王都地上編・その四 嵐の律 ― ガルーダ
雲が、黒かった。
けれど、その黒はただの暗闇ではない。
無数の稲妻が内部で形を変え、
龍のようにねじれ、そして消える。
「気圧下降。拍律変調、値大」ミカの声が、いつもより低く響く。
「上位風層への突入を確認──」
「行くで」よっしーは唇を噛み、ハンドルを握り直す。
「鐘は鳴らさへん。けど、嵐は受け止めるんや」
トレノの車体を包む浮力場が、淡い青から紫に変わる。
空気が重くなる。音が消える。
風の代わりに、雷の拍が響く。
『来たか……鐘を鳴らさぬ者どもよ。』
声ではなかった。
風がそのまま“言葉”として体に刺さった。
黒雲の奥で光が凝縮し、翼が現れる。
金と漆黒の羽、鋭い瞳。
雲の律を纏う“風と雷の守律”。
──ガルーダ。
ユウキが喉で息を呑む。
「これが……ガルーダ……」
「でけぇな……!」よっしーの声が小さくなる。
風が逆巻き、車体が軋む。Silent-Foldの座が一斉に沈み、
トレノ全体が低く唸る。
『この層を渡る者には、“律”を問う。
鳴らさぬ力、とは何だ。』
ユウキが目を閉じた。
「……壊さないための力。
守るために、鳴らさない。」
『ならば証を見せよ。嵐を奏でずに越えてみせるがいい。』
稲妻がうねる。
だが音はない。
光と圧だけが、波のように押し寄せる。
「嵐の拍、来ます!」ミカが警告する。
「非致死、非鳴モードで防御展開!」
「任せぇ!」よっしーがステアリングを叩く。
トレノの輪郭が淡く発光し、
車体の周囲に八枚の光円が展開される。
リンクが後部座席で跳ねた。
「キュイ!」
「リンク、外出る気か!?」ユウキが叫ぶ。
「ダーリン、ウサギ飛ぶぞー!」
「やめとけっつってんねん!」
その間にニーヤが杖を掲げた。
「主人、《あるじ》。炎で風を鎮めますニャ!」
「頼む!」
「炎弾魔法──からの、
爆発魔法ッ!!!」
光が走る。
轟音はない。
ただ、空の中に“熱の円”が膨らんだ。
その熱は雷の層を押し返し、空気を撫でるように消える。
無音の衝撃波が雲を裂き、雷が一瞬だけ形を崩す。
『炎を鳴らさず、風を揺らすか……面白い。』
「拍律維持。車体、持ちこたえてます!」ミカが報告する。
「ええぞ、みんな、拍合わせぇ!」
よっしーがステアリングを叩く。トン、ツッ。
ユウキも、クリフも、あーさんも、ニーヤも――全員の心拍がひとつに重なった。
そのとき、ガルーダが翼を広げた。
嵐が爆ぜる。
だが、やはり音はない。
世界が一瞬、静止する。
『……よい拍だ。ならば最後の問。
鳴らさぬ者よ、嵐の律を“止める”のか、“導く”のか。』
「止めない。導く!」ユウキが叫んだ。
「鐘を鳴らさず、拍を回す。それが俺たちの戦い方だ!」
その瞬間、ミカの声が重なった。
「全員の拍を同期。──静穏律転換、始動。」
トレノの輪郭が消えた。
車体が風と一体化し、
嵐の中を一本の光線のように走り抜ける。
雷の波が左右に分かれ、風の層が道になる。
ガルーダの瞳が細まり、ゆっくりと翼を畳む。
『……鳴らさず導く。
よかろう。汝らに“空の道”を許す。』
雷が解け、雲が晴れる。
金の光が流れ込み、青空が戻る。
トレノは浮力を保ったまま、静かに高度を下げていく。
「……終わった……?」ユウキが息を吐く。
「拍、安定。空層、通過成功です」ミカの声が柔らかく響いた。
「ガルーダ、去りました。雷の律、沈静化。」
「ようやったな、みんな」よっしーはハンドルを離し、両手を上げた。
「鐘、鳴らさんかったな」
「はい、非致死・ほどほど成功ですニャ!」ニーヤが胸を張る。
リンクが“キュイ!”と鳴き、ブラックが“カー”と返す。
雲の向こうに、淡い光の道が見えた。
地上のどこかに続く光。
「……見えてきたな。あれが次の目的地、“クロック・ルート”や」
「ふむ、嵐を越えて開かれた路。まさに拍の導きだ」クリフが呟いた。
あーさんが静かに二鈴を鳴らす。
「鐘は鳴らさず、拍は繋ぐ。空もまた、それを知っていましたのね」
ユウキが静かに笑う。
「うん。きっとあれが、イシュタムの導きだ。」
トレノがゆっくりと下降を始めた。
雲の上に、虹のような光の帯が伸びている。
空を渡る音のない列。
鳴らさぬ風の道。
そしてその下には――
新しい世界が広がっていた。
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→次回予告:
「王都地上編・その五 クロック・ルート」
空層を越えた先に現れた、時を忘れた街。
静穏の旅は、新たな地へ。




