表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄昏に鳴らぬ鐘、イシュタムの魂を宿すさえない俺  作者: 和泉發仙


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

326/387

王都篇・その五 逆拍の気配



 王都の空は、春のように白んでいた。

 学園塔の尖端では、風見がゆっくりと回っている。

 あの日以来、静謐の回廊の調査隊は短い休息を与えられていた。

 しかし、その静けさはどこか──“張り詰めた静穏”に近い。


 訓練室の床に正座し、ユウキは目を閉じていた。

 あーさんの鈴が、微かに空気を震わせる。

 チリ……ン。

 半拍を先に握り、揺れが来る前に整える──それが、あの名のない部屋で覚えた呼吸だった。


 ニーヤが、彼の膝の上で丸くなりながら喉を鳴らす。

「主人、《あるじ》。拍がきれいに通っておりますニャ。昨日よりも乱れが少ないですニャ」

「うん。……なんか、やっと慣れてきた」

 呼吸の合間に、ユウキの表情がほんの少しだけ柔らかくなった。

「イシュタムが暴れそうになる時、胸の奥が“ざらっ”と鳴るのが分かる。けど、その前に手を握ると──すっと静まるんだ」

「それが“先拍”でございます」あーさんが微笑む。「やがては、握らずとも拍があなたの中に宿るようになりましょう」

「……そんな日が来るかな」

「うむ、焦ることはない」クリフが静かに言った。「心は剣と同じだ。磨きすぎれば欠け、放っておけば錆びる。いまはただ、呼吸に油を差す時だ」


 よっしーが後方でケーブルをまとめながら笑う。

「ええ言い方するやん、クリフ。そっちの方が俺らより詩人やで」

「ふむ、剣士は詩を知らねばならぬ」

「はいはい。詩的メカニックの出番はまだやな」


 ガガは訓練室の隅で、壁の模様を指でなぞっていた。

「ココ、オト、スル」

「壁が鳴る?」ユウキが目を開ける。

「うん。ガガ、ウタ、チョットキコエル」

 耳を澄ますと──確かに。

 かすかな、低い“呼吸”のような音。

 回廊の地下とは違う、もっと柔らかい音の波。

「“めざまし”か?」よっしーが機器を取り出す。

「共鳴度、0.8ヘルツ──低すぎるな。……でも、一定周期や」

「周期があるということは、鳴ろうとしておる」クリフが眉を寄せる。

「あーさん、対処を?」

「はい。まずは回廊へ赴き、確認いたしましょう。鐘は鳴らさず、声も抑えて」



 地下へ降りる階段は、いつもより風が通っていた。

 回廊の入り口には封鎖札がいくつも貼られ、学園の監査官が待機している。

「調査許可、特任教導官・相沢千鶴殿以下六名」

 署名を確認し、門がゆっくりと開いた。

 ──ツ、ツッ。

 蝶番が鳴く。

 けれど、その音がほんの一瞬、逆だった。

 ツッ、ツ。

 拍が裏返っている。


 ユウキの胸がかすかにざわつく。

「今の……逆拍?」

「うむ、ただの鳴きではない。誰かが“めざまし”を押しかけている」クリフの声が低くなる。

 よっしーが携帯計測器を覗き込む。「地下五層目から微振動。周波、上向きやな」

「誰か、鳴らそうとしてるんや……」

「非致死・ほどほど。急ぎましょう」あーさんが杖を掲げた。



 五層目。

 壁の文様がかすかに光を放っていた。

 その中心に、一人の人影。

 黒い法衣をまとい、両手で古い金属の円盤を支えている。

 ──学園司書の一人、デルナ。

 回廊の研究員の中でも、“音の修復”を専門としていた女だ。

 だが、その瞳は焦点を失っていた。


「デルナ、やめろ!」ユウキが叫ぶ。

「“鐘は鳴らさない”……覚えてるだろ!」

 女はゆっくりと振り向き、唇から低い囁きを漏らす。

「……起きなさい、“めざまし”。子守は終わりよ」

 その瞬間、円盤の縁が震え、光が走った。

 ──ツ、ツッツ、ツッツ。

 乱拍。

 壁に張られた符が一枚、ぱりんと割れた。


「クリフ!」

「うむ!」盾を構え、円盤に当たる波を受け止める。

 空気が歪み、無数の囁き声が押し寄せる。

「“起きる”“朝だ”“呼んで”」

 ユウキの胸の奥がざらつく。

 イシュタムの呼吸が反応しそうになる。

 (やばい……また来る)

「主人、《あるじ》、先拍ですニャ!」ニーヤが叫ぶ。

 ユウキは即座に指を握る──ツ。

 次の拍を、あえて遅らせた。

 (逆拍には、逆で返す)

 あーさんの鈴が呼応する。

 チリ……ン。

 波が一瞬、止まった。

 その隙に、よっしーがテープを入れ替える。

 ──BOØWY”Dreamin”のイントロ。

 荒いベースが回廊に響き、囁き声の拍を奪う。

「音で上書き、実施!」

 クリフが踏み込み、円盤の縁を叩いて押さえつける。

 ガガが駆け寄り、震える手を添える。

「ネムレ、“めざまし”。 ガガ、ウタウ」

 子どもの声が、あの“帰り道”の旋律を重ねた。

 低い歌声が波を溶かし、囁きは次第に静まる。


 デルナの身体から力が抜け、円盤が床に転がる。

 ユウキは彼女を受け止め、ゆっくりと寝かせた。

 顔色は青いが、呼吸はある。

 「……なぜ、“めざまし”を?」

 女の唇がかすかに動いた。

 「“子らが……帰らないの”」

 その言葉だけを残して、彼女は眠りに落ちた。



 静けさが戻る。

 あーさんが小さく息をつく。「一歩、遅れておりましたら……回廊全体が目を覚ますところでした」

「目を覚ます、って?」ユウキが問う。

「“めざまし”は“夢を終わらせる術”にございます。長く眠る者の記録を、強制的に表に引き上げる……」

「つまり、子どもたちの“夢”を無理やり現実に戻す?」

「はい。夢が現実に混ざれば、現実は壊れます」

「……あぶなかったな」よっしーが額をぬぐう。「もしデルナが完全に鳴らしてたら、王都の学園が丸ごと寝不足地獄や」

「ブラック、巡回を。リンク、見張りだ」クリフが命じる。

「カー」「キュイ」


 ニーヤがユウキの膝に飛び乗り、目を覗き込んだ。

「主人、《あるじ》。今の拍、とても良かったですニャ」

「……ほんとに?」

「はいですニャ。揺れの波が来ても、すぐに掴めた。昨日より、ずっと穏やか」

 ユウキは小さく笑う。「そうか。ありがと、ニーヤ」

「あーさん」クリフが尋ねる。「この“めざまし”は、もう封じたか?」

「ええ、回廊の“耳”が再び閉じました。けれど──」

「けれど?」

「どこかに、もうひとつ“逆拍”がございます。ほんの微かな揺らぎですが、耳が覚えております」



 夕刻。

 地上に戻る途中、ユウキは一度振り返った。

 地下の闇は、もう光を放っていない。

 だが、耳の奥でかすかに鳴る。

 ツッ、ツ。

 順でも逆でもない、曖昧な拍。

「……“誰か”が、まだ起きたがってる」

「うむ。次はその“誰か”を見つけねばならぬ」クリフが言う。

「ガガ、サガスゾ!」

「もちろん、一緒に」

 ニーヤが尾を揺らす。「主人、《あるじ》。揺れを怖れず、聴くのですニャ」

「分かった」


 あーさんが鈴を鳴らす。

 チリ……ン。

 音は短く、澄んで、どこかに潜む逆拍の気配に返礼するように消えた。

 鐘は鳴らさない。

 だが、世界のどこかで──誰かが拍を裏返している。





【後書き】


デルナによる“めざまし”未遂事件は、静謐の回廊のもう一つの顔を示しました。

ユウキの心は少しずつ整い、半拍の制御が自然になってきています。

次回は「王都篇・その六 眠る者と目覚める者」──

逆拍の発信源を探り、回廊最奥で“誰が夢を終わらせようとしているのか”を明らかにします。

鐘は鳴らさず、拍を護って進みましょう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ