、いわゆる不死者の方をお一人知っていますが、レン様にはその要素はみられません」


 蓮は、レオノーラに言われたことを、すぐにちとせへと伝えた。

 ちとせは肩をなで下ろし、元気はあまりなかったが笑みを見せてくれた。


 「……良ければ、事情をうかがっても?」


 「あ、うん。えと、ちとせは――グランリーゼ様は、オレにどうやって加護をかけたのか分からないんだって。だから、かけた加護の数も解き方も分からないらしいです」


 それだけで事の重大性が伝わったのか、レオノーラはわずかに眉根を寄せた。


 「……世界の理が異なる、依り代様に宿っておられるからでしょうか」


 ちとせに聞いてみたが、ちとせは分からない、と首を横に振った。

 レオノーラは真剣な眼差しをして、かなりの時間かけて考え込む。


 「……実は、レン様の加護は、どうにもお力が弱々しいと感じていました。そこで少し、試してみたいことがあるのですが」


 レオノーラは立ち上がり、やおら歩くと蓮へと手を差し伸べた。

 蓮は、一度ちとせを見てからレオノーラの手に応えて立ち上がる。


 「グランリーゼ様は、その場で少々お待ち下さい」


 レオノーラは蓮を連れて、ちとせから距離を取りはじめた。

 どれくれらい行くつもりなのか、どんどん歩いていて行ってしまう。


 5メートル近く離れた時、レオノーラが話しかけてきた。


 「私の言葉が分かりますか?」

 「え、うん。分かり、ます」


 「では、もう少し離れてみましょう」


 レオノーラが何をしようとしているのか、蓮には何となく分かった気がした。

 歩きながら振り返る。不安そうに立ち上がっているちとせが見えた。


 「――――――」

 「え? 何? なんて?」


 レオノーラがもう一度何かを喋る。

 だが、蓮には全く理解できない言葉だった。


 黙って彼女を見返していれば、レオノーラは身振りでちとせの方へ戻るよう促した。

 それぞれ元の場所に腰を下ろしてから、レオノーラは切り出した。


 「ひとまず事態を整理しましょう。グランリーゼ様の加護が授与された経緯を鑑みるに、困った事や危険な事態に遭遇した際、それらに対応できるだけの力をレン様に与えてしまったのだと思われますが、いかがでしょうか」


 レオノーラの言葉が再び理解できるようになった蓮は、そのままちとせに伝え、ちとせはこくりと頷いた。


 「ならば対処はしやすいかもしれません。言ってしまえば、これ以上困ったことや危ない目に遭うことがなければ、さらなる加護が与えられる可能性は低くなるのではありませんか?」


 蓮を通したその言葉に、けれど、ちとせは不安な顔を返した。


 「ようは心の持ちようではないかと。無意識に加護を与えてしまうのは、やはり弊害が出てしまいますから、それが不安といった感情によって左右されるのなら、なおさら注意が必要です。ですが、幸いグランリーゼ様はその危険性を自覚されていますから、それだけでも立派な抑止力となりえます。どうか御心を強くお持ちください」


 レオノーラの諭すような言葉に、ちとせはレオノーラではなく蓮を見つめた。

 そして、何かを決心するような力強さで首を縦に振る。


 「そして、これはまだ確証を得たこととは言えませんが、おそらくレン様の加護はグランリーゼ様の側近くにあってこそなのではないかと」


 それとなく気付いていた蓮はさほど驚かなかったが、遅れて知らされたちとせは、ぱちくりと目を瞬く。


 「さきほど検証を行いましたが、レン様がグランリーゼ様より5メートル以上の距離を取られた地点でレン様のお言葉が分からなくなりました。おそらく、ほかの加護も同様に、お二人が離れすぎてしまうと力を失う可能性が高いかと」


 加護を失う。そう言われても、蓮にはあまりピンと来なかった。


 言葉が通じなくなってしまうのは確かに不自由だろうけど、レオノーラという保護者のような人が現れたいま、それほど重要な事だとは思えなかった。


 蓮とは裏腹に、レオノーラはどこまでも真剣な言葉で語りかけてくる。


 「お二人は、互いの側を離れてはいけません」


 「…………」


 「レン様がいま、グランリーゼ様の前からいなくなれば、それだけで不安を募らせる原因になりますし、何よりレン様自身が、自らを守る力を失ってしまいます」


 蓮はちとせに伝えようとして、途中で止まってしまった。


 ―――自分を、守る力?

 その言葉が、どうしてか蓮の胸にぐさりと突き刺さった。


 「このレオノーラが、お二人の安全のため全力を尽くす所存ではありますが、守りを固めるおくことに越したことはありません。グランリーゼ様もレン様も、どうぞレオノーラの言葉を心に留め置いてくださいませ」


 蓮はレオノーラの言葉を伝えることを優先した。

 ちとせが彼女に向かって頷くのを見て、蓮もあとに続いて頷く。


 レオノーラはそれを見届けると、満足そうな顔でにこやかに笑った。


 「では、夕食に戻りましょう。すっかり弁を熱くしてしまいました。年を重ねると説教臭くなるのは本当のようですね」


 どう見ても二十代半ばの彼女は、少し気恥ずかしそうにしながらスプーンを口に運ぶ。


 蓮は、冷めたスープの入った自分の器を見つめた。

 ふやかしていたパンは、一口ではとても収まらないほど嵩を増していた。






 レオノーラから渡された厚手の外套にくるまって、蓮とちとせは地べたに横になっていた。土の匂いと草の匂い。そして、ぱちぱちと火が燃える音を蓮は聞いていた。


 眠らなきゃいけないとは思うのだけれど、いっこうに寝付けなかった。


 寝返りをうって夜空を見上げてみれば、見たこともない満天の星空が広がっている。


 「…眠れませんか?」


 小さく落とした声がして、蓮は視線を向けた。

 焚き火の番をしているレオノーラが、優しく微笑みながら見下ろしていた。


 そろりと蓮は起き上がる。

 すぐ隣で眠っているちとせを見て、起こしていないかを確かめたあと、それからレオノーラの方へ向き合った。


 「……ずっと、起きているんですか?」

 「慣れておりますから、大丈夫ですよ。念のための見張りです」


 念のため。

 そうえば、そう言って御守りなる石も取り出していた。その石は今も彼女の傍らで回り続けている。


 いったい何のための、“念のため”なのか。


 「―――…危ないことが、あるんですか?」


 レオノーラの笑みが固まる。

 蓮は、ずっとそれが聞きたくて眠れなかった。


 けれどレオノーラは、僅かなほころびをすぐに取り繕った。


 「武人の性分ですかね、周囲の警戒についつい気を回しすぎてしまうようです。ただの心配性ですから、聞き流してやってください」


 「……なら、なんでさっき、オレにも守る力が必要だって言ったんですか?」


 「――それは」


 レオノーラの反論は続かなかった。


 蓮はこのまま、レオノーラに連れられて安全な場所にまで行けるのだとばかり思っていた。けれど、レオノーラの言い様は、まるで、これから向かう先にこそ危険が待ち受けているようにも聞こえた。


 「もしかして、ちとせは狙われているんですか?」

 「――いえ、そんなことは」


 「じゃあ――」


 蓮の語気は知らずに強まっていた。


 「じゃあ、グランリーゼの怨嗟って何ですか?」


 それを聞いた時は、それほどの気にならなかった。

 けれど、考えてみればおかしな話だった。グランリーゼはこの土地の神さまなのに、何故そんな言われ方をされたのか。


 レオノーラは目を伏せ、逡巡のような間をおいたあと、静かに頭を下げた。


 「――申し訳ありません」

 「…………」


 「私は、レン様に対して不誠実なことをしていましたね。子供だからと侮ってはいけないことは知っていたつもりでしたが、まだまだ道理に暗いようです……」


 そうやって謝られてしまうと、蓮の方が逆に申し訳なくなってくる。


 彼女はなにも、悪意があって隠そうとしたわけではないはずだ。危険があるかもしれないと知られることで、余計な恐怖を与えたくなかったのだろう。

 蓮もそうだが、何よりちとせの不安をあおることは避けたかったはずだ。


 「教えないことで不信感を持たれたまま、この先を乗り切るよりは、話してしまった方がきっと良いのでしょう」


 言いながらレオノーラは、ほんの少しの笑みを口元に飾った。


 「レン様は、グランリーゼ様がどのようにして異なる世界へ生まれ落ちてしまったのか、その顛末はお聞きになられていますか?」


 「……たぶん、一度だけ。でも、よく覚えていなくて。なんだか酷い内容だった気はするんですけど」


 「ええ。あまり子供に聞かせられる内容ではないのですが……聞いていただけますか?」


 改めて問いかけてくるレオノーラに、蓮は少しだけためらいを感じた。

 けれど、聞きたい気持ちの方が勝っていた。


 「はい。お願いします」


 蓮の承諾を受け取って、レオノーラも頷いた。


 「私も全てを知っているわけではありません。神殿で教えられた事と、私の主観で補う部分もあると思います。それでも語らせてもらうなら、時はおよそ三十年ほど前の事となります。地母神グランリーゼ様は、この神領地にあって全ての生命に循環と安寧をもたらす神の務めを、良く治めてきた善神だったと聞いています。そして、()の御方が慈しんでおられたのは全ての生命であり、人間だけではありませんでした」


 昔話を語りはじめたレオノーラは、炎をあげる焚き火を見つめていた。


 「しかし人間は、神のように広大な視野を持つことはできません。日々の暮らしや利己の益を優先させるため、必要以上の命を奪います。この特有の営みは、どの神領地にも当てはまるようで、人間との折り合いを付けることに神々は苦心されるようです。グランリーゼ様も例にもれず、理を外れた人間たちを折に触れて諫め、行き過ぎた行為には容赦なく神罰を下されました。生態系の頂点に立つ存在として、それは威儀に適った振る舞いであり、大地の神として正当な在り方でした」


 蓮は、黙ってレオノーラの言葉に耳を傾ける。


 「ですが、そうした神による采配を無慈悲だと罵り、因業を逆恨みにする人間は後を絶えません。さらには人間の底を知らぬ欲が、神の理を邪魔だと判ずるのでしょう。そうした人間の業は、必ずといってよいほど同じところへ行き着きます」


 無意識なのか彼女は、焚き火にくべるための小枝を手に取った。


 「その小さな世界で驕り高ぶり、神を御することを夢想するのです」


 ぱきりと折れる音がした。


 「ですが、考えるだけで、実行する人間はまずおりません。神の力は絶大で、その領分を侵すことは、まず不可能ですから……もし、神を害するものがあるとしたら、それは同じ神だけです」


 「――え?」


 「この世界には、神と呼ばれる存在は数多おわします。中には、人間のすることを面白がって、加護を悪用する人間をあえて放置する神もいるのです」


 蓮は、顔をしかめずにはいられなかった。


 「神領地の神がその地をどのように治めるかは、神の御心のままですから、それ自体に口を出すことはできません。ですが、その代償は、あろうことかグランリーゼ様の治める領地で支払われることとなったのです」 


 レオノーラの手によって折られた小枝が、火にくべられる。


 「領地を跨いだ国と国で、何かしらの密約があったのだと思われます。彼らによって、グランリーゼ様は陥れら、依り代として用意されていた稚児に封じられてしまったのです。ですが、所詮は加護を与えられただけの人間にすぎません。そうそうと神の力を抑えられるはずもなく、さらには神としての尊厳を踏みにじられた地母神の怒りが、その地に降り注ぎました。国土の全てが腐りはじめたのです。水も食物も、家畜や家屋も、その地にあるだけで腐乱し、病毒と化してきました。ついには人間たちも腐り始め、徐々に肉体がそげ落ち、腐肉を蟲に食われる地獄に突き落とされましたが、けっして死ぬことはなかったそうです」


 蓮は、レオノーラの赤い瞳に映る、燃えさかる炎を見ていた。


 「国家元首たちも己が犯した大罪をようやく理解したのでしょうが、依り代の封印を解けば、それこそどんな報復が待ち受けているか、それを恐れたのでしょう。事態はいっこうに好転する気配をみせませんでした。グランリーゼ領にある他の国々も、この事態に気付いてはいましたが、その地に入るだけで腐乱するばかりか、二度と出ることが出来ないのでは手をこまねくことしかできず、もはや他領の神々におすがりするしかない状態となったのです」


 ルビー色の瞳が伏せられた。


 「この史上まれに見る惨事に、3柱もの神々が応えてくれたのですが、時すでに遅く、神とおぼしき高エネルギーが爆ぜると共に、大地が割れたと言います」


 「…………」


 「何が起こったのかは正確には分かりません。おそらく、グランリーゼ様は自ら封印を破ったのだと思われます。しかし、ご自身も無事では済まなかった。神を捕らえていた国は、大地の崩壊と共に壊滅したのですが、解放されたはずのグランリーゼ様を確認することは、ついぞ出来なかったのです。唯一わかっていたのは、グランリーゼ領に住まう全ての人間から、神の加護が失われていたことだけでした」


 沈痛なレオノーラの様子に、蓮もまた気持ちが沈んでいるのを感じた。

 思っていたより、壮絶な内容だった。


 隣りで眠るちとせに自然と目が向く。どこか間抜けな顔をしながら眠っていた。


 とてもじゃないが、重たい過去を背負っている神さまには見えない。

 何かの間違いではないのかとすら思えてくる。


 蓮は、同じようにちとせの寝顔を見ていたレオノーラに向き直った。


 「……あの、加護の悪用をあえて放置したっていう、はた迷惑な神さまはどうなったんですか?」


 レオノーラは、しばらく虚空を見つめてから、再び語り出す。


 「他領の神々、特にグランリーゼ様を救い出そうとした3柱の方々によって、その咎を責められました。すると()の神は、この件にわずかにでも関わった人間を一人残さず葬ったそうです」


 「え、でも、さっき国と国って……」

 「はい。つまり、この一件によって二つの国が滅びました」


 あまりにもあっさりとレオノーラは言ってのけた。けれど、そのあっさりした言い方が、むしろ尋常ではない神の甚大さを表している気がして、蓮の背筋は寒くなる。


 「これは勝手な話ではありますが、神に仇なす事がどれほどの災厄を招くのか、結果的に広く知れ渡ったのは幸いでした。今回の件で、神の権威が失墜し、神を侮る人間が増えることほど恐ろしいものはありませんから、神とはかくあるべきという示威行為としては充分でした」


 淡々と語りながら、レオノーラはもう一度、小枝を火の中にくべる。


 「彼の神に科せられた罰は、もちろんそれだけではありません。彼の神の加護を持った人間は、永久に他領の地へ入ることはできなくなりましたし、神ご自身も、グランリーゼ様が味わった恥辱を舐めるようにと、今なお無力な人間に封じられているそうです」


 「……それだけの人が死んだのに、神さまは生きているですか?」


 人間を庇いたかったわけではない。けれど、なんだか割に合わない気がして蓮は口に出していた。

 レオノーラは、少しだけ苦い顔をする。


 「神の不在が長い大地は、やはり腐っていくのです。おびただしい生命の死を苗床にして、新しい神が生まれるとされていますが、そうなるまでに、様々な生物たちは安全な場所へと逃げてくるでしょう。人のみならず、四足動物から羽虫の類にいたるまで、それらを周辺の領地で抱えねばならなくなり、生態系を破壊を避けるためにも、神を簡単には滅することができないの現状です」


 蓮はまだ納得できなかったが、口を出すことはやめた。

 こちらの世界の事情を持ち出されては、それ以上何も言えなくなってしまう。


 「だからこそ、グランリーゼ様の帰還も神々から強く望まれていました。長らく行方が分からず、生存を危ぶまれていましたが、ようやく、理の異なる世界に生まれ落ちてしまっていることが明らかになり、グランリーゼ様の引き揚げには多くの神が協力を申し出てくれました。……ただ、グランリーゼ様の帰還を望まない者もいました」


 「それって……」


 「はい。他ならぬグランリーゼ領の者たちです。人間に煮え湯を飲まされたグランリーゼ様が戻られることで、神による粛正が行われることを恐れているのです。現に、人間たちの所業に嫌気が差し、ことごとくを廃して人間の踏み入ることが出来ない禁足地となった領地もいくつか存在します。ですから、人間に怨恨を抱く神を戻すよりは、新しい神の誕生を待った方が良いという考えに傾き、ばかりか、それを他者に説いて回る輩がいるのです」


 「そいつらが、グランリーゼを狙っているんですか?」


 「いいえ。彼らがはっきりと、グランリーゼ様に対して敵対行為を働いたことはまだありません。ですが、もし万が一の事があった場合、グランリーゼ様が人の身のままでは、御身を満足に守ることも難しいでしょう。ですからまず、グランリーゼ様には我が主神であるアルトルベーヌ様の庇護下に入っていただくことが決まっています」


 「……アルトルベーヌ様の領地は遠いんですか?」


 「いいえ、くだんの宿場町より先にある関所を通って、国境を越えればそこが神領地アルトルベーヌです。私たちの目下の目標は、何事なく関所を通り抜けることになります。そしてそれまでは、護衛を任された私は気を抜くことが出来ません。少なくとも、今いるここがグランリーゼ領である限り、危険がないとは言い難いですから……長い話になりましたが、以上がこの先にあるかもしれない“危険”の全容です。ご理解いただけましたでしょうか」


 蓮は、自分の意志を尊重しくれたレオノーラに報いられるよう、しっかりと頷いた。


 「はい。話してくれて、ありがとうございました」


 見返す瞳が、蓮を探るように見た気がしたが、彼女はすぐに笑い返してくれた。


 「アルトルベーヌ領に直接、送り届けられるのが一番だったのですけれど……異界との門を開くわけですから、強い縁のあるグランリーゼの地に限定するしかなかったようです」


 「送り届けたくれたのも、アルトルベーヌ様なんですか?」


 「ええ。……いえ、確かアルトルベーヌ様のお力と、レン様のおられた世界の土地神様のお力を借りられたと伺っておりますが」


 「土地神? え……えっ! まさか、あの神社のっ」


 衝撃的事実の発覚に、蓮は声を荒げてしまった。

 慌てて手で押さえ、ちとせを振り返るが、彼女を起した様子はなかった。


 それほど昔じゃない時分に、お社に登って遊んだ覚えのある蓮は内心で汗をかく。

 神さまをの恐ろしさ知ったあとだからこそ、よけいに冷や汗の出てくる思いだった。


 レオノーラが、ちとせの寝顔を見ながら小さな息をつく。


 「実は、グランリーゼ様の護衛に任命された折、とても不安でした。ああいった経緯のある方ですから、私たち人間にもっと辛辣な接し方をされるかと思っていたのですが……お二人にはじめてお会いした時、仲良く手をつないでいらして」


 ふふふ。と、何か微笑ましいものを見るかのように、レオノーラは笑った。


 「いえ、あの時は私の不調法で怯えさせてしまったわけですが……でも、やはり、レン様がグランリーゼ様の寵愛を受けている事を、私はとても嬉しく思います」


 蓮は頬が熱くなるのを感じた。


 ―――寵愛とか、なんだその恥ずかしい単語。


 こちらの心意を知ってか知らずか、どこまでも温かな眼差しを繰り出してくるレオノーラに、視線が泳ぐ。


 「あの、えっと……………………もう寝ます」


 語尾がことさら小さくなりながら、蓮は逃げるようにレオノーラへ背を向けた。


 「はい。お休みなさい」


 くすくすと笑われている気がしたが、蓮は聞こえないふりをした。


 外套を掻き集めるようにして横になる。

 辺りはすぐに静けさを取り戻して、ぱちぱちと鳴る焚き火の音ばかりが耳に付くが、蓮は近くにちとせ寝息を感じていた。


 危ないことがあるかもしれない。

 それを明確にされてしまったのに、不思議と怖いとは感じていなかった。


 自分たちを守ってくれるという、レオノーラの言葉を信じられる気がしたからか、それとも、これもグランリーゼの加護なのか。


 不意に草の匂いと土の匂いがして、そういえばこれも彼女の一部になるのかと、むしろ、そんな取り留めもないことの方が気になった。


 冷たいはずの大地に、どこか温もりを感じながら蓮は目蓋を閉じた。






長くなったので、前・後編に分けます。

後編は来週中に更新―――できるようにしたい。


※10/25に一部修正

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ