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黄昏に鳴らぬ鐘、イシュタムの魂を宿すさえない俺  作者: 和泉發仙


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モンテーヌの夜明け

 モンテーヌの夜明け


前書き


夜が明けたからといって、


すべてが元通りになるわけではありません。


失ったものは戻らない。


壊れたものは、すぐには直らない。


傷付いた人の心も、


一晩で癒えることはありません。


それでも。


朝は来ます。


昨日までとは違う朝が。


そして人は、


その朝の中で、


もう一度生きる場所を作り始めるのです。



《主人公・相良ユウキ視点》


夜が明けた。


東の空から差し込んだ朝日は、森に残る煙を白く照らしていた。


昨夜まで、あれほど暗く見えた砦。


その柵は焦げ、北門は半ば崩れ、見張り台の一つは屋根を失っている。


地面には折れた矢。


砕けた盾。


捨てられた剣。


踏み荒らされた土には、いくつもの足跡と血の跡が残っていた。


勝った。


そう言っていいのだと思う。


バルトンは捕らえられた。


ヴァルターも拘束された。


人質は救出され、砦も落ちなかった。


けれど。


朝の光の中で戦場を見れば、勝利という言葉があまりに軽く感じられた。


泣いている者がいる。


倒れた仲間のそばから離れられない者がいる。


怪我を負った腕を押さえ、痛みに耐えている者がいる。


助かった者が。


助からなかった者の手を握っていた。


戦いが終われば、すべて解決する。


そんなものではなかった。


むしろ。


戦いの後から始まるものの方が、多いのかもしれない。



砦の中央広場には、長い布が何枚も敷かれていた。


負傷者が並び、ロベルトとエレナがその間を忙しく行き来している。


あーさんも袖を捲り、傷口を洗っていた。


「こちらの方、まだ意識があります!」


「湯を!」


「はい!」


ライラが桶を抱えて走る。


昨夜まで怯えていた少女は。


今は必死に、父と母を手伝っていた。


手は震えている。


顔も青い。


それでも、倒れている者から目を逸らさなかった。


「ライラ」


ロベルトが声を掛ける。


「無理をしなくていい」


「できる」


ライラは短く答えた。


「私も、できるから」


その言葉に。


ロベルトは何も言えなくなった。


娘の頭を一度だけ撫でると、すぐに次の負傷者のもとへ向かった。


戦うというのは。


剣を持つことだけではない。


昨夜。


砦を守った者は、門の前に立った者だけではなかった。


怪我人へ布を巻いた者。


子どもを抱いた者。


水を運んだ者。


恐怖に震えながら、それでも逃げなかった者。


その全員が。


この場所を守ったのだと思う。



「ユウキ」


声を掛けられ、振り返る。


クリフさんが立っていた。


右腕には厚く包帯が巻かれている。


「動かして大丈夫なんですか」


「大丈夫だ」


「矢が刺さってましたよね」


「抜いた」


「だから大丈夫になるわけじゃないでしょう」


「弓を引く腕じゃない」


「そこじゃないです」


クリフさんは俺の言葉を聞き流すように、砦の外へ視線を向けた。


森の入口。


監察隊の兵士たちが、捕虜をまとめている。


武器を捨てた衛兵。


灰色の傭兵団。


そして。


バルトンとヴァルター。


「何か気になりますか」


「逃げた奴がいる」


「誰です?」


「灰色の外套が三人」


クリフさんは昨夜の戦場を思い出すように、目を細めた。


「人数が合わない」


「追いますか」


「今は無理だ」


即答だった。


「追えば砦の守りが薄くなる」


「それに」


森の奥へ視線を移す。


「逃げたということは、帰る場所がある」


「上に報告する相手がいるということですね」


「ああ」


昨夜見つかった命令書。


王国西部開発院。


モンテーヌの住民を追い出し、町そのものを消そうとしていた計画。


バルトンも。


ヴァルターも。


その計画に乗った者でしかなかった。


本当の命令者は、まだ王都にいる。


けれど。


今すぐ追うことはできない。


この砦には。


戦いの後を生きなければならない人たちがいた。


「まずは、ここだな」


クリフさんが言う。


「はい」


俺も頷いた。



昼前。


砦の中央広場に、黒狼団の者たちと町の住人が集められた。


昨夜、人質として連れて来られた者たち。


セレナとともに来た監察隊。


武器を捨てたモンテーヌの衛兵。


全員が同じ場所にいた。


少し前まで敵同士だった者が、同じ広場に立っている。


当然。


空気は重かった。


衛兵を睨む黒狼団の者。


黒狼団を恐れる町の住人。


居場所を失ったように俯く衛兵。


誰もが。


何を信じていいのか分からない顔をしていた。


広場の前。


壊れた木箱を台の代わりにして、セレナが立っている。


灰銀色の髪は、昨夜の戦いで乱れたままだった。


上着の袖には血が付いている。


それでも。


立ち姿は崩れていなかった。


その隣にはガレス。


肩と脇腹に包帯を巻き、斧は持っていない。


ルガー。


カシオン。


アーサーも並んでいる。


「これより」


セレナが口を開く。


広場のざわめきが止まる。


「昨夜発生したモンテーヌ近郊における武力衝突、および徴税官バルトンの不正について、現時点で確認できている事実を公表します」


堅い言葉だった。


役人らしい言葉。


けれど。


こういう時こそ。


曖昧にしてはいけないのだと思う。


セレナは一枚の書類を開いた。


「徴税官バルトンは、正規の税率を超える徴税を複数年にわたり実施」


「その一部を私物化し、残りを非正規の武装集団へ支払っていました」


ざわめき。


町の住人たちの間から、怒りの声が上がる。


セレナは続ける。


「また、薬草、穀物、塩、鉄製品などの価格を人為的に操作し、特定の商人のみが利益を得られる仕組みを構築」


「支払い不能に陥った住民の財産を没収し、土地を開発用地として処分しようとしていました」


ロベルトが俯く。


ライラの肩を抱くエレナの手に力が入る。


店を失った理由。


借金を背負わされた理由。


娘を売れと言われた理由。


すべてが。


偶然ではなかった。


誰かが最初から。


暮らしを続けられないように作っていた。


「さらに」


セレナの声が低くなる。


「黒狼団を装った傭兵に、商隊や住民を襲撃させていた事実も確認されています」


今度は。


黒狼団の者たちが息を呑んだ。


知っていた。


自分たちではないと。


けれど。


公の場で。


国の監察官が言葉にした意味は大きい。


「黒狼団によるとされていた襲撃事件の多くは、偽装です」


「少なくとも」


セレナはガレスたちへ視線を向ける。


「今回確認された事件について、黒狼団の関与を示す証拠はありません」


完全に。


罪が消えたわけではない。


黒狼団も過去に、街道から物資を奪ったことはある。


商隊を止め。


武器を取り上げ。


富裕商人から食料を奪った。


法を破った。


それは事実だった。


だから。


セレナも、すべて無罪だとは言わなかった。


「ただし」


やはり続きがある。


「黒狼団が過去に行った略奪、脅迫、非合法な武装行為については、別途調査します」


広場の空気が強張る。


ルガーの目が鋭くなる。


アーサーが腕を組む。


黒狼団の中からも、不満の声が漏れた。


「結局、俺たちを捕まえるのか」


「国の言うことなんか同じだ」


「昨夜一緒に戦ったのに」


セレナは逃げなかった。


不満の声を正面から受け止める。


「私は」


静かに言う。


「黒狼団が何もしていないとは申しません」


「皆さんも、ご自身で分かっているはずです」


誰も答えなかった。


「法を破った事実は消えません」


「ですが」


セレナは書類を閉じた。


「なぜ法を破るしかなかったのか」


「誰がその状況を作ったのか」


「そこを無視して、皆さんだけを処罰するつもりもありません」


ルガーが眉を寄せる。


「では、どうする」


「決定権は私にはありません」


「逃げるのか」


「違います」


セレナは即座に答えた。


「私には、事実を集め、王都へ持ち帰り、正式な審議を要求する権限しかありません」


「処罰も」


「恩赦も」


「ここで私一人が約束できることではありません」


「なら何も変わらない」


ルガーが吐き捨てる。


「王都へ持ち帰る」


「審議する」


「待て」


「俺たちは何度、その言葉に騙されたと思う」


セレナは黙る。


ルガーの怒りは。


彼女一人へ向けたものではない。


国に。


役人に。


書類に。


待てと言われ続けた時間に。


向けられていた。


「俺の村が潰れた時も」


ルガーの声が震える。


「調査すると言われた」


「戦争が終わった時も」


「補償を待てと言われた」


「何年待てばいい」


「何人死ねば動く」


「教えてくれ」


誰も答えられなかった。


セレナも。


すぐには。


何も言えなかった。


やがて。


彼女は腰から短剣を抜いた。


監察隊が一瞬動く。


だが。


セレナは刃を自分へ向けるのではなく。


胸の紋章を留めていた革紐を切った。


銀色の秤と剣。


王国監査局の紋章。


それを掌へ乗せる。


「私には」


セレナは言った。


「皆さんが失った時間を返すことはできません」


「死んだ方を生き返らせることも」


「今まで国がついた嘘を、なかったことにもできません」


ルガーは黙っている。


「それでも」


セレナは紋章を見つめた。


「私はこの紋章を付けています」


「これを付けた者が何もできないと言うなら」


「最初から付けるべきではない」


そして。


紋章を再び胸元へ戻した。


「必ず王都へ持ち帰ります」


「記録を消させません」


「審議が開かれなければ、私の名で公表します」


監察隊の者たちがざわついた。


それは。


軽く言えることではない。


役人が。


組織を敵に回すということだ。


セレナはルガーを見る。


「信じなくて構いません」


「ただ」


「見ていてください」


ルガーは。


しばらく何も言わなかった。


握っていた槍の柄が、僅かに軋む。


「……前にも聞いた」


「はい」


「それでも言うのか」


「何度でも」


セレナの答えに。


ルガーは目を閉じた。


「なら」


短く息を吐く。


「見ている」


それは。


信用ではない。


許しでもない。


けれど。


完全に背を向けることでもなかった。


今は。


それで十分なのだと思う。



次に。


セレナの部下が、バルトンを前へ連れてきた。


両手を鎖で繋がれ、豪華だった服は泥だらけ。


髪は乱れ。


顔は青ざめている。


昨日まで。


町の実質的な支配者だった男。


誰も逆らえなかった男。


税を上げ。


店を潰し。


人を追い出し。


家族を引き裂いた男。


その姿は。


思っていたより。


小さかった。


町の住人たちから、怒号が飛ぶ。


「金を返せ!」


「夫を返せ!」


「店を返せ!」


「息子はどこだ!」


石が飛んだ。


バルトンの肩へ当たる。


続けてもう一つ。


監察隊が止めようとする。


「下がってください!」


「投石をやめてください!」


けれど。


怒りは止まらなかった。


長い間。


言えなかった言葉が。


一気に溢れ出している。


バルトンは怯えた目で周囲を見回し。


突然。


叫んだ。


「私だけではない!」


広場が静まる。


「私だけがやったのではない!」


「命令されたのだ!」


「西部開発院から!」


「町を空けろと!」


「土地を安く確保しろと!」


「私は従っただけだ!」


その言葉に。


俺は。


昨夜のセレナを思い出した。


これはバルトン様の言葉です。


私の言葉ではありません。


命令に従っただけ。


同じだった。


自分は決めていない。


上が言った。


仕方なかった。


だから。


自分の罪ではない。


「娘を売れと言ったのも」


ロベルトが前へ出た。


声は静かだった。


けれど。


身体全体が震えていた。


「命令されたのか」


バルトンは目を逸らす。


「私は」


「店を潰したのも」


「借金を作らせたのも」


「妻を泣かせたのも」


「娘を森へ一人で向かわせたのも」


一歩。


また一歩。


ロベルトが近づく。


監察隊は止めなかった。


「全部」


ロベルトはバルトンの前へ立った。


「誰かに言われたからか」


バルトンは答えない。


「答えろ!」


初めて。


ロベルトが叫んだ。


広場へ。


声が響いた。


ライラが驚いた顔で父を見る。


「違う……」


バルトンが小さく呟く。


「私は」


「金が必要だった」


「立場を守るために」


「上へ納める金も」


「自分の取り分も」


「必要だった」


ロベルトの拳が握られる。


殴る。


そう思った。


けれど。


彼は。


拳を振り上げなかった。


長い間。


バルトンを見つめ。


やがて。


力を抜いた。


「裁いてください」


セレナへ言う。


「私が殴れば」


「この男と同じ場所へ落ちそうです」


バルトンの顔が歪む。


殴られるより。


その言葉の方が。


きつかったのかもしれない。


セレナは頷く。


「必ず」


監察隊がバルトンを連れていく。


町の人々の怒りは消えていない。


それでも。


石を投げる者は。


もういなかった。



ヴァルターは。


少し離れた場所へ座らされていた。


両手を後ろで拘束され。


胸元には。


ガレスの斧の柄を受けた跡が残っている。


ガレスがその前へ立つ。


二人は。


しばらく何も言わなかった。


元上官と部下。


同じ戦場を生き。


終戦後。


全く違う道を選んだ二人。


「殺さなかったことを後悔するぞ」


ヴァルターが先に言った。


「そうかもな」


ガレスは答える。


「王都へ着く前に逃げるかもしれん」


「逃がさん」


セレナが離れた場所から言う。


ヴァルターは笑う。


「お前たちは何も分かっていない」


「西部開発院だけじゃない」


「もっと上がいる」


「王都の貴族」


「軍」


「商人組合」


「皆が欲しがっている」


「この土地を」


カシオンが眉を寄せる。


「何がある」


ヴァルターは。


楽しそうに笑った。


「知らないのか」


「だから貴様らは」


言葉の途中。


ガレスが。


ヴァルターの顔へ拳を叩き込んだ。


鈍い音。


ヴァルターが地面へ倒れる。


「頭領?」


アーサーが驚く。


ガレスは拳を振り。


痛そうに顔をしかめた。


「すっきりした」


「殺さないんじゃなかったんですか」


俺が言うと。


「殴らないとは言ってない」


「それはそうですけど」


ヴァルターは地面へ倒れたまま。


血の混じった唾を吐いた。


「……甘い男だ」


「お前ほど賢くなくてな」


ガレスは背を向ける。


「けど」


一度だけ立ち止まった。


「俺には」


「帰る場所ができた」


ヴァルターの表情が止まる。


「お前にはない」


それだけ言って。


ガレスは歩き出した。


ヴァルターは。


何も返さなかった。



午後になると。


戦いの後片付けが始まった。


動ける者は、敵味方を問わず働かされた。


倒れた柵を起こす。


壊れた門を外す。


火が燻っている場所へ水を掛ける。


武器を集める。


埋葬の準備をする。


重い作業だった。


けれど。


手を動かしている方が。


何もせず悲しみの中にいるより。


少しだけ楽なのかもしれない。


アーサーが折れた門の梁を一人で持ち上げている。


「それ一人で運ぶんですか」


俺が聞く。


「軽いぞ」


「絶対軽くないです」


「持つか?」


「遠慮します」


よっしーが横から梁を見上げる。


「ワイとユウキで片方持ったらいけるんちゃう」


「やめましょう」


「なんでや」


「腰をやります」


「異世界でも腰は怖いな」


「地球でも異世界でも腰は腰です」


俺たちが話している間に。


アーサーは梁を担いで歩いていった。


「人間なんですか、あの人」


「さあなぁ」



北門の近く。


ルガーが一人で杭を打ち直していた。


槍ではなく。


大きな木槌を持っている。


クリフさんが隣で、杭の角度を見ていた。


「右だ」


「分かっている」


「曲がってる」


「曲がっていない」


「曲がってる」


「お前の立っている場所が悪い」


「地面は動かない」


「口の減らない男だな」


また。


この二人はやっている。


俺が近づくと。


ルガーが一度だけこちらを見る。


「何だ」


「手伝おうかと」


「いらん」


「でも」


「なら水を持ってこい」


「分かりました」


素直じゃない。


けれど。


以前のような。


追い返す冷たさはなかった。


俺が水桶を取りに行こうとした時。


ルガーが呼び止める。


「ユウキ」


「はい」


「昨日のことだ」


少しだけ。


言いづらそうに。


目を逸らす。


「人質を助けたこと」


「感謝する」


「いえ」


「ネッドの妹も」


「はい」


「……あいつは」


木槌の柄を握り直す。


「しばらく見張りには戻さん」


「当然ですね」


「雑用からだ」


「はい」


「逃げることも許さん」


「そうですね」


「償いが終わるまで」


「長くなりそうですね」


「死ぬよりは長い方がいい」


その言葉に。


俺は少し笑った。


ルガーも。


ガレスの判断を。


完全に納得していないわけではないらしい。



ネッドは。


砦の端で。


妹のミーナと一緒に、壊れた矢を集めていた。


二人はあまり話さない。


けれど。


何度も顔を見合わせている。


離れていた時間を。


少しずつ埋めているようだった。


ミーナは十六歳。


細い身体。


茶色い髪。


仕立屋で働いていたというだけあって。


破れた服の袖を、その場で縫い直している。


「兄さん」


「何だ」


「これ」


小さな布袋を差し出す。


ネッドが開く。


中には。


古い木製の笛が入っていた。


「まだ持ってたのか」


「兄さんがくれたから」


「子どもの頃だぞ」


「だから」


ミーナは少し笑う。


「捨てなかった」


ネッドの目が赤くなる。


泣きそうになるのを誤魔化すように。


笛を握り締めた。


「ごめん」


「何が」


「俺のせいで」


「兄さんのせいじゃない」


「でも」


「兄さんは来た」


ミーナは言った。


「助けに来た」


「怖かったでしょ」


ネッドは答えられない。


「私も怖かった」


「でも」


「兄さんが来ると思ってた」


ネッドは。


俯いたまま。


何度も頷いた。


その背後。


少し離れた場所で。


ガレスが二人を見ていた。


声は掛けない。


ただ。


二人が一緒にいることを確認すると。


静かに歩き去った。



夕方。


セレナは王都へ戻る準備を始めた。


バルトン。


ヴァルター。


灰色の傭兵団の幹部。


押収した帳簿と命令書。


すべてを監察隊が運ぶ。


「今すぐ発つんですか」


俺が尋ねる。


「証拠を早く王都へ届ける必要があります」


「途中で襲われる可能性は」


「あります」


平然と答える。


「分かっているなら、人数を増やした方が」


「この地域の監察隊は、これでほぼ全員です」


「十数人しかいないんですか」


「普段は、武力衝突を想定していませんので」


「昨日、かなり戦ってましたけど」


「想定外でした」


表情一つ変えない。


この人も。


かなり無茶をする。


「レオン」


セレナが呼ぶ。


情報屋は馬車の荷台に腰掛けていた。


「なんだい」


「王都まで同行してください」


「嫌だね」


即答。


「報酬は出します」


「いくら?」


「仕事の難易度を確認してから」


「役人らしいな」


口では嫌がっているが。


レオンは。


すでに荷物をまとめていた。


「行くんですか」


俺が聞く。


「王都で面白い情報が手に入りそうだからな」


「セレナさんを守るためじゃなくて?」


「俺が?」


レオンは大袈裟に笑う。


「まさか」


セレナは無視して書類を確認している。


けれど。


口元が。


ほんの少しだけ緩んだように見えた。


「ユウキ」


レオンが手招きする。


近づくと。


小さな金属片を渡された。


狐の形をした。


薄い銀色の札。


「何ですか、これ」


「俺の印」


「困ったことがあったら、情報屋の店で見せろ」


「店があるんですか」


「ある場所にはある」


「どこです」


「それを教えたら情報屋じゃないだろ」


「意味ないじゃないですか」


レオンは笑う。


「また会うさ」


「この事件」


王都へ向かう馬車を見る。


「これで終わりじゃない」


「分かっています」


「なら」


狐の札を指で弾く。


「持っとけ」


俺は札を握る。


「ありがとうございます」


「礼は金で頼む」


「返します」


「そこは冗談でも、ただでいいと言えよ」


「情報屋でしょう」


「成長したな」


レオンが肩を叩く。


短い付き合いだった。


怪しい。


軽い。


何を考えているか分からない。


でも。


敵ではなかった。


少なくとも。


今は。



セレナは出発前。


ガレスのもとへ向かった。


「黒狼団について」


二人は。


壊れた門の前で向き合った。


「王都へ、特別措置を申請します」


「特別措置?」


「武装解除を条件に、過去の罪について減刑または恩赦を与え」


「モンテーヌ周辺の復旧作業へ参加する案です」


ルガーが近くで聞いていた。


「武器を捨てろと」


「すべてではありません」


「何が違う」


「山賊として持つ武器と」


セレナは砦を見渡す。


「町を守るために持つ武器は違います」


ガレスが目を細める。


「俺たちに衛兵をやれと言うのか」


「衛兵隊は再編が必要です」


「バルトンの私兵となっていた者を、そのまま残すことはできません」


「黒狼団には、森と街道を知る者が多い」


「復旧期間中」


「周辺警備隊として雇用できるよう提案します」


アーサーが驚いた声を出す。


「給料が出るのか」


「正式に採用されれば」


「飯も?」


「勤務条件に含まれます」


「やる」


アーサー。


即答。


「お前は黙っていろ」


ルガーが額を押さえる。


ガレスは笑った。


久しぶりに。


本当に笑ったように見えた。


「山賊が警備隊か」


「悪くありません」


カシオンが言う。


いつの間にか。


帳簿を持って立っている。


「安定した収入が得られます」


「税も払うのか」


ガレスが聞く。


「当然です」


「嫌だな」


「払ってください」


「安くしろ」


「税率を決めるのは私ではありません」


セレナの答えに。


周囲から。


小さな笑いが起きた。


笑っていいのか分からない。


そんな空気の中で。


それでも。


笑い声は少しずつ広がった。


昨夜まで。


敵に囲まれていた砦。


今朝まで。


悲しみに沈んでいた場所。


そこへ。


ようやく。


人の声が戻り始めていた。


「約束はできません」


セレナが改めて言う。


「王都が認めるかどうかは、まだ分かりません」


「それでいい」


ガレスが答えた。


「簡単に約束する奴は」


ヴァルターが連れていかれる方向を見る。


「もう懲りた」


セレナは静かに頭を下げた。


「では」


「行ってまいります」


「帰ってくるのか」


「必要であれば」


ガレスは手を差し出した。


セレナは一瞬。


その手を見る。


そして。


握り返した。


「必要になる」


「その時は」


「今度は秘書じゃなく来い」


「承知しました」



監察隊の隊列が。


森の道を進んでいく。


馬車の中にはバルトン。


別の荷車にはヴァルターと傭兵団の幹部。


セレナは先頭の馬に乗り。


レオンは最後尾の荷車で寝転がっていた。


「死ぬなよー!」


よっしーが大声で叫ぶ。


レオンが寝たまま片手を上げる。


セレナは振り返らなかった。


けれど。


右手だけを。


小さく上げた。


隊列が森の中へ消える。


残されたのは。


黒狼団。


町の人々。


俺たち。


そして。


壊れた砦だった。



「さて」


ガレスが呟く。


「どうするかな」


周囲を見る。


北門はない。


柵は焦げている。


見張り台も壊れた。


食料も減った。


負傷者も多い。


「直すしかないでしょう」


カシオンが答える。


「金は」


「ありません」


「食料は」


「十日分」


「木材は」


「森にあります」


「人手は」


カシオンは周囲を見る。


黒狼団の者たち。


町の人々。


昨夜、武器を捨てた衛兵たち。


「余っています」


ガレスも周囲を見る。


皆。


疲れ切っている。


けれど。


誰も立ち去ろうとはしていない。


「なら」


ガレスは大きく息を吸う。


「まず門を直すぞ!」


「おう!」


アーサーが一人で答える。


「お前だけか!」


ガレスが怒鳴る。


今度は。


あちこちから。


声が上がった。


「おう!」


「やるぞ!」


「飯は出るのか!」


「働いた奴からだ!」


「子どもは手伝っていい?」


「危なくないところだけだ!」


声が。


重なる。


笑いが。


混ざる。


砦は。


もう。


黒狼団だけのものではなかった。


町へ戻れない者。


戻る家を失った者。


町から助けに来た者。


元衛兵。


商人。


薬師。


老人。


子ども。


皆が。


同じ場所で。


壊れた門を直そうとしていた。



それから三日。


俺たちも。


砦の修復を手伝った。


俺は柵を運び。


よっしーは。


どこからか工具を集め。


門を補強していた。


「こういうんはな」


木材へ印を付けながら言う。


「力任せにやったらあかん」


「アーサーさんに言ってください」


「言うても聞かへん」


その横。


アーサーが釘を拳で打ち込んでいる。


「ほら」


「金槌使ってください!」


俺が叫ぶ。


「これの方が早い!」


「木が割れます!」


「少し割れた!」


「駄目じゃないですか!」


あーさんは。


怪我人の世話をしながら。


子どもたちへ文字を教えていた。


カシオンの帳簿を見て。


読み書きができない者が多いと気付いたらしい。


「これは?」


あーさんが板に文字を書く。


「くろ!」


子どもが答える。


「では、こちらは?」


「おおかみ!」


「では合わせると?」


「くろおおかみ!」


「正解です」


子どもたちが喜ぶ。


ルガーは少し離れたところから。


その様子を見ていた。


「何ですか」


俺が聞く。


「別に」


「見てましたよね」


「見ていない」


「子ども好きなんですか」


「違う」


即答。


けれど。


数日後。


子どもたちが使う木の机が一つ増えていた。


誰が作ったのか聞いても。


ルガーは何も答えなかった。



ロベルトとエレナは。


町へ戻ることを決めた。


壊された店は。


まだ残っていた。


商品はない。


棚も壊されている。


借金の記録については。


バルトンが不正に作らせた可能性があるため。


監察隊が調べることになった。


すぐに元通りにはならない。


けれど。


「薬屋を再開したい」


ロベルトは言った。


砦の薬草をまとめながら。


「町には」


「薬を必要としている人がいる」


「ここにもいるだろ」


ガレスが言う。


「ここへも来ます」


ロベルトは笑った。


「町と砦」


「両方です」


「忙しいぞ」


「以前よりは」


エレナが隣で笑う。


「借金取りが来ませんから」


その笑顔に。


少しだけ。


以前の生活が戻ってきたように見えた。


ライラは。


町へ戻ることを。


少し怖がっていた。


あの町で。


両親が消え。


一人で暮らし。


店を守ろうとした。


周囲から。


可哀想な子として見られ。


時には。


借金の形に売られるかもしれないと怯えた。


戻る場所であると同時に。


嫌な記憶が残る場所でもある。


「無理に戻らなくてもいい」


エレナが言った。


「砦で暮らしてもいいのよ」


「ううん」


ライラは首を振る。


「戻る」


小さな声。


「お店」


「私も手伝いたい」


ロベルトの目が潤む。


「そうか」


「薬草、もっと覚える」


「厳しいぞ」


「知ってる」


「間違えたら苦い薬を飲ませる」


「それは嫌」


「冗談だ」


「父ちゃんの冗談、分かりにくい」


家族が。


笑う。


その笑い声を聞いて。


俺は。


本当に良かったと思った。



そして。


旅立ちの日が来た。


モンテーヌへ来た時。


俺たちは。


ただ。


ライラを追っていただけだった。


家族を探す少女。


怪しい山賊団。


それだけの話だと思っていた。


けれど。


森の中で見つけたのは。


山賊の砦ではなかった。


国から捨てられた者たちが。


それでも互いを支え。


生きるために作った場所だった。


そして。


本当に町を苦しめていたものは。


剣を持った悪人一人ではなかった。


税。


借金。


価格操作。


役所。


商人。


命令。


見て見ぬふり。


皆が少しずつ。


町を灰色にしていた。



砦の門。


新しく作られた門は。


以前より少しだけ頑丈になっていた。


まだ木の色が新しい。


上には。


黒狼の印が彫られている。


ただし。


その横に。


小さな秤の印も追加されていた。


「何ですか、これ」


俺が聞く。


カシオンが答える。


「セレナ殿への嫌がらせです」


「感謝じゃないんですか」


「本人が見れば嫌がるでしょう」


「確かに」


門の前には。


皆が集まっていた。


ガレス。


ルガー。


カシオン。


アーサー。


ネッドとミーナ。


ロベルト。


エレナ。


そしてライラ。


町の住人もいる。


子どもたちも。


「世話になった」


ガレスが言う。


「こちらこそ」


俺は答えた。


「最初は山賊退治になると思ってましたけど」


「退治されなくて良かったな」


「危なかったですね」


「お前たちが弱くて助かった」


「そこは違うでしょう」


よっしーが前へ出る。


「今度来る時までに、酒用意しといてや」


「金は払えよ」


「ツケで」


「二度と来るな」


「冷たいなぁ」


アーサーがよっしーの背中を叩く。


「また戦おう!」


「嫌や!」


「今度は素手だ!」


「もっと嫌や!」


皆が笑う。


クリフさんとルガーは。


少し離れた場所で向き合っていた。


「次に会う時までに」


ルガーが言う。


「その偉そうな態度を直しておけ」


クリフさんは腕を組む。


「お前が先だ」


「俺は偉そうではない」


「自覚がないのか」


「貴様に言われたくない」


最後まで。


この二人は。


こんな感じだった。


けれど。


クリフさんが手を差し出すと。


ルガーは。


一瞬だけ迷い。


握り返した。


「死ぬな」


クリフさんが言う。


「お前もな」


短い言葉。


それで十分だった。



あーさんは。


子どもたちに囲まれていた。


「行かないで」


「また来て」


「お話の続きは?」


あーさんは困ったように笑い。


一人ずつ抱き締めた。


「必ず、また来ます」


「本当?」


「はい」


「約束?」


「約束です」


最後に。


木の机を作った人物を知っている小さな少年が。


ルガーを指差した。


「槍のおじちゃんも寂しがるよ」


「余計なことを言うな!」


ルガーが珍しく慌てる。


子どもたちが笑う。


あーさんも。


少し泣きながら笑った。



そして。


ライラが。


俺の前へ来た。


両手に。


小さな布袋を持っている。


「これ」


「何ですか」


「薬草」


「傷薬と」


「疲れた時のお茶」


「私が作った」


「ライラが?」


「父ちゃんに教えてもらった」


ロベルトが後ろから言う。


「半分は私が作りました」


「父ちゃん!」


ライラが振り返る。


「ほとんど私!」


「刻んだのはな」


「混ぜたのも!」


「分量は私だ」


「もう!」


家族のやり取りに。


また笑いが起きる。


俺は布袋を受け取った。


薬草の香りがした。


「ありがとう」


「ちゃんと使ってね」


「はい」


「売ったら駄目」


「売りません」


「よっしーさんに渡したら駄目」


「なんでや!」


「変な使い方しそう」


「ワイを何やと思うとんねん」


「変な人」


即答。


「子どもは正直やなぁ」


よっしーが落ち込む。


ライラは少し笑い。


それから。


俺を見上げた。


「お兄ちゃん」


「はい」


「ありがとう」


声が。


少し震えていた。


「父ちゃんと母ちゃんを見つけてくれて」


「助けてくれて」


「私」


言葉が続かない。


目に。


涙が浮かぶ。


俺は。


彼女の頭へ。


そっと手を置いた。


「ライラが」


「ここまで来たからですよ」


「一人で?」


「一人で」


「怖かったでしょう」


ライラは頷く。


「でも」


「諦めなかった」


「だから会えたんです」


涙が頬を流れる。


それでも。


ライラは笑った。


「また来る?」


「来ます」


「絶対?」


「絶対」


「薬」


「今度は買ってね」


「値引きは?」


「しない」


「少しくらい」


「しない!」


強くなった。


本当に。


強い子だった。



俺たちは。


森の道を歩き始めた。


後ろから。


皆の声が聞こえる。


「またな!」


「気を付けろ!」


「酒忘れるな!」


「勉強してくださいね!」


「次は負けん!」


何に負けたのか分からない声も混ざっている。


俺は。


何度も振り返った。


新しい門。


黒狼の印。


そこに立つ人々。


ガレスは腕を組み。


ルガーは槍を持ち。


カシオンは帳簿を抱え。


アーサーは大きく手を振っている。


ロベルトとエレナ。


その間にライラ。


ネッドとミーナ。


子どもたち。


老人たち。


皆が。


俺たちを見送っていた。


砦が。


少しずつ。


遠ざかる。


木々の間に隠れ。


やがて。


見えなくなる。


よっしーが。


前を歩きながら言った。


「結局」


「黒狼団って山賊やったんか?」


俺は少し考える。


法を破った。


物を奪った。


武器を持った。


だから。


山賊ではあるのだろう。


でも。


それだけではなかった。


「山賊だったんでしょうね」


「過去形か」


「これからは違うかもしれません」


「警備隊?」


「開拓団?」


あーさんが横から言う。


「村ではないでしょうか」


「村?」


「はい」


あーさんは。


森の奥を振り返った。


「皆さんが帰る場所ですから」


クリフさんが小さく笑う。


「そうかもな」


俺も。


もう一度だけ振り返った。


砦は見えない。


それでも。


そこにあることは分かる。


あの場所は。


山賊の砦ではなかった。


国に捨てられた人たちが。


それでも誰かを守ろうと生きた。


小さな村だった。



森を抜けると。


モンテーヌの町が見えた。


まだ。


灰色だった。


閉じた店。


傷んだ屋根。


人通りの少ない道。


すぐには変わらない。


バルトンがいなくなっただけで。


明日から豊かになるわけではない。


借金を失った人。


仕事を失った人。


家族を失った人。


町が負った傷は。


深い。


けれど。


以前とは。


少しだけ違っていた。


広場で。


町の人たちが集まっている。


壊された店を直す者。


捨てられていた荷車を起こす者。


壁へ貼られた不正な徴税令を剥がす者。


衛兵の詰所から。


バルトンの紋章が外されている。


その下で。


一人の老婆が。


小さな箒で道を掃いていた。


たった一人で。


灰を集め。


道の端へ寄せている。


やがて。


隣の店から。


男が出てきた。


同じように。


箒を持つ。


さらに。


一人。


もう一人。


町の人たちが。


少しずつ。


道へ出てくる。


誰かが命令したわけではない。


英雄が号令を掛けたわけでもない。


ただ。


自分たちの町を。


もう一度。


自分たちの手へ戻そうとしていた。


よっしーが呟く。


「町って」


「こうやって戻るんかもな」


「はい」


誰か一人が。


全部直すわけではない。


誰か一人が腐らせたわけではなかったように。


直す時も。


一人ではない。


誰かが。


箒を持つ。


誰かが。


壊れた板を外す。


誰かが。


閉じていた店の窓を開ける。


そうして。


少しずつ。


灰色だった町へ。


色が戻っていく。


空を見上げる。


雲の切れ間から。


朝よりも明るい光が差していた。


モンテーヌの夜は終わった。


本当の意味で。


町が変わるのは。


これからだ。


そして。


俺たちの旅も。


まだ終わらない。


王都。


西部開発院。


あの命令書を出した人物。


この土地に。


何があるのか。


新しい謎は残っている。


けれど。


今は。


これでいい。


俺は。


ライラから貰った布袋を握り。


前を向いた。


「行きましょうか」


「ああ」


クリフさんが答える。


「次はどこや?」


よっしーが聞く。


「さあ」


「決めてへんのかい」


「旅なんてそんなものでしょう」


「ユウキさんらしいです」


あーさんが笑う。


俺たちも。


笑った。


そして。


少しだけ明るくなった道を。


次の町へ向かって歩き始めた。



モンテーヌ編 完



後書き


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


今回でモンテーヌ編は完結となります。


ライラを追い、黒狼団の砦へ入ったことから始まった今回の物語。


最初は山賊に攫われた両親を救出する話に見えましたが、その裏には、


違法徴税。


借金。


物価操作。


偽黒狼団。


元兵士たちの切り捨て。


そして、町そのものを住民から奪おうとする計画が隠されていました。


黒狼団は、完全な善人ではありません。


生きるために法を破り、奪ったこともあります。


しかし同時に、国や町から零れ落ちた人々を守り、行き場のない者へ居場所を与えてきました。


だからこそ今回の物語では、


「法を破った者は、すべて悪人なのか」


「仕組みの中で人を苦しめる者は、罪人ではないのか」


という部分を描きました。


ガレスたちは今後、黒狼団という山賊の立場から、モンテーヌ周辺を守る警備隊や開拓団へ変わっていく可能性があります。


また、セレナとレオンは王都へ向かい、バルトンとヴァルター、そして押収した証拠を届けることになります。


しかし、王国西部開発院。


そしてモンテーヌの土地を狙う、さらに上の存在。


この問題はまだ完全には終わっていません。


いつかユウキたちの旅と再び交差することになるでしょう。


次回からは新たな土地、新たな出会い。


少し雰囲気を変えた旅の物語へ入ります。

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