王都地上編・その五 報告と宵の灯その1
――朝。
丘の上には、夜の名残りのようなウイスキーの香りが漂っていた。
星々とともに乾杯した“鐘の丘”は、いまや小鳥と風の天下である。
「……うぅ……太陽が、まぶしい……」
寝袋の中で呻いたのはユウキ。
片手で額を押さえ、もう片方で空を遮る。
頭の芯がまだ“ぐわん”と鳴っている。
隣で、よっしーが転がるように起き上がる。
「う……頭痛ぇ……角、やっぱアカンな……“バブルの残り香”効きすぎたわ……」
草の上に置かれた瓶が、朝日に照らされて黄金色に光る。
琥珀の残り香が風に流れ、鼻を突く。
ユウキが呻いた。
「……オレ、どんだけ飲んだんだ……?」
よっしーが目を細めて、「最後、“もう一杯だけ”って八回言うてたで。」
ユウキは顔を覆う。「……オレ、氷河期世代って……何かと飲んで誤魔化してたんだな……」
「せや。せやけど、昨日は誤魔化しやなくて、“祝い”や。」
よっしーが缶を傾けて残った炭酸を飲み干す。
「ま、二日酔いも人生や。だいじょぶ、働くよりはマシや。」
ユウキが頭を抱えながら笑う。
「……わかる、なんか刺さるその言い方。」
そのとき、丘の下からチリン、チリリン。
あーさんが水筒を抱え、柔らかい笑みで近づいてきた。
「朝露を集めましたの。冷やすと、痛みが和らぎますのよ。」
「……あーさん、女神か……」
「いえ、ただの明治の淑女でございますわ。」
クリフが腕を組み、静かに二人を見下ろす。
「おぅ、飲もう!」
ユウキが青ざめた顔で「もう勘弁……」と手を振る。
「冗談だ。だが、昨夜は良かった。――よく笑った。」
その声に、ほんの少し誇りと優しさが混じっていた。
ニーヤがぴょこっと顔を出す。
「主、《あるじ》。昨日の“非致死報告”は完璧でしたニャ。
……でも今日は、“非飲酒報告”が必要ですニャ。」
ユウキが寝袋に沈む。「……飲酒で死にそうなんだよ……」
ルフィは元気に草原を跳ねながら叫ぶ。
「ダーリン! 朝だぞ! 星が寝て、太陽が起きたのだぞ!」
ガガもその後を追いかけて、「ガガ、走るダゾー!!」
よっしーが笑いながら頭をかく。
「……若いってええなぁ。胃も肝臓もピカピカや。」
あーさんが柔らかく微笑む。
「お酒も、拍も、ほどほどがよろしゅうございますの。」
ニーヤが尻尾を立てる。「二日酔いも学びですニャ。」
ユウキが小さくため息をつく。
「……ほんと、“ほどほど”って言葉、沁みるわ……」
よっしーがニヤッと笑う。
「せやろ。あれはな、“痛みを通して覚える英知”や。」
クリフが空を見上げた。
「それでも、あの星空は悪くなかった。拍を合わせて乾杯した。
……あれでいい夜だ。」
ユウキはぼんやり微笑む。「うん、最高の夜だったよ。
――吐いたけどな。」
よっしーが吹き出す。「ははっ、青春かいな。」
ニーヤが耳を伏せる。「主、《あるじ》。胃袋も非致死でお願いしますニャ。」
丘を渡る風が、まだ少しウイスキーの香りを運んでいく。
太陽が高く昇り、ソラリス塔の光が遠くに見えた。
あーさんが二鈴を合わせる。
チリン、チリリン。
「さて……そろそろ戻りましょうか。塔の方でも、報告を待っておりますわ。」
ユウキは頭を押さえながら立ち上がる。
「報告ね……顔、むくんでないかな……」
よっしーが後ろから声をかけた。
「大丈夫や。むくみも異世界仕様や。」
ニーヤが軽やかに跳ねる。「朝の拍、合わせますニャ!」
ルフィが両手を広げる。「ダーリン! もう走るぞー!!」
ガガが瓶を掲げて、「ガガ、ソーダおかわり欲しいダゾー!」
ユウキが笑う。「……ほんと、にぎやかでいいな。」
よっしーが背を伸ばす。「せやろ? どこにおっても、人は腹減るし、飲みたくなる。それでええねん。」
風が再び吹き、丘の草がさざめいた。
遠く、王都の鐘楼がまだ眠ったまま。
――だが、拍は動き出している。
非致死・ほどほど。
それが、今日の一歩。
昼下がりの風は、まだ少しウイスキーの香りを残していた。
丘を下りて王都の街道に戻ると、そこはもういつもの喧噪。
荷馬車の車輪が砂を踏み、商人の声が響く。
けれど、ユウキたちの足取りはどこかゆっくりだった。
――まるで、拍を確かめながら進むように。
ツグリは少し後ろを歩いていた。
白い外套の裾を手で押さえながら、俯き気味に。
あーさんがその横に並び、優しく声をかける。
「顔を上げなさいませ。貴女の拍は、もう“奪う”側ではありませんのよ。」
ツグリは一瞬だけ視線を上げて、小さく頷いた。
「……まだ、慣れなくて。
誰かと“同じ拍”で歩くのが、こんなに怖いとは思わなかった。」
「それが普通ですわ。
人は、歩幅を合わせることを“生きる”と申しますの。」
ユウキが振り返る。
「ツグリ、気にすんな。オレだって、まだこの世界の歩幅になじめてねぇよ。」
よっしーが笑う。「せやな。昨日なんか歩幅どころか足元ふらついとったし。」
ユウキが苦笑しながら頷く。「……それな。」
王都の門が見えてくる。
夕方の光が石畳を照らし、衛兵たちの影を長く伸ばす。
ミカの通信が静かに入った。
『王都ギルド本部より連絡。任務報告を確認しました。
ツグリさんの身柄は、学園調査団管理下に移行します。
……そして、全員へ。
“静穏環”の調整を本日中に実施したいとの要請があります。』
よっしーが肩をすくめる。
「調整ゆうても、ワイらの脳ミソちゃうやろな?」
『いいえ。装備と拍律のみです。安心を。』
ミカの声が、まるで微笑むように柔らかかった。
ニーヤが小声で囁く。
「主、《あるじ》。ミカさん、少しうれしそうですニャ。」
ユウキが頷く。「……そりゃそうだろ。誰も死ななかったんだ。あのAIにだって、それは“救い”なんだよ。」
塔のエレベータへ向かうと、
白衣の職員たちが彼らを迎えた。
ツグリが一歩進み、静かに頭を下げる。
「……戻って、いいんでしょうか。」
職員が頷いた。
「ええ。あなたの“音”を、取り戻してください。」
その言葉に、ツグリの肩が小さく震える。
あーさんがそっとその背を支える。
「拍は、いつでも再び結べますの。」
管制区の奥――
ミカの投影がふわりと現れた。
「お帰りなさい。
みなさんの音を、この塔に再び刻めることを嬉しく思います。」
ユウキが頭をかきながら笑う。
「……あー、報告はまとめてよっしーに任せます。オレ、頭がまだズキズキしてて。」
よっしーが胸を叩く。「しゃーないなぁ、代理提出や。」
ミカの目が、淡く光を増す。
「あなたたちが守った静穏は、確かに届いています。
……ありがとう、みなさん。」
その声に、一同が自然と頭を下げた。
⸻
夜。
塔の展望層から見下ろす王都の灯。
まるで、音符が無数に地上へ散ったようだった。
風が吹き抜ける。
ユウキは欄干に寄りかかりながら、空を見上げた。
ツグリが隣に立つ。
「……綺麗。」
「だろ?」
ユウキは小さく笑った。
「ここでこうしてるとさ、俺、何で戦ってたのか分からなくなる時あるんだよな。」
ツグリがゆっくりと首を振る。
「戦うんじゃなくて、“鳴らす”んでしょう?」
その言葉に、ユウキは目を細めた。
「……ああ、そうだったな。」
よっしーが背後から瓶を掲げた。
「よーし、今夜は控えめに! 今日はウイスキーやない、“麦茶”で乾杯や!」
ルフィが両手を広げて笑う。「ダーリン! 今日も乾杯なのだぞ!」
ガガが真似して瓶を掲げる。「ガガも、ソーダで乾杯ダゾー!」
クリフが苦笑しながら頷く。「うむ……悪くない夜だ。」
あーさんが二鈴を合わせる。
チリン、チリリン。
「音が……夜に溶けますのね。」
塔の外、星々が瞬く。
その瞬間、
ミカの管制フロアから、ふと音楽が流れ出した。
“And we can build this dream together, standing strong forever…”
ユウキが驚いたように顔を上げる。
「……Starship?」
よっしーが笑う。「ミカ、やるやん……80年代の締め方、完璧や。」
星々の間を渡るように、
歌が、風に乗って広がっていった。
ルフィが肩を寄せ、ツグリが微笑み、
誰も言葉を発さないまま、その拍を共有していた。
――この夜、鐘は鳴らない。
けれど確かに、
それぞれの胸の奥で、小さな拍が生きていた。
⸻
【後書き】
•ユウキ:「……やっぱ酒はほどほどだな。でも、こういう夜なら悪くない。」
•よっしー:「バブルも氷河期も異世界も、結局は“乾杯”で終わんねん。」
•クリフ:「おぅ、飲もう――この拍に、もう一度。」
•あーさん:「音も夢も、人の心に宿りますのね。」
•ニーヤ:「主、《あるじ》。次はラーメン編ですニャ?」
•ルフィ:「ダーリン! ラーメンも愛なのだぞ!」
•ガガ:「ガガ、おにぎりでも乾杯できるダゾ!」
•ミカ:「……美しい星々とともに、拍を観測。
――Nothing’s Gonna Stop You Now.」




