通過点の街で、帰る味
前書き
旅の途中では、
いつもと同じものが、ふと恋しくなる。
それは腹を満たすためではなく、
心を、元の位置に戻すための――
静かな合図なのかもしれない。
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本文
ステルネ・ツィフを発って二日。
石造りと木造が入り混じる街道都市――カレルヴァ宿場町は、夕暮れの気配に包まれていた。
巡礼と商隊が行き交うこの町は、聖都の影をまだ残しながらも、どこか緩い。
人々はここで足を止め、急ぐ心と胃袋を休める。
カレルヴァは、そういう通過点の街だった。
一行は宿に荷を下ろすと、まずは軽い食事をとる。
黒パン、温いスープ、干し肉と果実。
「悪くないな」
クリフがそう言って頷く。
「腹は満ちますニャ」
ニーヤも尻尾を揺らした。
だが、食後。
あーさんは、空になった椀をしばらく見つめたまま、言葉を探しているようだった。
やがて、静かに顔を上げる。
「……差し支えなければその…」
一同の視線が集まる。
「旅先での暮らしが続きますと……
ふと、日本の食事が……恋しゅうございまして」
「あーーそれな!」
「ホンマやな、日本食くいたい思うやんなー!
……めっさわかるわ!!!」
その声は、丁寧で、控えめで。
けれど、確かに“切実”だった。
「異世界の料理?」
クリフが首を傾げる。
「……いつもよっしーが出してくれてるものとは、違うのか?」
よっしーは一瞬だけ間を置き、にやっと笑った。
「アレはな、レトルトや!」
「……レトルト?」
「保存食。便利やけどな」
肩をすくめる。
「これから作るんは、家庭料理やで」
「酒もさ……あったら、頼むわ」
ユウキが気の抜けた声で言う。
「魚類も欲しいですニャ」
ニーヤも続いた。
「アホ!」
よっしーが即座に突っ込む。
「ワイはドラえもんとちゃうど笑」
一瞬、沈黙。
クリフが眉を寄せる。
「むむ……ディ……ディライもん?
それは、どこかの精霊か?」
「違う違う」
ユウキだけが即座に首を振る。
「それ、たぶん“道具いっぱい持ってる系の存在”だな」
「ふむ……ならば補給役といったところかな、まるで野で薬草を持ち歩く旅の商人だな」
クリフは真面目に頷く。
「違いますニャ」
ニーヤが首を振った。
「あっしにはドラゥエムンって聞こえましたニャ。
たぶん、海に棲む幻獣ですニャ?」
「なんで海限定やねん」
厨房に、小さな笑いが落ちる。
「……ま、材料くらいは出るけどな」
よっしーは腰の辺りを軽く叩いた。
ぱっ、と。
米、魚、野菜、味噌。
調理道具一式。
宿の主人と女将が、思わず目を見開く。
「こ、これほどの物を……?」
「厨房、ちょい借りるで」
⸻
厨房に入ると、空気が変わった。
「あーさん、煮物いけます?」
「はい。出汁は……こちらでよろしいでしょうか」
二人の動きは、言葉少なに噛み合っていく。
「ユウキ!」
よっしーが声を飛ばす。
「酒ばっか飲んどらんと、こっち手伝えや」
「はいはい……わかってるって」
「ユウキさん、お願いします」
あーさんの一言で、ユウキは素直に袖をまくった。
「クリフ、魚おさえて」
「了解だ」
「ニーヤは味見……いや、つまみ食い禁止な」
「理不尽ですニャ」
火は強くしない。
音も立てない。
やがて、膳が整う。
焼き魚。
煮物。
漬物。
白いご飯。
味噌汁。
「……やっぱ、コレやな」
よっしーが呟く。
箸が伸びる。
「……あー、だめだ」
ユウキが息を吐いた。
「これ……ずるいわ」
次の瞬間、ぽろりと涙が落ちる。
「……なんでだろ。
なんか……急に来るな、これ」
あーさんもまた、箸を置き、静かに目元を押さえた。
「……失礼いたしました」
「泣くとこちゃうやろ」
よっしーは鼻で笑う。
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食後、よっしーは立ち上がった。
「ほな……」
「い、いえ! もう十分で――」
宿の主人が慌てる。
「ちゃうちゃう」
よっしーは笑った。
「まだ残っとるやろ」
「店の人らと、子どもらも呼んでき」
ほどなくして、厨房の隅に宿の者と子どもが集まる。
「え、いいのかい?」
「旅の人の食事だろ?」
「ええねん」
よっしーは軽く言った。
「旅の途中やからな。分ける方が、うまい」
小さな茶碗が配られ、恐る恐る箸が伸びる。
「なんだ、初めてみる食べ物だ!?」
「まぁなんて不思議な味、…あったかい」
その一言に、よっしーは満足そうに頷いた。
「派手なもんはないけどな。
今日は、これでええ」
その夜、カレルヴァ宿場町で
いちばん満たされていた場所は――
白鹿亭の小さな厨房だった。
鐘は、鳴らない。
代わりに、湯気と笑顔だけが、そこにあった。
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後書き
イシュタムを越えたあとの通過点、カレルヴァ宿場町。
このエピソードは、戦いではなく「戻る」ための一話です。
家庭料理は特別なものではありません。
けれど、分け合うことで、旅はまた前へ進める。
鐘は鳴らないまま。
それでも、この夜は確かに、満たされていました。




