31 ひとり温泉旅行
私が爆発してしまった日の夜、会計を教えるためにやってきたマリウスさんは「失礼ですが」と前置きして、「どうしたんですか、その顔」と聞いた。
レオくんがボウルを支え、テオくんに手伝ってもらいながらクリスタちゃんが小麦粉を注ぐ。そんな風に夕ご飯づくりを手伝ってくれる子どもたちの健気さが心に沁み、朝の自分の情けなさを思い出し、また泣いてしまって目が腫れているのだ。
「…私の不甲斐なさからいろいろございまして」
マリウスさんは静かに話を聞いてくれたあとに、「サティさんが不甲斐ないとは思いません」と言ってくれた。
「そうでしょうか」
「ええ。サティさんは逃げなかったじゃないですか。自分の至らなさを認めて謝ることは、当たり前のようで難しいことです。サティさんは失敗しても諦めずにやり直す、強い人ですよ」
私は「そうかもしれない」と自分に言い聞かせるように頷く。頷くたびにマリウスさんの言葉が身体に沁み込んでいくようだ。
きっと、誰かに、そう言ってほしかった。
この人は本当に…私の欲しい言葉をくれる。
「だけどサティさんには、少し休暇が必要かもしれませんね」
「休暇?」
「ええ。子どもたちから離れてリフレッシュすることも大切なんじゃないでしょうか。最近は勉強も頑張っておられることだし、たまには休まないと心に余裕が出ませんよ。旅行にでも行ってみてはどうですか?」
旅行。ここに来て以来、考えたこともなかった。
「ここから一泊くらいで行ける旅行先だと、ブラオバーデン温泉がいいかと」
「温泉っ…があるんですかっ!?」
「ええ、お湯が青いんですよ」
温泉大好き。正直行きたい。
だけど子どもたちを置いていくのはなあ。おじいちゃんは畑仕事はピカイチで頼れるけど、家事はほとんどできないし。一時保育だってあるし。
「一時保育が気になるなら、農閑期の終わりくらいで予定したらいいでしょう。それに、子どもたちはうちでお預かりできますよ」
「えっ…でもマリウスさんにそんなご迷惑をおかけするわけには。ただでさえよくしていだいているのに」
「迷惑じゃありません。俺がやりたいんです」
マリウスさんのあったかい笑顔に、私はつい頷いてしまい、突然のひとり温泉旅行が決定した。代理店みたいにマリウスさんが宿泊から馬車から全部手配してくれて自分で何もしないまま準備は整い、冬の終わり、気づいたら私はブラオバーデン温泉にいた。
そして今。
暇である。
温泉に入って「ほんとに青ーい」とか言って、マリウスさんがサプライズで予約してくれていたエステでリラックスして、美味しいご飯を食べて、ぶらぶら散策したら…もうやることがない。
いや、温泉ってそうだよね。そうなんだけどさ。
一番楽しいのは、お土産屋さんでみんなへのお土産を選んでいる時間。温泉とは全く関係ない「誕生月別・伝説の名剣キーホルダー」とか「なりたい私別・ドレスマグネット」とかに目が行く。子どもってこういうの好きだよねって思いながら。
テオくんには実用的なハンカチかな。マリウスさんには「残る物より消え物がいいかもしれない」と散々悩んだ末に、ペンと温泉饅頭的なお菓子を買った。おじいちゃんには温泉成分が織り込まれているという靴下。
それからおばあちゃんには…
ミトンに伸びた手をはっと止めて、「カウベルフェルトの花屋さんで、お墓に手向ける花を買おう」と思い直す。
お土産を買っちゃったら、次は心配。散々説明はしたけど、レオくんが「僕が悪い子だからサティがいなくなったんじゃないか」って泣いてないかとか、クリスタちゃんとテオくんが魔力暴走を起こしてないかとか、クロがマリウスさんのお店を燃やしてないかとか。
そうなるともう、早く帰りたい。
マリウスさんは「寄り道して帰ってきてもいいですよ」と言ってくれたけど、まったく寄り道なんてせずに、馬車を三本くらい早めてもらって、一直線にマリウスさんのお店へ急ぐ。
「マリウスさん!」
「サティさん!?もう帰って来たんですか?」
「ええ。すごく楽しかったしゆっくりもできたんですけど、離れたらやっぱり子どもたちが心配で…早く帰りたくなっちゃって」
旅行って、故郷や自宅の良さを実感するために行く説。
「みんなはどこに?」
「裏の中庭に」
「お邪魔しても?」
「ご案内しますよ」
マリウスさんは従業員さんなのか、青い髪のきれいな女性に「頼んだ」と声をかけて、私をお店の奥へ案内してくれる。きれいに整理された箱が並ぶ廊下を抜けたら中庭。三人が馬と遊んでいる。
「みんな、ただいま!」
子どもたちが「サティ!寂しかったよ!!」って叫んで駆け寄ってきてくれるのに備えて、私は中腰になってスタンバイ。なのに三人は私を見て「お帰り」と通常モードで返事をした。寄ってもこずに、中庭につながれた馬ににんじんをあげている。
あれ、なんで?
何この肩透かし感。会いたかったのは私だけだった?
いやでも、あるよね。朝離れるときはぎゃん泣きだったのに、夕方は友達と遊びたくて保育園から帰りたくないってごねるとか。わかるよ。わかるけど、自分がされると傷つく。
ようやくクリスタちゃんが寄ってきて何を言うかと思ったら、「マリウスおじさんのお家、すごくきれいで広いよ。召使さんがいっぱいいて、お料理もいっぱい出るの」だった。「馬に乗る練習もした」とテオくん。
「へぇ…」
マリウスさんが慌てて「お客様なので食事はいつもより豪華に…」と言い訳するのを聞き流し、丁重にお礼を言って、「ブラオバーデン!」と大きな文字で書いてあるお土産のペンとお饅頭を渡す。そしてペンを大事そうに撫でて「もったいなくて食べられない」とお菓子を見やるマリウスさんを横目に、いそいそと三人を連れ帰る。
家に帰る道すがら、レオくんがそっと私の手を握る。
「ねえサティ、おんぶしてほしいな」
いつも我が儘なんて言わないレオくんの、我が儘とも言えない可愛いお願い。「あ、やっぱり寂しがってくれたのかな」なんて思って、私は満面の笑みでレオくんをおんぶした。レオくんの体温が、空っぽだった背中にゆっくり染みていくようだった。
「えへ」
「サティ、何で笑ってるの?」
「嬉しくて」




