其ノ漆幕間『松竹梅』
伝令役の『番衆』が【華ノ都】を駆け抜ける。
香坂準上席からもたらされた不穏な報せ。
それを【華ノ都】の守護を任された鬼狩り達に伝達すべく、数名の伝令役が都内を疾駆する。
まるで姿無き『土蜘蛛』の脅威を都全体に伝播させるかのように――。
「香坂準上席より伝令!」
ザッと外縁部の『鬼狩詰所』へと降り立った伝令役が報告の声を上げる。
「〝都内警戒を厳とせよ〟とのお達しです」
〝番〟の字が刻まれた鉢金を備えた男の硬い声音。
詳細は語らぬ伝令役の言葉。
だが、その意図は確かに伝わった。
『鬼』の脅威が都内に迫っている、ということだ。
「――また、猪狩中席は『医術所』において、第一陣の生存者の監視に就くように、と…」
「監視…ですか?」
詰所から出て、軽く会釈した青年――『猪狩松太郎』が不安げに眼鏡に触れる。
彼は【華ノ国】の鬼狩りがひとり。席格は『中席格』だ。
立場としては〝中堅〟。
だが、この国に仕える鬼狩りの中でも最年少な彼はどこかまだ頼りない印象が拭えていない。
「は。仔細は香坂準上席より願います」
「…分かりました。ご苦労様です」
「では、これにて――」
スッと頭を下げた伝令役はそのまま姿を消す。
松太郎はしばらくその場に立ち尽くした。
香坂準上席からの伝達――それが彼の不安を掻き立てる。
「怖気づいたか?」
ふとそんな彼の背から呼び掛けられる野太い声。
振り返ると、そこには大太刀を背負う大柄な体躯をした男が立っていた。
乱雑に髪を結び、立派な髭を蓄えた口元を緩める男――『鹿島竹正』が意地の悪い眼差しで松太郎を見つめる。
「松太郎…」
彼もまた松太郎と同じ『中席格』。
だが、松太郎よりも先任の彼は、鬼との実戦経験も豊富で、剣の腕も立つ。
筋肉質な体躯に纏う黒い狩装束は、彼の膨張した筋肉で角張り、まるで岩のような印象を与える。
見るからに、持ち前の剛力で長大な大太刀を振り回す武闘派である。
「はい、怖気づいてます」
ハの字に眉を曲げ、眼鏡越しに不安げな視線を返した松太郎がこくりと頷いた。
その返しに竹正がぷっと思わず吹き出した。
「ガハハ!相変わらず軟弱だな、お前は!」
豪快に笑う竹正。だが、「おっと?」と不意にその笑い声が途切れた。
それと同時――ゴッと鈍い衝撃が脳天で弾け、そのまま松太郎はドサと地に倒れた。
「弱音吐くんじゃないよ」
長い黒髪を高く結び、女性らしい流線を残す黒い狩装束に身を包むひとりの女性――『蝶野美梅』が姿を現す。
不機嫌そうに地に伏す松太郎を睨み据え、腰に手を当てた美梅が苛立ち気に短く吐き捨てる。
「美梅さん、痛いです…」
頭を押さえながら起き上がる松太郎。
目の端に涙を溜め、情けない顔で美梅を見上げる。
「あんたが腑抜けたこと抜かしてるからだ」
逆ハの字に細い眉を歪めた美梅はふんと小さく鼻息を吐いた。
「怖いものは怖いんですよ…」
「あんた、鬼狩りだろ!そんなんでどうすんのさ」
情けない表情を見せる松太郎に、じわりと美梅の怒りが全身から滲み出す。
「まぁまぁ…そこらへんにしとけよ、美梅」
そこへ竹正が仲裁に入ってくる。
これ以上怒らせたら火消しが面倒だ。
そう言いたげに、美梅の怒りを手で制した。
最初、竹正にぎろりと鋭い眼差しを向けた美梅だったが、それ以上は何も言わず、スッと怒りを抑える。
「恐れってのは恥ずかしいことじゃねぇ」
地に倒れた松太郎の腕を力強く引き上げ、彼をその場に立ち上がらせながら、竹正が不敵な笑みを浮かべる。
「だが、恐怖を飼い慣らさねぇと誰も護れねぇ」
ふと軽い口調だった竹正の声音が一段階低くなる。
「お前に必要なのは経験と自信だ…」
立ち上がった松太郎の肩を掴みながら、竹正が真剣な面持ちでその顔を見詰める。
「〝恐れを知ってこそ、成長がある〟――」
その言葉を聞き、松太郎の目が眼鏡越しに揺れる。
それを見、竹正がフッと表情を緩めた。
肩から手を引き、おもむろに顎髭をさする。
「こりゃ、俺の師匠の受け売りだがな。今の松太郎にぴったりな言葉だろう?」
ガハハ、と笑う竹正が力強く松太郎の背を叩く。
竹正に比べ、一回り小さな松太郎の体が大きく揺れ動き、「痛いです…」と泣き言を漏らした。
「確かに竹正の言うことも一理あるわ…」
ふと呟くように言葉を漏らした美梅。
「恐れ知らずは早死にする――」
美梅の言葉に、松太郎と竹正の視線が彼女へと向いた。
長い黒髪を揺らし、詰所の柱へ背を預けた美梅。
その横顔にはどこか苦々しい感情が滲み、遠くを見る目をする。
「鬼を甘く見た奴から死ぬんだ。強かろうが弱かろうが関係ない」
低い声音――。
先ほどまでの刺々しさとは違う。
実感を伴った重みが彼女の声音に滲む。
「……」
松太郎は黙ってその言葉を聞く。
「第一陣だってそうさ。腕に覚えのある『野良狗』達が参加した。それでも壊滅したんだ」
美梅の目がわずかに伏せられる。
「怖がるのは当然だよ。問題は、その恐怖に呑まれるかどうか――」
そこまで言って、美梅はふと松太郎の額を小突いた。
「だから、震えながらでも前に出な。鬼狩りってのはそういう役目だ」
「美梅さん……」
松太郎はぽかんと目を瞬かせる。
不器用な言葉――だが、それは紛れもなく彼女なりの激励だった。
その空気を察した竹正がニヤリと口元を吊り上げる。
「お?珍しく優しいこと言うじゃねぇか」
「うるさいよ。あんたは師匠の受け売り言っただけじゃないか」
「こりゃあ、今の松太郎にとってだなぁ――」
途端にギャアギャアと言い争いを始めるふたり。
その様子を見た松太郎は思わず小さく吹き出した。
重苦しかった詰所の空気。
それがほんのわずかに和らいだ。
◇
詰所での雑務を片付けた松太郎は早速、『医術所』へと向かった。
自らの手で運び込んだ第一陣の生存者の監視。
なぜ監視が必要なのか。
その説明は受けていない。
だが、香坂準上席からの指示ならば従う他ない。
ぴたり――。
松太郎が『医術所』の門前に立つ。
第壱章其ノ漆幕間 完




