風鳴りの丘、結び目の試練(前半)―レザーを羽織る夜―
風鳴りの丘
風が、うねっていた。
草原が丘をなぞるように波打ち、崩れ、また起き上がる。
天は浅い青、雲は薄い羊皮紙みたいに広がり、
太陽は傾きはじめ、草の穂に白い火花みたいな光を散らしていた。
先頭を行くルゥが、短い脚で傾斜をとんとん登りながら、石を杖で叩く。
「……この音。空洞がある」
澄んだ金属音が地面の下へ吸い込まれていく。
「“風鳴りの丘”は、町に風車を回す風を送る背骨みたいな場所。地下を風が走るから、鳴くのさ」
エレオノーラが稜線の先を指さす。
古い風車塔がいくつも立ち、帆布は継ぎ当てだらけ…それでもちゃんと回っていた。
回転のたび、塔の芯から低い唸り。
その振動が丘の胴体を伝い、まるで埋まった誰かが笑っているみたいに震える。
「ここ、好きかもしれんわ」
よっしーが胸いっぱいに風を吸い込む。
「大阪の埋立地の夜風、思い出すわ。海ないけど」
「わたくしは……“風琴”の音色を思い出します」
千鶴が微笑む。「鹿鳴館で聴いた、少し胸が痛くなる音」
「音が耳の後ろから入ってくるニャ」
ニーヤは帽子を押さえて尻尾をぷるぷる。
ブラックは鳴かない。ただ、風に乗って円を描いていた。
指輪は――熱くない。
けれど風に紛れるように淡い声が響く。
《魂片:遠鳴り/導路あり/危険:中》
…ゲームかな?
(危険:中って言われても、ピンと来ねぇって)
そう内心で突っ込んだ瞬間――風の層がひとつ変わった。
草がざわっと逆立ち、エレオノーラの首元のスカーフが翻る。
彼女は肩をすくめる。普段ならあまり見せない仕草。
それを、見逃さないヤツがいた。
「おーいエレオノーラ、寒いんちゃう?」
よっしーが虚空庫から、こげ茶色のレザージャケットを引きずり出す。
……出た。1989アイテムBOX!!
「よく似合うと思うでぇ? ほら、風きついし」
「それ…あなたの装備でしょう。あなたが着なさい」
「予備や予備!
難波で’89に買ったんや。こういう探検っぽい場所のためにな」
「’89って言われても…」
迷いは、一拍だけ。
結局エレオノーラは素直に袖を通した。
肩と腕が驚くほどぴったり。
「……サイズ、合ってる」
「魔法なんや。アラフォー男性と異世界剣士にフィットする呪いの装備」
「呪い言うな」
呆れつつも、襟を立てる手は嬉しそうだった。
ルゥは「似合う」と短く言い、千鶴は「素敵でございます」と微笑み、
ニーヤは尻尾を振る。
「……ありがと、よっしー」
「今日の仕事、終わり! あとはクリフさんに任す!」
「いや、始まってすらいないが」
クリフが笑って引き戻した。
◆
丘の側面、草が円く倒れた場所――地面がかすかに沈む。
空洞の真上だ。
エレオノーラは耳を当てる。
(ジャケットのおかげで楽そうだ)
「二筋、音がする。
右が乾いた息……ここが本命。
左は水脈と繋がって崩れやすい」
「なら先に乾いたほうやな」
ルゥが機材を組む。よっしーは
「重み分配器具つけるとめっちゃ楽やわ」と得意げ。
作ったのはルゥだが。
《導路:北偏東二度/深度:三丈半/鍵:結び目の試み》
「結び目の試み、って出た」
「なら練習やな」
クリフが皮紐を渡す。
ニーヤが胸を張る。「まずは我が主人ニャ!」
俺は紐を結び、名を心で呼ぶ。
《“結び目”発動/対象:ニーヤ
効果:魔力伝達損失↓(小)/動作同期(微)》
「おおっ、主の息が胸に入ってくる感じニャ!」
よっしーが「ワイともやってみてえや!」と食い気味。
「お前と同期したら食欲移るだろ」と返すと
「ええことやん」と笑う。
千鶴が手を胸元に置く。
「糸と糸が結ばれて布になるように
人と人が結ばれて、道になります」
…その言葉は
なんか、沁みた。
◆
影が伸びる。塔の影で休むことにした。
塔守の老人に、エレオノーラが礼を言って影を借りる。
俺が何気なく尋ねた。
「ここ、最近なにか変わったこと、ありました?」
老人は眉を上げ――小声で。
「昨夜、赤衣が二人。夜明け前、丘を見上げておった。
風は北から吹いておったのに――裾が揺れん。
……足が、地を踏んでいない」
背中がぞわりとした。
◆
塔の陰に寝床。
見張りは交代制。
俺と千鶴の番。
夜の風は音が鋭い。
帆布が泣き、草が擦れ、その全部が耳の後ろで鳴る。
「ユウキさん」
千鶴が手元の水糸を見つめながら言った。
「わたくし……“名を呼ばれる”ことが少し怖かったのです。
家の名と一緒に呼ばれてきましたので」
俺は、俺のことを口にする。
(期待されるのが、ずっと苦手だった)
「ではひと結び、お願いします」
俺はその手に、結び目を作った。
《発動:千鶴
効果:精神安定(小)/水糸撚り強度↑(微)》
「胸が静かになりました」
その瞬間――風の音に“歯車”が混じった。
キン、キン。
階段を下りる金属音。
昼の老人の話。
「……来た」
エレオノーラに肩を揺すられる。
塔の上。
月明かりの中、赤衣二つ。
裾は揺れず、足は地面に触れない。
十字の術式が階段みたいに宙に刻まれている。
「やっべぇ……」
よっしーが息を呑む。
赤衣は塔守の夢に指を差し入れるみたいに扉を開けた。
老人の目から一筋、涙。
「“夢吏”。聖務局の中でも、最悪の連中」
エレオノーラの声は低い。
やり過ごすしかない。
息を殺して見送り、祈るように風を待つ。
赤衣が消えると、風が戻った。
「夜明けたらすぐ穴に降りる。
やつらが何を探してるかは、その先で分かる」
全員、黙って頷いた。
◆
帆布が泣き続け、冷えていく夜。
よっしーが突然、小さく手を叩いた。
「ほなBGM、いっとこ」
虚空庫から角ばった黒いラジカセ。
カセットを再生。
ヒス音の後、80sシンセが静かに広がる。
――Midnight Coastline
’88あたりの曲らしい。
小さな音。
でも、風と混ざって
世界の音と区別がつかなくなる。
レザージャケットのエレオノーラも
肩を落とし、静かに耳を傾けた。
風と、音楽。
俺たちは夜明けまで
交代で、見張る。




