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恋乞い

「あー!」

 ある日の午後、宿屋の外に出て、色取が蹴鞠の青い部分を蹴っていた時。

 跳ね上がったそれは近所の民家の屋根に張り付いてしまった。

 氷の接着剤状態である。

 体育館でバレーボールが上に挟まってしまう、という体験はしたことがあるが、氷でボールが高いところに張り付いた場面は、由布梨は人生で初めて見た。

 色取は急いで走り出した。

 その時ふと、境界の壁の前に、珍しい人の姿が見えた。


「詩安さん」

 詩安がモンスター退治をしているところも、由布梨は初めて見た。

 彼の隣には見たことのない女性が立っていた。

 詩安は腰におぼている三本の剣を代わる代わる見せると、目前のモンスターをばさばさ切っていった。

 モンスターは刀の種類に応じて、散るように消えたり、萎むように消えたりしていた。女性はそれを困惑した様子で見ていた。


「デートかな」

 そんなデートってある? と思いながらも納得して、色取が帰ってくるのを由布梨は待った。その時、境界の壁の方からゴスン、と鈍い音が聞こえた。音の方角を向いてみると、女性がかまきりの形に腕を構えていた。その前で詩安が頬に手を添えているところを踏まえると、もしかするとビンタをされてしまったのだろうか。

 由布梨は境界の壁の方から聞こえた声を振り代える。

 ゴスン、と聞こえたので明らかに平手打ちの音ではなかったが、まさか殴ったということだろうか。

 由布梨が眉をしかめた次の瞬間、


「何? わざわざ連れてきておいて、本当むかつく」

 と女性の尖った声が聞こえた。二人の間の不穏な空気を察すると、境界の壁の方に背を向けて、由布梨はじっとしていた。何となく、女性の怒りの矛先がこちらに向かってくるのではないかという謎の焦燥感にさいなまれた。

 何こっち見てんのよ、とか、言われそうだと思ってしまった。


「早く色取君帰ってこないかな」

 由布梨はここに一人でいる気まずさに耐えられなくなってきた。

 しかし、一向に色取が戻ってくる気配がない。

 もしかすると、彼も家主に怒られているのではなかろうか。うちの屋根にボールを接着するとは何事だ、なんて。

 不安に思っていると、由布梨の横をずかずかと女性が大股で通り過ぎていくのが横目に見えた。

 うっすらとした縞模様の巻きスカートのような着物を翻して、境界の壁とは真逆の方へと突き進んでいった。

 少しはらはらしながら由布梨は後ろを振り返った。

 境界の壁を背景に詩安がこちらを向いて立っている。


「し、詩安さんどうも……」

 気まずさをこらえて挨拶をする。

「由布梨ちゃん。王子は元気?」

 何事もなかったかのように、真っ赤にはらした頬を動かして詩安は言った。

「王子、って」

「色取君のことだよ。忘れちゃったの?」

 詩安はいつもの爽やかさとは打って変わって、嫌味のようにその言葉を口にした。

「色取君なら、鞠を屋根にぶつけるぐらい元気ですよ」

 由布梨は頷いて答えた。

「そっか。……これ、目立ってる?」

 詩安は頬をさすって訊いた。

「あ、はい。少しだけ」

「あの子さ、創作の地に住んでる子なんだけど、最近俺がちょっとそこに遊びに行ったときに知り合って、連れて来たんだ」

「へえ」

 由布梨はどういう表情を浮かべていいのか迷った。

 そんな事情を聞かされても、困るだけだと思った。

 しかしそんなことはお構いなしに詩安は喋る。


「俺は境界の壁の守護神なんだ、って言ってナンパしたんだ」

「え?」

 何でそんな嘘をつく必要があるのか、由布梨には理解できなかった。

「だから、目の前でモンスター倒すところを見せてあげたんだ。そしたら、急に殴られた」

「あ、やっぱり」

 あの音はビンタじゃなくて殴られた音だったんだ、と由布梨は腑に落ちた。

「かっこいい、と思ったのに」

 詩安が呟いた。

 妙に潤んだ目で呟くので、由布梨は戸惑った。早く色取君帰ってきて、と縋るような気持だった。

 しかし、モンスターを退治するところを見せてあげる、というナンパ文句はどうだろう、と由布梨は思った。殴るほどのことでもないが、デート中に見たいものではないよね、とあの女性に同情する。

「いきなりすぎたんじゃないですかね」

「最近、俺迷走してるんだよね。口説くのも、めちゃくちゃ調子悪くて」

「そうなんですか……」

「無菌のおとぎ話みたいな純愛がしたいのに、恋人が一人じゃ物足りないないんじゃないか、とも思う」

「は、はあ」

 由布梨は後頭部をガシガシかいた。

 確かに迷走しているんじゃないかという気がする。それに、なかなかクズじゃないかという気もする。


「由布梨ちゃんが、俺のこと好きになってくれてたらな」

 詩安は遠い目をして言った。

「それ、さっきのと関係ありませんよ、多分」

 由布梨は淡々と言った。あの女性と喧嘩した原因を、自分になすり付けられたみたいで、由布梨はむっとした。

「ごめん、ごめん、違うんだよ。由布梨ちゃんみたいな子に好きになってもらえたら、他に何もいらないって、そういう風に満たされるんだろうなって、ただ感じただけだから」

 由布梨は愛想笑いを返す。褒められているのかどうかが分からなかったのだ。

 話せば話すほどに、詩安の頬の赤みが痛々しい。


「由布梨ちゃんに、全力でアプローチしようとすると、足を引っ張ってくる過去がちらつく。あまりにも、多くの恋人を不幸にし過ぎたから」

 由布梨は黙ったまま聞いていた。

 何だか現実の話を聞いているのではないみたいな気がする。自分の今までの体験と縁遠すぎて、自分に話し掛けられているのかどうかさえ見失う。どうしてそれを、わざわざ私に言うんだろう、と不思議だった。

 決して嫌なわけではないけれど、彼から紡がれる言葉の数々を嬉しい、と素直に受け取るのには時間がかかりそうだった。

「だから、諦める。次の恋、一緒に探してくれない?」

 詩安はあっけらかんと言った。

「わ、私が探すんですか? 一緒にって」

 目を見開いて由布梨は訊いた。

「お願いします」

 詩安はいつもの調子に戻って笑った。

「そ、そういわれても」

 困惑の表情を浮かべた由布梨の顔の前に、ひらり、と雪のように何かが降った。ふと手をお椀のようにしてそれを受け止めると、そこにあったのは札だった。


「札?」

 札が白紙の状態になっているところを確認すると、由布梨の心はざわついた。以前にもこんなことがあった。この札にあったはずの絵柄は、いったい今どこにあるのか。

「いた……」

 札の中にいたはずの人物、平安貴族はニコニコ微笑みながら、当たり前のように横に立っていた。

「うわあ、これあれだよね。弥一郎がたまに召喚するやつ!」

 詩安が貴族を指差しながら言った。

「この札の中から勝手に出ることがあるみたいなんです」

「へぇ、それで何で俺達のとこに来たの?」

 詩安が貴族に訊いた。

 すると貴族は袖に手を突っ込んで、札を沢山重ねたものを取り出した。


「まさか遊べって?」

 貴族は首を振った。

 貴族は詩安の背後に回り込み、繰り返し背中に指で文字を書いていた。

「何? こ、い、こ、い?」

 詩安が考えるような仕草をしながら呟いた。

「こいこいなら、花札のゲームでありますよ!」

 由布梨は言った。ルールこそ知らないが、ゲーム名だけは有名なので知っていたのだ。

 しかし貴族はぶんぶんと首を振った。

 貴族が何を伝えたいのかが分からず、由布梨と詩安は目を見合わせて首を傾げた。


「恋、乞い、って何?」

 貴族は詩安の背中をポンと叩くと、次に由布梨の背中に指で文字を書いた。

 漢字を背中に書かれたことなどなかったので、その画数の多さに驚きながらもようやく理解できた。

 その言葉は『恋乞い』だった。

 おそらく貴族の造語か何かだろうと思う。

 貴族に近くの縁台に腰かけるように示され、由布梨と詩安は貴族を挟んで座った。

 すると、貴族は花札を全て重ね、ぺしゃん、と両手を合わせて潰した。

 ありえないことだと思うのだが、札はたった一枚になっていた。


「どういうことなの……」

 その一枚を由布梨と詩安が覗きこんで見ると、鏡のように光を反射していて、とても花札の中の一枚には見えなかった。

 ただ、それはピンク色のモザイクのように見えていて綺麗だった。

 のったりとした動きで貴族はその札の中に手を突っ込んだ。

 すると、札はその手を受け入れた。


「えええっ」

 どうなってるのかと、由布梨と詩安はぎょっとしながら興味深く札を見つめた。次の瞬間、引き抜いた貴族の手の中には梅の花のようなものをつけた枝が握られていた。

「手品? それ手品?」

 ワクワクしながら貴族に訊くと首を振った。

 あくまでも恋乞いというゲームだと言い張るつもりらしい。

「次、俺がやりたい!」

「えー、じゃあその次私やりますからっ」

 手をすり合わせて詩安の声に由布梨が続いた。


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