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第九章 張り込み、焼き鳥、空振り

片桐たちの捜査線上に、次の標的になりそうな人物が割り出された。


旭川の老舗ラーメン店、その店を長年利用している常連客の一人で、


SNSには以前、


『今度の休みに、久しぶりにあそこのラーメンを食べに行く。しばらくぶりなので楽しみだ』


と投稿していた。




これまでの被害者と、あまりにも共通している。


犯人がSNSを監視しているのであれば、


この人物も狙われる可能性がある。




そこで一同は、店の周辺で張り込みを行うことになった。


神崎、みお、片桐、榎本。


4人は覆面パトカーの中で待機していた




「先生、こういう地道な捜査、慣れてます?」


片桐が尋ねた。




「FBIにいた頃、別部署の研修で何度か」


「さすがですね」


片桐は感心した。




張り込みは、静かに始まった。


車内から店の出入口を監視する。




通行人。


自転車。


近所の買い物客。


しかし、何も起こらない。




一時間が経ち、


二時間が経過する。


そして――。




ギュルルル……


車内に、小さな音が響いた。




「……」


みおが横目で神崎を見る。


神崎は何事もなかったように前を向いていた。


「零さん」


「何でもない」


「聞こえましたよ、今」


「気のせいだ」


「お腹空いたんでしょ」




「……」


「ラーメン食べたいんでしょ」


「……否定はしない」




片桐が前の席から振り返った。


「先生、張り込み中ですよ」


「分かっています」


「あと少し我慢してください」




「善処する」


みおが呆れた顔をする。


「その言葉、絶対信用できないんですよね」




その時だった。


コンコン。


車の窓が叩かれた。




一瞬車内に緊張が走る…と思いきや、




「先生ぇー!片桐!榎本!」


「!」




窓の外には、大森が立っていた。


片手には、何やら袋を抱えている。




「大森さん……なぜ、ここに」


「張り込みするって言うから、気になって、様子見に来ちゃいました!」




片桐が頭を抱えた。


「大森……」


「はい?」


「アンタ、ただでさえ声でかいんだから、張り込み中に目立つ行動すんなよ!」


「すまん、片桐!」




大森は申し訳なさそうに頭を下げた。


そして、袋を神崎に差し出した。


「でも、先生たち、お腹空いてるかなって」




神崎は袋を見る。


その表情が、ほんの少しだけ緩んだ。


「……お心遣い、感謝します」




「零さん」


みおが止める。


「それ、絶対駄目なやつです」


「少しだけだ」


「少しだけじゃありません」


「なぜ?」


「今、絶対に匂いでバレます」




神崎は袋を見る。


そして、みおを見る。


もう一度、袋を見る。


「……合理的に考えれば」


「食べないでください」


「まだ何も言っていない」


「顔に書いてあります」




片桐が吹き出した。


「先生、分かりやすいですね」




神崎は少し考えた。


「……では、少量だけ」


「食べるんかい!」


片桐とみおの声が重なった。




神崎は袋を開けた。


その瞬間、




ふわっ


香ばしい匂いが車内に広がった。




「……」


全員が黙った。


榎本が鼻をひくつかせる。


「……ん?」




片桐が嫌な予感を覚える。


「先生」


「何でしょう」


「まさか、今ここで食べてませんよね?」




「……少しだけです」


「張り込み中に焼き鳥食う人、初めて見たんだけど!」


榎本が思わず声を上げた。




「静かに!」


片桐が慌てて制止する。


「目立ちます!」


「いや、だってこの匂い!」


「榎本さんも声、大きいです!」


みおが小声で叱った。




榎本が口を閉じる。


「……すまん」


車内には、焼き鳥の匂いが充満している。




神崎は串を一本、じっと見つめていた。


「……美味しい」


「感想言ってる場合じゃないですよ」


みおが呆れた。




その時だった。


「あっ!」


大森が突然、前方を指差した。


「来た!」




「大森、静かにしろって!」


片桐が叫ぶ。


「対象ですか?」


神崎が身を乗り出す。




店の前に、一人の人影が現れた。


周囲を見回ような仕草。


若干、挙動不審にも見える。




「……怪しいな」


片桐が低く呟いた。




一同の緊張が一気に高まる。


「行きますか?」


榎本が尋ねる。


「まだ待ってください」


神崎が答える。




全員が身を潜める。




その瞬間、


バサリ!




神崎の足元から、何かが落ちた。


焼き鳥の袋だった。


さらに、




コロコロコロ……


串が一本。


二本。


三本。


車内の床を転がっていく。




「……」


「……」


「……」




みおが無言で串を拾い始めた。


「零さん」


「何だ?」


「これ、絶対あとで笑い話になりますね」


「今は笑えんがな」


榎本が小声で呟いた。




「分かってます」


みおは串を拾いながら答えた。




前方の人影が、店の入口に近づく。


一同は固唾を呑んで見守った。




そして――。


「お母さん、はやくラーメン食べたい!」


子どもの声が聞こえた。




「……」


「……」


「……」




人影の横から、子どもが二人現れた。


どうやら家族連れだった。




三人連れだって店に入っていく。




片桐が深いため息をついた。


「……ただの常連客の家族連れか」




榎本が肩を落とす。


「空振りですな」




大森が申し訳なさそうに言った。


「すまん、俺が『来た!』とか言ったから……」




「それだけじゃねえよ!」


片桐が行き場のないもやもやを大森にぶつけた。


「張り込みに焼き鳥って…」


「でも、大森に捜査内容喋ったのお前だろ?」


榎本がつぶやく。


「ダメじゃない、片桐君。」


「それは…確かにそうだ。」




神崎はしばらく焼き鳥の入った袋を見て一言


「食べ物に罪はありません」




「今それ言う?」


みおが笑った。




結局、その日の張り込みは空振りに終わった。


犯人らしき人物は現れなかった。




「……今日は収穫なしですね」


片桐がため息をついた。




「そうですね」


榎本も肩を落とす。


「腹、減ったな」




みおが振り返った。


「あなたが言うんですか」


「え?」


「そこは零さんかと……」




全員の視線が神崎に集まった。


神崎は真顔だった。




「私は、まだ食べられます」


「やっぱり!」




みおの声が車内に響いた。


張り込みは終わった。




しかし、事件より先に、


一同の空腹が限界を迎えつつあった。




片桐が車のエンジンをかけた。


「さ、先生方、ラーメン行きましょう!


俺、いい店知ってますよ!」


「それはありがたい」




 片桐は苦笑しながらアクセルを踏んだ。


「俺もラーメンにはうるさいんで。先生とは、そこだけは気が合うかもしれませんね」


「それは興味深い」


「事件よりですか?」


「……それは別問題です」




「そこは即答しないんだ」


 みおが笑う。




張り込みは空振りだった。




 だが、思いがけず、神崎と片桐の間には一つだけ共通点が見つかった。


 ――食べ物には、少しうるさい。




 そしてその共通点が、この先の二人をつなぐことになるとは、この時はまだ誰も知らなかった。

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