5 一緒に暮らさない?
何となくマリウスさんの果物屋まで戻ってきてしまったら、店先に用意されている「傷物やおつとめ品の果物が満載のカゴ」に手を伸ばしているあの子がいた。ぎくっと振り返った彼は、果物を抱えて走り出す。
「待ちなさいっ!」
「捕まえられるもんなら捕まえてみろよ!」
言ったね?
鬼ごっこと大縄跳びとしっぽ取りと靴取りで鍛えた二十四歳若手保育士の体力を舐めるんじゃないよ?
私は脚をブーストさせて走り出す。マリウスさんが「サティさん、深追いは危ないっ…」と叫んでいる声が、もう遥か遠い。
気付いたら街の中心部からはずいぶん離れた、廃れた教会にいた。ステンドグラスは割れていて、壁にはツタが生い茂り、今は使われていないことが一目でわかる。ちょっと不気味で入ろうか帰ろうか躊躇したとき、後ろから声がした。
「はぁ、はぁ…サティさん、足が速いですね…」
「マリウスさん!?ついてきてくれたんですか?」
「危ないから…」
「あ…ありがとうございます」
おじいちゃんの「マリウスはサティに気がある」という言葉が思い出されてドキッとするけど、それよりも今はいかにも怪しい教会に入る同行者ができて心強い。「ギィ」と音を立てて、建付けの悪くなった重い扉を開ける。
カビっぽい礼拝堂に入って「いるのはわかってるよ、黒髪の坊や」と声をかけると、ベンチの隙間から、黒髪がゆっくりと姿を現した。窓に板が張られて薄暗い礼拝堂で、赤い目が光る。まるで追い詰められた獣みたいに。
「ババア、よくここまで追いかけて来たな。ババアにしちゃ体力あるじゃん」
「ババアじゃありません!まだ二十四歳です!そもそも何歳であっても、女性にババアとか言っちゃだめ!!よく覚えておくように!」
「…なんで来たんだよ。こんなこと言うためにきたわけじゃないだろ。俺た…俺を殺すつもりか」
「そんなはずないでしょ。私が子どもを殺すような、極悪非道な悪人に見える?」と答えようとしたとき、ガタンと音がして、礼拝堂の奥から小さな女の子が出てきた。年齢はたぶん、ゆり組さん…つまり年長さんくらい。銀色の髪にピンクパープルの目をしていて、雪うさぎみたいに可愛い。
「可愛っ…」
私が思わず女の子に近づこうとすると、マリウスさんが後ろから私を抱きしめた。
えっ、なに?バックハグ?
そして意外に筋肉あって逞しくてほんとに板みたいな硬い胸なんですが、果物屋の店主がこんな筋肉質って、これが異世界の標準仕様なんですか?そして話の流れ無視のいきなりのドキドキモードですか?
「だめだ、サティさん!ここから逃げないと!あの触手に触れたらまずい!」
触手?何のこと?確認する暇もなく、マリウスさんは私の腕を引っ張って走り出す。その後ろから紫色の触手のようなものが伸びてきて、私をマリウスさんから引きはがした。
「サティさん!」
私は「まずい」とされる触手に引っ張られて、礼拝堂の床に転がる。転がった私のうえに、触手が後から後から覆いかぶさってくる。
黒髪赤目の男の子が、「クリスタ、やめろ!ババアが死んじまう!」と雪うさぎの女の子に向かって叫んでいる。ババアじゃないって言ってるでしょ!ていうか、私死ぬの?なにゆえに?この触手のせいだよね、たぶん。
雪うさぎの女の子が「テオをいじめちゃだめ」と可愛い声で泣きながら叫んでいる。
いや、いじめてない。断じていじめてない。むしろババア呼ばわりされて、言葉の暴力で心に傷を負わされてるのはこっちだから。こんな可愛い子に誤解されたまま死にたくない。
「クリスタちゃん!私はテオくんをいじめてないし、殺しもしない!私はそんな悪い人じゃないよ!!」
私は触手を手でつかむ。「まずい」「死ぬ」とか言われて怖いものだと思ったけど、意外と簡単につかめるし痛くもない。つかんだ触手は私の手に吸い込まれるようにすうっと消えた。
「サティさん!平気…?」
「はい。全然平気…って日本語おかしい。平気です。ピンピンしてますよ」
「なんでだよ?」と黒髪の男の子が聞くので、「さあ?」と返す。むしろこの紫の触手が、そんなに怖いものだとも思わなかったんだけど、これは何なの?男の子が何も言ってくれないので、マリウスさんが説明してくれる。
「あれは…生命を吸い取る闇の魔力が具現化したものです」
観念したのか、「テオ」と呼ばれた男の子が説明する。雪うさぎのクリスタちゃんはこの能力を暴走させたせいで家族にうとまれて、この教会に捨てられた。そしてここをねぐらにしていたテオくんに出会い、二人で暮らしていたんだと。
クリスタちゃんの魔力は危ないけれど、テオくんの魔力もそれなりに強いから、魔力暴走を起こしても何とか防げていたのだと。
「最近盗む量が増えたのは、クリスタちゃんに食べさせるためだったんだね」
私はコクっと頷いたテオくんの前にしゃがみこんで、「ずっとひとりで頑張ってたんだね」と、彼の頭に手を乗せた。テオくんの目に涙が盛り上がってくる。
衣食住すべてに困窮し、死をもたらす魔力の恐怖に怯えながらも、自分より小さい子を見捨てられずにたったひとりで頑張ってきた男の子。私は考える間もなく、言葉にしていた。
「ね、私と一緒に暮らさない?」




