王都地上編・その四 静音戦 ― 影の呼び声
【前書き:ツグリ】
音が、怖かった。
誰かが笑うたび、私は自分の沈黙を恥じた。
“塔の音は特権だ”――そう教えられて育った。
信じることは楽だった。考えないで済むから。
でも、奪われたと思い込んでいた拍は、
もともと誰のものでもなかった。
ただ、私は聞こうとしなかっただけ。
祈りの名のもとで、私は音を壊していた。
けれど――あの人たちの声をまた聞きたいと思う。
あの学園で笑っていた仲間たち。
どうか、まだ“拍”を合わせてくれるなら。
私は、ここで待つ。
もう一度、静けさの中で。
拍が――裏返った。
空気がひっくり返るように揺れ、炎の揺らぎさえ逆流する。
ユウキは反射で《静穏環刀イシュナール》の鞘を指で叩いた。トン、ツッ。
短い二拍が洞窟の空気を“まばたき”させ、暴れかけた振動が沈む。
「よっしー、防御輪、無音プロトコル!」
「おう、うるさいのは関西の血だけでええ!」
盾が展開し、音が吸い込まれる。空間の輪郭だけが残る。
「主、《あるじ》。炎は最低限、微温ですニャ。」
ニーヤの掌に柔らかな光。炎ではなく、朝霧の色。
「ふむ……やはり“音”が核か」
クリフが床に触れ、首を傾げる。「吸っている。拍そのものを。」
影が形を取り始めた。壁から壁へ、糸のような影。
音を飲み込み、光をねじ曲げる“蜘蛛の巣”。
「ガガ、下がるダゾ。リンク、二段ジャンプで梁に印!
ブラック、風の針を一拍だけ!」
指示が流れ、仲間が動く。
リンクが“キュイッ”と跳び、風を裂く。ブラックの羽がひとつ舞う。
奥からノイズ交じりの声。
「進化しているな。だが、まだ足りない――神の音には。」
ざらつく通信。ミカの声が割り込む。
『一致率72%。ディートハルト起源の通信模倣。』
「やっぱコイツか……ほんま腹立つわ」よっしーが低く唸る。
「四隅に結び目。同拍で外しますニャ!」
「礼を借りる。――あーさん」
「はい。二鈴、鳴らさずに。」
二鈴冠杖《明照》が淡く光を放つ。
四つの光点が床に浮かび、礼の円を描く。
「クリフ北西、ニーヤ南西、よっしー南東、俺北東!」
「うむ。」
「了解ですニャ。」
「静音行軍開始や!」
ルフィが後衛に構え、微笑む。
「抱えるのだぞ。みんなを、拍ごと。」
影が呻くように膨らむ。
無音の咆哮。音のない爆音。
ユウキの胃が内側から震えた。
そのとき背から柔らかな波。
「……だいじょうぶだぞ、ダーリン。」ルフィの声。
温かい。
「助かる。行くぞ!」
ユウキが鞘で床をトン、ツッ。
同時にクリフが“押す”剣を振る。音はしない。
ニーヤの光が結び目を解き、よっしーのチャフが摩擦を消す。
四隅が揃う。
あーさんの礼が静かに締まる。
影の網が息を失い、しぼむ。
「今ですニャ――《薄明》!」
炎ではなく光。影が柔らかく溶ける。
ルフィがフィールドを広げ、すべてを抱く。
よっしーが静零を放ち、ぽん。
影の核が折り畳まれた。
静寂。
空間がようやく自分の呼吸を取り戻す。
ミカの通信が澄む。
『封静成功――けれど、まだ終わりません。』
その直後、足音。金属の響き。
数人の作業服姿、胸にΩ。
「作業中。立入、不可。」
「ここはギルド管理下だ。許可を見せろ。」クリフ。
「許可あり。神学研究区。」
「はい出た、勝手許可やな。」よっしーが笑う。
彼らは調律波を放つ。音のない衝撃。
ニーヤが目を細める。「チューナー……人を楽器にする器具ですニャ。」
「止めろ。俺たちは非致死だ。」
「非致死。――無意味。」
「話、通じへんなぁ。」
礼の円。無音の衝突。
クリフの一歩で腕が外れ、よっしーの盾が膝を奪い、
ニーヤの杖が結び目をほどく。
「眠っててくださいですニャ。《微睡》。」
最後の一人が信号を打ち、奥でコン、コン。
影が再び息をする。
「行くしかない!」
奥の空間へ。
古い鉱洞が巨大なホールに広がる。
中央、金属と石が融合した柱。
その足元に――卵のような影。
『やめてください。』
声が降る。梁の上、白い仮面の女。
「ここは神学研究区。立入は祈りに反する。」
「……ほんとにそう思ってるのか?」
ユウキが言う。「人を楽器にして、音を喰わせて。神か?」
「拍を返すの。奪われた音を。」女の声が震える。
ミカが静かに言う。
『……悲しい誤解です。音は誰のものでもないのに。』
「誤解やない。結果が物語っとる。」よっしー。
女の肩が沈む。
「……非致死。あなたたち、噂は本当なのね。」
「なら、静けさを返す。」ユウキが刀を下げる。
影が揺れ、女が警告する。
「近づけば孵化します。臨界に……!」
「触れない。鳴らさず、置く。」
拍が揃う。
礼の円が広がり、四隅の卵が眠る。
ルフィが抱き、よっしーの静零が一拍。
影は折り畳まれ、装置は静止した。
息を吐く音。
梁の上の女が仮面に触れ――外す。
浅黒い肌、疲れのにじむ目。
ユウキたちは同時に息を呑んだ。
「……ツグリ!? 《蒼角》のツグリ!」
「学園で一緒でしたニャ!」
ツグリは目を伏せ、小さく頷く。
「研究区の手伝いで来たの。でも途中で拍律矯正を受けて……命令を拒めなかった。」
「強制の礼……いや、曲礼か。」クリフが吐き捨てる。
「私は“拍を返す”と信じてた。でも今、分かった。返すって、奪うことじゃない。」
よっしーが肩をすくめる。「返すには、鳴らさんのが早い。地味やけどな。」
ニーヤが尻尾を揺らす。「地味、好きですニャ。」
ミカの通信。
『封静確認。ツグリさんを保護します。』
ツグリは頷く。「お願い。私、戻れないから。」
装置の根元が光り、遠隔通信が割り込む。
「やるではないか。――静穏の民。」
ディートハルトの声。
「拍は止められた。だが学んだろう? “神の音”は組める。」
声は霧のように消えた。
装置は沈黙。だが、背に冷たい風。
クリフが剣を収める。「……追うのは外だ。ここは守った。」
ユウキがツグリに手を差し出す。「行こう。鐘は鳴らさず、知らせはする。」
ツグリは頷く。「うん。返したい。ほんとうに、返したいから。」
地上へ。
坑道を抜け、夕風が頬を撫でる。
遠くの塔にひとつ、星が灯る。
よっしーが空を見て笑う。「夜は夜で、ええ音あるで。」
ユウキは小さく息をついた。
「……酒飲みてぇ。」
その声にニーヤが吹き出す。「主、《あるじ》……地上でも結局それですニャ。」
「だってほら……人間、たまには酔わんと折れちまうんだよ。」
あーさんが頷いた。「お酒もまた、音のひとつ。ゆるやかに響かせましょう。」
街の拍は戻っていた。
鐘は鳴らさない。
けれど、歩けば拍は続く。
――次の一歩へ。
【後書き:それぞれの拍】
ユウキ
「奪うことも、守ることも、ぜんぶ“鳴らすこと”から始まる。
でも俺たちは、もう――“置く”ほうを選べる。」
よっしー
「まぁ、せやな。地味やけど、それが一番長持ちすんねん。
そんで次は、ラーメンすすれる日、ちゃんと作ろな。」
あーさん
「静けさとは無音にあらず。
心が落ち着いて、音を選べる余白を言うのです。」
ニーヤ
「主、《あるじ》。今度はカリカリの音も一緒にどうですニャ?
……あの拍、忘れないですニャ。」
クリフ
「敵を倒さず、立たせたまま勝つ。
剣の理想が、ほんの少し現実に近づいた。」
ルフィ
「ダーリン、次は抱えなくていいのだぞ?
でも、また抱えたい時は言うのだぞ!」
ツグリ
「拍を返す。それは奪うことじゃない。
もう一度、隣で息を合わせること。
ありがとう、私を“聴いて”くれて。」




