27 謎の早出
その日、テオくんはいつもより少し遅く帰ってきた。そしてこう言う。
「サティ、明日からちょっと朝早く出るから。弁当作るのしんどかったらいらないし」
「弁当なしとかありえません。私が最も嫌いのは、子どもがお腹を空かせて泣くことです」
両手を腰に当てて宣言すると、テオくんは「子どもじゃない」と嫌な顔をした。
「…一時間くらい早く出るから」
「わかったけど、なんで?」
「…」
テオくんは何も言わない。
「私には言えないこと…?」
「とりあえず、危ないことじゃないから」
口は悪くても優しくて、先生によるとクラスメイトとの仲も良好で、成績も良い彼のことだ。本人が言うように危ないことに首を突っ込んでいるわけではないだろうが、秘密にされたら普通に気になる。
でもなんと言っても思春期。秘密にしたいことのひとつやふたつはあるだろう。ここはおおらかに見守るのが、保護者というものだ。
私ははっとした。
最近の彼はさらに背が伸び、ぐっと大人っぽくなり、少年から青年に変貌しつつある。もしかしたら彼女ができて、朝彼女の家に迎えに行くか待ち合わせするかして、一緒に学校に行くのかもしれない…!
いいな、青春だな。そんなのやってみたかったよ。
にやつく私の顔にテオくんは何かを察したのだろう、「変なこと考えるな」と釘を刺した。
「考えてないよぉ」
「ほんとかよ」
「ねえ、新しい服とかいる?今流行りとかあるの?あとほらあの、いい匂いのする整髪料とかいる?」
「絶対変なことを考えてるだろ!そういうことじゃないからいらない!無駄だから絶対買ってくんなよ」
「遠慮しなくていいのに」
「遠慮じゃねえって!」
私は次の日からちょっと早起きしてお弁当を作り、テオくんを送り出すようになった。一時間早く起きると、自分の支度も朝食の用意も一時保育の準備も、驚くほどスムーズかつ余裕をもってこなせる。もっと早くに気付くべきだったかもしれない。
テオくんが一時間早く家を出て何をしているのかはまだ教えてもらえなくて気になるけど、帰宅時間は変わらないし、変な様子もない。しつこく聞いても関係が悪くなりそうだから、私は諦めた。
そんなある日、クララちゃんが「クリとクラ、髪お揃いにするの!」というのでクリスタちゃんとお揃いのポンポンヘアを作ってあげていたとき、ノックの音が聞こえた。
「どちら様ですか?」
「バッシュだよ」
「おじさん…?」
テオくんがよく万引きしていたパン屋のバッシュおじさん。テオくんが万引きを謝って許してもらって以降は、カウベルフェルトに行くたびにおじさんのパンを買って帰っていて、ちょっとした世間話くらいはする関係になっている。
だけどおじさんがこの小屋に来たことは、今までに一回もない。悪い予感で心臓がドクンと音を立てる。
まさかテオくんがまた万引きを?
どうして?
もたせてるお弁当じゃ、食べ盛りの男子には足りなかった?
ドキドキしながらドアを開けたら、彼は両手にそれぞれ大きな袋を提げて立っていた。
「おじさん、何かありましたか…?」
「テオに」という喋り出しが聞こえただけで、心臓が凍る。でも続いた言葉は私の予想とはまるで違った。
「テオにいくら言ってもお礼を受け取ってもらえないもんだから、直接届けようと思って来たのさ」
おじさんは両手の袋を持ち上げる。おじさんの動きに合わせて、ふわっと香ばしいパンの香りがした。私の鼻と脳が条件反射のように、両手を挙げて喜ぶ。
でも、お礼って何?きょとんとしている私に、おじさんのほうも不思議そうな顔になって、「なんだ、テオから聞いてないのか?」と聞いた。ええ、何も聞いてません。思春期男子ですから、家の外のことはほとんど何も言ってくれないし、大事な学校のお便りだって渡してくれないの。
おじさんは私に簡単に説明してくれた。
おじさんのお店の窯がどうにも調子が悪く、数日前、ついにパンが焼けなくなってしまったのだそう。おじさんも常連さんも困り果てていたところに、お小遣いで「明日のパン」を買って帰ろうとしたテオくんが颯爽と登場。火魔法で窯に火を入れて繊細に温度を調節し、むしろ窯の調子が悪くなる前よりも美味しいパンを焼き上げてしまったのだとか。
「それでここ最近、朝早くうちの店に来て、パンを焼いてくれているんだよ」
「そうだったんですね」
「お礼をしたいと何度も言ったんだが、頑なに受け取ってくれなくてね。それでここにテオが焼いたパンを持ってきたというわけだ。よその子を何人も預かっているんだろう。小さい子用に柔らかいパンも持ってきたから、みんなで食べてくれ」
「こんなにたくさん…!ありがとうございます」
おじさんは「窯は祖父さんの時代から使っていてね、随分古かったんだ。修理することにしたから、もうすぐテオに手伝ってもらわなくてもよくなるよ。テオに手伝ってもらえなくなるのは寂しいが」と言って帰っていった。
おやつにみんなで食べたパンは、今まで食べたどんなパンよりも美味しくて、ちょっとだけ涙の味がした。
ーーー
「テオくんが焼いたパン、いただいたよ」
「たよー!」
「テオ兄上、とっても美味しかったです」
帰宅して私たちにそう言われたときのテオくんは「げ」という顔をした。
「バッシュおじさんが来たのか」
「うん。テオくんに感謝してるって。あともうすぐ窯が直っちゃうのが寂しいって」
「あっそ」
私は頬杖をついて、テオくんが赤い耳をして逃げるように部屋に入っていくのを見送る。彼の世界と行動が少しずつ広がっていくのが、こんなにも嬉しい。
「えへ」
夜。
私はテーブルで待ってくれている「明日のパン」を楽しみに、幸せな気持ちで眠りについた。




