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-地底探検の章- 第六層「根の座(終)」


 光がしずかに沈んだ。

 黒い根は塵となり、洞の空気は洗い立ての布のように軽い。耳の奥を圧していた低い唸りは消え、代わりに、一定の拍で滴る水音が聴こえはじめる。


「……終わったのか」

 ユウキが剣をおろし、荒い息を整えた。指輪の熱はようやく退き、皮膚に刻まれた淡い光紋も、冬の息のように薄れていく。


「うむ。沈黙が戻った。良い沈黙だ」

 クリフが周囲を見渡し、矢筒を軽く叩いた。


主人あるじ、よく持ちこたえたですニャ」

 ニーヤが肩口へ跳び乗り、尻尾でぽふんと背中を叩く。

 「イシュタムの拍、ちゃんと撓めに使えてたですニャ」


「助かったのは、皆が合わせてくれたからだよ。……ありがとう」

 ユウキが笑うと、ブラックが低く「……カァ」と鳴いた。リンクは「キュイ」と短く鳴き、よっしーはその場にどさりと腰を落とす。


「はぁ〜……長丁場やったな。肩、鉄板みたいや。帰ったらまず風呂な。異論は認めん」

「ふふっ」あーさんが二鈴を胸の高さで合わせる。「では、皆さまの疲れを少しだけ。――はい、深呼吸を」


 すずやかに響く音が、洞の隅々へ染みわたる。音は鐘にならず、ただ拍だけを残し、筋肉にからまる疲労をほどいた。イルマとセドリックも肩の力を抜き、魔法陣を静かに畳んでいく。


「……待って」

 ノクティアが声をひそめた。

 崩落の奥、暗がりの向こうに、青白い光が脈を打っている。「泉、ですわ」


 歩み寄ると、それは根の座の中央に口を開けた小さな泉で、天井から溶け出す石乳が一滴、また一滴と落ちては波紋を描いていた。泉の底には、薄い金色の紋が見える。十六枚の花弁のように並ぶ、その中心に、蝶番を象った小さな刻印。


「……美しい」

 あーさんが思わずひざを折り、掌をかざした。「これは“鎮めの泉”。鐘を鳴らさず、拍を整えるためのものです」


「つまり、ここが“最後の蝶番”やったわけか」

 よっしーが泉の縁に腰をかけ、湧き面を覗き込む。

「底になんか文字、見えへん? 読めるか、ノクティ」


 ノクティアは槍を地へ立て、泉の手前に膝をつくと、ゆっくりと祈りの指をほどいた。

「旧夜教会の古語……いえ、これはそれより古い。塔より流れ、塔へ返す拍。『鳴らさず、渡し、撓めよ』」


「渡す?」ユウキが眉を寄せる。「誰に、何を」


「拍ですわ。地底に滞っていた“負い目”や“悔い”の拍を、ここで洗い、塔の“幹”へ戻す。……鐘にくべるのではなく、拍を拍として、静かに返す」


 イルマが泉面に符を投じ、淡い紫の光をそっと浸してみせた。

「反応は穏やか。危険はありません。むしろ、癒やしの作用が強いわ」


「ならば、みな少し手を」

 ノクティアに倣って、全員が泉の上に掌を差し出した。水滴の涼が指先を洗い、目に見えない重さがゆっくりと解けていく。

 ユウキの胸で、指輪がちり、と鳴った。アンリの笑い声が、遠いところで重なるような気がした。


 泉の底の金紋が、ふわりと回転する。金色はやがて細い線を引いて泉の縁をなぞり、奥の壁面へと移っていった。

 まるで、誰かが石の内側に隠していた機械仕掛けを起こしたように、壁の陰影が組み替わる。


「見て」イルマが指差す。「碑文が、上がってくる」


 濡れた石板が、泉の奥から静かにせり上がった。掌を二つ並べたほどの大きさで、片面に塔のような模様、もう片面には線の星座と、馴染みの文言。


「『蝶番の者よ、鐘に頼るな。拍は道、道は座標。塔は枝を持ち、枝は門を持つ』……ですって」

 セドリックが読み上げ、眼鏡を押し上げる。「そして下段に、“地底と地上を結ぶ座標の印”」


 刻まれた印は、王都の地図に重ねれば大聖堂北翼――静謐の回廊を指す形に見えた。別の枝印は、さらに遠い北の塔を示す。三つ目の印は、薄く欠けている。


「王都の回廊……」

 ユウキは、先日感じた“甘い匂い”を思い出す。「あそこが、次の蝶番ってことか」


「はい。ここで洗った拍は、王都の回廊へ向かうはず。……向こうを撓めずにおけば、また溜まり、歪むでしょう」

 ノクティアの声音には、迷いがなかった。


「でも、欠けている印が一つあるですニャ」

 ニーヤが石板を覗きこんで小首をかしげる。「どこに繋がっていたですかニャ」


「……恐らく、塔の“上”。天空へ出る古い枝だ」

 クリフが指で線をなぞる。「水竜王の古い記録にもある。“天の腕輪”の座標系。いずれ渡るが、今ではない」


「順番やな」

 よっしーが立ち上がって背を伸ばす。「ひとまず王都に報告や。それと――」


「風呂、ですね」あーさんが微笑む。「はい、存じ上げております」


「おお、わかってるやん、あーさん。さすがやわ」


 泉の奥、石の割れ目から、ほんのかすかな甘香が滲んでいる。


 ノクティアが槍で割れ目の周囲を軽く突き、土を崩す。ぽとりと丸いものが転がった。

 小指の先ほどの白い実。薄い膜に覆われ、中心に金の筋が走っている。


「“鎮果”ですわ。怒りや悔いを食べて育つ果。……古い伝承に、旅人はひとかけ齧って拍を整えたとあります」

 ノクティアは一つを手にとり、皆へ回した。「齧りすぎると眠くなりますから、ほんのひとかけだけ」


「こうか?」

 ユウキが歯で軽く実を割ると、舌に苦みと、遅れて微かな甘さが広がった。胸の中のざわつきが、ひゅう、と引いていく。


「ほぉ、これは……いけるやん」

 よっしーも齧って目を丸くする。「苦いけど後から幸せ来るタイプや」


主人あるじ、ニーヤは匂いだけで満足ですニャ。眠くなったら見張りがおるませんし」

 ニーヤは鼻先だけ近づけて「ふんす」と満ち足りた顔をした。ブラックは横目で実を見て、首をかしげ、「……カァ」と興味なさげだ。リンクは「キュイ」と鳴いて、ユウキのポケットへ器用に一つ滑り込ませる。


「では、碑文と鎮果、泉の座標を写し取りましょう」

 イルマが紙片を取り出すと、セドリックがうなずいて手早く写本用の魔術を展開する。あーさんは二鈴と筆で丁寧に写し、ノクティアは最後に泉へ一礼した。


「ありがとう。――王は、もう眠っています。あなたも、どうか静かであって」


 彼女が立ち上がると、泉の金紋がわずかに明滅した。返礼のような、拍の合図。

 同時に、天井の根の隙間へ沿って、淡い線が走る。辿ると、来た時は見えなかった通路が光に縁取られ、上方へと伸びていた。


「帰りの“刻路”を開いたのですね」

 あーさんの声に、皆が顔を見合わせる。「では、参りましょうか」


「ちょい待て。最後の確認や」

 よっしーが工具袋を持ち直し、落ちている破片をいくつか拾って袋に収めた。「後でミカんとこで解析や。なんか使えるかもしれん」


「では、出発の前に」

 ユウキは振り返り、暗い根の座に向けて小さく頭を下げた。「ありがとう。……叩かずに済んで、よかった」


 返事の代わりに、ひとつ、やわらかな風が吹いた。

 灯りもないのに、皆の影が一瞬だけ薄く、軽くなる。誰かが荷を取ってくれたような、そんな感覚。


     ◇


 帰りの通路は、来た時よりも短かった。

 折れた柱の間を抜け、崩れた拝廊を横切る。ひとつ上の層へ出る頃には、光は細く糸のようになり、やがて地上の気配が鼻腔をくすぐった。


「おかえりなさいませ」

 最初に彼らを出迎えたのは、石段の踊り場で待っていた聖堂騎士二名と、レオニドだった。

 レオニドは手短に礼を述べ、ユウキの手に布包みを渡す。中には王都の通行証と、鐘守会の仮認証札。


「お前たちのやり方は、こちらの固定観念をいくつか砕いた。鳴らさずに済む鐘が、あるのだな」

「ええ」ユウキは頷く。「叩けば鳴る。でも、鳴らさずに撓められるなら、そのほうがいい」


「その言葉を、覚えておこう」

 レオニドが微笑み、彼らの背へと視線をやった。「――休め。報告は明日でよい」


 地上の風は、夜の匂いを含んでいた。

 学園の石門をくぐると、灯が等間隔に並ぶ遊歩道が出迎える。遠くでラストオーダーの鐘ではない、柔らかな揺り鈴の合図。食堂の明かりはまだ温かい。


「まずは風呂やろ」

 よっしーが満面の笑みを浮かべる。

主人あるじ、その前に鎮果を保管庫に……」

「ニーヤ、あとで。今は俺も、正直、風呂が一番の“拍”だ」

 ユウキが笑うと、ニーヤは「しょうがないですニャ」と尻尾を揺らした。

「わたくしも、湯で祈りを清めたいですわ」

 ノクティアがそっと手を合わせる。


「アーッ! ガガ、オフロ、ダイスキ!」

 いつの間に追いついたのか、ガガが駆けてきて両手をぶんぶん振った。「アッツイノ、スキ!」


「ほどほどにね」あーさんが微笑む。「熱湯は拍を乱しますから」


「リンク、キュイ」

 リンクが先導するように走り、ブラックが後ろから羽で皆の背を押した。


     ◇


 湯気の向こうで、拍はほどけ、言葉がほどほどに流れた。

 大皿の端に置かれた鎮果は、今夜は封をしたまま。飲み物は薄く、笑い声は深い。誰も声を荒げず、誰も沈黙を恐れない。

 湯から上がった廊下で、ユウキは指輪を見下ろした。光はほとんど消え、代わりに指先の鼓動が柔らかい。


(叩かなくても、道は作れる。俺たちはそれを、身につけてきた)


 ふいに、胸の奥で、かすかな合図がした。

 ――ピ、と一音。

 見れば、指輪に細い線が加わっている。塔の枝を示す、座標の“点”。王都大聖堂北翼――静謐の回廊。


「……次だな」

 ユウキは誰にも聞こえない声で言い、皆が待つ食堂へ戻った。


     ◇


 明朝。

 学園の中庭に、簡素な荷が積まれる。聖堂騎士への提出用の写本、鎮果の小瓶、碑文の拓本。

 よっしーは肩を回し、クリフは弓弦の手入れを終える。イルマとセドリックは魔術の基礎式を交互に唱え、あーさんは二鈴の紐を結び直した。ノクティアは槍の石突を軽く叩き、ニーヤはユウキの肩で丸くなる。ガガは跳ね回り、ブラックは門の上で朝日を眺め、リンクは足元で「キュイ」と鳴く。


「行こう」

 ユウキが一歩、前へ出る。「鐘は鳴らさない。蝶番を外しに――王都の“静謐”へ」


 拍が合った。

 朝の光が落ち、影が伸びる。その影は軽く、道はまっすぐに見えた。


 こうして、地底探検の章は幕を閉じ、次の扉が静かに回りはじめた。


――了――


(この回は、学園帰還と“鎮めの泉/碑文/座標”の回収、そして王都「静謐の回廊」への導線を一本につなげました。以降は王都召喚篇に自然接続できます。)


挿絵(By みてみん)


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