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鬼道残轍ーキドウザンテツー  作者: 団栗
第壱章【華ノ国動乱】
12/13

其ノ捌『第二陣』


 【華ノ都】〝国主屋敷〟――『華ノ間』。


 まず上座に鎮座する国主『立花鉄左衛門』。

 そしてその右には『立花銀次』、左に『香坂菊次郎』の姿があった。

 

 この国を担う重鎮の錚々たる面々である。

 

 その正面、大広間に向かい合うよう並べられた七つの豪華な膳――山盛りの飯に煮魚、汁物、そして上等な酒。

 

 本来ならば『野良狗』等が口にすることのできない程の豪勢な食事が盛られている。


 そんな膳を前にして腰を据える七名の『野良狗』。 

 だが、彼らが醸す空気感はどこか重く、息苦しさを感じる程に沈んでいた。


 それもそのはず、彼等は国主屋敷へもてなしを受けに来たのではない。

 

 これから『土蜘蛛』討伐という名目で死地へと送り込まれるのだ。

 言わば、目の前に用意された膳は死出の戦いに赴く前の最期の晩餐というやつだ。


 そのせいか、食事を前にしても誰一人として箸を取ろうとしない。 

 皆、神妙な面持ちで押し黙っていた。

 

 そんな空気の中、ふと鬼道丸は正面を見る。


 そこにはかつて夜の山で刃を交えた謎の少女――鴉羽の凛とした姿があった。


 恐る恐る彼女の顔色を窺う鬼道丸。

 だが、鴉羽は虚空を見つめたまま、動かない。


(――覚えてない、か…)


 胸中で呟きながら鬼道丸は改めて膳を見る。


 自分のために用意された食事――それは山育ちの彼にとって見たことのない程の馳走。


 ぐぎゅる――。


 腹の虫が鳴く音が聞こえた。

 無意識のうちに手が箸へと伸びる。 


「皆、よく集まってくれた。礼と言っては何だが、心ばかりの食事を用意させてもらった。遠慮せずに――」


 そんな雰囲気を察してか。


 鉄左衛門が重い空気を払拭するべく、落ち着いた声音で食事を勧めた。


 しかし、鉄左衛門が言い終えるより先――最後列、下座に収まる鬼道丸はそんなことお構いなしに両手を合わせた。


「いただきます」


 正座のまま深々と頭を下げた鬼道丸。

 

 スッと白米が盛られた椀を左手に持ち、器用に箸で煮魚の身を崩して一口頬張ると、一気に米を掻き込んだ。


 煮魚の脂が舌の上でほどける。

 絶妙な味付けに、白米の手が止まらない。

 

 もぐもぐと咀嚼する鬼道丸。


 その顔は――満面の笑みだった。


 朝の握り飯ふたつでは足りず、腹を空かしていたところに突然、『番衆』から召集状を手渡された。

 

 何も分からずここまで来たが、まさかこんな御馳走にありつけるなんて――。 


 重い静寂に包まれた【華ノ間】に鬼道丸が奏でる場違いな食器の音だけが妙に大きく響いた。


 その光景に周囲の者達がざわつく――。


 鉄左衛門は口をへの字に曲げる。

 銀次は細い眉をひそめ、鬼道丸を推薦した張本人である香坂は表情ひとつ崩さず、その場に座っていた。


 そんな香坂に鉄左衛門が睨む目を向けた。

  

 本当に大丈夫か――そう言いたげな目が香坂に突き刺さるが、彼は〝わざと〟気付かぬフリを続けた。


「さ、さぁ。ほかの者も食事を始めてくれ」


 やや調子は狂わされたが、鉄左衛門はひとつ咳払いをすると、取り繕うように他の『野良狗』達に食事を促す。


 訝しげな表情の者、苦笑する者、気にしていない者――『野良狗』達の反応も様々。


 鬼道丸の眼前、凛と背筋を伸ばして座る『鴉羽』もまた――彼に続くように何食わぬ顔で箸を手に取り、食事を始めた。


 彼女は敢えて鬼道丸を見ない。

 

 涼しげな表情を崩さず、まずは汁物を音を立てずに啜る――その静かな所作から彼女の育ちの良さが窺えた。


 だが、その姿にもこの場から切り離されたような異様な静けさがあった。

 

何者(なにもん)だ、コイツ()…」


 ぼそり、と『野良狗』のひとり――『(ムグラ)』が空気を読まぬふたりの奇妙な光景を目の当たりにし、独り言のように言葉を漏らした。


 第一陣の壊滅。未知数の『土蜘蛛』。

 そして、これから自分達も死地へ向かう状況。


 とても飯の味が分かる状況ではない。

 

 少なくとも、まともな神経ならば――。


「まぁまぁ旦那…」


 そんなムグラの心中を知ってか、彼の隣に座っていた男が不意に顔を近付け、声を掛けてくる。

 

 確か名簿によれば――名は『(アカザ)』だったか。

 

 馴れ馴れしいその男を見るムグラ。

 

 不健康そうな褪せた肌に下卑た笑み、身に纏う地味色の衣も簡素なもので、彼は一見して食い詰め浪人のような出で立ちをしていた。

 

 脇に置く『鬼狩具(おにかりぐ)』は刀型。

 手入れされているのかさえ疑わしい粗末な見た目をしている。


(コイツが第二陣の精鋭…?)

 

 ふと眉をひそめたムグラは無意識に彼から距離を取る。


「ここに座ってんのは皆、『土蜘蛛』退治っていう無理難題に挑もうっていう酔狂者の集まりですぜ?」


 上座の面々に聞かれぬようアカザの声は抑えめだ。


「金の為か、名声の為か。はたまた単なる暇潰しか…」


 ぐるりと周囲を見渡しながらアカザが囁く。

 

 その視線の先、鬼道丸と鴉羽とはまた別の〝異質〟――『野良狗』の〝荒草兄弟(あらくさきょうだい)〟を見つめた。


 兄の『(あし)』と弟の『(カヤ)』。

 

 肩幅の広い筋肉質な兄とやや細身な弟。

 粗末な筒袖と股引、ところどころ革布で補強したその出で立ちは品のない野生児を連想させた。


 彼等の『鬼狩具』は大型の鉈と小振りな手斧――。


 そんなふたりは何も言わず、不気味にただそこに座っていた。


「ああいう常識外れな連中がいてもおかしくはありやせん…」


 ケヒ、と気味の悪い笑い声を上げたアカザ。


 ムグラは無遠慮なこの男の距離の近さに不快感を覚えつつも、その言葉には同意するところがあった。


「じゃあ、アンタには常識があるのか?」

「少なくともこの場で飯が喉を通るほど楽観主義者じゃねぇですよ。まぁ、酒は別ですがね。へっへ…」

「…フン」


 軽薄なアカザの台詞にムグラは小さく鼻息を吐き、再び白髪頭と黒い娘へ視線を向けた。


 どちらも若年の身に見えるが、身に纏うのは常人離れした強者の風格。

 ここにいる誰よりも『土蜘蛛』に近いと感じさせる程の重圧がこのふたりから滲んでいるのが分かる。


 〝豪胆〟と呼ぶには威圧がない。

 だが、〝無知〟と片付けるには異様な気配。


 何者なんだ――ムグラは訝しげに彼等を見る。


 そしてそんな完全な沈黙が流れる中、場の空気を一変させる太い声音が【華ノ間】に響いた。


「国主殿、ひとつお尋ねしてもよろしいか?」


 不意に上座寄りに座っていた大柄な『野良狗』――『俵太(ひょうた)』が声を上げ、ぎろりと鋭い眼差しを上座に向けた。


 常人を軽く凌駕する上背に猛々しい程に大柄な体躯、獣のように伸びた髪は荒く纏め上げ、背には毛皮を背負う大男――一見すれば〝熊〟と見紛う程の巨漢である。


「申せ。〝大狗(オオイヌ)〟の俵太殿」

 

 その呼び掛けに鉄左衛門は短く応じる。

 ほかの『野良狗』達の視線も自然と彼に集まった。


 流石に鬼道丸もその異変に気付くと、平らげた煮魚の骨を咥えながら、俵太の方を見る。

 対して、鴉羽は動じず箸を進めていた。

 

「此度の第二陣の編成、何を基準とされた?」

「無論、これまでの諸君等の武功を基に実力者のみを選抜したつもりだ」

「では、何故あんな場違いな小僧がこの場におられるのか。お聞かせ願いたい…!」


 丸太のような腕を伸ばし、真っ直ぐに最後列に収まる鬼道丸を指差した俵太が苛立ちげに声を荒げた。


「…僕?」


 突然の名差し。

 しかも、なぜか怒っている。


 鬼道丸が呆気に取られ、ぽろりと口元から魚の骨を落とした。

 

「彼を第二陣に推薦したのは――私だ」


 俵太の問いに答えたのは香坂菊次郎。

 

 その声音は相手を威圧する俵太の荒々しさを感じさせるものとは全くの別物――静かだが、確かな圧を感じさせる厳格な声音だった。


 俵太は想定外の後ろ盾の登場にわずかな焦りを見せ、ぎりと悔しげに歯噛みする。

 しかし、彼も負けじと香坂に対して食い下がった。


「香坂殿…そこの小僧と我等を同列に扱うのは少々お戯れが過ぎるのではありませぬか?」

「同列かどうかは現場で判断すればよろしいのではないかね?〝大狗〟の俵太殿」

「…ッ!」


 両者、一歩も譲らず、硬い視線を交差させる。


 ぴりと【華ノ間】の空気がわずかに張り詰めた。

 

 【華ノ国】筆頭鬼狩りとただの『野良狗』――どちらが()を弁えるべきかは明白だった。


「控えよ、俵太殿。第二陣の編成は既に決しておる。おぬしがどうこう言える立場ではなかろう…」


 ぴしゃり、と冷淡に言い放ったのは銀次。


 香坂とはまた違った圧――まるで蛇に睨まれたかのような鋭さが俵太を突き刺してくる。

 続く俵太の言葉は銀次の鋭い圧に制される。


「…承知した」


 ぐっと溜飲を飲み込んだ俵太が低い声で答える。

 

 そして、怒りを宿す彼の目が自然と最後列の鬼道丸へと向いた。

 

 その眼に宿るのは明確な敵意。 

 本来『鬼』に向くべき感情が鬼道丸に向けられる。


 鬼道丸は何も言わず、ただその眼を見返した。

 

 そして、これまで静寂を保っていた鴉羽がスッと俵太へと冷たい視線を向けた。


 言葉にはせずとも伝わる殺気にも似た感情。

 それを敏感に察知した彼女は人知れず反応していた。


 対する鬼道丸は気にする素振りはない。


 感覚が鈍いのか。

 それとも肝が据わっているのか。


 まるで俵太など眼中にない、といった様子。


 その態度が俵太のさらなる不興を買った。


「他に異論ある者は?」


 ふと鉄左衛門が視線を巡らせる。


 上座に収まる一国の主――その覇気を纏わせた大男の岩のような眼光が『野良狗』達を見遣る。

 返ってきたのは、沈黙だった。


「――なければ、本題に入る」


 出立前の厳かな食事という雰囲気ではなくなった。

 

「香坂準上席が第一陣の持ち帰った『土蜘蛛』についての情報を聞き出した。場所は既に周知の通りだが、有益な情報はなく、その構造は全くの不明というのが現状だ…」


 『土蜘蛛』の根城――『蜘蛛之巣』。

 森深い場所に残る廃れた廃屋敷をそのまま利用する形で、文字通り『土蜘蛛』配下の鬼達の〝巣窟〟と化した場所。


 鬱蒼とした森に守られ、【華ノ国】からの監視の目も届かない不透明な〝巣〟だ。

 

 『鬼』が潜むには絶好の隠れ蓑。


 それ故、攻め手としてはやりにくい地形である。 


「そして、『土蜘蛛』の能力もまた不明。第一陣は『蜘蛛之巣』に入り込んだ直後に壊滅。屋敷前庭で大量の蜘蛛型の鬼に包囲された」


 何の備えもなしに『土蜘蛛』の縄張りに入った者の末路――それは為す術もなく〝獲物〟として狩られる有様だ。


 場の空気がさらに沈むのが分かった。 


「以上のとおり、『土蜘蛛』に関する情報は乏しい。諸君等には不利な戦いを強いる形となるだろう…」


 そこまで言って鉄左衛門は言葉を切る――。

 

 彼自身、無理強いをしている自覚はあった。

 だからこそ、死地へと向かう七名の反応を見る余白を敢えて作ったのだ。


「『土蜘蛛』側の戦力で判明していることは?」


 ふと鴉羽が冷静に質問を投げ掛ける。


「ここは私が――」


 名乗りを上げたのは香坂菊次郎。 


「『土蜘蛛』を除き、特筆すべき鬼は三体――まず直属の配下である〝双子鬼〟。こいつらは単体では中鬼格程度だが、近と遠の連携が非常に厄介な相手となる」


 まるで鴉羽の問いを予見していたかのように香坂が淀みなく『土蜘蛛』の戦力について話し始める。

  

 【華ノ国】の鬼狩りを統率する準上席格――彼ほど付近に出没する鬼に熟知した者は他にいない。

 

「加えて、近頃あの近辺で準上鬼格の『百足(むかで)』の姿も確認されている」


 その鬼の名を口にするとき、香坂の目にわずかな陰りが差し込んだ――そして、『百足』の名が出た途端、あからさまに『野良狗』達の顔が曇るのが分かった。

 

 それは『野良狗』として各地を放浪していたならば、一度は聞いたことのある悪名。


 しかし、やはり鬼道丸と鴉羽だけは平然と聞く体勢を崩さなかった。

  

「奴は攻撃性が強く、ほかの鬼と群れることを好まぬ鬼だ。かつて多くの鬼狩りがこの『百足』によって殺害された――」

  

 苛烈な攻撃性と獰猛な性格が混ざった凶悪な鬼。

 民への喰害のみならず、鬼狩り殺しも敢行する『土蜘蛛』に次ぐ脅威として皆の記憶に刻まれていた。

 

「そして、現在は何らかの理由で『土蜘蛛』と通じている可能性がある。油断するな」


 淡々と『土蜘蛛』が保有する戦力について語る香坂の言葉を鴉羽は顔色ひとつ変えずに聞いている。


 鬼道丸もまた香坂の説明を真剣に聞きながら、実際の戦闘を想定しているのか、ぐっと体を強張らせていた。


「残るは蜘蛛型の鬼。数こそ脅威だが、さほど特筆すべき点はない。諸君等ならば対処も容易だろう」


 言い終えた香坂がひと息つく。

 しかし、すぐに鬼狩りとしての眼光を宿した。

 

「『土蜘蛛』を除き、気をつけるべきは今説明した三体。双子鬼と遭遇すれば必ず数的有利な状況を作り出し、分断しろ。そうすれば、討伐は容易となる」


 香坂の話を聞き入る『野良狗』達。

 

 腕組みをして仏頂面の俵太、真剣に聞くムグラ、上の空で酒を呷るアカザ、つまらなそうに頬杖を突く葦と余所見をする茅――その反応も様々。


「『百足』は伸縮自在な『百足鞭(むかでべん)』を扱い、近遠ともに隙がない。下手に前に出ず、隙を見極めて一気に斬り込め…」


 豊富な鬼との実戦経験に基づく香坂の言葉。

 歴戦の鬼狩りが語る鬼に対する戦術は実際に鬼との対峙を想定した現実味を感じさせた。


「――以上が現状こちらが把握している『土蜘蛛』側の戦力だ」


 そう締めくくると、香坂が鴉羽へと視線を送る。


 鴉羽はこくりと小さく頷く。

 今の説明で十分――そう告げる目を香坂に返した。


「あのぅ…あっしからも…」


 控えめな声音。


 それはアカザのものだった。


 口元には薄笑いを浮かべた血色の悪い男。

 その頬はわずかに赤らみ、片手には酒の入ったお猪口を摘んでいる。


「アカザ殿、何か?」


 鉄左衛門が応じ、発言の許可を出す。

 

「へっへ…ありがとうございやす…」


 ぺこぺこと小物臭を漂わせながら頭を下げたアカザが手に持つお猪口をぐいと呷ると、静かに膳の上に置いた。

  

「こりゃあ、あっしの思い過ごしかもしれねぇんですがね。第一陣の壊滅――これ…偶然じゃねぇ気がするんでさぁ…」


 そこまで言ってアカザは不気味に言葉を切る。


 そして同意を求めるようにほかの『野良狗』達へと視線を巡らせた。


「『蜘蛛之巣』に到達するまで何も起きず、奴等の縄張りに入った途端に壊滅。これじゃまるで餌場に誘い込まれたようなもんだ…」


 芯を突いたアカザの言葉に上座の者達を含め、『野良狗』達の目に不安が過る。


 ぴくと銀次の細い眉が跳ねた――表面上は平静を装っても、内面の焦りが彼の冷静さを乱した。


「結論、何が言いたいのだ?アカザ殿」


 鋭く問う銀次――その言葉にアカザが一瞬だけニヤと口の端を歪ませた。

 

「…あっしらの動きはあちら側(『土蜘蛛』)に漏れてるんじゃねえかって話です」


 どよ、と場の空気がざわめき立つ。


 不意に視線を交差させた鉄左衛門と銀次。 

 その瞬間――敏くふたりの反応を盗み見たアカザは満足そうに目を細めた。


 『百花楼』の内通問題はいまだ一部の者にしか知らせていない秘匿事項。

 現状、有力な証拠は掴めておらず、国家運営に悪影響が出さぬよう秘密裏に処理する算段だった。


 が、最悪の形で露呈してしまった。


 ただでさえ現状、第二陣の彼等には〝第一陣壊滅〟という重い現実がのし掛かっている。


 生きて帰れないかもしれない――。


 多かれ少なかれ、集められた『野良狗』達の心に潜む〝不安〟と〝恐怖〟。

 

 それを増幅させるアカザの不穏な発言。


 単なる『野良狗』にしては嗅覚が鋭すぎる。

 彼から感じる軽薄な雰囲気とは裏腹に、この言動は芯を食ったような口ぶりが目立つ。


 食えぬ男――というのが鉄左衛門側の印象だった。


「確かに第一陣の壊滅が『土蜘蛛』の罠だった可能性はある。よって、アカザ殿の指摘は我が国にとって重大な懸念事項として調査を進めておこう――」


 ざわめく場を収める為、鉄左衛門は顔色を変えず、静かにそう切り出した。


 否定はしない。

 かえって不信を招くことになるからだ。


「進言、感謝する」

「とんでもねぇです」


 そんな鉄左衛門の返しに、アカザはつまらなそうに小さく肩をすくめた。


「だからこそ、此度の第二陣投入には我々も万全を期す所存だ。支援は惜しまぬ。必要なものがあれば用意しよう」


 鉄左衛門は淀みなく言い放つ。

 続けて、銀次が鉄左衛門の言葉を継ぐように口を開いた。


「さらに『土蜘蛛』討伐に対する報酬金も第一陣出立時の〝百両〟から倍額の〝二百両〟まで引き上げる」


 そこまで言うと、銀次がスッと【華ノ間】の外へと視線を流す。


「中へ――」


 銀次の一言。


 それを合図に【華ノ間】の襖が静かに開いた。

 

 ぞろり、と現れたのは七名の従者達。 

 彼等は無言のまま、それぞれ黒塗りの小箱を抱えていた。


 その瞬間、『野良狗』達の空気が変わった――ただひとりを除いて。

 

 鬼道丸は相変わらず周囲に探る目を向けていた。

 

 山で育ち、自給自足の生活をしていた鬼道丸。

 いきなり〝二百両〟という大金の話をされても、あまり実感が湧かない。

 

 そんな鬼道丸を尻目に小箱を抱えた従者達は【華ノ間】に入ってくる。


 各々の目の前で膝を折り、着座する従者。

 そして、手に抱えた小箱を置くと、その蓋を開けた。


 中には積まれた小判と一枚の和紙、短刀が添えられていた。


 普通ならば手が届かない額の金を目の当たりにし、『野良狗』達の目の色が明らかに変わる。

 

「前金として〝五十両〟を用意した。その金を受け取るならば、その紙に血判を押してもらう。それを以て契約は成立だ」


 ぎらり、と銀次の目に鋭い光が宿った。


 計算高き狡猾な目。

 これにより最後の退路を断つ。


 迷いも恐れも、大金を前にすれば人の目は眩む。


 金は〝誘惑〟。

 血は〝縛り〟。


 有象無象を操るのに効果的な方策だ。


「…くだらん」

 

 吐き捨てるように言った俵太が、短刀を掴む。

 

 躊躇はない――親指へ刃を滑らせると、滲んだ血をそのまま和紙へ押し付けた。

 

「最初から命など惜しんでおらん」

 

 どん、と血判を叩き付ける。

 それはまるで死地への宣戦布告だった。


 続いて、ムグラがわずかに迷いつつ、荒草兄弟は顔色ひとつ変えずに――それぞれ血判を押した。


 次に動いたのはアカザ。


 周囲の状況を見渡しながら、不敵な笑みを浮かべる。


「流石は遊郭国家【華ノ国】。太っ腹だねぇ」

 

 ニヤつきながら短刀を掴む。

 

「五十両も貰っちまったら、後金(あとがね)が惜しくて逃げる気も起きねぇや…」

 

 へっへ、と独特な笑い声を漏らすアカザ。

 

 冗談めかした軽口。

 だがその場の誰もが笑わない。


 唯一、銀次だけがスッとその目を鋭く細めた。


「――もし前金を持ち逃げすれば、その血判に施された簡易術式を用いて居場所を探させ、『番衆』が地の果てまで追い詰める」


 そこに怒気はない。

 だからこそ――重い。


「見つけ次第、首を刎ねる」


 有無を言わせぬ硬い声音だった。


「血判とはそういうものだ――これまで何度も修羅場を潜り抜けた諸君等ならば、周知のことだと思うがな…」


 まるで当然とでも言いたげなほどに銀次の表情は変わらず冷静そのもの。

 

 そんな銀次の脅しとも取れる忠告に対して、アカザは動じることなく口元の笑みを崩さなかった。


「おぉ、怖や怖や…」


 そう言いながら血判を押すアカザの指先に迷いはなく、逃げ腰ではないことを見せる。


 そして、すでに血判を押した面々も逃げる気など毛頭なく、特に怯える素振りも見せない。

 

 常に〝死〟と隣り合わせの『野良狗』稼業。


 言わずもがな。

 皆、とうの昔に覚悟など決めていた。


 残るは、鬼道丸と鴉羽。


 鴉羽は終始涼しげな表情のまま、流れるように短刀で小指をなぞると、躊躇なく和紙に押しつけた。

 

 彼女も迷いなど微塵も感じさせなかった。

 小指に滲む血を舐め取る所作でさえ、洗練されている。


 しかし、彼女は積まれた小判を一瞥もせず、短刀を元の位置に戻した。

 

 そんな彼女を静かに見つめる鬼道丸。

 

 ふと視線を小箱に落とすと、おもむろに短刀を手に取った。


 〝五十両〟という決して少なくない金――さらに『土蜘蛛』を討伐すれば〝二百両〟という大金が手に入る。


 だが、大金であることは理解できても、鬼道丸には実感が湧かなかった。

 大金を手に入れても使い道が分からない為だ。


 日々の食事と寝床が確保できれば十分。


 短刀を手に鬼道丸はしばらく逡巡する。


「降りるなら今だぞ、小僧」


 腕を組み、鬼道丸に睨む目を寄越す俵太が静かに吐き捨てる――そこに滲むのは明確な敵意と苛立ち。


「こりゃあ遊びじゃねぇ。下手すりゃ死ぬ。香坂殿の推薦だからと、無理に参加する必要もねぇ」

「僕は――」


 香坂との舌戦で勝てなかった俵太は標的を変え、鬼道丸を直接揺さぶることで彼を排除しようという魂胆なのだろう。


 見え透いた挑発――意地悪く口元を歪めた俵太が黙って鬼道丸の返しを待つ。


「降りません」


 そう宣言すると掌に短刀を押し当て皮膚を軽く斬りつけると、バンと和紙に血判ならぬ血の手形を押しつけた。


 予想外の行動に俵太は思わず面食らった。

 そして、ほかの面々も自然と鬼道丸へと目を向ける。


 そんな中、香坂だけは満足そうに口元を緩めていた。


「僕が『土蜘蛛』を討つのは金や名声の為なんかじゃありません。長く『土蜘蛛』の脅威に晒された弱き人々を守る為にこの地にやって来たんです」


 真っ直ぐに俵太を睨み返す鬼道丸。


 その目は山育ちで世間知らずな小僧の目ではない。

 守るべき者達の願いを背負った覚悟と信念を宿したひとりの男の眼差しだった。


「だから、僕は逃げません――」


 和紙に手を押し付けたまま、鬼道丸は力強く宣言した。 


 静まり返る【華ノ間】――鬼道丸の覚悟を見せつけられた俵太は額に汗を滲ませ、ぐぬと言葉を詰まらせる。


「チッ…」


 苦し紛れに俵太が舌打ちを漏らす。

 だが、それ以上は何も言わず、沈黙した。

 

 俵太はまさかこんな小僧に啖呵を切られるとは思っていなかったのだろう。


 鬼道丸が見せた覚悟を前に、軽々しい挑発を繰り返せば、己の格が疑われると悟ったのだ。


「…」


 ムグラは黙って瞳を閉じ、深く頷く。


「やるねぇ…」


 アカザは愉しげに口笛を吹いた。


 荒草兄弟は何も言わない。


 鉄左衛門はにやりと笑う。

 銀次は淡々と鬼道丸を見遣る。


 鴉羽は興味なさげに目を伏せた。


 そして、香坂は金も名声も求めぬ鬼道丸の動機に感嘆し、己の目立てに狂いはなかったと確信する。


 彼こそが長らくこの国に立ち込めていた薄暗い暗雲を払う存在だ、と――。


 こうして、総勢七名の第二陣からそれぞれ血判を徴し、それを受け取った従者達がそそくさと退室してゆく。


「では、これにて諸君等を正式に『土蜘蛛』討伐に向けた第二陣と認める」


 静まり返った【華ノ間】の静寂を切り裂く鉄左衛門の低い声音。


「そして、第二陣の出立は三日後とする」


 厳かに告げられた出立の日程。

 三日後――それは過不足なき準備の期間。


「富の為、名声の為、護るべき者の為。それぞれ腹の内は違うだろうが、目的は同じ――『土蜘蛛』討伐を果たす為、諸君等の武勇に期待する」


 国主として高らかに口上を述べた鉄左衛門。


 場を支配するのは鉄左衛門の威厳と圧。

 

 第二陣としての覚悟を見せた七名は彼を見る。

 その目にもはや恐れはなく、それぞれの思惑が滲んでいた。


 富の為。

 名声の為。

 護るべき人の為。

 現状を打開する為。


 しかして、その目的はひとつ。


 上鬼格『土蜘蛛』の討伐という大義名分の許、七名の強者達がざわりと言い知れぬ気配を醸し出した。


 〜


 【華ノ都】中心部――『華街区(はなまちく)』。

 夜の帳が下りたこの地に悠然とそびえ立つ豪華絢爛な遊郭『百花楼(ひゃっかろう)』。


 その名の通り――百に及ぶ(遊女)を抱える一大遊郭は今日も客がひっきり無しに出入りし、彼等は一時の愉悦と享楽に身を投じていた。


 そんな華やかな表とは裏腹。

 『百花楼』は暗い側面も併せ持つ。


 それを明らかにするべく、【華ノ都】の参謀『立花銀次』の命により『百花楼』に忍び込んだひとりの密偵。

 

 彼女は諜報専門の影なる『影見(かげみ)』に所属する『番衆』、名を――『片栗(かたくり)』。


 目立たぬ黒装束に顔は覆面、腰には自衛用の小刀を携え、一見して忍びのような姿をした『片栗』。

 その肩には彼女の使役獣の〝鼠〟――『ハツカ』が乗っていた


 『百花楼』への潜入を果たした『片栗』。


 天井を伝って潜り込み、ストッと微かな気配と共にある一室へと降り立った。


 彼女の任務は『百花楼』が鬼と通じている確たる証拠を見つけ出し国主屋敷へ持ち帰ること。


 先行して潜入した前任は消息不明。

 恐らく存在を気取られ殺害されたのだろう。


 前任が最期に残した不穏な報せ。


 ――〝百花にて不穏な動きあり〟


 短い文章。

 だが、それで十分。


 もはや疑う段階ではない。 


 残る課題は表立って『百花楼』を追及できる程の証拠を手に入れるだけ。


 外から聞こえる喧騒――下卑た笑い声、三線の音、わずかに開かれた障子から漏れる人の影。

  

 それを尻目に『片栗』は畳に膝を落としたまま、静かに室内を見渡した。

 

 朱色と金で彩られ、豪奢な調度が並ぶ女将の私室――そこには鼻腔をくすぐる下品な香の匂いが立ち込めていた。

 肩の〝鼠〟もまた前足で鼻先をまさぐる。


 人より鼻が利く『片栗』と〝ハツカ〟にとってその匂いは不快なものだった。

 

(趣味が悪いな――)


 胸中で独りごちた『片栗』が視線を巡らせる。


 さらに不審点がないか、注意深く室内を観察する。 

 そして、ふと『片栗』の目が執務机の上でぴたりと止まった。


 ――〝黒革表紙の帳簿〟。

 

 まるで〝ここにあるぞ〟と主張しているかのように一冊だけ不自然に置かれていた。

 

 ざわ――。


 背筋に悪寒が走る。


 直感で理解した。

 これがお目当ての〝裏帳簿〟だ、と。

 

 しかし、あまりにもあからさま過ぎる。

 

 もはや隠すつもりもないということか。


 言い知れぬ不安が過る中、『片栗』は〝罠〟と分かっていても、その帳簿を手に取るしかなかった。


 幸い付近に人の気配はない。

 が、長居する程に発見の危険性は跳ね上がる。

 

 このまま帳簿を持ち帰れば、任務完遂。


 他に選択肢などなかった。


 肩に乗る〝ハツカ〟は警告するように微かに鳴いている。


「大丈夫…」


 肩越しに〝ハツカ〟を見やった『片栗』が覆面越しに目を細めて笑った。

 

 慎重に腕を伸ばし、執務机の帳簿を手に取る。


 ――何も起こらない。


 この時点で『片栗』の中での『百花楼』に対する〝疑惑〟は〝確信〟に変わった。 


 すぐにでもこの場を立ち去りたい――その気持ちを押し殺し、『片栗』はその裏帳簿の結びを解いた。


 これが本物である確証がない。

 もしかすると、偽物を掴ませる魂胆かもしれない。


 帳簿を開き、素早く内容に目を通す。


 ぺらり――。

 

 静まり返った室内に紙を捲る乾いた音だけが響く。

 

 帳簿の内容は一見すれば通常の売買記録。


 遊女の名、客の名、金額、日付。

 だが、頁を追うごとに『片栗』の表情が曇ってゆく。

  

 既に死んだはずの遊女、失踪した町人。


 〝納品〟、〝処理〟、〝献上〟

 

 まるで人を物のように扱う文言。


「これは…」


 最後の頁を捲った瞬間――『片栗』は大きく目を見開き、絶句した。


 そこには『土蜘蛛』討伐に向かった〝第一陣〟の戦死者全員の名が記されていた。


 なぜ『百花楼』の帳簿に第一陣の名があるのか。

 その疑問を抱くと同時に――『片栗』はある答えに辿り着く。


「〝第一陣〟の壊滅に『百花楼』が関与している?」


 ぼそ、と短く呟いた『片栗』。

 

 その次の瞬間には急いで帳簿を懐に忍ばせ、即座にその場に立ち上がった。


 一刻も早くこの場を離れなければ――。


 そんなとき、間が悪く――彼女の背後で誰かの声が響いた。


「〝餌〟に釣られて〝猫〟の巣に迷い込む〝鼠〟が一匹…いや、二匹?」


 いつの間にか『片栗』の背後に立っていた青年。


 『片栗』の肩に乗る〝ハツカ〟を見て、ふと訝しげに目を細める。


 伸びた銀髪に腰に薄灰色の着流し姿。

 まるで人形に無理やり笑顔を張り付けたような生気のない無機質な顔。

 

 そんな彼は腰に差した打刀に手を添えながら私室の出口に立ち塞がり、静かな殺気を放っている。

 

 青年の腰のものは何の変哲もないただの刀。

 だが、その刀から並々ならぬ血の気配が滲んでいた。


 鬼狩りではない。


 彼を例えるならば、そう――〝人斬り〟だ。

 

 本能的に『片栗』はこの男を危険と悟った。

 そして、肩の〝ハツカ〟も歯を鳴らして威嚇する。


 無言のまま、『片栗』は自然と腰に差した小刀の柄を掴んだ。


「今月で二匹目。やはり〝鼠〟は数が多いね…」


 にこり、と笑う青年。

 だが、その目は一切笑っていない。


「……」


 じり、と『片栗』は無意識のうちに距離を取る。


 退路は塞がれている。

 なんとか隙を作って逃げないと。


 ぎり、と歯噛みした『片栗』が次の瞬間――腰に差す短刀を抜き放つと見せ掛けて、勢いよく〝何か〟を投擲した。


 青年の顔面目掛けて飛来する――〝何か〟。


 避けるか、打ち落とすか。

 どちらにせよ、その隙に――。


 ザン――。


 目にも留まらぬ抜刀術。


 気が付けば、『片栗』は逆袈裟に斬り上げられていた。


 血飛沫を上げながら、ドッとその場に膝を突く『片栗』――そんな彼女を見下ろし、慣れた手つきで刀の血糊を拭った青年が頬に跳ねた返り血をぺろりと舐める。


「俺ひとりで処理するのは大変なんだ。〝猫〟の手も借りたいくらいにさ…」


 感情のない眼差しが『片栗』を見る。


 斬られた『片栗』の虚ろな眼――だが、その目元にどこか不敵な笑みが浮かんでいた。


 そんな彼女の表情にきょとんと眉を上げた青年。

 

 おもむろに『片栗』が懐に忍ばせていた〝帳簿〟を手に取ると、「へぇ…」と愉快げに口元を歪めた。


「意地悪な〝鼠〟だね、君――」


 ドッと『片栗』の喉元に刃を突き立てながら、低い声音を漏らした青年。


 その帳簿の最後の頁、〝第一陣〟の名が記されていた箇所の紙面だけが破られていた。


 さきほど彼女が投擲した〝何か〟とは――重大な事実が記された箇所の紙面を忍ばせた〝ハツカ〟だったのだ。


 すでにその紙面を持った〝ハツカ〟は『百花楼』の外へ出て、国主屋敷へと向かっている。


 彼女は己の命よりも任務を優先した。

 

 それにより、【華ノ国】に潜む闇が遂に白日の下に晒されることになる。


「まぁ今更なんだけどね…」


 彼女の目から生気が失せたことを確認すると、青年はその喉元から刃を抜きつつ、へらへらと笑う。


 〝ハツカ〟を追う素振りも見せない青年。

 不気味な気配を醸しつつ、静かに刀を鞘に納める。


「さて、これから忙しくなるぞ…」


 息絶えた『片栗』の骸をそのままに、部屋を後にする青年――わずかに開いた襖がゆっくりと閉じられる。


 彼が廊下を歩く足元が遠のいてゆく。

 室内には斬殺された『片栗』の骸が転がっていた。


 今日この夜を以て、歪な形で保たれていた『百花楼』の栄華が綻び始める。


 ――第壱章其ノ捌 完

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