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黄昏に鳴らぬ鐘、イシュタムの魂を宿すさえない俺  作者: 和泉發仙


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《境界遺跡ヴァル=アーク》調査編その10 救出

 拍監視盤の心拍は乱れていないのに、胸の内側だけが速かった。

 ミカは制御室の卓上に両手を置き、短く息を整える。


「……ユウキさん、聞こえますか。こちら、ミカ」


 返答の間に、わずかな雑音。向こうの空は開けているはずなのに、波形が常時ざらついている。

 “この世界ではないところ”のノイズ――帰還門の向こう側だ。


『……聞こえる。こちら、ユウキ……。状況、最悪だ。……捕まって、処刑台……だった。間一髪、乱入があって逃げた。……でも、全員は離脱できてない』


 通信の向こうで、誰かが息を呑む音。獣の遠吠えのような、低く湿った響きも混ざる。

 ミカは、噛みしめていた奥歯を静かに解いた。


「負傷は?」


『軽傷が多数。精神的ショックも。……猿の軍勢がいる。文明。騎兵、弓、火を使う。あと、森に“狩人”がいる。見えない。ビームみたいな武器……あれはやばい……』


 “見えない狩人”。

 ミカは卓上の記録に素早くタグを付与しながら、別系統の符丁鍵を回した。

 塔内広域放送――白章隊の招集コードだ。


「了解。いま救援手順を立ち上げます。……ユウキさん、ひとつだけ。帰還門は壊さないで。鐘は鳴らさない。あなたたちの帰り道です」


『わかってる。……頼む。みんなを、連れて帰りたい』


「必ず」


 通信が一旦、霧に溶けた。

 ミカは小さく顎を上げ、制御室の透明窓に映る自分を一度だけ見た。迷いが残っていないことを確かめるために。


 ――招集灯が、塔の腹のあちこちで点った。


     ◇


 警鐘は鳴らさない。だが、足音は速い。

 白章隊の主力が、拍律廊下を音もなく駆けてくる。


 隊長シリウス。短弓と二連の手甲投射機。

 副官アリア。投槍、折り畳み楯、寡黙な眼。

 伏兵のヴァン。索敵糸。

 医療のファラ。静脈符、止血キット。

 搬送のイールとコバルト。軽担架とウインチ。

 後衛支援のグレン。煙幕、閃光、拍遮断幕。

「新兵、ニコラ、マギー。救護と煙幕展開を」

「そして狙撃手、リアン。後衛からの精密射撃を」

 彼らは“声を出さない訓練”が骨に入っている。

 それでも、制御室に入るときだけは、アリアが小さく頭を下げ、言葉を持った。


「ミカ様。状況を」


「端的に。――調査任務に向かった冒険者チームと学園の生徒たち、ツアーガイドを含む現地協力者が、帰還門の先で分断・拘束・追撃を受けました。

 敵対勢力は三種。草食・肉食の巨大獣(恐竜)、猿人による帝国的軍事集団、そして光学迷彩を用いる“狩人”。

 こちらからの映像は取得不能。音声のみ。地形は、広い草原と低い断崖、深い森。夜間は太鼓による見張りが機能」


 壁面の結晶板が、薄く赤を帯びる。

 情報は断片的だが、要は簡潔だ。行って、見つけて、連れ帰る。


「装備規定を告げます。AFの持ち込みは禁止。向こうの拍に適合しません。火器は補助的に携行可――ただし、獣に対する決定打にならない可能性を前提に。飛び道具と拘束・撹乱を主力に。『鐘を鳴らさない』原則は維持しますが、この件に限り生存優先に切り替えます。門の破壊は厳禁。帰還路の維持が最優先」


 シリウスが頷く。

 彼の眼差しは、すでに森の中の風を見ているようだった。


「投入方法は?」


「ポータルを近接展開。座標は、最後にユウキさんが発した短距離ビーコンの近傍へ。森縁の崖上、開けた岩棚。ポータルは五分ごとに閉鎖・再開を繰り返し、敵に門位置を特定されないよう拍相を微調整します。第一波は六名、その後三名ずつで二波、三波を送る。撤収の合図は三短一長の笛。合図不達の場合は**煙幕色信号(青→白)**に切り替え」


 アリアが短く手を挙げる。


「友軍識別は?」


「白章隊は沈鐘紋章を左肩、友軍は“白布の腕章”。こちらで即席を用意済み。現地での再配布はファラとコバルト担当」


「搬送は?」


「負傷者優先。歩ける者は輪番で担架補助。**落下回避縄スネアライン**を崖沿いに打つ。イール、コバルト、頼みます」


 イールが浅く笑い、コバルトが親指を立てた。

 彼らはいつも、危ういところに橋を架ける役だ。


 ミカは一拍だけ言葉を止め、各員の顔を見た。

 この数呼吸だけは、言葉の余白がいる。


「……向こうはすでに戦場です。

 そこには、私たちが守るべき“学園の子どもたち”と、協力に立ってくれた冒険者・案内人がいます。

 どうか、みなさんで無事に救出して、全員で戻ってください。

 みなさんが帰る場所は、ここにあります。」


 沈黙。

 それから、シリウスが最初の一歩を床に置いた。


「任せてください」


 短く、それで充分だった。

 白章隊の空気が、戦闘行軍の張りに切り替わる。


「各員、拠点庫で受領。標準軽装+拍遮断幕+閃光・煙幕、携帯楯は二、担架二。

 五分後、ポータル室に集合」


 走る音。

 ミカはその背中を見送り、制御卓に戻る。

 ユウキの通信系統を再接続しながら、別回線で学園医務と補給班を起こした。


「医務は温水・清拭・鎮静・抗菌を最短で密度高く回す。子ども優先。

 補給は水・塩・糖・簡易食。この世界の腹は、向こうでも腹だ。

 帰ってきたら、まず食べさせて、眠らせる」


 自分に言い聞かせるような声になっていた。

 モニターの符丁、計器の波、すべてが“いま必要なもの”に収束していく。


     ◇


 拍導管の内径を広げる音が、低く塔を震わせた。

 ポータル室――巨大な石の環が、静かに霧を孕む。


 すでに白章隊は揃っていた。

 灰を基調とした軽装、余白のない荷量。

 シリウスは弓の弦を、アリアは投槍の石突きを、わずかに鳴らして確かめる。ファラは胸元の符に触れ、グレンは煙のカプセルを整列させる。イールとコバルトは担架の重心を指先で確かめ、ヴァンは索敵糸を掌から細く垂らした。


 ミカは、沈鐘紋章の箱を開け、各員の左肩に白銀の小さな徽章を留める。

 鐘は鳴らさない。だが、“帰る”ための印は必要だ。


「座標、安定。……初期開口、九十秒。

 第一波、投入開始してください」


 白い霧が、石の環の内側でそっと立ち上がる。

 風はない。あるのは、拍の向きだけだ。


「――行く」


 シリウスが一歩踏み出し、霧の縁で一瞬だけ振り返った。

 その視線は、問いではない。確認でもない。

 ただ、共有だった。


 ミカは、ほんのわずかに頷いた。


「必ず、全員で」


 シリウス、アリア、ヴァン、ファラ、イール、コバルト、ニコラ、マギー、リアンたちの影が、白に吸い込まれて消える。

 霧は、すぐに輪郭を閉じた。


「……次、三十秒で第二波」


 ミカは拍導を微調整し、ポータルの相位を半歩だけずらす。

 狩人に門の“蝶番”を読まれないために。


 グレンが最後に肩を回し、ミカへ顎を上げた。


「帰りの煙は、濃い目に焚きますよ」


「お願いします」


 彼が霧へ入る。

 白が、またひと口分だけ減る。


 室内に残ったのは、拍計の微かな鼓動と、ミカの呼吸だけになった。

 霧は、一定のリズムで膨らみ、しぼむ。

 向こう側の風が、ここへは来ない。当たり前だ。

 それでも、耳のどこかで木の葉の擦れる音がする気がした。


(ユウキさん。……見えていてください。ポータルの気配を)


 ミカは両手を背で組み、霧の輪を正面から見据えた。

 余計な祈りは言わない。命令は終えた。段取りも済んだ。

 いま必要なのは、門を開け続ける胆力だけだ。


 白い光に飲まれて消える後ろ姿を、

 ミカはただ、立ち尽くして見送った。


「……戻ってきて。みなさんで」


 時計は見ない。

 見るのは拍だけ。

 塔の心臓はいつもどおりに打つ。だからこそ、外の乱れを受け止められる。


 ――救援作戦、開幕。


     ◇


あとがき(ミカ・簡易メモ)

•白章隊:学園都市の外縁安全保障と救援を担う小隊群。静音行軍・拘束・搬送が主務。今回は救出最優先で投入。

•装備方針:この異世界はAF(大型機動兵装)非適合。通常軽装+飛び道具/撹乱/搬送重視。火器は牽制・退避のための補助扱い。

•作戦原則:「鐘を鳴らさない(ゲート破壊禁止)」は帰還路確保のため必須。ただし生存優先に切替。

•敵概要(断片):

1.恐竜:草食は無害ではないが接近注意、肉食は単独でも致死性。

2.猿帝国:隊列・火器(火矢・鬨の声・太鼓)。戦術的。

3.光学迷彩の狩人:姿を隠し、高出力の直線射。位置特定が最優先。

•ポータル運用:5分開口→閉鎖→再開で相位をずらしながら運用。合図は三短一長笛/不達時は青→白の煙。

•帰還後:医務は温水・清拭・鎮静・抗菌、補給は水・塩・糖・簡易食を最短で。子ども優先。


――次回、現地。森縁の崖上からの実戦救出に入ります。

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