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黄昏に鳴らぬ鐘、イシュタムの魂を宿すさえない俺  作者: 和泉發仙


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南群諸島篇 その三 潮の記憶(後篇)



 岬の神殿から続く岩階を降りると、潮の匂いが濃くなった。

 波がほらに息を送り、引き、残した雫が青く光る。

 マハナが先頭で潮の杖を掲げると、壁の珊瑚が微かに鳴った。**チ……**と一拍、合図のように。


「ここから先が潮窟しおのいわや。潮の記憶が層になって眠っています」

「層、か」クリフが頷く。「乱れている層だけを撫でる……それが肝だな」

「主、《あるじ》。音がバラバラですニャ」ニーヤの耳が伏せ気味になる。

 ユウキは鞘に触れた。トン、ツッ。

 洞の呼吸が半拍、揃う。


 入口の岩棚で一旦連携を確認する。

 よっしーは盾の腕輪を泡膜モードへ。「水圧来たら、これで減圧ドーム作るで」

 あーさんは二鈴冠杖《明照》の飾り紐を結び直し、「潮の拍を汚さぬよう、音を真ん中に置きますわ」

 ルフィは両拳をぶんぶん回し、「ダーリン! 任せるのだぞー!」

「アホ、洞ん中で跳ねるなや!」よっしーが即ツッコミ。

「……俺たち、完全に家来扱いじゃね?」ユウキが苦笑する。

「仕方ないですニャ。あの子の中では、よっしー殿が王様ですニャ」

「あら、まことに……恋慕とは、主従をも越えるものにございますね」あーさんがやわらかく微笑む。

 クリフはユウキの肩を軽く叩いて、「ふむ、生態的には筋が通っている」。

「そない大層なもんちゃうで!? ただのウサギ暴走や!」

 ハッチから顔を出したリンクが首を傾げる。「キューイ?」


 輪がほどけ、笑いが潮へ溶ける。

 マハナがくるりと振り返り、目で合図した。「行きましょう。潮が“思い出したい”と言っています」



 第一層――貝歌かいかの回廊。

 天井いっぱいに小さな巻貝が張りつき、遠い昔の唄が残響になって壁を撫でている。

 足を踏み入れた瞬間、カン、と乾いた異音が混じった。低い笛――あの“差し込まれた拍”だ。


「右の列、二と五が違う」クリフが即座に指差す。

「了解、角度だけ戻す」ユウキが鞘でトン、ツッと触れる。

 あーさんの二鈴がチリンと追い、ニーヤが《薄明》で貝の内側に“朝”を置く。

 よっしーの無音チャフが不要な共鳴を吸い、響きはゆっくり整った。


 回廊の奥で、潮の記憶が像を結ぶ。

 幼いノアが笑っていた。

 まだ髪が短く、珊瑚の輪が少し大きい。

 彼女が貝に願いを囁くと、貝は恥ずかしがるように音を丸める。

「……潮は、願いを覚えるんだ」ユウキが呟く。

「ええ。そして覚えたものを、いつか返す」マハナの声が静かに落ちる。「この先です」



 第二層――潮襞しおひだの広間。

 幾重もの水の幕が垂れ、うっすら人影が歩く。だが近づくと、影は音を喰って消える。

「音喰いの“潮影”、昨日の弱いやつより手強いですニャ」

「非致死・ほどほど」ユウキは仲間を見渡す。「音は守る。影は落とさない」


 最初の群れが迫る。

 よっしーが泡膜ドームを展開して衝撃だけ逃がし、

 ニーヤの《マリン・カーヴ》が水幕をS字に曲げる。

 あーさんの二鈴が半拍前で“受け”、クリフの守律剣カデンツァが背で角度を押して逸らす。

 ユウキはイシュナールの平で撫でるだけ――影は輪郭を保ったまま、すうっと水襞の裏へ退いた。


「ダーリン! とどめは任せるのだぞー!」

「任せへんわ! とどめいらん言うてるやろ!」

 ルフィの拳は寸止め、波だけがぽんと跳ねて、影の苛立ちを中和する。

 リンクが二段ジャンプで幕の縁を蹴り、ブラックが淡青の羽根をひと震い――短時間だけ、泡の継ぎ目を縫う。

「無理すんなよ」ユウキが肩越しに声をかける。**カー。**短い同意。


 音喰いが遠ざかると、広間の床に古い貝櫛が落ちていた。

 マハナが手に取り、眉を寄せる。「ノアのものです。……潮は彼女を、まだ手放していない」



 第三層――潮の扉。

 岩壁に巨大な円が刻まれ、無数の小孔が音口のように並ぶ。

 扉の前に、黒い装束の影が四人。肩の紋は――ウィンドフォールで見た風紋に似て、だが色は墨。

 口元には金具のついた潮笛。低い笛はここからだった。


「作業中。立入、不可」

 抑揚のない声。

「許可は?」ユウキ。

「祈りにより、許可」

 またそれだ。差し込まれた祈り。


 黒衣たちは潮笛を同時に口へ当てる。

 ぅ゛……

 洞がきしみ、扉の音口が違う拍で鳴り始めた。

 潮がざわつき、背後の水幕が荒れる。


「口だけ奪う!」

 ユウキが前へ出てトン、ツッ。

 ニーヤの《薄明》が管の内側に朝を置き、よっしーの無音チャフが共鳴を外す。

 クリフが滑空脚(こいつら、やっぱり持っている)を背で押して体勢だけ崩し、

 あーさんの二鈴が礼を置く。

 潮笛は音を失い、黒衣たちは驚いたように顔を見合わせた。


 その隙に、マハナが一歩進む。

「潮は“祈り”を知っています。ですが、祈りの名を使う命令は、祈りではありません」

 黒衣の瞳がわずかに揺れた。

「……退いてください。潮が傷つきます」


 彼らは抵抗しない。

 ただ、整然と下がり、通路の陰へ消えた。

 よっしーが小声で。「撤退が早いな。命令で動いとる……?」

「糸の先は海の外かも」ユウキが扉へ向き直る。「開けよう。鳴らさず置いて」


 扉の前に輪をつくる。

 ユウキのトン、ツッを核に、

 あーさんがチリン、チリリンで音口の位相を合わせ、

 ニーヤが《薄明》で“朝のバルブ”を置く。

 よっしーの泡膜が圧を均し、クリフが背の押しで円周を撫でる。

 ブラックが淡青の羽で縫い目を短く作り、リンクがトトンと足で拍を刻む。

 扉は、潮がため息をつくみたいに開いた。



 第四層――潮心しおごころ

 底は見えない青、天は珊瑚の天蓋。

 中央に、白い潮柱が立っていた。

 そこに――ノアがいた。

 水の光に溶けて、目を閉じ、手を胸に置いている。

 生と死の境ではない。記憶の中間だ。


「触れてはなりません。拍だけを――」マハナがささやく。

「任せて」ユウキは刃を抜かずに両手で鞘を抱える。

 トン、ツッ。

 潮柱に波が走り、ノアのまつげが震える。


 その瞬間、柱の根がきいと軋んだ。

 低い笛――さっきの黒衣とは質が違う。

 もっと古く、もっと人工的な音。

 柱の基底に、金属の輪が埋め込まれていた。

 潮の流路を無理に増幅するための、古い機械。

 誰かが起こし、誰かが使っている。


「外す」よっしーが工具を取り出す。

「押し角、三度」クリフ。

「あいよ。……ガッチリ固着しとるな。潮石と金属のサンドイッチや」

「主、《あるじ》。熱はダメ、冷やしすぎもダメですニャ」ニーヤが《薄明》の温度を生き物の体温に合わせる。

 あーさんが鈴で礼を敷き、ユウキがトン、ツッ。

 よっしーは緩め、締め、戻す――蝶番を“気持ちいい角度”に返す手つき。

 ブラックが淡青をひと震い、泡の縫い目を一瞬だけ繋げる。

「ブラック、そこまで」ユウキが制す。カー。


 輪がコトと外れた。

 笛の音が止む。

 潮柱の白が、ほんの少し温かい色へ変わる。


 ノアの指が、かすかに動いた。

 目が、ゆっくり開く。

 そこに映ったのは――カイの顔だった。

「……ノア」

 彼が名前を呼ぶ。潮が震える。

 ノアの唇が、たしかに言った。

「……カイ?」


 次の瞬間、潮柱がぐらりと傾いだ。

 古い輪が抜けた反動で、溜め込まれた記憶の流れが解き放たれる。

 記憶の奔流――潮が“返す”。


「受けるぞ!」ユウキが叫ぶ。「でも、誰も沈めない!」

「ダーリン! 任せるのだぞ!」

「落ち着けぇ!」よっしーが泡膜を最大展開。

 あーさんの二鈴が低く輪を保ち、

 ニーヤが《マリン・カーヴ》で流路をS字に、

 クリフが背の押しで圧を丸め、

 リンクがトトンと拍を刻む。

 ブラックが最後に淡青をひと震いして、流れの縫い目を一瞬だけ留める。

「無理すんな!」ユウキ。カー。


 奔流は、輪の中でほどけ、静かに磯の香りへ還った。

 ノアはゆっくりと膝をつき、マハナが抱きとめる。

 カイが駆け寄り、震える手で彼女の指を握った。

「……帰ってきた」

 ノアは眩しそうに笑って、「ただいま」と言った。



 地上に戻ると、浜の風はやわらかかった。

 村人が歓声を上げ、潮の火に小さな灯がともる。

 シャナが深く頭を垂れる。「よくぞ……よくぞ」

 ノアの頬に潮が光り、カイの肩が震える。

 マハナは潮の杖を胸に当て、「潮が返しました」とだけ言った。


 ユウキは肩のブラックを撫でる。

 淡青の羽はまだ微かに温い。

「本当に、ありがとう」

 カー。

 短い、誇らしげな一拍。


 よっしーが輪から外れた金属を眺める。「これ、作りが古いのに、信号が新しい。最近誰かが起こして使っとる」

「黒衣だけじゃない、もっと奥に指揮がいる」クリフが頷く。「風で見た影と同じ匂いだ」

 マハナが空の色を見て、「潮は笑いました。けれど、遠い北で――光の潮が軋んでいます」と囁いた。

「光の潮?」

「夜の海に、凍った光の波が立つ……極北の現象。そこにも“差し込まれた拍”があるのでしょう」


 ユウキは胸の風環に触れた。

 風は置けた。潮も戻せた。

 なら――次は、氷の“止まった拍”だ。

「行こう」

 肩の上でブラックがカー、リンクが「キューイ!」と跳ね、

 ニーヤが「準備ならおまかせですニャ」と胸を張る。

 あーさんが二鈴を合わせ、「旅は、拍をつないで進むものにございますね」。

 よっしーが笑う。「せやな。ほな、その前に——昼寝や。海の前で一眠りしてから行こ」

「ダーリン! 寝るのだぞー!」

「誰が合図出した! ……って、合ってるけども!」


 笑いが浜に満ち、風鈴がそれに和して鳴る。

 潮は覚え、風は笑い、拍は次の方角を示した。

 ――北極の空に、薄い光の波が立ち始めている。


(つづく)

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