王都地上編・その二 空の洗礼 ― ワイバーン・ラッシュ
雲が割れて、太陽の白が弓なりに広がった。
空挺トレノは音を置いて行く。鳴らさず、ただ拍だけが薄い膜のように機体を包み、上昇は滑るみたいに軽い。
「高度一三五〇、気温八度、風拍は西から」ミカのホロフェイスがミラーに浮かぶ。「この先に乱気流帯。横へ抜ける推奨」
「了解や」よっしーはステアリングを撫でた。指先で“トン、ツッ”。
リングコマンドが青に回り、機体が斜めに傾く。が、車内は一滴も揺れない。Silent-Foldの座席が全員の拍に合わせて沈み、体の不安を先に受け止める。
「主人、《あるじ》。空の匂いが変わるですニャ」ニーヤが窓に肉球を当て、細い目を更に細くする。
「胸の拍、早めで合わせる」ユウキは半拍を先に置き、喉で息をひとつ整えた。
雲の陰がふっと走る。
影が……多い。
「……上だ」クリフが視線だけで天を指す。「来るぞ」
どこからともなく、深い鼓動が降りてきた。
ドゥン──
音じゃない、空気の厚みの変化。その厚みに、鋭い輪郭を持った影が五つ、十……いや、二十、三十、四十――。
「ワイバーン群、五十!」ミカの声が僅かに固くなる。「拍の種類:確認連携型。こちらの無音浮上を“侵入”と認識」
「ミカ、非致死武装のリンク、今!」
「了解。パルス・ガトリング(PG-S)、鳴らさず起動」
ダッシュのホロモニター右が橙色に回る。リングコマンドが掌の距離に浮き、よっしーの指先が“ツ、ツッ”と弾いた。
フロントフェンダーが鳴らさず割れ、二基のガトリングが滑り出る。
唸りは無い。射出される“光の粒”だけが、風の糸をわずかに歪める。
「ダーリン、撃つのだ!」「うるさい、落ち着けルフィ!」
「ガガ、ガン、ミタイ!」
「見物やない。これは寝かすや」よっしーは目だけで笑って、引き金の代わりに拍を押した。
パパパ……
音のない連射。白い花弾がワイバーンの胸の鱗を撫で、律だけを置いていく。
一体が翼を大きく打ち、円を描いて退く。二体、三体……群れの外縁が波紋のように広がった。
「効く。拍の譲渡や」クリフが頷き、《カデンツァ》を鞘の上から軽く叩く。「だが中央が硬い」
中央――最も大きな個体が、胸腔を膨らませる。
ドゥン、ドゥン。
空気が重くなり、車体の周りの光がゆらぎ出す。
逆拍の圧だ。機体の浮力場がわずかに唸り、Silent-Foldの座が軋む前にやわらかく沈み込んだ。
「逆拍三連、来ます。いなして」ミカ。
「任せぇ!」よっしーはステアリングを切るのではなく、待つ。半拍の“間”を手首でつくる。
「主人、《あるじ》。横へ、横へ!」ニーヤが杖先に星屑を咲かせ、半拍先行守護を展開。
ユウキは《イシュナール》の鞘に掌を重ね、無音の刃を胸の内側に立てる。
(正面から止めない。横へ返す)
圧が来る瞬間――半身を切るように車体がわずかに傾き、浮力の面が斜めへ流れた。
逆拍は正面を失い、翼の影に滑っていく。
「いいいなしです」ミカが短く褒める。「被害ゼロ」
だが群れは退かない。
先頭の大きな個体が翼を畳み、急降下。
“無音の爪”が風の膜を裂き、車体のノーズを狙う角度――。
「前っ!」
ユウキの声より速く、よっしーの右手が“ツ、ツッ”。
リングが紫に変わり、拍律シールドが鼻先で円となって開いた。
爪が触れる寸前、円は深呼吸。
触れて、沈む。
勢いは吸われ、爪は水面を撫でるみたいに反れた。
「……すげぇ。柔らかい盾だ」ユウキが息を吐く。
「柔らかいから、折れへんのや」
「うむ、盾の理想である」クリフの口元が僅かに緩む。
側面、背面、斜め上――ワイバーンの群れが三方から回り込み、空の一角が影で編まれていく。
PG-Sが白い花弾を咲かせ、譲る拍を与え続けるが、数が多い。
圧は減る前に増える。
Silent-Foldが座面を更に沈め、全員の心拍がひとつ高くなるのを受け止める。
「ミカ、群れの核はどれや」
「中央の大型個体。胸腔拍が他個体の倍。彼が“合図”です」
「なら、そこへ礼や」
「あい、心得ましてよ」あーさんが二鈴を胸で伏せ、鳴らさず持ち上げる。「礼の拍、渡します」
よっしーの指が橙のリングへ触れる。PG-Sのモードが拘束網化に変わり、白い花弾が糸になって飛んだ。
核の個体の胸前で糸がふわりと広がり、翼を縛る代わりに――一瞬のためらいを作る。
そこへ、ユウキの“無音の刃”が角を撫でる。
切らない。止めない。ただ、待つを触る。
クリフの律波が一つ、軽く重なる。
「……今だ」
群れの空気が、一拍ぶん遅れた。
連動していた個体のいくつかが円を描いて引き、包囲の目がほどけていく。
「ダーリン! 上!」
ルフィの叫びと同時に、青黒い影が雲の裂け目を横断した。
巨大な翼。鱗の鏡。
風竜。
見下ろすだけで、風そのものが低く唸る。
「……風竜ヴァリフ」ミカが図鑑を開くように静かに言った。「上位種。音を嫌います。観察しています」
ヴァリフは一度も羽ばたかず、ただ空の勾配を滑った。
その目は、こちらの鳴らさなさを測っている。
よっしーは思わず姿勢を正し、ハンドルの上で礼の指を一回叩いた。トン。
巨大な影は、潮が引くように遠のく。
ワイバーンたちの胸の拍が一つ低くなり、群れの興奮が霧散する。
核の個体が翼を伏せ、頭を下げた。
白い花弾の糸が自ずとほどけ、空に溶けて消える。
「……行って、よろしいという合図にございますね」あーさんの声が優しく落ちる。
「うむ。道は開いた」クリフ。
「主人、《あるじ》。空、撫でてくれたですニャ」ニーヤの尻尾がコトコト揺れた。
「ガガ、コワイ、キレイ」「カー」「キュイ」
緊張が解けると同時に、背中の汗に風が触れてひやりとした。
よっしーはハンドルから手を離し、ぐっと拳を握る。
「……鳴らさず、通れたな」
「はい。被害ゼロ。あなたたちのやり方が空にも通じます」ミカの声がほんの少しだけ柔らかい。
そのとき、遠くから微かな旋律が流れ込んだ。
歌声。
空のどこからともなく、風に溶けた女声の和音が、ほの白い糸になって近づいてくる。
「……歌?」ユウキが目を細める。
「空中通信ではありません。生物拍」ミカがミラーの中で目を上げた。「種別――ハーピー」
雲の縁がほどけ、羽根の人影が二、三、十、二十……。
ワイバーンとは違う、秩序だった編隊が、こちらへ滑ってくる。
歌は高くも低くもなく、ただ揃っている。
トレノの浮力場が、その整いにくすぐられ、Silent-Foldの座が思わず笑うみたいに沈む。
「第二遭遇。風の歌への対処に移行」ミカが告げる。「皆さん、今度は問われます。答えは、鳴らさずで」
よっしーは深く息を吸い、リングを青から白へ。
空は、さっきよりやさしい。
風の向こうで、金の瞳がこちらを試すように瞬いた。
――空の洗礼は、まだ終わっていない。
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次回「風の歌 ― ハーピー群翔」
空に生きる“歌”との対話。
拍で返す言葉は、鐘ではなく――朝。




