鈴の島、天裂の縁(へり)
1)風見の宿を発ち、空の並木道へ
アウライの朝は、風鈴の和音で目が覚める。
屋上で身支度を整え、俺たちは指標の羽が示す北北東へ向かった。行き先は“鈴の島”。空と無の境界――天裂の縁に引っかかるように浮かぶ、鐘と鈴の骨が眠ると伝わる島だ。
「風端から三つ橋を渡って、吊り棚の道。途中で一回“風背”が切れるから、そこは車で飛ばす。任せな」
案内役のハッサンが、得々と指で空の地図を描く。
「ほなセドは下層で受け取り済みや。昭和の足、空でも走らすで」
よっしーはご自慢のセド(四角い白いあの子)を虚空庫から出したり入れたりしてご機嫌である。
「我が主人、今日は“四環”をさらに薄く、長く保つ稽古ニャ。風と地の継ぎ目、それに“無”の面が差し込んでくるニャ」
ニーヤが杖の先で小さな輪を三つ描き、最後に空中へそっと指を触れた。触れた先の“そこ”は、何もないのに水面みたいに震えた。
「あーさん、面は任せる。危ない縁なら、なおさら」
「承り候。“空鏡”に**薄面**を張りましょう」
ブラックはマストの先で朝風をひと啄み、リンクはダッシュボードにちょこんと座って二段ジャンプの準備運動。
クリフさんは無駄なく矢を点検し、よっしーはボンネットをパカっと開いては閉める。エンジン音はいつも通り低く、頼りがいがあった。
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2)吊り棚の道と、雲喰の影
アウライの外縁から伸びる吊り棚の道は、空に並木が植わったみたいに見える。左は遥か落差、右は薄雲の海。橋板の端では、風がひゅいと笑う。
「雲喰に注意な」
ハッサンが指さした先で、灰色のもやがゆっくり動いていた。もやは時々、鳥影や落ち葉をすうと吸い込んでしまう。
「雲を食う、というより“縁”を平らにしちゃう怪やな」
よっしーが舌打ちし、速度を落とす。
「我が主人、“空白”の旗で縁を守るニャ」
「了解」
〈拝〉〈返〉〈送〉――に、〈縁留〉を足す。
旗先で“何もない縁”の境目を撫でると、雲喰が近寄りかけて遠のいた。
あーさんの空鏡が薄面を張り、ニーヤの風環が輪郭を描く。
リンクは縁の手前で二段、ブラックは上から縁の風をひと筋撫でつける。
クリフさんの矢は決して放たれない。放つべき時を待つ矢ほど、強い矢はないのだ。
吊り棚の最後の踊り場で、風端が切れた。ここからは空中回廊と“風背の断れ”。
よっしーがハンドルを握り直す。
「ボリューム上げて、行くで!」
セドのタイヤがきゅっと鳴り、次の板道へぴょんと飛ぶ。
下は空、上は空、横も空。重さはあるのに、落ちない。風骨が、輪の礼を受け止めてくれている。
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3)雷燄のまほろば
回廊の先で、空の色味が変わった。
遠雷のような唸りが、どこでもなくどこからでも聞こえる。
雷燄――空で燃える雷。風骨が擦れ合う帯で、火と音が一緒に走る。
「ニーヤ、氷結弾・連珠で熱を散らして」
「任せるニャ」
白い珠がパパパと打たれ、雷の舌を冷ましながら繋ぐ。
あーさんの空鏡が熱の面を薄く割り付け、俺は旗で〈空白〉を間に差し込む。
よっしーは盾で角を落とし、クリフは弦で節を撫でる。
リンクは熱の筋を見越して二段、ブラックは高所から風背をひと撫で。
稲妻が蛇のように向きを変え、空の布を焼き損ねて消えた。
セドの屋根をかすめた火は、塗装の上に小さな輪を残しただけだ。
「塗装、イイ感じにムラ入ったやん。平成カスタムや」
「いや喜ぶなよっ!」
全員で小さく笑い合うと、緊張がほどける。
笑いは、礼の輪の油だ。過ぎれば滑るが、なければ軋む。
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4)鈴の島、着鈴
空の裂け目に、円い影が浮かんでいた。
島の端から端へ、大小さまざまな鈴が吊られている。木の鈴、金の鈴、貝の鈴。風が吹くたび、無数の音が重なり、しかし決して濁らない。
「ここが“鈴の島”。礼に敏感だよ。大声・駆け込み・無礼は御法度ね」
ハッサンが指に人差し指をあてて「しー」。
島の中心には、石で組まれた鈴宮があり、その参道は橋ではなく風の細道。
道の脇では、**鈴守**と呼ばれる白装束の人々が、鈴の埃を払っていた。
「参拝は三鈴の礼が前提です」
鈴守の長と思しき老女が、柔らかく微笑む。
「この島では、鈴は祓いであり、骨です。音を重ねず、切らず、渡す――できるでしょう?」
俺たちは頷いた。
アウライで“予試”をくぐったばかりだ。
三鈴なら、心の中に指が覚えている。
――〈拝〉。銀がチ。
――〈返〉。青がリン。
――〈送〉。朱がリ。
鈴宮の風は、微笑で返してくれた。
「よろしい。奥の鈴座まで、お進みなさい」
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5)鈴座の試み
鈴座は、空にせり出す舞台だった。
足元は薄い板、左右に無数の鈴、正面は裂け目。
“無の面”が、薄氷のように揺れている。
「鈴王に礼を捧げ、指標を示しなさい」
鈴守の老女が一歩下がる。
俺は旗を胸に置き、指標の羽を根元から軽く掲げた。
あーさんが空鏡を開き、ニーヤが風環を薄く回す。
よっしーは盾をおろして面を滑らかにし、クリフは弦で節を支える。
リンクは二段で高さを示し、ブラックは上から一振で風背を整えた。
〈拝〉〈返〉〈送〉――チ・リン・リ。
輪が閉じる瞬間、裂け目から鈴の尾のような光が伸び、俺の指標へと触れた。
胸の指輪がちりと鳴り、背骨を撫で上がる細い音が、頭のてっぺんで消えた。
「受け取られました」
老女が静かに言う。
「鈴骨の“断片”を、旗へ」
鈴座の中央に埋め込まれていた小片がふわりと浮き、俺の旗へと吸い込まれる。
旗の裏地に、細い鈴の**文**が一本、書き加えられた。
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6)裂け目の波紋、襲来
そのとき――裂け目の縁に、黒い波紋が走った。
黒涌だ。影は音を嫌うはずなのに、鈴の島でも忍び寄るらしい。
波紋の中心に、布の垂れた人影が浮かぶ。顔は見えない。
だが、その身振りは見覚えがある――
アウライの風塔の陰、そして蒼礫峡で座を引こうとした、あの影。
「来たニャ」
ニーヤが杖を握り直す。
「あーさん、無の面に薄面を。よっしー、盾で角を落として。クリフさん、節矢を」
「承知」
「了解や」
「承り候」
黒涌の周囲の鈴が、鳴らない。音が吸われている。
鈴の島の礼が、喉を掴まれたように息苦しくなる。
「三鈴・逆しらべ」
鈴守の長が杖を打ち、逆位相の鈴音を立てる。吸われた音の縁を、音で縫い直す技。
俺は旗で〈空白〉を縫い目に挿し込み、ニーヤの氷結弾・糸目で黒涌の縁を仮止めする。
あーさんの空鏡・薄面が無の面に和紙を貼るように広がり、よっしーの盾が角を落として“鳴らしかた”を作る。
クリフさんの矢は節を結び、リンクは二段で合図を付け、ブラックが上から風背を撫でる。
鈴が――戻ってきた。
チ・リン・リ。
黒涌の波紋は、一重退いた。
そこへ、白鎖の鎖が、鈴座の縁を削ごうと伸びる。
炎糸の火が、鈴の紐を炙って切ろうと舌を伸ばす。
「灼環・鈴破!」
「白鎖・鳴止め!」
「させません!」
俺たちは輪を重ねた。
四環――風・水(空)・土・無の継ぎ。
加えて鈴の一条――音の骨。
〈拝〉〈返〉〈送〉+鈴。
鈴はチ・リン・リと鳴り、白鎖の鎖に音の節を刻み、炎糸の火に冷音を浴びせる。
黒涌は音の外側へ追い出され、波紋は細る。
「はは。やっぱり旨い」
炎糸が舌をちょろりと出す。火はもう、遊びの熱しか持たない。
白鎖は鎖を肩に掛け直し、鈴をじっと見た。「……美」
黒涌は何も言わない。けれど、見ている。
やがて三つの影は、裂け目の向こうへ退いた。
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7)鈴王の返礼――小さき鈴
戦いが終わると、鈴守の長が俺の前に進み出た。
「鈴王より、旅の旗へ返礼。受けなさい」
掌に乗るほどの、小さな無鈴――舌のない鈴が渡された。
振っても音がしない。けれど、胸の指輪に触れると、鈴は一度だけ鳴った。
チ。
ただの一音。それだけで、心の中の雑音が洗われる。
「“無の拍”を保つ鈴です。騒ぎに呑まれそうな時、これを指先で転がしなさい」
「ありがとうございます」
俺が深く礼をすると、あーさんも盃を掲げ、ニーヤは帽子を取って頭を下げ、よっしーは盾をコンと一度鳴らした。
クリフさんは弦を静かに撫で、リンクは二段でひと回りしてから座り、ブラックは高所で円を描いた。
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8)鈴の浜、束の間の遊び
参拝を終え、島の反対側の小さな鈴の浜でひと休み。
白い砂には小鈴の欠片が混じり、歩くとしゃらりと小さな音がした。
「たこ焼き、第二幕や!」
よっしーが鉄板を出すと、鈴守の子どもたちが目を輝かせて寄ってくる。
「海のタコや。空でも旨いで」
「キューイ!」
リンクは熱いのも構わず頬張り、ブラックは砂の上の走る影を追いかけて遊ぶ。
クリフさんは珍しく砂に座り、矢の羽根をやわやわ整える。
ニーヤは帽子の中から香草を取り出してソースに混ぜ、あーさんは盃の水で喉を潤して静かに笑った。
「ユウキさん」
あーさんが小声で囁く。「本日の“鈴の拍”、美しゅうございました」
「……あーさんの空鏡があったから。ありがとう」
「いえ。わたくしは写しただけ。ユウキさんが置いたのです」
胸の奥が、すこし温かくなった。
無鈴を指で転がすと、チと一度だけ鳴いた気がした。
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9)風戻り――帰路の罠
島を発ち、吊り棚の道へ戻る。
復路は往路よりも軽い――はずだった。
だが、風の向きが**逆**に抜けていた。風戻りだ。
「やばい、砂舟を呼ぼう」
ハッサンが小旗を揚げる。すぐに風布で作られた短舟が上手く寄ってくる。
セドを虚空庫に戻し、短舟に分乗。
ところが――風戻りの帯に乗り上げた瞬間、舟底に黒い染みが走った。
「黒涌の針」
クリフさんが短く言う。
舟の底から音が抜け、舟体が軽くなりすぎて制御が難しい。
鈴の島で手に入れた無鈴を握る。
チ。
音の柱が一本、俺の足元へ落ちた。
「我が主人、鈴環で舟を括るニャ!」
ニーヤが鈴の音を風環に織り込み、あーさんが空鏡で面を張る。
俺は旗で〈空白〉を音柱の隙間へ置き、よっしーは盾で舟縁の角を落とす。
クリフは弦で節を支え、リンクは二段で合図、ブラックは上から風背を撫でた。
舟は音を取り戻し、風戻りをするりと抜けた。
黒い染みは、きゅっと縮んで消えた。
「ふいー。ようやった!」
よっしーが額の汗をぬぐい、ハッサンが胸を撫で下ろす。
「君ら、本当に頼もしいね……」
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10)アウライ帰着、そして“鈴の帳”
浮都に戻ると、風祭のあと片付けが進んでいた。
鈴守の使いがやってきて、白い小冊をそっと俺に渡す。表紙には**「鈴の帳」**とある。
「旅の記。あなた方の礼で通せた道、鈴で祓えた影、すべて記しておきなさい。……いずれ、あなたが誰かに渡す番が来ます」
使いはそれだけ言って、群衆の中へ消えた。
宿に戻ると、よっしーが缶を三つプシュっと開け、砂糖多めのお茶をあーさんへ、ミルクをニーヤへ、冷たい水をリンクとブラックへ。
クリフさんは窓辺で風を見張りながら、一杯だけ口をつけた。
「ユウキ」
よっしーが俺の肩をぽんと叩く。
「この先、登場人物紹介の回、どっかで挟もうや。ワイらの“拍”を読んでくれとる人に、ちゃんと顔見せしよな」
「……ああ。鈴の帳に、まず俺たち自身を書きつけよう。タイミングは、次の大きな節を越えたあとで」
窓の外で、風鈴がひとつ鳴った。
チ・リン・リ。
――輪は、また次へ。
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11)小休止:鈴の帳・走り書き
その夜、俺は“鈴の帳”の最初のページを開いた。
インクは風で乾く紙、行間は広く、余白が多い。
まだ“きちんとした登場人物紹介の回”は先に取っておくとして、今日は走り書きだけ残しておく。
• 相良ユウキ:テイマー/旗持ち。日月二環+風環+土環+鈴条まで習得。あーさんのことはあーさんと呼ぶ(俺だけのルール)。胸の指輪がときどきちりと鳴る。
• 木幡良和:盾士。虚空庫(特級)で平成元年のセドやバイク、たこ焼き器から缶ビールまで出し入れ自在。角を落とし、皆を笑わせる。
• 相沢千鶴:水と空の面を写す人。掌の盃ひとつで世界の表を整える。言葉は柔らかく、芯は強い。
• ニーヤ:猫魔導士。風・水・氷の使い手。輪を描くときの集中力は群を抜く。帽子の縁でよくブラックと語らう。
• クリフ:弓手。節を知る人。撃たぬ強さと撃つべき一矢を知っている。
• リンク:暴れ兎。二段ジャンプとサマーソルト。最近、音の合図が上手い。
• ブラック:小さな黒鳥。高所から風背を撫でる。声は「ン」。
• ハッサン:風背の地元。ちょっと不器用、でも案内は確か。趣味は完全に卒業した(させた)。
ページの端に、鈴の小さな印を押す。
“本編の人物紹介は、近いうちにちゃんとやる”――自分にそう言い聞かせ、帳面を閉じた。
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12)風骨通信
夜更け。窓の外の風が、一瞬だけ重くなった。
指輪がちりと鳴り、旗の裏地の鈴文がわずかに温かくなる。
――北東・雲梯渓。
――骨の第二断章、山の背に埋まる。
――白鎖は“鎖音”を試し、炎糸は“雷熔”を携える。
――黒涌、沈んで聴く。
風がそれだけ告げ、また軽くなる。
俺は旗を握り、胸の奥で小さくうなずいた。
「次は、雲梯渓だって」
「山の骨、来たか」
クリフさんが窓辺で目を細める。
「ワイのバイクの出番やな。峠は二輪が気持ちええんや」
よっしーがニヤリ。
「我が主人、“五環”も視野にニャ。木を薄輪で添える稽古、始めるニャ」
ニーヤが杖を抱いてうとうとし、あーさんは盃の面に山風を写して静かに頷いた。
リンクは枕の上で小さくキューと鳴き、ブラックは梁の上で一振してから眠った。
風鈴が――チ・リン・リ。
輪は、また次の礼へ。
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予告&おしらせ
• 次回は雲梯渓。“山の背”を渡り、木の薄輪を学ぶ回。
• 白鎖の“鎖音”、炎糸の“雷熔”、黒涌の“沈聴”が仕掛けてきます。
• そして、近い回で登場人物紹介の特別篇を挟みます。旅の拍がひと段落する節目で、みんなのプロフィール・得手不得手・覚えてきた“輪と面と節と拍”を、図解でまとめる予定。お楽しみに。




