表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄昏に鳴らぬ鐘、イシュタムの魂を宿すさえない俺  作者: 和泉發仙


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

51/410

黒い継ぎ目の向こう側・前編



前書き(カイ視点)


記録院見習いのカイです。

黒い“第三の糸”が、塔の外でうごめき始めた――

そんな朝の話を、ここに写しておきます。


反響井戸、黴印工房、番号で呼ばれていた子どもたち。

ユウキたちは、そこで「名前の橋」をもう一度、架け直した。


ちょっと核都の腹の底まで、のぞきに行った記録です。

よろしければ、お付き合いください。







(主人公・相良ユウキ=“綴” の視点)


夜明けの砂は、冷んやりとして気持ちがいい。塔の蔵の前で、俺たちは黙って風を聞いていた。布の鳴りを小さく一度。家の拍子が整う。昨夜に垣間見た“第三の糸”――紙を喰うかびの継ぎ目は、風が吹くたび、砂の下へと潜っていく。塔の少女から渡された“紙止めの粉”の袋は、あーさんの小袋に。彼女の細い指が、確かに握っているのが視界の端でわかった。


「朝飯にしよか。腹減ったら、ええ綴じもできへん」


よっしーが虚空庫から取り出したのは、缶詰と分厚い食パン、そして――カリカリに焼いたベーコン。相棒のボンネットの上に鉄板を敷き、じゅう、と音が立つ。


「懐かしい匂いだな」


クリフさんが笑い、エレオノーラがほんの少しだけ口元を緩める。ニーヤは鼻をぴくぴくさせながら、「脂は鈴に跳ねるから遠慮するニャ」と言いつつも、結局ひと切れもらって尻尾が真上。ブラックはいつも通り、俺の膝で香箱になり、目だけがベーコンを追う。


朝食を終えると、塔の蔵の扉が軋んで開いた。カイが紙束を抱えて出てくる。


「“核都”の裏手に、もうひとつの入口がある。工匠たちは“反響井戸はんきょういど”と呼んでる。声が落ちると十倍になって返ってくる古い井戸穴。底は写音炉に繋がっているらしいけど……今は塞がれてる」


「塞がれた壁を“ほどく”のが、旗の仕事だろ?」


俺が言うと、カイは少しだけ微笑んだ。


「……ただ、あそこは“第三の糸”がうろつく。塔の粉だけじゃ心許ない。案内人を立てる。――ルゥ!」


奥から駆けてきたのは、灰色の工服の小柄な少女だった。年の頃は、十を少し超えたくらい。首元に残る薄い紅の痕。“箱の民”の紅符の名残だろう。それでも瞳は芯が強い。耳の上に、紙で編んだ小さな飾りが留めてある。ひらりと揺れる。


「ルゥです。反響井戸の下で働いていました。耳が……ちょっと、いいんです」


「よろしく。俺はユウキ、こっちはよっしー、エレオノーラ、クリフさん、ニーヤ、ブラック……それから、あーさん」


いつものように呼ぶと、あーさんが小さく頷き、裾を揃えてルゥに会釈した。ルゥは目を丸くし、そのあと、ふっと花のように笑った。


「“あーさん”。やさしい音」


彼女の言葉に、あーさんの頬が紅に染まる。明治の乙女の柔らかさが、ひとつ、場を明るくする。


「行こか。相棒も、耳を澄ます準備しとくわ」


よっしーがキーをひらりと指で回し、相棒のボンネットを軽くノックした。昭和の鉄は、今日も機嫌がいい。


反響井戸はんきょういど


塔から北へ半刻。砂丘の間にぽっかりと口を開けたほらが現れた。近づくほどに、喉の奥が変にざわつく。“空気の重なり”が耳の中で鳴る。ルゥが足元の石を拾い、井戸の外縁からそっと落とした。


――からん。

――――からん。

――――――――から、から、からん。


反響が折り重なり、音の輪郭が増殖する。俺は旗を握り、布の目を一目ずつ撫でて“過剰な反射”を和らげた。紙針の先で、井戸の内側に縫われた薄い祈り札の境目を確認する。古い。塔の紋ではない。工匠たちが“段”の型紙を真似て貼り、音の逃げ道をせき止めた痕跡。


「塞がってる“蓋”は、三重。外は工匠の札、中は赤衣の段。いちばん奥は……“かびの膜”」


ルゥの声は小さいが、はっきりしている。耳が本当にいいのだ。エレオノーラが矢尻で井戸の内側を軽く叩き、クリフさんが“響きの遅れ”を測る。ニーヤは杖の先で空気の脈動を探り、あーさんは紙止めの粉の袋を握り直した。


「順にほどく。外から内へ。戻る道は、必ず残す」


俺は旗の布を井戸の内側にふわりと触れさせ、〈囁き手〉を薄く通す。布が鳴らず、空気の“裏側”だけが震えるように。祈り札の一枚が、ふっと眠り、剥がれた。続けて二枚、三枚。やがて、外側の“蓋”が外れ、井戸の奥から冷たい気配が吹き上がる。


第二層――赤衣の段。文字の骨が細かく刻まれていて、触るだけで“命令文が脳に刺さる”。家の詩で慣らした胸が一瞬、硬くなる。ダメだ。これは“言葉の罠”だ。


「あーさん」


俺が呼ぶと、彼女はもう動いていた。水の薄膜を指にまとわせ、段の文字の“角”を一つずつ丸めていく。丸い水が、角張った命令を“ためらわせる”。命令がためらえば、段は弱い。よっしーが相棒のオーディオから古いラジオの砂嵐ノイズを小さく流し、ニーヤが鈴を布越しに一度だけ鳴らした。段の拍子が乱れ、二層目の“蓋”がほどける。


最後の層――黴の膜。黒くて、光を吸い、匂いは土と紙と、わずかな鉄。塔の少女の粉を、あーさんが小さな刷毛で“結び目の上だけ”塗っていく。粉は膜を避け、紙に馴染む。黴は結び目に取りつけず、膜の縁をぐるぐる回る。そこへニーヤの〈風縫い〉を“点”で落とす。風の針は黴の中心を嫌う。その嫌悪の“孔”を、紙針で糸一本ぶん、少しだけ広げる。


「開いた」


ルゥの囁き。井戸の奥から、湿った涼風が吹き上がる。音はさっきより澄んでいた。――降りよう。


「相棒は、外で待機や。落石したらシャレにならん」


よっしーの言葉に、相棒はヘッドライトを二度、瞬いた(ように見えた)。ロープを結び、矢筒を背負い、旗を肩に、俺たちは交代で井戸を降りた。ルゥは一番軽い。彼女の耳が道を選ぶ。


井戸の底は狭いが、四方に細い横穴が開いている。風は右から。水は左から。黴の匂いは……前から。俺は前を選んだ。逃げるなら、真っ直ぐ。追うなら、匂いの元へ。


黴の工房こうぼう


横穴の先は、想像よりも広かった。天井の梁に黒い糸が絡みつき、床のあちこちに紙束が積まれ、その間を、灰色の影が音もなく動いている。人だ。顔に薄布。胸に番号。――箱の民。彼らは黙々と“紙を濡らし、黒い液を刷り込み、干す”。黒い液は、黴の胞子をすり潰して作ったインクのようなもの。紙に刷り込めば、塔の札や旗の布の“継ぎ目”に忍び込み、内側からほどくのだ。


「“黴印ばいいん工房”……」


エレオノーラが矢の羽根を撫でながら呟いた。ルゥの肩が強ばる。彼女はここで働かされていたのかもしれない。あーさんがそっと彼女の背に掌を当て、息を合わせる。


奥で、黒い外套の男が背を向けたまま喋った。声は乾いて、皮肉が混じる。


「塔の粉は、腹の腸までは届かない。届かないうちに、内側から喰えばいい」


袖の縫い目に黒い糸――渦都で釘を投げた影だ。赤衣でも黒印でもない、“第三の糸”。黴の布教者。名札はない。あるのは“番号”だけ。彼は振り向かないまま、続けた。


「旗は家を守る。家は名を守る。名は人を守る。だから、その順に喰えばいい」


「名前を喰ってどうするんだ」


俺の声に、男は肩をすくめた。


「箱に入れ直す。箱は管理しやすい。管理は楽だ。楽は善だ」


「“楽”のために、歌を殺すのか」


あーさんの声が、細く強く響いた。男はようやくこちらを見た。顔の下半分が薄布で隠され、目は乾いた黒。そこに、怒りも喜びもない。あるのは“諦めの快楽”。俺は旗を握り、布の目を指で押した。


「黴は、役に立つ」


男は淡々と言う。「紙を生かし、紙を殺す。――箱は、黴を愛でる。赤衣は、黴を恐れる。塔は、黴を嫌う。君は?」


「俺は、家を守る」


「家は黴に弱い」


「だから粉をもらった。鈴も鳴らす。風も縫う」


「鈴は一度だけだ」


言い終える前に、天井の黒糸が一斉にうねった。床の“紙干し台”がひっくり返り、黒い粉が宙に舞う。ニーヤが鈴を鳴らしかけるのを、俺は手で制した。ここで鳴らせば、反響井戸が暴れ、工房全体が“音の塊”になる。


「音は……“糸でほどく”」


あーさんが息を吸い、掌を胸に、ゆっくりと吐いた。明治の女学校で習ったという“息の座り”。水の糸が空中の粉の流れを撫で、舞う方向を変える。エレオノーラが矢を三本、素早く天井の黒糸の“節”に打ち、クリフさんが床の干し台を元に戻す。ルゥが走り、濡れた紙束の端をすくい上げ、粉の黒が染み込むのを防ぐ。よっしーは相棒のバッテリーから細いコードを引き出し、携帯ラジオの“フェーズ”を逆相にして、粉の“塊”をほどく微細音を出す。


男は一歩引いた。目が笑っていない。布の下の口角が、怒っても喜んでもいない。


「箱の民。止めろ」


彼の命令に、灰の影が一斉に手を止めた。ルゥが一瞬、身を固くする。ここで彼女が“番号”に戻ってしまえば、負けだ。俺は旗を高く掲げ、声を投げた。


「番号ではなく、名前で呼ぶ。――君は?」


最前列の少年が、びくりと肩を震わせた。声は出ない。喉に紅の痕。あーさんが彼のこめかみに指を当て、静かに囁く。


「名は……心のどこかに、眠っております。思い出すまで、わたくしたちが“呼び習い”ましょう」


彼女の指に、水の糸が一本、細く光った。少年の目の奥に、何かが灯る。


「……ルゥ?」


彼がこぼした名前に、ルゥの動きが止まり、次の瞬間、目に涙が溢れた。


「ダン!」


彼女は走り寄り、少年の手を握った。ふたりの指の間を、水の糸がつなぐ。名が橋を渡る。男の肩が、初めてわずかに上下した。怒りか、苛立ちか。彼は黒い布を払って、一歩踏み出した。


「名前は、箱の邪魔だ」


「箱のための箱なら、そうだろう」


俺は布の目を打ち、足を前に出した。「――でも、“家の中の箱”は、違う」


「家の中の箱?」


「母さんが仕舞う裁縫箱、父さんが置く工具箱。開けるたび、誰かの手の温度が残ってる箱。……それは“歌をしまう箱”だ」


男の目が、ほんの一瞬だけ揺れた。乾いた黒の底に、色の欠片が落ちて消える。


「くだらない」


彼は踵を返し、天井の黒糸に手を伸ばした。糸が音もなくほどけ、一本の“槍”になって落ちる。俺が避けるより早く、クリフさんが肩で俺を突き飛ばした。槍は床に突き刺さり、紙束を貫いた。黒い粉が舞う。エレオノーラの矢が男の袖を裂き、ニーヤの〈風縫い〉が粉の渦を押し返す。よっしーはラジオを最大にし、アナログの“ジリジリ”で粉の粒を分散させる。


「退き綴じ!」


俺の声に、皆が同じ方向を向いた。退くときは、一筆書き。“戻る道の結び目”をひとつずつ確かめる。あーさんが粉の結び目に薄く水を置き、ルゥとダンが背を合わせ、クリフさんとエレオノーラが最後尾、ニーヤが鈴を一度だけ鳴らし、俺は旗を背で風に当てる。黒い男は追ってこなかった。追えば、彼自身が粉を吸う。彼は、己の“効率”を壊さない。


井戸へ戻り、ロープを登る。地上の白光に目が眩んだ。相棒が待っている。よっしーが運転席でハンドルを撫でながら、口角を上げた。


「新入り、乗りや。ルゥと……ダン君やな」


「はい!」


ルゥもダンも、まだ体が震えている。相棒の後部座席は狭いが、いまは温かい。ブラックが膝の上に乗り、ニーヤが帽子を少し傾けて場所を空ける。あーさんが座席の背を布で拭き、エレオノーラとクリフさんは外周の警戒に走った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ