表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼道残轍ーキドウザンテツー  作者: 団栗
第壱章【華ノ国動乱】
13/13

第壱章其ノ捌幕間『摘華』


 【華ノ都】中心部――『華街区(はなまちく)』。

 夜の帳が下りたこの地に悠然とそびえ立つ豪華絢爛な遊郭。


 『百花楼(ひゃっかろう)』。


 その名の通り百に及ぶ(遊女)を抱える一大遊郭は今日も客がひっきり無しに出入りし、彼等は一時の愉悦と享楽に身を投じていた。


 そんな『百花楼』は腹の中に抱える暗部。


 彼女に命を下した銀次は『百花楼』を摘み取る覚悟を決めていた。

 

 残るは、表立って攻め入る為の名目のみ。

 もはや【華ノ国】は『百花楼』を取り除くべき悪弊と見なしていた。


 それを明らかにするべく、『百花楼』に忍び込んだひとりの密偵。

 

 諜報専門の『番衆』――通称『影見(かげみ)』。


 名を『片栗(かたくり)』。


 目立たぬ黒装束に顔は覆面、腰には自衛用の小刀を携え、一見して忍びのような姿をしていた。

 そしてその肩には彼女の〝使役鼠〟――『ハツカ』が乗っていた。


 そんな彼女は天井を伝って潜り込み、ストッと微かな気配と共にある一室へと降り立った。


 彼女の任務は『百花楼』が鬼と通じている確たる証拠を見つけ出し、国主屋敷へ持ち帰ること。


 先行して潜入した前任は消息不明。

 恐らく存在を気取られ殺害されたと見られる。


 その時点で『百花楼』は臭すぎる。


 そして、前任が最期に残した不穏な報せ。


 ――〝百花にて不穏な動きあり〟


 短い文章。

 だが、それで十分。


 誰もいない部屋の中、遠くから聞こえてくるのは――下卑た笑い声、三線や舞の音、香の匂い。

  

 それを尻目に『片栗』は畳に膝を落としたまま、静かに室内を見渡した。

 

 朱色と金で彩られ、豪奢な調度が並ぶ女将の私室  

 そこには鼻腔をくすぐる下品な香の匂いが立ち込めていた。

 

 肩の〝鼠〟もまた前足で鼻先をまさぐっている。


 人より鼻が利く『片栗』と〝ハツカ〟にとってその匂いは不快なものだった。

 

(趣味が悪いな――)


 胸中で独りごちた『片栗』が視線を巡らせる。


 緊張のせいか、妙に喉が渇く。

 まるでここは危険だと体が訴えかけているようだ。


 そんな違和感を感じつつ、『片栗』は室内を注意深く観察する。

 

 そこで『片栗』の目が執務机の上の一点でぴたりと止まった。


 ――〝黒革表紙の帳簿〟

 

 まるで〝ここにあるぞ〟と主張しているかのように一冊だけ不自然に置かれている。

 

 ざわ――直感で理解した。

 

 これがお目当ての〝裏帳簿〟だ。

 

 しかし、あまりにもあからさま過ぎる。 

 もはや隠すつもりもないということか。


 言い知れぬ不安が過る中、『片栗』はその帳簿を手に取るしかなかった。


 たとえこれが〝罠〟だろうと、逃げ帰ることはできない。


 この任務によって【華ノ国】の行く末が決まる。

 そう言っても過言ではないほど、『百花楼』の力は強大かつ不穏なものとなっていた。


 幸い付近に人の気配はない。 

 このまま帳簿を持ち帰れば、任務は完遂。


 他に選択肢などなかった。


 肩に乗る〝ハツカ〟は警告するように微かに鳴いている。


「大丈夫…」


 肩越しに〝ハツカ〟を見やった『片栗』が覆面越しに目を細めて笑った。

 

 慎重に腕を伸ばし、執務机の帳簿を手に取る。


 ――何も起こらない。


 だが、確実に部屋の空気が変わった。


 すぐにでもこの場を立ち去りたい――


 その気持ちを押し殺し、『片栗』はその裏帳簿の結びを解く。


 これが本物である確証がない。

 もしかすると、偽物を掴ませる魂胆かもしれない。


 帳簿を開き、素早く内容に目を通す。


 ぺらり――。

 

 静まり返った室内に紙を捲る乾いた音だけが響く。

 

 帳簿の内容を見、『片栗』の表情が曇る。

  

 既に死んだはずの遊女。

 失踪した町人、都を追われた商人。


 〝納品〟、〝処理〟、〝献上〟

 

 まるで人を物のように扱う文言。


「これは…」


 最後の頁を捲った瞬間――『片栗』は大きく目を見開き、絶句した。


 そこには『土蜘蛛』討伐に向かった〝第一陣〟の戦死者全員の名が記され、その横に朱書きで〝処理済み〟の文字が見える。


 嫌な汗が滲む。

 

 この帳簿を見る限り、恐らく『百花楼』は隠れて人身売買に手を染めている。

 

 それだけでも重大な違法行為。

 だが、第一陣と何の関係があるのか。

 

 その疑問は、考え得る中で最悪の解えと結び付く。

 

「〝第一陣〟の壊滅に『百花楼』が関与している?」

 

 ぼそ、と短く呟いた『片栗』。


 この時点で『片栗』の中で『百花楼』に対する〝疑惑〟は〝確信〟に変わった。

 

 急いで帳簿を懐に忍ばせると、即座にその場に立ち上がった。


 そんなとき、ふと肩に乗る〝ハツカ〟が毛を逆立たせた。

 振り向くより早く、背後で誰かの声が響く。


「餌に釣られて猫の巣に迷い込む鼠が一匹…」


 いつの間にか『片栗』の背後に立っていた青年。

 背後の障子が、いつ開いたのかも分からなかった。


 そんな彼は『片栗』の肩に乗る〝ハツカ〟を見、「いや、二匹?」とわずかに顔を傾ける。


「まぁいいや…」


 伸びた銀髪に薄灰色の着流し姿――まるで人形に無理やり笑顔を張り付けたような生気のない無機質な顔。

 

 そんな彼は腰に差した打刀に手を添えながら私室の出口に立ち塞がり、『片栗』の退路を絶っている。

 

 青年の腰のものは鬼斬刀ではない。

 何の変哲もないただの刀――だが、そこから並々ならぬ血の気配が滲んでいた。


 鬼狩りではない。


 彼を例えるならば、〝人斬り〟だ。

 

 本能的に『片栗』はこの男を危険と悟った。

 そして、肩の〝ハツカ〟も歯を鳴らして威嚇する。


 無言のまま、『片栗』は自然と腰に差した小刀の柄を掴んだ。


「今月で二匹目。〝鼠〟は数が多くていけないや…」


 にこり、と笑う青年。

 だが、その目は一切笑っていない。


 二匹目――その言葉に『片栗』の背筋が凍った。


「……」


 じり、と『片栗』は無意識のうちに距離を取る。


 退路は塞がれている。

 かといって、天井へ登る余裕はない。

 

 なんとか隙を作らなければ。


 ぎり、と『片栗』が歯噛みした。


 次の瞬間、ボンと勢いよく煙玉が彼女の足許で弾ける。


 瞬く間に白い煙が部屋に充満し、静かな殺気を放つ青年の視界を遮る。


 アハ、と愉しげな笑い声を漏らした青年――押し寄せる煙幕を腕で遮りつつ、鋭い殺気は途切れない。


 その隙に『片栗』は部屋を音もなく駆け抜けた。


 軽く跳躍し、潜入してきた天井の抜け穴へと最短距離で向かう。だが、視界を遮る煙幕の向こうで鋭い殺気が張り詰めた。

 

 刹那、ボッと白い煙幕を裂いて急襲した青年の突きが容赦なく『片栗』の心の臓を狙う。


 咄嗟に壁を蹴り、軌道を変えた『片栗』が紙一重でその突きを避けると、ザッと畳の上に降り立った。


(この男、〝勘〟だけで…)


 畳を蹴る微かな音。

 白煙に紛らす風の流れ。


 それだけを頼りに青年は鋭い刺突を繰り出した。

  

 人を殺すことに躊躇いがなさ過ぎる。

 さらに煙幕の中でこちらを捉える鋭い感覚。


 慣れている――。 

  

「ありゃ、外した?確かに音が…」


 空を突いた青年の間の抜けた声。


 視界不良の中、寸分違わず『片栗』の心の臓を狙った突き。


 逃げられない――。


 そう悟った『片栗』がおもむろに腰の小刀に手を掛ける。

 

 視界を覆っていた煙幕が緩やかに晴れてゆく。

  

 徐々に視界が鮮明になる中、ゆらりと不気味な人影が煙のなかに浮かび上がった。


「あまり俺の手を煩わせないでよ」


 抜き身の刀を肩に担ぎ、笑顔を見せる青年。

 その軽薄な雰囲気とは裏腹に、彼の目には明確な殺意が滲んでいた。


 黙ったまま、『片栗』はその青年を睨み据える。


 カチリ、と柄を握る腕に力を込めた。

 

 その気勢を感じ、青年はぺろりと舌舐めずりをすると、居合の姿勢を取った。


 しばらくの睨み合い。


 両者動かず、相手の出方を窺う。

 

「来ないなら、こっちから行こうか…」


 にこり、と笑った青年の殺気が高まる。


 それに反応し、『片栗』は短刀を抜き放つと見せ掛けて、勢いよく〝何か〟を投擲した。


 〝それ〟は青年の顔面目掛けて飛来する。


 顔を傾け、それを避けた青年。

 瞬く間に『片栗』の間合いへ踏み込む。


 ザン――。


 目にも留まらぬ抜刀術。


 気が付けば、『片栗』は逆袈裟に斬り上げられていた。


 ドッと血飛沫を上げながらその場に膝を突く『片栗』――そんな彼女を見下ろし、頬に返り血を浴びた青年が微笑した。


「俺ひとりで処理するのは大変なんだ。〝猫〟の手も借りたいくらいにさ…」


 感情のない眼差しが『片栗』を見る。


 絶え間なく流れ出す血。

 その刃は『片栗』の致命に届いた。


 意識が薄らゆく『片栗』の虚ろな眼――だが、その目元にどこか勝ち誇ったような笑みが浮かぶ。


 彼女の表情にきょとんと眉を上げた青年。

 

 おもむろに『片栗』が懐に忍ばせていた〝帳簿〟を手に取ると、「へぇ…」と愉快げに口元を歪めた。


(――草餅が、食べたいな…)


 そのとき、『片栗』は己の死を実感しながら何のこともないことを想像する。


 鬼災孤児として【元老院】に育てられた『片栗』。

 鬼狩りにはなれなかったが、気配を消すのが得意だった。


 『影見』となって二年。


 相棒の〝ハツカ〟と色んな任務に――。


「意地悪な〝鼠〟だね、君」


 そう言いながら、青年は『片栗』の喉元にドッと躊躇いなく刃を突き立てた。


 その帳簿の最後の頁。


 〝第一陣〟の名が記されていた箇所の紙面だけが破られている。


 そして、〝鼠〟が一匹――いない。


 さきほど彼女が投擲した〝何か〟


 それは重大な事実が記された箇所の紙面を忍ばせた〝ハツカ〟だったのだ。


 命を懸けて情報を託された〝ハツカ〟は『百花楼』の楼内を一目散に駆け抜けてゆく。 

 

「哀れな〝鼠〟…」


 彼女の目から生気が失せたことを確認しながら、その青年はぽつりと言葉を漏らした。


「こんな壊れかけの〝箱庭〟の為に命を投げ出すなんて…」


 その喉元から刃を抜きつつ、無表情で『片栗』の骸を見下ろす。


 彼は〝ハツカ〟を追う素振りもない。

 ましてや、怒りや焦りのような感情すら見せない。

  

 不気味な静寂の中、静かに刀を鞘に納めた。


「――『綾人(アヤト)』」


 その青年の背後、障子越しに響く冷ややかな女性の声。


「鼠の処理は済んだ?」

「終わったよ、女将さん」


 綾人(アヤト)と呼ばれた青年は振り返り、障子に浮かび上がる人影を見遣った。


「だけど、帳簿を破られて持ち出されちゃった」

「…誰に?潜り込んだ鼠は一匹のはずでしょう?」

「もう一匹、肩に小さな鼠がいたんだ。ごめんよ」


 悪怯れる素振りも見せず、平謝りする綾人。


「面倒ね――」


 じわ、とわずかに苛立ちが滲む。


「仕方ないわね。」


 しかし、すぐさま平静に戻った女性の声。

 その制御された感情が妙な不気味さを感じさせる。


 対し、綾人は顔色ひとつ変えずに笑っていた。


「恐らくこの一件で国主も動き出す。私達もお出迎えの準備をしないといけないわ」


 障子越しにもその女将が笑うのが分かった。

 

「これから忙しくなる。頼んだわよ、綾人」

「へいへい…」


 かちゃり、と『綾人』が刀の柄を握る。

 障子越しにふんと小さく鼻息を鳴らす気配。

 

「おい、酒だ!もっと酒を持ってこい!」

 

 そんなとき、遠くから男の怒号が聞こえてくる。

 

 その男は暴れているのか。

 ガシャン、と何かが壊れる音がした。


「新規のお客様よ…」


 ぽつ、と呟く女将。


「人使いが荒いなぁ、女将さんは」


 そんな言葉を漏らしながらも綾人はどこか嬉しそうに歩き出す。

 

「死体の片付けは他の者にやらせるわ」

「頼みます。僕の専門は人斬りなんでね」


 短い会話を交わしつつ、綾人は部屋を後にする。


 部屋に残された『片栗』の骸がまるで物のように転がっていた。


 ――今宵、ひとりの『影見』が小さな命に全てを託しながら『百花楼』の深い闇の中に沈んだ。


 〜


 【華ノ都】――国主屋敷


 蝋燭の灯火だけが照らす薄暗い一室。

 

 そこに浮び上がる細身な男の影――立花銀次はひとり机に向かい、各遊郭の売上を帳簿に記しながら静かに使い込まれた算盤を弾いていた。


 白髪混じりの黒髪をまとめた精悍な男は、細い指先で帳面をなぞる。


 数字を追う鋭い目。

 

 金の流れを読んでいる。

 否――その裏に潜む〝人〟の流れを読んでいた。


 算盤の乾いた音だけが静まり返った部屋に響く。


「ふむ…」


 おもむろに鼻息を漏らした銀次がその視線を一枚の報告書に落とした。


 『百花楼』


 収支報告書に記された数字の羅列に目を走らせる。


 数字は合っている。

 不自然なほどに。

 

 一切の綻びも許さぬ完璧な帳面。

 

 まるでこちらに付け入る隙を与えぬよう、最初から計算され尽くしているかのようだった。


 しばらく思案する銀次。


「駄目だな。決め手に欠ける…」


 だが、すぐに苦笑いを浮かべた。


 ギシとそのまま座椅子の背もたれに身を預ける。


 もはや【華ノ国】の顔とも呼ぶべき〝大輪〟となった『百花楼』をこの程度の違和感で摘み取ることはできない。


 すでに放った二人目の密偵。

 

 彼女がその〝決め手〟を持ち帰ることを願うしかない。


 ふと銀次は机の端に置かれた包みを見た。

 

 危険を顧みず、潜入任務を就く彼女への慰労の品。

 使いを出し、彼女行きつけの餅屋から買った〝草餅〟が入っている。


 年若き『影見』の少女への銀次なりの気遣い。


 だが、それが彼女に届けられることはない。

 その代わり、一匹の使役鼠が銀次の許へとやってくると、彼女の凶報を知ることとなる。

 


 ——この一件により、【華ノ国】は本格的に『百花楼』の取り潰しを決定する。


 

 そして、立花銀次は『番衆』を召集して『華街区』を完全封鎖の上、鬼と通ずる『百花楼』に対する大規模な浄化作戦を敢行することとなる。


 ——第壱章其ノ捌幕間『摘華』 完

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ