6. The Days Of Wine And Roses
思い返すと良い夏だった。初心回帰のつもりで出場したオープンにて一年ぶりの勝利。からの勢いそのままに重賞制覇。課題だっ心身のケアも観光と温泉でしっかりとリカバリーしたことで結果はこの通り。正直、今まで何しても頭打ちだったのに自分からマインドを整えただけでこんなにもすぐに結果が出たことに驚きを隠せないでいる。もしあの時ステイゴールドに声をかけられなかったら…学園でのトレーニング漬けの日々を選択していたなら、きっと私の予後は悪かっただろう。本当に必要だったのはフィジカルよりもレース全体を楽しむマインドだったと気づかせてくれたステイゴールドに感謝しなくては。
さて、怒涛の3連戦を無事に終えて9月に突入した今、トレセン学園のトラックには夏休み明けのウマ娘たちの活気で満ち溢れていた。酷暑の中レースに出ていた者、浜での合宿を積んだ者、休養に充てた者。秋の本番に向けて調整を重ねていくこの時期、おのが胸に目標を掲げこのトラックに一堂に介している。
「夏休みのうちにまるで人が変わったね、プレストン。この調子を引き続き維持していこう。」
そう労ったトレーナーはパチンと手を合わせる。
「さて、これから秋シーズンに入っていく訳だけど、練習の前にレースのローテーションを一緒に組み立てたいんだ。現状、何か考えているレースはあるかい。」
トレーナーからの提案に暫し考える。フィジカルもメンタルも好調である今ならば再びG1を掴める絶好の好機。自分の適性距離から考えると去年アグネスデジタルに雪辱を喫したマイルCSを本命に据えたいところだが、それでもG1は別格。直近でG3しか勝っていない現状ではまだまだ実力として不十分に思えた。『遠きに行いくには必ず邇きよりす』、故にステップアップとしてG2のレースに出て調整を進めていくのが堅実だろう。G2を制覇することができればその先のG1も現実的に語る余地がでてくる。逆にG2さえ勝つことが出来なかったらG1など夢のまた夢なのだ。
「本命はマイルCS。必ず去年の雪辱を晴らしもう一度G1の座に返り咲く。そのために前哨戦としてG2のレースに出て調整を進めていきたい。」
「了解した。プレストンらしい堅実な選択で良いと思う。僕も去年のマイルCSのリベンジをしたかったから君から直接その言葉が聞けて嬉しい。まだまだ新人で頼りないトレーナーだけどこれからも全力で君をサポートしていくよ。」
互いにまっすぐ見つめあう。覚悟を据えた彼の眼にはどこか遠くの背中を映す輝きが灯っていた。もともと彼の父親は有名なトレーナーで、そばで見てきた父の背中を追ってトレーナーになったと聞いている。親の存在がちらつく彼にとってここ一年は相当苦しかったと思うが、それでも腐らずに私のために色々試行錯誤をしてくれたからこそこうして今がある。彼の努力と、私の努力が間違っていなかったと証明するためにも、このマイルCSで必ず勝たなければならない。
「それで前哨戦についてだけど、今考えているのだと毎日王冠(G2)はどうかな。距離は1800mで時期的にマイルCSから天皇賞・秋に出る王道の中長距離組まで多数エントリーするハイレベルなG2だ。カツラギエース、オグリキャップ、ダイタクヘリオス、バブルガムフェロー、サイレンススズカ、グラスワンダー…あげればきりがないけどG1を複数勝つような猛者達は必ずと言っていいほどこのレースを制している。ここを勝ち切ればきっとマイルCSへの大きな自信につながると思うけど、どうかなプレストン。」
毎日王冠…。例年世代の最強格がG1の前哨戦として据えるハイレベルなG2。ここを勝てばマイルCS制覇も夢では無い。
「承知した。前哨戦はそれでいこう。相手にとって不足なしだ。」
「いいね、そう来なくっちゃ。それじゃあレースも決まったとことだし早速練習に入ろう。距離は1800mでこの前の北九州記念(G3)と同じ距離。ただ、例年マイル組より中距離組の参加が多いからスローペースで顔色を伺ってからの直線勝負にもつれやすい傾向がある。求められるのはスピードとスタミナ、そしてその二つを維持しながら走りきる根性かな、その点に関しては…」
「問題ない。」
間髪入れず即答する。ダートまで走って文字通り土を舐めた私には芝の上で胡坐をかいている連中にはないものがある、それこそ根性だ。
「心配無用だったね。その闘魂、レースで見せつけてやってくれ。」
ここきにきて、私もようやくこの男のことを分かり始めてきた。まだまだ互いに未熟な部分が多いのは確かだが、彼もそれなりに根性がある性分だ。勝つために変化する私に彼も合わせようとしてくれている。それがここ最近噛み合い始めた結果、私たちの魂はこれまでにないほど同じ方向を向いていた。これならばきっと今までよりも質の高い練習ができるはずだ。
「僕は今から練習メニューを印刷してくる。十分ほどで戻るよ。」
踵を返し学園に戻る背中が以前よりも少し伸びているように感じた。彼が戻ってきてからすぐに練習に参加できるよう私も軽く運動をしておこう。
ピークは過ぎただろうが九月に入ってからもまだまだ強烈な日差しがトラックを焼いている。こうして立っているだけでも立ち眩みが起きそうだ。そんな中でもトラックで切磋琢磨しながら煌びやかな汗を弾く彼女たちを眺めているとこっちまで走りたくなってくるのがウマ娘の性なのだろうか。あの顔に当たる風が心底気持ちよさそうに見える。
そんなことを思いながらいつもの木陰の下で切磋琢磨する彼女たちを遠目に見て準備体操をしていた、その時だった。私の後ろで数人のひそひそとささやく声が聞こえたのは。
「ねえねえ見て見て、あれってエイシンプレストンじゃない。」
「ホントだ、まだいたんだ。てっきり地方にでも行ったかと思ってた。」
「友達がこの前根岸(G3)に出てたの見たとか言ってたけど結局負けたらしいよ。」
「えー。朝日杯(G1)勝ってからダートとは、まさに絵に描いたような『消えた天才』だね。」
「あの世代は一発屋ばかりで華がないよ華が。エアシャカールもダービー逃したし、さすが『最弱世代』。」
くすくすと笑い合う声をわざと私に聞こえるように言っているのか、黙らせるために睨み返してもよかったが辞めといた。きっと重賞も勝ったこのないモブたちなのだろう。よほどG1をいくつも勝っているなら私の戦績を馬鹿にできるだろうが、そんな猛者なら重賞を勝つのがいかに難しいか身をもって知っているはずだからそもそも他人の戦績なんて馬鹿にしない。貴重な時間を取るに足らん連中に捧げる思考は私にはないのだ。
「ねえ、『消えた天才』といえばダイタクリーヴァとかもそうよね。はじめは威勢が良かったけど、結局G1はおろかG2すら勝ってないし。あの鼻につく関西弁も最近じゃ折れて大人しくなって正直ざまぁって思ってる笑。」
下劣な騒音から避難しようと立ち上がったその時、親友を辱められた言葉に耳がピンと立つ。怒髪天ならぬ怒耳天とでも言うのだろうか。私のことをなんと言おうと好きにすればいいが、私の蔑称のせいで親友がコケにされるのはワケが違う。いいだろう、そこまで喧嘩が好きなら是非とも買ってやる。なにせ私はオープンだろうがダートだろうが場所を選ばず戦ってきた戦が大好きな戦乙女なのでな。
一発分からせてやるぐらいなら停学で済むだろうと拳を握り締めて臨戦態勢に入る。二度と親友の名を口に出来ぬようその汚い前歯を全部へし折ってやろう。そう思ってモブたちに振り返ったその刹那…視界に表れた一人の美男子が颯爽と私の間に割り込んできた。
「談笑の途中ですまない。先ほどから随分興味深い話題で盛り上がっていたものだから気になってしまってね。名だたる重賞ウィナーを批評するとはよほどの実力者とお見受けした。そこでひとつ、どうかこの僕に彼女らへの勝ち方をご教授頂けないだろうか。なにせこの前、その『消えた天才』とやらに敗北を喫してしまってね。ちょうどこの後、模擬レースがあるから貴殿らのご指導を賜りながら是非とも一緒に手合わせ願いたいんだ。」
赤ワインのような深い髪色に品のあるショートカットヘア。貴族を彷彿とさせる丁寧な言葉遣い。整った凛々しい顔立ち。一瞬、おとぎ話の絵本から白馬の王子様がそっくりそのまま出てきてしまったのかと思ってしまった。顔だけ見るなら美男子、けれどもその頭部には私と同じように長いウマ耳がピンと立っている。
「…なによいきなり!追い切りって…てかあんた何者?」
「ばか!高等部のロサード先輩だよ!あんた知らないの?ほら薔薇一族の…」
あまりの美形にモブの一人が頬を赤らめてもう一人を諫める。確かに、あの美顔を前に立たれたら並みのウマ娘なら失神してもおかしくない。同性の私から見ても破壊力のあるイケメンだ。おまけにまとう気品には薔薇が浮かんでいるようにすら見える。
(なにせこの前、その『消えた天才』とやらに敗北を喫してしまってね。)
ロサードと言ったか、目の前の麗人には見覚えがあった。確かこの夏制覇した北九州記念(G3)で私についで2着になったのが彼女のはずだ。整っている顔とは思ったがそれよりも単純にレースの印象の方で彼女を覚えていた。好調だった夏の私にかなり肉薄してきたのだ。もしオープンで勢いに乗れていなかったら負けていたであろう試合内容だった。
「どうした?勝ち方を教えてくれるのだろう。ささ、トラックに行った行った。」
「あ、いえ、私たちはこの後ちょっと用事があるのでここで失礼します。またの機会で。」
「そんな堅苦しいこと言わないでくれたまえ。練習があるなら貴殿らのトレーナーには僕から話をつけといてあげるからさ。今日のやつは、ちょうど来月走る毎日王冠の模擬レースなんだ。あ、もちろん勝負服はあるよね。」
「え、いや、勝負服?」
「ん、どうした?模擬レースなんだから勝負服を着るのは当たり前だろ。まさかそんなことも知らないなんて言わせないよな?僕も出るし、あそこにいるエイシンプレストン殿も参加予定さ。もちろんその他全員重賞ウィナー。こんな貴重なハイレベルの模擬レース、滅多に学園でやらないから貴殿らのような猛者が飛びつかないわけがないよねー。」
突然名指しされてビクッとなったが、彼女が私の方を向いてウィンクをしたのを見て意図を察した。
「まさか模擬レースにも出たことないなんて言わないよな。いや、出れないのか。お前たちの実力じゃ。」
ロサードの容赦ない追求にモブたちは互いに顔を見合わせ、流石に音を上げたのか逃げるようにそそくさとその場を去っていった。
「ったく、有象無象め。監査ありの模擬レースに申請無しで走れる訳がないだろう。まあ重賞さえ勝ったことのないやつとは模擬レースなんて一生無縁だろうけど。」
一難去って頭を掻くロサード。彼女が代わりに悪党を懲らしめてくれていたその間に、私の沸点はすっかり常温に戻っていた。
「突然君の名前を出して申し訳なかった。ああいうのはどこにでもいるから本当はほっとくのが正解なんだけどね。けど僕の中の正義感がどうしてもそれを許さなかったんだ。許してくれ。」
「いえ、こちらこそ助かりました。私もあと一歩で手が出るとこだったので。危うく秋シーズンを棒に振るとこでした。」
「礼には及ばないさ。君が揶揄されれば君に敗れた全べての者もそう言われているのと同じこと。これは僕自身を守るためでもある。」
開口一番に謝罪を述べたロサードは実に紳士的だった。顔だけではなくその高潔な芯にも惚れそうになる。
「ロサードだ。この前の北九州記念はいい走りだった、エイシンプレストン殿。」
「ありがとうございます。直前のオープンで勢いづけてなかったら負けていたと思います。クラシック組の強さを感じました。」
親が海外の名門貴族の家系というロサードは本人の整った顔立ちに加え、その言動から学園の王子様と呼ばれている。薔薇一族とはその貴族の呼称で、彼女の名前「ロサード」も薔薇にちなんでいるのだろう。出自からもてはやされることの多い彼女だが、クラシック競争にはすべて出走している正真正銘の世代の代表格である。身分だけでなく実力と気品を兼ね備えたその姿勢が彼女の人気を後押ししていた。
「ああ、ちなみに先ほど言った模擬レースはただのハッタリだ。勘違いしていたらすまない。」
「いえ、ウィンクですべて察したので大丈夫です。それより…毎日王冠に出るとのことでしたが、あれもハッタリですか?」
私の質問にロサードから柔らかい雰囲気が引っ込み、顔が真剣に切り替わる。
「いやあれは本当だよ。その質問の感じだと君も出るつもりなんだろう、毎日王冠。」
彼女の返しにはいと頷く。
「こりゃあまた強敵が…。いや好敵というべきかな。そう簡単には勝たせてくれないわけだ。北九州記念では君に軍配が上がったかもしれないが、だからと言ってみすみす指をくわえて勝ちを譲るほど僕も愚かじゃない。今回の勝負、王子様らしく王冠は僕が頂ていく。」
「王冠は王子にではなく、王にあたえられるものです。」
「これはこれは。なかなか物言うね。相手にとって不足なしみたいだ。」
ロサードがニヤリと笑う。このウマ娘はどことなく私と似ている。おそらく超がつくほどの負けず嫌いのはずだ。
「あなたとは気が合いそうです。」
「フフフ、僕も同じこと考えてたよ。僕もそうだけど、君も相当な負けず嫌いでしょ。友のためなら拳を握るし、軽口を叩かれたらきっちりとお返しする。そういうの嫌いじゃないよ。ねえそうだ、僕たち好敵にならない?ちょうど追い切りやったり軽口叩きあえる好敵が欲しかったんだ。君とならいい好敵になれそうな気がするんだけど。」
「いいですよ。追い切りならいつでも呼んでください。北九州の時みたいに叩きのめしてあげます。軽口なら100倍にして返してあげます。」
「ハハハハハ!早速面白いこと言うね。それでこそ僕の好敵だ!もうお互い堅苦しいのはやめにしよう。僕も王子様ごっこはおしまいだ。」
どうやらタメ語が解禁されたらしい。
「貴族も身分を盛るのに大変なんだな。危うくさっきは惚れかけた。」
「別に君がさっきまで見てた僕も正真正銘ほんとの僕だよ。下衆どもに一泡吹かせてやろうと思ったのは事実だしね。男がTPOで「俺」と「私」を使い分けるのと同じようなもんさ。僕も便宜上、学園では社交的な身分にしてるだけで根本は君と同じ。どこだろうがレースにでて勝ちを追い求めるレースジャンキーだよ。」
「意外と脳筋なんだな。そうまでしてレースにでる理由はなんなんだ。」
「理由?理由なんて特にないけど、強いて言えばあのフラット感が好きなのかな。顔も金も身分も関係ない、芝の上に立てば全員が等しく挑戦者になるあの感覚。一才の外力を排して己の力のみで勝ち取った勝利こそ、何にも変え難い価値のあるものだと思わないかい。つまるところ、僕は相続できるものよりできないものに価値を感じているだけなのさ。その点、君はどうなんだいプレストン。なぜ君はレースに出るんだ。」
「私は他人をレースで下すことに楽しさを感じていてそのためにレースに出ていた。昔は走ることそのものが好きだったけど、他者と競い合うよになるとそこからは「走ること」より「他者よりも速く走ること」に楽しさを見出すようになっていった。相手が誰であれ、レースで1番を獲ると他者よりも優れた感じがして我ながらとてつもない優越に浸れる。ただその優越感には致命的な弱点があって、それは自分よりもさらに上がいると感じた瞬間にその魔法が消えることだった。さらなる優越感を得るためにはこの目の上のたんこぶどもを消さなければならない。それ即ちよりレベルの高いレースに出て己が強いことを証明する他なくなるわけだ。そうして行き着く先はG1で勝つという選択肢以外なくなる。だから私はG1を目指してレースに出ていた。」
「なーんだ、結局君も他者より優れたいと願うだけの俗物じゃないか。じゃあ今の気分はどうだい、僕を見る度に僕よりも上という優越感に浸っているんだろう。」
「…というのがまあ夏前ぐらいまでの話でな。今は心底その優越感といものがどうでも良くなっている。そもそもすでにG1はとっているからさっきの理論で言えばこれ以上優越感は必要なくなったわけで、これで晴れて目の上のたんこぶからは解放…とはならなかった訳だ。いくらでも勢力図は入れ替わるしシニア級になれば世代以外とも同じ括りにされる。結局のところレースのタイトルなんてその日限りの賞味期限で、ところ変わって天気も変われば昨日までの強さなんてただの思い出にすぎない。その調子ならどのみちG1を獲っても次のG1を取るまで不安で不安で仕方ないだろうな。そんな相対的で曖昧な強さというものを追い求めるより、自分の中で感じる絶対的で確固たる面白いとものを追求していく方がよっぽど楽しいだろう。頭が真っ白になるラストスパート。風を切り裂く高揚感。ゴール版をくぐり抜けた後のスタンドの大歓声。どんなレースでも勝てばその全てが絶対的なカタルシスを提供してくれる。ついでに旅先のご飯も絶品に、景色も絶景に変わるからレースで勝つというのはまさに一石三鳥だ。まあ何が言いたいかと言うと、最近はレースそのものを心から楽しんでいるということ。自分の中にレース対する絶対的な面白さがあってそれを楽しもうとこころがけている。その結果が勝ちに繋がっているだけだよ。」
私の話をきいて面をくらったのかロサードはきょんとした表情をしていた。
「ふーん。やっぱり君って少し変わってるよね、プレストン。でもなんとなく君が強い理由がわかった気がするよ。不思議と君に負けたのが悔しくなくなっちゃった。どっちかっていうと今は君がそこまでさっぱりしていることろにムカついてる。」
「あなたのように勝ちに貪欲な相手がいるからこそレースは面白い。そんな相手とこれから好敵として戦えるのが楽しみだ。」
不意に頬を赤くしたロサード。そしてそのままそっぽを向かれてしまった。「君ってよくウマたらしって言われない?」と訊かれたので「ほどほどに」と答える。
「長居しすぎたね。そろそろ僕は練習に戻るよ。さっきの話に戻るけど追い切りとかあったらいつでも呼んでくれたまえ。それ以外の普段でも、学園で見かけたら気軽に声をかけてくれたら嬉しい。それじゃ僕はこの辺で。」
アデューと手を振ってトラックに戻るロサード。唐突な出会いだったが久しぶりに素で会話できる相手を見つけたなと思った。彼女がトラックに向かってからすぐにトレーナーが戻ってくる。
「おまたせ、これが今日の練習メニューだよ。体力作りを目的に少しづつ長距離走をの割合を増やしていく感じになる。毎日王冠の一週間前には模擬レースがあるからそこで最終調整をしよう。それまでに何回か追い切りをやろうと思うんだけど、誰かアテはいるかい?いないならこっちで適当に見繕っておくけど。
「いや、ちょうどいいアテがある。こちらから誘っておく。」
そう、ちょうどさっきできたのだ。
「あれ、なんかいいことでもあった?普段よりウキウキしてる感じがする。」
「なに、いつもよりほんの少しレースの楽しみなだけさ。」
「そう、楽しみならそれは何より。じゃあ早速アップからしていこうか。」
温まった心と体でトラックに走り出す。昔はレースを勝つものとしてとらえていためにしんどかったのかもしれないが、最近は一つまた一つと醍醐味が増えてきたおかげで本当に楽しくなってきた。もちろんレースに勝つことが目的だが勝つことがレースの全てではない。明確なライバルを思い描いて「勝ちたい」と努力するのもレースにおける楽しみ方の一つだ。今、私の心の中にはロサードと走ることを楽しみにしている自分がいる。その楽しみが今、練習の大切なモチベーションになってくれていた。
練習が楽しくなれば当然質も上がる。練習の質が上がれば自然とフィジカルも強くなる。そうして迎えた一か月後、私の状態はキャリア史上過去最高と言ってもいいほどに洗練されていた。
迎えた毎日王冠、私の前に立ちふさがったのはやはり好敵であるロサードだった。彼女からみれば自ら好敵と認めた相手とのリベンジマッチのこのレース、追い切りを重ねたその相手に闘志は激しく燃え上がり最後の直線では互いに文字通り火花を散らすほど過密で壮絶なデッドヒートを繰り広げた。タイム差0.1秒、先にゴール版をくぐり抜けたのはわずかにエイシンプレストンの勝負服だった。初めての1800m、一年数か月ぶりのG2、ライバルとの一騎打ち。このすべてを打ち破ったエイシンプレストンはゴール版の奥で大歓声に包まれながら全身に湧き上がるカタルシスを感じていた。
副賞の王冠を授かり、レース後のウイニングライブもつつがなく終了し撤収しようとしたところでロサードから声を掛けられる。
「また負けちゃったよ。一瞬、勝ったと思ったんだけどな。悔しいけど前にいるのが君でよかった。それでこそ僕の好敵だからね。」
お疲れさまと差し出されたロサードの掌を、私もしっかりと握り返す。レースは終わったが、つながれた縁はこれからも続いていく。
「ここで甘えるなよ。君の本命はその先なんだから。」
「ええ、あなたのためにも必ず勝つ。マイルCS。」
そう、これはまだ前哨戦にすぎない。名だたる伝説たちからしたらこの毎日王冠はあくまでキャリアの中の通過点にすぎない。冬の影が近づいてきた10月。因縁のマイルCSはすでに一か月後に迫っていた。
「そうは言っても時には甘えてもいいんだよ。僕でよければいつでもヨシヨシしてあげるからね。」
「結構。」
突き放す私にロサードがこんにゃろー!とワシワシとしてくる。レースとライブで疲れているはずなのになぜか元気が湧いてきた。
「可愛げがないやつめ、それでこそ僕の好敵だ!」
10/7 毎日王冠(G2)
1着 エイシンプレストン
2着 ロサード




