二人の時間 ― 金髪美女との素敵な夕暮れ
――夕方、二人でどうかな
午後の光が、学園都市の白い建物をやわらかく染めていた。
ユウキは、中央塔の回廊を歩きながら、何度目かのため息を吐く。
考えすぎている自覚はある。
だが――考えないわけにもいかなかった。
(逃げるのは、もう違うよな)
足を止める。
少し先にノクティアがいた。
いつもの修道女姿、日中でも浮かない装いだ。
ユウキは、覚悟を決めて声をかけた。
「……ノクティア」
彼女が振り向く。
「はい、」
一瞬、言葉に詰まる。
だが、ここで引いたら、また同じだ。
「えっと……その、さ」
頭をかきながら、視線を逸らしつつ。
「夕方、二人で少し話さない?」
命令でもない。
お願いとも言い切れない。
「その……場所は、
訓練室とかじゃなくていいから」
ノクティアは、数秒だけ沈黙した。
そして、ほんのわずかに微笑む。
「……はい」
「いいんですか?」
「ええ。
“二人で”という提案、嬉しいです」
その返事に、ユウキは肩の力を抜いた。
「じゃあ……
日が落ちる前に」
⸻
午後の光が、学園都市の白い回廊を斜めに照らしていた。
ユウキは、噴水のそばで立ち止まる。
(……来るって言ってたよな)
そのとき、足音。
振り向いた瞬間――
一瞬、言葉を失った。
そこに立っていたのは、
いつもの修道女服のノクティアではなかった。
金色の髪。
肩口まで自然に流れ、夕光を受けて淡く輝いている。
黒を基調とした、街着。
体の線を誇張しすぎないが、隠してもいない。
歩きやすそうな靴。
――“自然に、綺麗な女性”だった。
ハリウッドスターか、海外のモデルでも来たのかと思った。
街の風景に馴染んでいるのに、
明らかに“格”が違う。
雑誌で見るような、
あるいは映画のワンシーンみたいな存在感。
(……なんで俺、
こんな人と待ち合わせしてんだよ)
場違い感で、胃の奥がきゅっと縮む。
それでも――
彼女は、確かにノクティアだった。
視線の向け方。
立ち止まるときの癖。
少し間を取ってから言葉を選ぶ、その沈黙。
全部、知っている。
ただ――
“知らない顔”をしているだけで。
「……ノクティ?」
思わず、確認するように名前を呼ぶ。
「はい」
彼女は、少しだけ首を傾げて微笑んだ。
「今日は“二人で”と伺いましたので。
その……いつもの格好は控えました」
ユウキは、視線の置き場に困った。
見ていいのか。
見ない方がいいのか。
だが――逃げるのも違う。
「……あのさ」
一歩、近づいてから言う。
「その……」
言葉を探す。
「……すごく、似合ってる」
間。
ノクティアの目が、わずかに見開かれた。
「……本当ですか?」
「うん」
即答だった。
「正直、びっくりした。
修道女の印象が強かったから」
少し照れたように、視線を逸らしつつ。
「でも……
今の方が、街歩くには反則だろ」
一瞬の沈黙。
そして――
ノクティアは、ふっと息を吐くように笑った。
「……ありがとうございます我が主人」
その声は、夜の気配を帯びつつも、柔らかい。
「褒められることに、まだ慣れていなくて」
ユウキは肩をすくめた。
「俺もだよ……あとその…出来ればユウキって呼んでもらえると嬉しいんだよね……今だけでも」
「わ、わかりました……ユウキさん」
「うん…じゃ、行こうか」
「はい」
二人は並んで歩き出す。
距離は、自然に半歩。
夕暮れの水路公園へ向かう。
――戦いでも、契約でもない。
ただの、夕方の散歩。
けれど確かに、
“デート”と呼んでいい時間だった。
二人で歩く。
距離は、半歩ほど。
触れないが、離れすぎてもいない。
橋の上で、足を止める。
「……正直に言うとさ」
ユウキは、水面を見つめたまま話し出す。
「前に来たとき、
あれは……驚いた」
「当然です」
ノクティアは否定しない。
「私も、今思えば……
“お願い”の仕方を間違えていました」
「だから今日は」
ユウキは、はっきり言った。
「条件の話じゃなくて、
ノクティア自身の話を聞きたい」
ノクティアの歩みが、止まる。
「……私の?」
「そう。
進化とか力とかじゃなくて」
一拍。
「どうして、そこまで進もうとしてるのか」
夕風が、水面を揺らす。
ノクティアは、しばらく黙っていた。
だが、逃げない。
「……少し、長くなりますよ」
「いいよ。
今日は時間ある」
その返事に、彼女の表情がやわらいだ。
「では……歩きながら」
二人は、再び並んで歩き出す。
昼と夜の境目。
デートと言うには不器用で、
相談と言うには少し近い距離。
けれど確かに――
**“二人で向き合う時間”**だった。
この先、夜が来る。
選択も、決断も待っている。
だが今はまだ、
夕暮れの中で、言葉を交わすだけ。
それで、十分だった。
……正直、緊張しすぎてた。
何を話せばいいかも分からないし、
隣を歩いていい距離なのかも判断つかない。
でも――
だからって、放っとくわけにはいかない。
「……足元、段差ある」
それだけ言って、
自然に半歩前へ出る。
手を差し出すほど器用じゃない。
でも、進む方向だけは先に示す。
ノクティアが、少しだけ目を見開いた。
「……ありがとうございます」
その声が、いつもより柔らかい。
(……ああ)
ここでようやく、分かった。
これは“戦い”じゃない。
逃げる場面でもない。
ただ――
ちゃんと隣を歩く時間なんだ。
博物館・水族館デート
学園都市の中央区画にある総合博物館は、
夕方になると人が一気に減る。
ガラス張りの回廊に、
柔らかい光が落ちていた。
「……ここで、よかった?」
そう聞くと、ノクティアは少し考えてから、静かに頷いた。
「はい。
静かな場所のほうが、落ち着きます」
その言い方が、
“吸血鬼として”じゃなく
“ひとりの人として”だったのが、妙に胸に残る。
展示は、古代生物と魔獣の骨格標本。
巨大な竜の化石を見上げて、
ノクティアがぽつりと言った。
「……長く生きると、
こういうものを何度も見送ることになります」
「死ぬってこと?」
「はい。
生まれて、戦って、残って、消える」
淡々とした声。
でも、どこか羨ましそうだった。
「俺はさ」
気づいたら、口が動いていた。
「正直、
明日のことも分からない人生だった」
派遣。
貧乏。
積み上がらない日々。
「長く生きるって、
すごいことだと思ってた」
ノクティアは、少しだけ目を伏せる。
「……長いだけでは、
空白も増えます」
そこで、次の区画。
水族館。
薄暗い空間に、
青い光が揺れている。
クラゲの水槽の前で、
足が自然に止まった。
漂う透明な生き物たち。
「……綺麗だな」
「はい」
ノクティアが、小さく笑う。
「私、
こういう“理由もなく存在しているもの”が好きです」
「理由なく、か」
「ええ。
役割も、使命もなく」
少し間があってから、
彼女がこちらを見た。
「だから、
今日は来てくれて、ありがとうございます」
胸の奥が、きゅっと締まる。
ここで逃げたら、
多分、一生後悔する。
「……俺さ」
声が低くなる。
「ちゃんと話したい」
「何を、ですか?」
「ノクティのこと。
俺のこと。
それと――これから」
ノクティアは、少しだけ驚いた顔をして、
それから、ゆっくり頷いた。
「……では」
水槽の青が、二人を包む。
「お茶でも、いかがですか」
カフェ編――対話の始まり(ユウキ視点)
博物館を出ると、空はすっかり夕色に染まっていた。
水族館の余韻が、まだ足元に残っている。
青い光。
ゆっくり漂う影。
「この先に、静かな店がある」
そう言って、ユウキは路地を一本外れた。
観光客向けじゃない。
学園関係者が使う、小さなカフェ。
ガラス越しに見えるのは、
落ち着いた照明と、木のテーブル。
「……いい雰囲気ですね」
ノクティアがそう言ったとき、
その声には、ほんの少しだけ安堵が混じっていた。
店に入る。
コーヒーと、紅茶。
甘さは控えめ。
窓際の席。
向かい合って座ると、
さっきまで“並んで歩いていた距離”が、急に意識される。
(……逃げるな)
ユウキは、自分にそう言い聞かせた。
「さっき言ってたよな」
先に切り出した。
「長く生きると、空白が増えるって」
ノクティアは、カップに両手を添えたまま、少し考える。
「……はい」
それから、視線を上げる。
「私は、生前……僧侶でした」
「……そうだったな」
知ってはいた。
だが、ちゃんと聞いたことはなかった。
「守る側でした。
癒す側で、支える側」
指先が、カップの縁をなぞる。
「でも、守れなかった人も多い」
声は静かだ。
感情を抑えた、長い時間の積み重ね。
「吸血鬼として目覚めたとき、
力は手に入りました」
一拍。
「でも――
“誰として生きるか”は、
ずっと分からなかった」
ユウキは、黙って聞く。
途中で口を挟がない。
アドバイスもしない。
ただ、向き合う。
「ユウキさんは?」
ノクティアが、逆に問う。
「……俺?」
少し、苦笑する。
「正直、
誇れる過去なんてない」
派遣。
酒。
積み上がらない日々。
「流されて、
気づいたらここにいた」
それでも。
「でも、
今は逃げたくない」
その言葉は、
自分自身に言っている気がした。
ノクティアは、しばらく黙っていたが――
やがて、静かに頷く。
「……だから、私は」
声が、少しだけ強くなる。
「“お願い”ではなく、
“選択肢”として話したいのです」
主従ではない。
命令でも、契約でもない。
「私には、進むための方法があります」
一拍。
「でも、それは
あなたの同意がなければ成り立ちません」
ユウキは、目を逸らさなかった。
「……すぐには答えられない」
「それで構いません」
ノクティアは、はっきり言った。
「今日、ここに来てくださっただけで、
十分です」
カフェの窓の外で、
街灯がひとつ、灯る。
昼と夜の境目。
ユウキは、ゆっくり息を吐いた。
「……もう少し」
「はい?」
「もう少し、話そう」
それだけで、
ノクティアの表情が、ほんの少し柔らいだ。
「……ありがとうございます」
カップの中で、
湯気が静かに揺れていた。
。
「……私、もともとは
“迷わない人間”だったんです」
ユウキは、黙って聞く。
「正しいこと。
正しくないこと。
それだけで、世界を分けていました」
カップを置く音が、小さく響く。
「けれど――
救えない命を前にして、
その境界が、崩れました」
彼女は、視線を落とす。
「夜に堕ちたのは、逃げではありません。
選択でした」
一拍。
「ですが……
その選択が、正しかったのかどうか。
今も、答えは出ていません」
ユウキは、しばらく考えてから口を開いた。
「……俺はさ」
カップを回しながら。
「選択って、
正しいかどうかより――
一人で背負うかどうかだと思ってる」
ノクティアが、顔を上げる。
「一人で決めて、一人で苦しむのが一番きつい」
少し照れたように、続ける。
「だから……
今日、誘った」
ノクティアの指が、カップの縁で止まる。
「……私のため、ですか?」
「半分」
正直に。
「もう半分は、
俺が逃げたくなかったから」
紅茶の湯気が、二人の間をゆっくり流れる。
ノクティアは、しばらく黙っていたが――
やがて、小さく微笑んだ。
「……ありがとうございます」
それは、夜の吸血鬼の笑みではない。
ただの、金髪の女性のものだった。
「では――」
彼女は、静かに続ける。
「次は、
あなたの話を聞かせてください」
夕暮れは、もうすぐ夜になる。
だが、ここまでは――
まだ、温かい時間だった。




