第三十六話 それが真実
ゆいの要望通り、今日はどこへもいかず、家に戻ることにした。きっと今日が、二人が顔を会わす最後の日になるだろう。
最後に、ゆいは言った。
「本当に、迷惑をかけました。……ごめんなさい」
周平は、謝ることじゃないと言った。それでもゆいは、周平がそう言う度に、ごめんなさい、ごめんなさい、と、その言葉にとりつかれてしまったように言い、体を震わせた。
ゆいはホテルに戻り、周平も帰路を歩いている。だが、このまま帰るのは少し寂しい。ぽっかりと空いた穴に、いつまでも手持ち無沙汰だと思うのだろう。
これから夏実を含む警察官は、大変になりそうだ。これまでにこんなに大きな事件がこの辺りであったことはあっただろうか。それほど、街は混乱で溢れている。
警察は、これを殺人事件として捜査中だ。犯人は未だ逃走中。現場周辺に監視カメラはなく、それらしい手懸かりもないので、手を上げているらしい。これらはすべて、既にインターネットに上がっている情報だ。
紗由理の遺体が発見されたのは、彼女の住むマンションから離れた場所にある、使われていない古小屋の後ろだ。偶然、近くの住民が小屋を掃除するために立ち入った際に発見したのだという。もし発見されていなければ発見は更に遅れ、体は雨風で腐敗してしまっていただろう。
尻ポケットにいれたスマホが振動した。画面を見ると、『夏実』と表示されていた。スライドし、耳に当てる。
「もしもし?」
『あ、周平? 今おる?』
「外。今から家に帰るとこ」
『急で悪いけど、警察署来てくれん? 殺人の件で、聞きたいことがあるんやけど』
警察署に着き、馴染みの顔に話を伝えると、すぐに中へ案内された。そこは、警察官が休憩する場所。既に夏実は着席しており、自動販売機で売っているカップコーヒーを手にしている。わざわざこんな所に入って話をするということは、やって来た一般人に知られてはまずい話なのだろうか。
「夏実さん、弟さんが来られましたよ」
案内してくれた男性警察官は、下の名前で呼んだ。それほど、親しい仲なのだろうか。
声に反応した夏実は、「ああ、ありがとう」と首を捻って此方を向いた。
「榎本、悪いんやけど、部長に頼んであの紙貰ってきてくれへん?」
「分かりました」
榎本と呼ばれた男は、そそくさと去っていった。
「どっか行っとったん?」
家を出たときはぼさぼさだった髪の毛は、少し雑だがましにはなっている。
「ゆいと病院に行っとった。最後に紗由理の顔を見にな。まあ、俺は見てへんけど」
「……ゆいちゃん、どうやった?」
「どうやったって。……幼馴染みが死んで、平気ってことはないやろ。分かっとるくせに」
「まあ。そうか。ゆいちゃんは、ホテルに戻った?」
「うん。もう帰るってさ」
「帰るって……家に戻るってこと?」
夏実は眉を寄せてこちらを見る。都合が悪い、と言われているようである。
「まあ、そうやけど」
「夏実さん、これです」
榎本が戻ってきて、一枚の紙を持ってきた。
夏実は慌ててそれを受け取ると、「榎本、マル被確保に向かえって部長に」と言った。
「え、今すぐにですか」
「おん。もう、家に帰るらしいからな。とは言っても、ほんまか分からへんけど」
榎本は頷くと、「分かりました」と言い、駆け足で出ていった。
マル被。
家に帰る。
周平は困惑している。周平と話した後だから、尚更。
これではまるで、夏実が、ゆいのことを話しているようではないか。
「なあ、ねぇちゃん。マル被って……」
「警察用語で被疑者のことな。これから、今回の殺人事件の被疑者の元へ行く」
「ねぇちゃん、被疑者ってまさか――」
「落ち着いて聞いて、周平」
夏実は、先の言葉を言わせてくれない。喉まで出かかっているのに、出ることのできない言葉は、体の中をぐるぐると巡り、疑惑を募らせるだけ。
差し出してきたのは、先程、榎本が持ってきた紙。それは捜索届けで、上から下までびっしりとその人について書かれていた。
「これが、何?」
「名前、読んでみて」
氏名欄に目をやる。そこには、『奥村夜比』と書かれていた。あれ、どこかで見たことが――。そう思った直後、上に書かれている振り仮名を見て、思考が停止した。
オクムラ、ユイ。
刹那にあることを思い出した。以前、ゆいに名前を漢字で書くとどういう風になるのか、と聞いたときのことだ。ゆいは、当ててみてください、と言った。おそらく無理だろう、とも。
夜に比べると書いて、ユイとはあまり呼べない。比の方は、由比ヶ浜と言う地名があるので、読めないのともないが、夜をユと読むとは思い付かないだろう。
まさか、偶然やろ。
だが、夏実がわざわざこれを見せたこと、そして、先程の会話から察すると、これがゆいと関係していることを否定できない。
「これな、一週間くらい前に出されたやつなんや。丁度、ゆいちゃんがこの街に来たくらいに」
「でも、ゆいじゃない可能性だって」
「いいや、ゆいちゃんや。友達が丁度、オクムラユイの家がある市の警察署におって、すぐに確認してきてもらった。娘だって見せてくれた写真は、間違いなく、ゆいちゃんやった」
夏実は続ける。
「ゆいちゃん、人捜しのためにここに来たんやんな? 幼い頃に別れた、サユリ――藤田紗由理を捜すために」
「…………何でか、電話にも代わってくれんくて、離れてから一回も会ってないし、声も聞いてないって」
「それ、嘘やな。居なくなる前まで、楽しそうに電話しとったって家族は言っとる。家族の誰にも、何も言わずに出ていったらしい。多分、これまでに周平が聞いた話はほとんど嘘や。だから、信じん方がいい」
何とか否定しようと言葉を探すが、喉で引っ掛かる。どのような言い訳をされるか、目に見えているからだ。
思い当たる節が無かったわけではない。ゆいの不思議な態度に、何度か困らせられた。電話が繋がらず、ホテルからもいなくなり――。
初めて会ったとき、ゆいは頑なに手伝われることを嫌がった。今なら、その理由が分かる気がする。
「警察は今、ゆいちゃんが泊まっているホテルに向かっている。逮捕までとはまだいかんかもしれんけど、ここに来ることは確実」
「ゆいは、そんなことせん!」
脳内を巡る嫌な考えを振り払うように、周平は声を張る。喉に引っ掛かっていた、夏見の言葉を否定する言葉までも吐き出し、その代わり空気を取り込む。
「ゆいは、優しい子や。嫌や嫌やって言いながら、俺の相手をしてくれる。ゆいを逮捕とか、そんなん、間違いや!」
「ゆいちゃんは、藤田紗由理殺人事件の犯人や」周平の思い全てを打ち消すように、夏実が言う。「幼馴染みである紗由理を殺害、遺棄した疑いで、今警察官が彼女の元に向かっている」
「違う! ゆいは犯人じゃない!」
「本当は怪しいってどこかで思っとったやろ? 捜し人を捜しとる時に偶然その人が殺された? 偶然にも程があるで。捜しに来たって行って、目的は感動の再会ではなく、殺すため」
「黙れ! ねぇちゃんにゆいのことが分――」
分かるわけがない、という言葉は、何かが弾いたような乾いた音によって消えた。
周平の頬は赤くなり、ひりひりと痛みが広がる。
外された視線を戻すと、夏実の顔は怒りで歪み、そしてどこか悲しそうだった。
「そんなに言うんやったら、ゆいちゃんが犯人じゃないっていう証拠を持ってきて。あたしだって信じたくない。けど、これが警察が出した結論やから」
そう言うと夏実は休憩室から逃げるように去った。
静かな休憩室で、周平一人が立ち尽くしていた。




