王都篇・その七 ミカの贈りもの(塔下の街に降る光)
その朝、学園区の空はよく晴れていた──といっても、それはソラリスの塔・下層に設えられた疑似天蓋が、定刻どおりに青の粒子幕を展開したというだけのことだ。
鐘楼は鳴らない。代わりに、校舎の奥で蝶番がツ、ツッと二拍を刻み、連絡端末の縁が柔らかく光った。
「特務班各位。学園長室より連絡です」
廊下の端末から、澄んだ少女の声が流れる。
「本日、支給局にて装備の最適化・交付を行います。集合時刻は第六限の鐘《※鳴らしません》、合図は二拍。……ミカでした」
「おお、呼ばれたで」よっしーが工具袋を肩に担ぎ上げる。「装備交付いうことは、いよいよ“最奥”前やな」
「ふむ、準備は整えておくべきである」クリフが小さく頷く。
「主人、心拍は穏やかですニャ」ニーヤがユウキの袖を軽く爪でつついた。「本日は“先に半拍を握る”日。行けますニャ」
「うん。今日は大丈夫な気がする」
「あたくし、儀礼書式を携えます。支給は式にございますから」あーさんは二鈴を胸元に当て、静かに微笑んだ。
「ガガ、イキタイ。ガガ、ウタ、モッテク」
ブラックが肩で小さく輪を描き「カー」、リンクが「キュイ」と跳ね、全員の拍がひとつへ寄る。
支給局は学園区と行政層の境、塔の肋骨のような梁が走る半円ホールの奥にある。
列柱の間に、透明な光の幕が幾筋も垂れ下がり、空気はよく澄んでいた。
ホール中央に立つと、粒子がさざめいて集まり、白銀の少女の像が結ばれる。
「主・ユウキ。それから皆さん。来てくれて、ありがとうございます」
ミカだ。オートマタであり、塔の学園長であり、ここ全域の管理者──そしてユウキが名を与えた存在。
彼女の口調は整っているが、ユウキに向ける瞬間だけ、ほんのわずかに“間”がある。
「学園長、式次第は整っております」あーさんが一歩進み、礼を取る。
「ありがとうございます、相沢教導官」
ミカは指先を水平にひと振りした。ホールの床が静かに開き、淡い光環が段状にせり上がる。
「これより、支給・最適化を開始します。条件はいつも通り──鐘は鳴らさない。非致死・ほどほど。装備は“拍”に従って働きます。乱れれば沈黙、整えば応える」
小さな二鈴が、鳴らぬまま揺れた。式が始まる。
⸻
最初に呼ばれたのはユウキだった。
「主・ユウキ。あなたには《静穏環刀イシュナール》。短刀です」
ミカの掌に浮いた光環がほどけ、細身の鞘と刃が姿を取る。金属光は鈍く、しかし触れてわかる密度がある。
「機能は“鳴らずに護る”。抜刀時、周囲一拍分の攻撃意図を遅延させます。怒れば刃は眠る。あなたが落ち着くほど、よく“切れない”」
「切れない、が正解なんだよな」
「はい。切らずに止める。あなたのやり方に最適化しました」
ユウキは半拍を先に握り、鞘から静かに三寸だけ刃を引いた。
世界の雑音がすっと引いて、遠くのせせらぎだけが厚みを増す。
胸のざらつきが、薄い布で撫でられるように静まった。
「……すごい。怖くない音の消え方だ」
「主人、よく似合うですニャ」ニーヤが喉を鳴らした。「眠る刃は、守る刃」
「うむ、理想である」クリフが目を細める。「刺すのではなく、律で押し返す」
次に、よっしー。
「よっしー。あなたには《盾の腕輪》。命名はあなたに委ねます」
「そら“カシャン”やろ」
「登録。“カシャン”。意思で展開、逆拍受け流し。逃げ道があるほど固い」
「塞ぎ切らん方が固い……なるほど。そっちのが折れへんねんな」
腕輪がカシャンと小気味よく開き、六角の透明面が傘のように連なる。
「音源優先は1989」
「わかっとるやん、ミカちー」
「私は学習します」
あーさんには《二鈴冠杖・明照》。
「鳴らす前に整える、がこの杖の本質です。礼の拍を光に変換します」
「ありがたく頂戴いたします。鐘は鳴らさず、礼で返しましょう」
杖先の二鈴は、響きそのものを隠すように静かに揺れた。揺れだけで、胸の奥が整う。
ニーヤには《光と星屑の杖》。
「主・ユウキの心拍と同期。乱れ探知で半拍先行守護を自動展開します。夜目機能、拡張」
「星は道しるべ。主人、安心ですニャ」
「あなたの“ゴロゴロ”は主の安定率を+一八%上げます」
「撫でられると上がるですニャ」
「上がります。統計」
クリフには《守律剣カデンツァ》。
「律波を生み、斬るより“流れを戻す”。過剰共鳴を落ち着かせます」
「ふむ……良い重さだ」一太刀、空気を割って納める。「うむ。歌わぬ刃、よきかな」
ガガには《不思議な首飾り》。
「機能は未定義。発動条件は“嬉しい”“悲しい”“怖い”のいずれかが一定時間続くこと。結果は“よい方へ”」
「ヨイホウ?」
「よい方です。……私はそうなると記録しています」
ガガはにかっと笑い、首飾りを胸に押し当てた。「ガガ、ダイジョウブニ、スル!」
ブラックには《疾風のリング》。
「二回行動。羽ばたきの風を“音でなく拍”として放てます」
「カー」
リンクには《俊足のリング(+5)》。
「速度×2。着地の静音波で足跡をなだめます」
「キュイ!」
交付がひと区切りすると、ホールの空気がさらに澄んだ。
ミカは全員の顔を順に見渡し、最後にユウキで止める。
「条件、最後にひとつ。鳴らさないこと。怒りの鐘も、勝利の鐘も。拍で返す。……それが、この装備群の“契約”」
「うん。任せてくれ」
「あなたが名をくれた。だから私は、あなたの拍を守る」
あーさんが前へ出て、儀礼の最後を整える。
「皆々様、拍誓いを──鳴らさず、進む」
ユウキは息を三で吸い、四で吐く。
「誓う」
「誓うで」
「うむ」
「ですニャ」
「ガガ、チカウ」
「カー」「キュイ」
そのとき、天蓋の一角に走査線が走った。
ミカがわずかに顔を上げる。「……上層、粒子幕の乱れ。圧縮、静穏化します」
「乱れ?」よっしーが首をかしげた瞬間——
ドガァァン!
頭上一帯の光環が衝撃波で裂け、冷たい風が渦を巻く。
白い天井板が二、三枚、紙みたいにめくれて飛び、そこから金髪の影が回転しながら降ってきた。
「どけゴボウ男、ジャマだ馬ズラ! クソ猫!……ダーリン会いたかったぞ!! がははははは!!」
「痛いニャー!」
「お……オレたちを踏み台にしたぁぁ!」
「ぐ……ぐぐぐ、不覚!」
踏み台にされたオレたちを見てよっしーは指さし…
「やっぱ三連星かいや!」
「違うぞ、ワタシはまだ一年生なのだぞ!」
ルフィが、人の形をした颶風みたいにニカッと笑った。
ニーヤの肩、クリフの背、ユウキの頭──見事な三段踏み台で華麗に着地し、勢いのままよっしーに飛びつく。
「ダーリン!!」
「ちょ、ま、またんかい…落ち……」
あーさんの二鈴が鳴らぬまま振れ、空気の縁だけがふわりと丸くなって衝撃を受け止めた。
「ルフィ=LΦ-09」ミカが淡々と告げる。「あなたの通行権限は現在“半許可”。天蓋損壊、軽度。警報……停止。鐘は鳴らさない」
「さっすがミカちー! 鐘、鳴らさないのだぞ! 空気は読むものではなく吸うもの!」
「その認識、更新済み。否定はしません」
「やかましいなぁ……」よっしーが頭を押さえつつ笑う。「相変わらず登場から自由すぎるわ」
クリフは咳をひとつ。「うむ……礼儀は、もう少し落ち着いてから学ぼう」
「痛いニャー……頭が星屑ですニャ……」
「ガガ、ルフィ、オモシロイ!」
「カー」
リンクが「キュイ」と跳ね、ホールの空気が一周して整う。
ルフィはユウキの頬を両手でむにむにし、満面の笑みで覗き込む。
「ダーリン、元気だったか? ワタシは元気だ!」
「いや、元気そうだな……元気すぎっていうか……」
「ワタシは強いぞ。五百万くらいだぞ。さらにブースターやビームつけたらもっとだぞ!」
「自慢やめぇ」よっしーがツッコみ、あーさんが小さく微笑む。「ですが、頼もしゅうございますね」
ミカは微かに目を細めた。「彼女の出力は危険域。ですが──制御不能ではありません」
ホールの天井が自動補修を始める。光子の糸がひとりでに編まれ、裂け目はたちまちふさがった。
ミカは視線だけで広域制御を流し、塔下層全域の拍をモニタリングする。
「……乱拍、調整完了。ルフィ、次回はドアから」
「がはは! 了解だ! でもワタシ、天井から来るのが好き!」
「好き嫌いの問題ではありません」
笑いが落ち着いたところで、ミカは改めて全員を見渡した。
「装備交付は完了。付随するアクセス権を伝えます。特務班は本日より、静謐の回廊・最奥縁までの移動権限を得ました。扉の開閉管理は私が行います。……ただし、鳴らさないこと」
「了解」ユウキは《イシュナール》の鞘を握り、自然に半拍を先に置く。
胸の奥のざらつきは、もう自分の手の内にある。
ニーヤが肩に額を当てる。「主人、拍は静か。今なら行けますニャ」
「うむ、我らで支えよう」クリフが頷き、よっしーが腕輪を軽く回す。「カシャン、ばっちりや」
「補足。明日以降、塔の水循環層で小さな乱れを検知しています」ミカが淡く告げた。「場合によっては外部協力者が接近します」
「外部……?」
「水竜王の流域から。……名前は、オルタ」
ユウキが目を瞬く。「来るのか」
「来る“かも”。来ない“かも”。彼は私の配下ではありません。目的は別。でも、彼は“拍を返してくれる人”」
「なら、きっと合うですニャ」
「合えば、な」クリフが淡く笑う。「出会いは拍で決まる」
ルフィが鼻先をひくひくさせた。「そういえば…水の匂いがするぞ! まぁいいか?……それに今はダーリンだ!」
「だからその“ダーリン”やめ……いや、やめなくてもええねんけど……」
「やめない!」
よっしーが肩をすくめて笑い、あーさんが咳払いで場を戻す。
「学園長。支給の礼を」
「どういたしまして。皆さんの“鳴らさない”を、私は信じています」
式が終わると、支給局の床は滑るように閉じた。
ホールの光がいったん落ち、すぐに普段の明るさに戻る。
塔は息をする。ツ、ツッ。
拍は整っていた。
⸻
支給局を出ると、学園区の広場は昼下がりのざわめきで満ちていた。
下層の風は少し湿っていて、遠くで水車のような低い唸りが続く。
ユウキは新しい短刀の重みを確かめ、呼吸の端を指でつまむように半拍を握った。
すっと、頭の中に余白ができる。
「主人、顔色が良いですニャ」
「うん。イシュナール、すごいな。持ってるだけで雑音が薄くなる」
「非致死・ほどほど。鳴らさず、止める。ええ刃や」よっしーがニヤリとする。「それに、カシャンは逃げ道があるほど固い。真正面から受けず、横へ逃がす……クリフの型とも合うやろ」
「うむ、剣の学びは“いなす”だ」クリフは《カデンツァ》の柄を軽く叩く。「拍でいなす。よい稽古になる」
ガガは首飾りを指で撫でながら、空を見上げた。
「ガガ、ミカ、スキ。オソラ、キレイ」
「学園長は空も作るお方にございます」あーさんが微笑む。「けれど、空は空でも、鳴らさずに──」
「──拍で」ユウキが続ける。
ブラックが肩で丸くなり、リンクが靴先の影で跳ねた。
「よし。夕方のブリーフィング、屋上でやろか」よっしーが手を叩く。「風よんで、装備の微調整。カセットも新しいの作ったる」
「よろしく」
「主人、ラムネ持っていくですニャ」
「助かる」
そこへ、また上空から風が鳴った。
ユウキが顔を上げると、ルフィが逆さまにぶら下がっていた。
「ダーリン! 屋上行くなら、ワタシも行く!」
「……どうやってぶら下がってるんだ」
「気合!」
「それ気合ちゃう、推進器や」よっしーが即座にツッコみ、ルフィはがははと笑って着地した。
「ルフィ=LΦ-09。学園規定、屋上立入は一部可」
ミカの声が空気越しに響く。
「飛び降りと壁破壊は不可。……鐘は鳴らさない」
「りょーかい!」
ルフィは元気よく敬礼した。
⸻
夕刻の屋上は柔らかい風。
塔の内壁に沿って、光の筋がいくつも斜めに走り、学園区の街並みは遠い夕焼け色に染まる。
よっしーが簡易鍋をたき、皆は円になって腰を下ろした。
あーさんが《明照》の鈴冠を胸に伏せ、鳴らさず視線で合図する。
ユウキは半拍を先に握る。
ルフィは縁に座って足をぶらぶらさせ、ブラックとリンクは風に乗って輪を描く。
ガガは首飾りを掌で包み、目を細めた。
「明日、最奥縁やな」よっしーが言う。「扉の開閉はミカちー。音の制御はうち。盾は逃げ道を残して展開。剣は律波。猫は半拍先行。鈴は鳴らさず整える。……ユウキは?」
「最後の蓋。必要なときに、だけ。俺は、呼ばない。呼ばずに聴く」
「うむ、頼もしい」クリフが笑む。「そして何より、“少しずつ”よくなっている」
「主人、今日は眠れるですニャ」
「うん。たぶん」
鍋がことことと鳴る。その音さえ、今日はやさしい。
ミカの声が、風に紛れて届いた。
「外周・水層、乱れ“わずか”。明朝までに五%収束予定。……もし収束しなければ、外部協力者の接近があるでしょう」
「オルタ?」
「ええ。ノリエガからの伝令を携えて。何かを──“渡しに”」
ユウキは目を細めた。「受け取るよ。その“何か”」
「お願いします。……私は塔を整えます。皆さんは、拍を」
風が二鈴を撫でる。鳴らない。
だけど、拍は揃っていた。
クリフは空を見た。「うむ、良い夜になる」
ガガは両手で輪を作って掲げた。「ガガ、ミンナ、スキ!」
ブラックが「カー」、リンクが「キュイ」と応え、塔の内壁に反射して細いこだまが返る。
鐘は鳴らさない。
でも、世界は確かに息をしている。
ツ、ツッ──。
明日の扉は、その呼吸で開く。




