砂浜にて
よろしくお願いします。
1月8日(日)、京子さんは今日も午前10時にやって来る。俺が階段の下で待っていると、やっぱり9時55分にポロで現われた。社畜らしい五分前行動は健在だ。
俺は軽く手を挙げてから助手席側に回り込み、静かに赤い車に乗り込んだ。
「おはようございます。京子さん、今日は何処へ行きますか?あまり歩かないで済むところにしましょう」
彼女は一瞬返答をためらったけど、ニッコリ笑顔を向けて来た。
「じゃあ、海にでも行こうか?私、ドライブするの好きなんだ。冬の海なんて誰もいなくて何も無いけど、それがいいの」
「決まりですね。俺は一緒にいられるなら行き先なんてこだわりないですから」
「フフッ、またカッコ付けてる。でも、そこも好きよ」
コンビニへ寄って飲み物とチョコなんかを買い込み、国道を使って海に向かった。時間はたっぷりある。楽しく道中を味わえばいい。俺はこの人が好きなんだから。
これから長く付き合うとして、若者らしい活動的な思い出は築けないだろう。スキーもスケートも、海水浴だって無理かも知れない。そんなもんいらないんだよ。出来る限り一緒に行動して、俺がフォローするだけじゃん。
買い物に行ったら荷物を持ち、彼女が疲れたら二人で立ち止まればいいんだ。ゆっくりで構わない。そうやって愛を育てて行くんだ。俺は出来ると思ってる。
お昼過ぎに海岸へ着いた。砂浜の手前で車を停め、正面から打ち寄せる波を眺める。冬にしては珍しく穏やかな波だった。
「ねえ、外に出てみない?少し砂浜を歩いてみたいの」
「えっ?でも、大丈夫ですか?砂の上は歩きにくいですよ」
「ありがとう。大丈夫よ。ハッチに積んである杖を使うから。それに、転びそうになったらマサハル君が支えてくれるもの」
俺は彼女を見つめたままコクンと頷いた。
京子さんが杖をつく姿を見るのは初めてだ。そんなに傾いて歩くわけじゃないし、スキーのストックのようにタイミングを取ってるだけにさえ見える。きっとそれは訓練の賜物なんだろうけど。
「藤堂君に聞いたんだね。ホント、彼は心配性なんだから。やさしい人よね」
「そうです。金曜の夜に居酒屋で聞かされました。あ、俺、それまで気付けずにすみませんでした」
「ううん、いいのよ。だって、私が隠してたんだもん。いきなりあなたに気を遣わせたくなかったの。直ぐにバレちゃうのに、私ってバカだね」
「京子さんはバカじゃありません。大バカ野郎は俺でした。でも、矯正しましたから許してやって下さい」
「ウフフ、楽しかったわよ。何たって四百メートルの石段を往復したんだから。マサハル君を前にして、私、頑張っちゃった。そう、頑張れちゃったの」
俺はたまらなく彼女が愛おしくなって、身体を抱き寄せ深く口づけた。
「俺、大切にしますから。二人でしあわせになりましょう」
「うん、私を離さないで。もっと強く抱きしめて」
背に回したままの腕に少し力を込め、もう一度キスをする。唇を離した京子さんは俺の胸に顔をうずめたまま暫く動かなかった。
「マサハル君の鼓動が聞こえる。温もりも伝わって来る。すごくあったかい」
「ドキドキしてるでしょ?もう直ぐバーストして鼻血が出て来ます」
彼女は驚いたように顔を上げ、俺の胸をドンと突いた。直後、「マサハル君っておもしろ―い」と言いながらケラケラ笑った。やっぱり女の人は笑ってた方がいい。その姿はとても眩しく映るんだもの。
それから俺たちは、寂れたドライブインで海鮮丼を食べワンルームに戻った。ちゃぶ台に隣り合って京子さんが淹れてくれたコーヒーを飲む。すごくおいしい。彼女の笑顔が安物のブレンドコーヒーを引き立てているのは言うまでもないことだ。今度はもう少しグレードアップしようと思ったけど。
しかし、こうして二人切りでいると妙に照れくさい。先ほどは砂浜で熱いキスを交わしたっていうのに、何故か俺は京子さんとヤることより手料理を作ってもらう方に意識を向けていた。
「買い物に行きましょう。今夜も何か作って下さい。俺、京子さんと一緒にスーパーへ行くの好きなんです」
「いいわよ。じゃあ、今夜はお手製のハンバーグを作ってあげる。私も買い物好きだしね。でも、嗜好品をポンポンとカゴに放り込むのはダメよ。ちゃんと栄養考えなくちゃ」
「チェッ、見透かされてたか。わかりました。お姉さまに従います」
こうして二人でイ〇ンの食品売り場へ行った。俺がカートを押そうとしたら、やんわり断られ杖を渡された。カートを押した方が体重を分散出来るので楽だそうだ。なるほど、大へん勉強になる。だから買い物が好きなのか。
彼女はハンバーグに変身させるミンチとサラダに使う野菜を品定めしながらカゴに入れて行く。もちろん俺はミンチを買ったことなどない。スーパーへ一人で来ることはあるけど、パンや飲み物とか冷食、出来合いの総菜を買うのが精々だ。味噌汁だってインスタント物しか飲まない。
しかし、最近は総菜も一人分で売っていたりする。確かに割高だけど、保存の手間が省けるから便利なことこの上ない。とにかく独り暮らしは食べ切り飲み切りが基本なので、冷蔵庫はいつもスッカスカである。
一緒にレジに進んで、今日は俺がお支払いした。当たり前だ。明日からの食パンや牛乳も買ったんだし。もちろん、レジ袋は俺がぶら下げて歩く。周りのお客さんに俺たちはどう映っているのだろう?新婚間もない若夫婦?同棲してる恋人?どうでもいいことだとわかってるけど、脳が勝手に意識してしまう。
「何かご機嫌ね。私まで嬉しくなっちゃうじゃない」
「ええ、京子さんと一緒って最高です。スキーやスケートなんていらないね」
「何よそれ?マサハル君はしたいことすればいいのよ。無理に合わせることないわ」
「それが無理してないんだなあ。一緒にいたいからそうするんだよ。カノジョならそれくらい理解しててくれ」
「アウッ、これは一本取られたわね。でも、そうやって遠慮しない方が好きよ」
「了解です。俺、結構我がままなんで覚悟しておいて下さい」
京子さんは「へーえ」と流し目をくれて微笑んだ。俺も気持ちいい。やっぱり何でも言い合えるのは、親しくなっていく上で大切なことだと思う。気遣いは必要だけどね。
アパートの狭いキッチンで京子さんは一生懸命ミンチをこねている。お手伝いしようとしたら、コーヒーでも飲みながらリビングで待っててと言われた。思わずブスッたれたけど頭を掴まれ頬にキスされる。まあ、しょうがないよな。ここはお任せするとしよう。
面倒だったのでインスタントのコーヒーを入れ、テレビ画面をボーッと眺めていた。
出来上がったハンバーグ定食は、もちろんおいしかった。市販のデミグラスソースにスライスしたマッシュルームが混ぜてあるので一層だ。独り暮らしでは絶対にやらない一手間が嬉しかった。
「たくさん作ったから、残りは冷凍庫に入れておいたからね。フライパンで焼くことくらい出来るでしょ?」
「楽勝です。いや、ホント助かります。独りの時でも京子さんのお手製が味わえるなんて感激ものですよ」
「フフッ、オーバーね。これくらいのことならいつでもしてあげるから、遠慮せずに言ってね。私たち、恋人同士なんだから」
ハッキリ言葉で伝えられると「恋人同士」ってドキッとする。そして、このホンワカした雰囲気を抜け出すのは困難だと思えた。
そのあと長い間、二人でダベっていた。何度かキスもしたけど、明るいうちからベッドに入るには部屋がダサすぎる。まあ、そんなにその気にもなれなかったし。
夕方になって京子さんは「先週外泊したから、今日はもう帰るね」と告げた。明日からは本格的に仕事も始まるし納得だ。玄関先でキスを済ませてから、赤いポロの横で彼女の帰宅を見送った。
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