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黄昏に鳴らぬ鐘、イシュタムの魂を宿すさえない俺  作者: 和泉發仙


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名を書き、風を借りる日(後編)

前書き(ニーヤ視点)


橋というものは、低いほうが良いニャ。


高い橋は景色がええ。

でも、風が吹けば怖いし、落ちたら痛いニャ。


低い橋は、ちょっと見栄えが地味ニャけど、

猫でも渡れるし、子どもでも渡れる。

転んでも、そんなに痛くないニャ。


今日、我が主人たちは、

“低い橋”を砂の上と紙の上に、たくさんかけるつもりらしいニャ。


砂舟、耳舟、紙道、礼拝堂の石、記録庫の闇。

どれもこれも、落とし穴だらけニャけど――


「罠でも橋でも、踏んで確かめるんが家や」


と、よっしーが笑っていたニャ。

そういう無茶をする時は、

我が主人が旗を持ち、あーさんが水を運び、

ニーヤが鈴を布でくるんで、小さく鳴らすニャ。


……うん。

低い橋は、猫にも仕事をくれるから、好きニャ。


⸻


本文(後編)


砂の方舟(はこぶね)


翌朝。塔の外に、見慣れない影が並んでいた。

砂の上を滑る細長い台。耳石を多めに埋めた“砂舟”。

乗れば、砂丘を越えて遠くまで行ける。けれど、舵は難しい。耳で聞き、足で押し、鈴で止める。


「段主代理から、半分“内々”に貸し出された。『家の搬送に使え』と」


カイが息を弾ませて言った。

段主代理。昨日、柱の前で“譲歩”した男。

彼が、家の“搬送”に舟を、と? おかしな話だ。

だが、職人の世界では、こういう矛盾が橋になる。


「罠、かも」


エレオノーラが目を細める。

クリフさんは黙って弓を背に回し、

よっしーは砂舟の底を覗き込み、耳石の配置を見て「おもろ」と笑った。


「耳石の並び、道路のカーブミラーみたいやな。ちゃんと“減速ポイント”仕込んであるわ」


「減速ポイント?」


あーさんが首をかしげる。


「調子乗って速度出しすぎると、勝手にガクンてなるトコや。せやろ?」


よっしーが砂舟を軽く揺すると、耳石の列がさざ波のように音もなく震えた。


「……たしかに、“家寄り”の安全装置だね」


キリアが苦笑する。

ニーヤは鈴の座に鼻を寄せ、「嫌な匂いはしないニャ」と言った。


あーさんは掌に水を受け、舟の縁の“角”を丸くする。


「使わせてもらお。罠でも橋でも、踏んで確かめるんが家や」


よっしーがそう言って、相棒の後ろに砂舟を結んだ。


「連結完了。平成元年の鉄と、砂舟のコラボや」


「言葉の組み合わせが、時々、とんでもない」


俺が笑うと、あーさんも小さく笑った。


「けれど、頼もしゅうございます」


⸻


影の教会


塔から西へ一日。

砂丘の陰に、小さな礼拝堂の影が現れた。

壁は崩れ、屋根は落ち、祭具は砂に半分埋もれている。

祈りの跡だけが、ひんやりと空気を冷やしていた。


「“影の教会”って呼ばれとる場所や。赤でも黒でもなく、誰かが“祈った”だけの場所」


キリアが指で砂をすくいながら言う。


祭壇の石に、薄く刻まれた言葉がある。


《箱は人をしまうな。歌をしまえ。》


工匠の祈りと同じ言葉だ。ここにも、誰かが同じ祈りを置いたのだ。


「橋やな」


よっしーが小さく言った。昭和の人は、こういう石が好きだ。俺も好きだ。


あーさんは掌で文字を撫で、「墨が薄れても、跡は残ります」と囁いた。

ニーヤは鈴を布越しに一度だけ鳴らし、

エレオノーラは矢を一本だけ祭壇の脇に立て、

クリフさんは帽子を脱いで一礼した。


キリアは祭壇の石を抱えるように手を置き、「炉の脈と同じ」と呟いた。


「……何度も、誰かがここで“箱の外側”を祈ってる」


「でも、箱はまた増える」


俺が言うと、キリアは肩をすくめた。


「だから、職人の仕事が終わらない」


⸻


黒い説法


礼拝堂の裏手に、足跡。軽い足。数は多い。引きずった足も混じる。――連れて行かれた跡。


俺たちは砂舟を降り、相棒のエンジンを切った。

風は弱い。音は、よく通る。


「来訪者だ」


影の中から、黒い外套。第三の糸の布教者。笑わない目。乾いた声。


「また会ったね」


よっしーが毒づきそうになるのを、俺は旗を軽く振って止めた。

ここは礼拝堂。祈りの言葉が残る場所。言葉は、選ばないといけない。


「君たちは、また“ほどき”に来た」


「“ほどき”は、呼吸だ」


「呼吸は、管理しにくい」


「管理しやすく死ぬより、管理しにくく生きたい」


男は首をわずかに傾け、礼拝堂の石に近づいた。

刻まれた言葉――《箱は人をしまうな。歌をしまえ。》――を指でなぞり、

布の下の口角をほんの少しだけ上げた。


「美しい矛盾だ」


「矛盾を怖れないのが、職人や」


キリアが歩み出た。

彼女の喉の紅の痕は、もうほとんど消えている。


「君は、矛盾を嫌う。だから、歌を嫌う」


「歌は、管理しにくい」


「でも、君は今、その石の言葉を“なぞった”。なぞることは、読むことだ。――君は、歌を読んだ」


男の目が、ほんのわずかに細くなった。

乾いた黒に、薄い色が差す。


彼は礼拝堂の奥を顎で示した。


「箱の民の列が、北へ向かった。“記録庫(レコード)”に入れるために」


「ありがとう」


俺が言うと、男は肩をすくめた。


「礼は要らない。効率だ。――君たちが彼らを奪えば、段と箱は争う。争いは、管理を難しくする。……それが、私の仕事だ」


「君自身は、どこに帰る」


訊ねると、男は答えなかった。

答えの代わりに、影の中へ消えた。乾いた匂いだけが、石に薄く残る。


「……あいつ、たまに“家寄り”のこと言いよるのがムカつくな」


よっしーがぼやき、ニーヤが尻尾をふわりと揺らした。


「矛盾を抱えた敵は、一番疲れるニャ。でも、一番“折り目”を作りやすいニャ」


⸻


記録庫(レコード)へ


記録庫は、北の岩の洞にあった。入口は狭く、奥は広い。

壁一面に“札”が差し込まれている。名の札ではない。番号の札。箱の民の“記録”。


呼べば、誰かが出てくる。

けれど、呼ばなければ、一生出てこない。――箱の墓。


「静かに。ここは“耳”が多い」


キリアが囁き、俺は旗の裾を握り直す。

あーさんは掌に水を受け、ニーヤは鈴を布で包む。

エレオノーラとクリフさんは影の間を滑り、

よっしーは相棒を洞の手前で待機させた。


踵の音を立てない。呼吸を短く。布の目を閉じ、開き、閉じる。

札の列に、紅の痕が見えた。喉の紅。箱の民にされた者。

列の端に、髭の白い工匠の背が見える。――カム?


「……カム!」


キリアが口の形で呼ぶ。

カムは振り向かなかった。番号で呼ばれているからだ。

彼の耳は、名の呼び声に慣れていない。


俺は札の列の前に回り、砂に書いたように、布で、床に、名を書いた。


――カム。


布の目が床を撫でる。床は砂ではない。冷たい石。

けれど、名は石にも入る。


あーさんが掌の水で名の形を濡らし、

ニーヤが風で“返り”を作る。

エレオノーラとクリフさんは札の列の隙間を押さえ、

よっしーは洞の外に狙いをつけて待つ。


カムの肩が、びくりと動いた。

彼はゆっくりと振り向き、目が“読む目”になった。名は、読むものだ。


彼は列から一歩、二歩、出た。紅の痕は濃い。けれど、名は薄くない。


「帰ろか」


キリアが手を伸ばし、カムが頷いた。

列から離れる足音が、記録庫の耳に聞こえた。

耳は怒らない。耳は聞くだけだ。怒るのは、耳の向こうの“管理者”だ。


「来るぞ」


エレオノーラの声。洞の奥から、赤の裾。段の看守。彼らは速い。段の拍子で走る。


俺は旗を上げ、布の目を開き、〈囁き手〉を“耳”の向こうに投げた。

声は出さない。拍子だけを投げる。


あーさんが掌の水を床に落として“躊躇”を作り、

ニーヤが鈴を布越しに一度鳴らして“角”を丸め、

エレオノーラが矢で看守の“足音”の前に“間”を置き、

クリフさんが短く“退く拍”を地面に刻んだ。


よっしーは相棒のドアを開け、出口の影に相棒の鼻先を向ける。


看守は、止まった。

止まった瞬間に、拍子が崩れる。段は、止まると弱い。止まらなければ強い。

だから、止める。半拍だけ。戻る拍は、家へ。


俺たちは洞を出て、相棒に飛び乗った。砂舟は結んだまま。

よっしーがキーをひねり、平成元年の鉄が吠える。


エレオノーラとクリフさんが後ろを押さえ、

ニーヤが風で砂の“目”を寝かせ、

あーさんが掌の水で“滑り”を作る。


旗は布で“家の拍子”を相棒に渡した。


⸻


砂原の追走


赤の裾の一隊が出てくる。彼らは早い。段の拍子で走る。

ただ、砂は段の味方ではない。相棒は砂の上で育った。

よっしーは砂の“弱いところ”を踏まない。


「右前、少し硬いニャ!」


ニーヤが耳で砂の“密度”を拾い、

エレオノーラの矢が砂の“硬いところ”を打ち、目印にする。

クリフさんの刃が風の“筋”を切り、

あーさんが掌の水でタイヤの“息”を揃える。


「砂舟、だいぶええ働きしてるニャ」


砂舟は後ろで静かに揺れ、耳石が段の足音を勝手に“減速ポイント”へ誘導している。

追手は弱らない。けれど、止まる。半拍ずつ。止めるたび、相棒は前に出る。


「我が主人、楽しくなってきてるニャ?」


「否定はしない」


俺は笑いを飲み込み、旗を振った。

平成元年の鉄は、息の長い走りをする。

俺たちは塔の旗へ向かい、砂舟は後ろで家を揺らす。


カムは後部座席で目を閉じ、キリアが彼の手を握る。

セラはあーさんの膝で眠る。

ルゥとダンの札が梁で揺れる。家は、増える。


⸻


ただいまと、次の頁(ページ)


塔の蔵に戻ると、カイが安堵でへたり込み、塔の少女がセラを抱き、

ルゥとダンがカムの膝に飛び込んだ。


礼拝堂の石の祈りと同じ言葉が、塔の壁にも薄く刻まれる。


《箱は人をしまうな。歌をしまえ。》


刻んだのは誰か。――多分、みんなだ。


夜。旗の裾が、また軽くなった。紙は落ちない。

代わりに、布目がまた一つ、増えた。指で撫でると、布が小さく笑った気がした。


「エス」


呼んでも、返事はない。

けれど、祈堂の高みに立つ刺繍師の気配は、確かに強くなっている。

段主代理の影は、まだ硬い。第三の糸は、まだ乾いている。

けれど、家の橋は、低く、細く、長く、重なっていく。


「あーさん」


火の赤の前で、俺はいつものように呼ぶ。

彼女は「はい」と返し、掌を胸に当てた。


「ありがとう。今日も、“名”が助かった」


「ユウキさんが“呼んで”くださるからでございます。……それに、みなさまが“待って”いてくださるから」


「うん。呼ぶ者と、待つ者。橋は、その間に落ちるもんな」


「落ちませぬ。――落ちぬように、わたくしたちは、歌を重ねます」


「歌を重ねる」


「はい」


小さな拍子が、火の前で三度、行き来した。

外の風は弱いが、塔の中の風は、今日も確かだった。


⸻


その夜、塔の屋根で


眠れなくて、ひとりで屋根に出た。砂の夜は冷える。

旗の布を肩にかけると、布の目が体温を覚えているのがわかる。

相棒は塔の影で静かに眠っている。

平成元年の鉄も、眠るときはただの鉄だ。そこがいい。


「ユウキ」


背後から、短い声。エレオノーラだ。

彼女は弓を持たず、空を見上げて立っている。隣に、クリフさん。

二人とも、言葉少なに星を見ていた。


「星は、音がない」


クリフさんが言った。「けれど、拍子はある」


「拍子があるから、矢は飛ぶ」


エレオノーラが言う。

彼女の横顔は硬いが、風に当たると柔らかく見える。


俺は旗の裾を握り、布目を爪で一つだけ弾いた。音は出ない。けれど、拍子は伝わる。


「……明日、また行く」


俺が言うと、二人は同時に頷いた。言葉はいらない。拍子で十分だ。


「あーさんが、風邪を召されませんように」


クリフさんが最後に付け加え、俺は笑った。


「気をつけるよ。俺が」


星は、黙って遠い。けれど、家の屋根の上では、遠さは、怖くない。


⸻


朝、塔の下で


「集合ーっ!」


よっしーの声が塔の下で響く。平成元年の人は、集合の声が大きい。

砂舟の耳石が、その大きさを“喜び”として記録した。

相棒がライトを一度だけ瞬かせ(たように見え)た。


「今日は“橋の整備”。紙道の継ぎ目、柱都の入口、耳舟の棟、記録庫の前。低い橋を重ねてくで」


よっしーの指示に、みんなが頷く。


カムは唄う棹を抱き、キリアは炉から持ってきた薄い“熱”の瓶を揺らし、

ルゥとダンは粉の袋を抱えて走る。

セラは塔の少女の膝の上で、布切れに自分の名を練習している。


あーさんは掌の水を薄く伸ばし、

ニーヤは鈴を布越しに撫で、

エレオノーラとクリフさんは“見張りの音”を砂に移す。


俺は旗を肩にかけ、布目を数える。――今日も、ほどき、綴じ、呼び、書く。


家の拍子で、世界は少しずつ、柔らかくなる。

低く、細く、長く、重ねる橋で。


――


(後編 了)


⸻


後編あとがき


後編では、

•段主代理から“内々”に貸し出された砂舟

•影の教会と、再登場する

《箱は人をしまうな。歌をしまえ。》

•黒い外套の「効率」を信奉する説法

•記録庫からのカム救出

•相棒+砂舟コンビの砂原追走

•そして、「橋の整備」へ向かう翌朝


と、セラ救出の延長として、“職人そのものを家側に戻す”話になりました。


第三の糸の男は相変わらず敵ですが、

•礼拝堂の石をなぞる

•段と箱を“わざと争わせる”ことで管理を乱そうとする


など、「矛盾を抱えたまま動いている敵」として描いています。


ラストの一段落では、

•カム/キリア/ルゥ/ダン/セラという“家側の職人と子どもたち”

•それを乗せて走る相棒と砂舟

•低い橋を整備し続ける一行


という、次の「橋づくりパート」へ繋ぐ構図になっています。


⸻


用語ミニ辞典(後編)


◆砂舟(さぶね)

砂の上を滑る“方舟”。

•底に耳石が多数埋め込まれていて

•乗り手の重さや声・鈴の音を拾い、

「減速ポイント」「曲がり角」を補正してくれる


段主代理から「家の搬送に使え」と“内々”で貸し出されたが、

実際には 家寄りの安全装置が多い乗り物 になっている。


⸻


◆影の教会

赤衣の正式な祈堂でもなく、黒印の施設でもない、

「誰かが勝手に祈っただけの礼拝堂」。

•壁は崩れ、屋根も落ちている

•祭具は砂に半分埋もれている

•それでも、祈りの冷たさだけが残る


祭壇の石には

《箱は人をしまうな。歌をしまえ。》

の言葉が刻まれており、

工匠や職人たちが、匿名で“箱への抵抗”を祈り続けた場所でもある。


⸻


◆黒い説法の男(第三の糸の布教者)

赤衣でも黒印でもない、“第三の糸”の代表格。

•「管理しやすさ」を善とし

•段と箱の矛盾を、あえて煽って動かす

•歌や矛盾そのものを嫌いながら、どこかでそれに惹かれている気配もある


今回、影の教会では

•礼拝堂の石をなぞり

•「箱の列が記録庫へ向かった」と、わざわざ情報提供している


完全な敵でありつつ、“矛盾を抱えた蝶番”にもなりかけている存在。


⸻


◆記録庫(レコード)

箱の民の「番号札」だけが並ぶ洞窟。

•壁一面に番号札

•呼ばれない限り、一生出てこない

•実質的には、「箱にしまわれた人々の墓」のような場所


ここからカムを“名で呼び出し”、

列から外へ連れ出すのが、今回のクライマックスのひとつ。


⸻


◆段の看守

記録庫や耳の堰、柱都の周辺などで“秩序の拍子”を守る赤衣たち。

•自分たちの拍子を乱されない限り強い

•逆に「半拍だけ止められる」と、途端に崩れやすい


ユウキたちは

•旗の〈囁き手〉

•あーさんの水で作る“躊躇”

•ニーヤの鈴で丸める“角”

•エレオノーラ&クリフの“間取り”

を組み合わせて、「止めてから退く」戦い方をしている。


⸻


◆橋の整備

今回のラストに出てきた、一行の次の仕事。

•紙道の継ぎ目

•柱都の入口

•耳舟の棟

•記録庫の前


といった、これまで通ってきた“危うい場所”に、

低く細い「家寄りの橋」を重ねていく作業。

•誰かがあとから通るときのため

•追手が来たときに“止まる拍”を増やすため

•名を書いて帰るため


E・S《五頁》の


「橋は重ねよ。細く、長く、低く。」


を、そのまま実行に移していくパートです。


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