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第三十八話 疑念

 ゆいがホテル不在どころか戻っていないということを夏実から聞き、修平は駆け足でホテルに向かった。

 ホテルの前にはパトカーが数台止まっており、事をかくすつもりは一切無さそうだ。


 ホテルの入り口近くに目を向けると、榎本と話している夏実を発見した。

「ねぇちゃん!」

 そう言うと、横目でこちらを見てから、榎本に断りを入れ、こちらに駆け寄ってきた。夏実が話す前に周平は、「ゆいは?」と問う。


「確認したけど、やっぱりホテル自体に戻ってきてない」夏実は首を振る。「荷物は残っとるけど、貴重品は無い。足取りを消すためにわざと戻ってきてないんかも」

「貴重品だけないん?」

「スマホ、財布、その他な。もう戻ってくるつもりなんて無いって考えとる」

「じゃあ、何処に行ったん?」


 それが分からへんから警察は苦労しとるんや、と夏実はこめかみを人差し指でぐりぐりと押さえる。


 防犯カメラに、出ていくゆいの姿は確認できたが、戻ってきた姿を確認することはできなかった。外出した時間に不審なところはなく、周平と別れたあとに姿をくらましたと考えて良さそうだ。


「ゆいちゃんから何か聞いとるかと思って呼んだんやけど、聞いてない? 小さいことでもいいし」

 そう言われるが、特に変わった点はなかったと思う。幼馴染みを亡くし混乱していたくらいで、怪しいと思うことは無かった。むしろ、今の反応が当たり前だと思ったほどだ。


 きっと、『あの時』の周平を見た夏実も、今の周平と同じことを思ったのだろう。夏実だって泣きたかったはずだ。それなのに夏実は、ずっと周平の背中を擦ってくれていた。涙は止まらず、むしろ擦られたせいで優しさを感じ、また泣いてしまったのだと思う。


 そう言えば、ゆいは泣いていなかった。


「……特に。戻るとしか聞いてへん。問い詰めるように色々聞いても、ゆいが辛いかと思って」

 夏実はあからさまに残念そうに肩を落とした。だが、まあそうか、と納得する姿も見られた。


「周平が聞いてへんのやったらしゃあないな。何か知っとるかと思ったんやけど」

「目撃情報は? 駅とか」

「今空いとる警官が当たってくれとる。でも、少ないやろな」

 何故かと問うと、今回の事件のせいだと言った。「市民は珍しいことに騒いどる。外に出ないでおこうと警戒するもの、興味本位で事件現場に赴こうとするもの。誰も、一人の女に目が行くわけない。むしろ、男に自然と目が行くやろな。女が、それも学生が殺すなんて、あんまり思わへんからな」


 一般市民からすると、この事件は始まったばかりだ。今朝報道されたものを見た程度で、ネット上にもまだ詳しい情報は載っていない。

 だが、周平や夏実からするとどうだろう。紗由理を探すために動いていたのに、その人物が殺されてしまった。これではまるで、『紗由理を見つけただけでは事は終わらなかった』状態である。


 そこで周平は、あることに気付いた。

 ――この事件は始まったばかり。

 ここで、だ。


「なあ、ねぇちゃん」

「何?」

 周平は俯きがちに言う。

 下手に考えるのは止しておく。考えれば考えるほど、周平の脳内は混乱してしまうから。


「――何か、事が進むん早くない?」


 この言葉に、夏実は言葉を無くす。喉に何かが詰まったように、そしてそれを取り除くかのようにして、唇を強く結んでいる。


「まだ今朝ニュースになったばっかりやろ? 今はまだ昼やで。あまりにも進むんが早いんちゃう? ねぇちゃんがゆいを怪しいと思ったんは分かるけど、警察全体を動かすにはまだ時間がいるんちゃうん? ゆいが怪しいって言っても、他にも怪しいやつなんておるやろうし、始めは、任意同行とか――」


「周平」言い続ける周平を夏実が止める。「これは警察の仕事や。一般市民は、口出しすんな」


 きつい言葉に顔を強張らせたが、すぐに言い返す。

「俺は一般市民でも、重要な関係者や! 最近のゆいと一番関わっとった俺は、警察にとっては大切な証言者。良い方にも悪い方にも、ゆいのこの先の人生を決める決め手となれる。そんな俺を、一般市民やからってどっか行けって言うんか?」


「あんたは警察にとっては大切な市民や。だからこそ、危険な目には遭わせれん」

「俺には俺の権利がある。何処に行こうが何をしようが、警察には止められんやろ」

「…………あんまり言い訳をするようやったら、公務執行妨害で牢屋にでも行くか? そうなったら、嫌でも好き勝手には動けんで」


 姑息な手を使い始めた夏実に言い返したいが、夏実ならやりかねないと思い、ぶつけたい言葉を飲み込む。

 きっと、警察のこういうところが、非難を浴びるのだろう。都合の悪いことは隠し、いざとなれば法律を使って鉄格子の中に閉じ込める。庇っている人がいるのなら、そしてその人物が悪役であれば、尚更だ。



 周平の進学先も就職先も見つからなかった時、夏実がこう声を掛けたことがある。

警察署(うち)来るか? コネで受付くらいやったら雇えるかもしれん」

 それは、周平の将来を心配してのことだった。

 狙っていた大学も落ち、勉学に励むためにバイトは辞めたので、また一から探すしかない。友人の(つて)を辿ろうにも、皆既に行き先が決まっており、それどころではないのだ。


 他の子が進んでいくなか、周平は止まっている。それは今に始まったことではないのだろう。むしろあの時に止まってしまったからこそ、この結果が訪れたのだ。


 夏実の話は、決して悪いものではなかった。コネというのが少し引っ掛かるが、やることもなく家に籠るよりはましだろう。

「ありがと。でもええわ。コネ使ってまで働きたくないし、俺まだ、諦めたわけちゃうから」

 周平はまっすぐな瞳で見つめていた。その瞳からは、現実を受け止めているようであり、諦めているようであり、そして、素敵な未来予想図を見つめているようでもあった。


 夏実は、誰かを護るために警察官を夢に見た。

 周平は、誰かを守るために“それ”を夢に見た。


 夢を叶えた姉の姿を見て、弟が簡単に夢を諦めることが出来るだろうか?

 試験に落ちたくらいで諦められるほど、浅はかな思いで挑んだのだうか?


 否。

 周平は、守りたかった。一人の人間を、例え一時的であれ。そうすることで、救われる人間がいるのではないだろうか。



 周平は一つ息を吐くと、夏実をまっすぐと見つめる。

「じゃあいいわ。警察官にはできんくて俺にはできることが、絶対にあるから」


 それだけ言うと、背を向けて走り出す。

 止めようと手を差し伸べたが、榎本に名前を呼ばれたために遮られた。

「なんや、榎本」

「軽く見た感じ、部屋に居場所を特定出来るような手掛かりはありませんでした。スマホがないのでおそらく所持しているかと。GPSを辿れば居場所を特定することが出来るかもしれません。今、携帯会社に依頼しているところです」

「そっか、分かった」


 何かが起きる前に特定できれば良いけどな、と内心で思う。

 部屋を確認しておこうとホテルに入ろうとしたとき、「夏実さん」と、また榎本が呼び止める。

「何?」

「……弟さんに、言わなくて良かったんですか? ――本当はこうなる前(・・・・・)から、被疑者の身元調査を行っていたこと」

「警察には、ある程度の守秘義務がある。血が繋がっていたとしても、それは言えへん」

「でも、今回の件はそれほど内密では無かったですよね? ほとんど夏実さんの興味です」

「……周平はゆいのことを気に入っとった。それやのに、ゆいを疑うようなことしたら、周平が悲しむやろ? 姉弟(きょうだい)でも、言いにくいことある。……それにな」


 夏実はため息をつくと、榎本の肩を軽く叩いた。

「――今から言っても、遅いやろ?」

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