維心と維心
維月は、襦袢に手を通して腰紐を結びながら、寝台の横にある小さな台に目を留めた。そこには、擦り切れてはいたが、恐らく崩れないようにと何度も補修をした後のある、写真があった。
「これは…。」
維月は、それを見て涙を浮かべた。これは、自分の前世の姿。あちらでの、婚儀の時の写真だ。
こちらの次元の維心が、それに気付いて言った。
「…あの折、こちらへ帰る我に主が持たせてくれたものだ。」維心は、維月に並んで座って、維月の肩を抱いた。「これが、我を支えてくれておった。主との幸福な時間があったからこそ、我はこうして、主を失った後でも責務を考えて世に残った。」
維月は、維心を見上げた。
「たった三ヶ月ほどのことでありましたのに…。」
涙をこぼしながら言う維月に、維心はその涙を袖で拭いながら微笑んだ。
「何を泣くのだ。我には、その時間があったからこそ耐えられたと申したではないか。」と、愛おしげに維月の髪に頬を摺り寄せた。「こうして、転生して参っても会うことが出来て、我は幸運ぞ。維月…我が命よ。これからは、その身に我の命を宿して生きてくれるのだな。」
維月は、涙を拭いながら微笑んだ。
「はい。でも、まだ完全ではないのですわね…?」
維心は、頷いた。
「いくら我でも、一度に命を削って主へと送り込むことは出来ぬ。この方法しか知らぬから、しばらくは主の次元の維心にも、我慢をさせねばなるまいなあ。」
維月は、ふふと笑った。
「維心様は、同じ維心様だと分かっておるので、そう怒りもしないのですわ。でも、夜にお一人なのは寂しがられるので、申し訳ございませぬが、夜だけはあちらへ行かせてくださいませ。」
維心は、ふっと息を付いた。
「しようのない奴よの。ま、我も恐らくそうであろうからの。しかし、今はこうして昼の間側に置くことが出来るのだから。我慢しようぞ。」
維月は、それでも幸福そうに穏やかにしている維心に、心が痛んだ。先ほど、あれほどに妃が妃がと言ったのは、悪かったかしら…。こちらの維心様は、きっととても辛かったのに。やっと、私に会えたと思っていてくださったのに。
「維心様…」維月は、維心に身を摺り寄せた。「お待たせしてしまいました。もっと早くに、こちらへ来れたらよかったのに…。このように、己が困ってからやっと参るなんて…。」
維心は、嬉しげに維月を抱き寄せると、そっと口付けて言った。
「良いのだ。それでも、思い出してくれたのだからの。我は、今こうして共に居られればそれで良い。主は、そのように気を遣うことはないのだ。」
維月は頷きながら、維心を抱きしめた。やはり、こちらも維心様。両方が、間違いなく維心様なのだわ…。
維月と、この次元の維心が庭へと出て来て共に歩いていると、あちらの次元の維心がそれを気取って歩いて来た。
「維月!」と、維心を見て、「シン。滞りなく、命は分けられたのか?」
この次元の維心は、首を振った。
「いくら我でも、一度には無理ぞ。時間が掛かると申したであろうが。しばらく、主には我慢してもらわねばならぬと、先ほども申しておったのだ。」
あちらの次元の維心は、ふっとため息を付いた。
「仕方がないの。しかし、少し神がかった気になって参った。」と、維月の頬に触れた。「うまく行っておるようよ。」
維月は、その維心に微笑みかけた。
「はい。夜は、お側に戻ることが出来まするから。お昼の間は、ご辛抱くださいませ。」
その維心は、微笑んで頷いた。
「分かった。我のことは気にせずとも良い。シンも、かなり苦しんだようであるから…我は、先ほどあちらで緋月に会っての。」
それには、維月もこの次元の維心も驚いた顔をした。
「あれは、主と我の区別がついたか。」
維心は、首を振った。
「主だと思うて話しかけて来たのだ。我は違うと答えて…何しろ、娘としての記憶があっての。我の次元では、前世の我の娘であった女であるから。あれの話を聞いてやった。何やら、決心したようであったが、それはまた、あれから主に話があるであろうて。」
こちらの次元の維心が、何かを悟ったように頷いた。
「そうか。このままでは、お互いに先へ進めぬからの。」
維月は、両方の維心を見た。
「え…里へ、帰るのですか。」
あちらの次元の維心が、頷いた。
「あれはの、この次元の維月に育てられたゆえ。夫婦とは、お互いに愛し合っておるものだと思うておるのだ。だが、自分もこのシンも、お互いに想っておらぬと。ならば、里へ帰ろうと思うたようよ。」
維月は、黙って頷いた。そうなの…緋月も、維心様を思っているわけではなかったのね…。
この次元の維心が黙っていると、控えめな侍女の声が言った。
「王。」
すると、両方の維心が、反射的に振り返った。苦笑したこの次元の維心が、答えた。
「何ぞ?」
侍女の声は、あくまで控えめだった。
「あの…緋月様が。王のお話がおありになると、居間へお越しになっておられまする。」
両方の維心が、顔を見合わせた。そして、この次元の維心は、答えた。
「わかった。参る。」そして、あちらの維心に言った。「もうすぐ、夕刻。本日は、もう維月を主に返そう。また明日、術を施そうほどに。」
維心は、頷いた。
「分かった。ではの、シンよ。」
この次元の維心は頷くと、すっと歩いて居間へと戻って行った。
そしてその日の夕方、緋月が里へ戻ることになったと宮に告知されたのだった。
あちらの維心と維月が揃って宛がわれた客間へと入って来ると、十六夜がもう、座って待っていた。
「ああ、維月!戻ったか。で、シンはうまくやったか?」
すると、維心が眉を寄せた。
「あのな十六夜。やっと維月と二人きりだと思うたのに、なんで我の部屋に主が居る。」
十六夜は、そんなことはお構いなく維月の手を握った。
「うるせえな。ここに居たら維月が来ると思ったからに決まってるだろうが。」と、維月をじっと見つめた。「お、神っぽい気が混ざって来てるじゃねぇか。どんな風にするんだ?」
維月は、少し赤くなったが、しどろもどろに答えた。
「あの…えーっとね、本来なら、その、子供の種になる所に、命を削って植えつけて、それを私に。その時、気が一緒に流れ込んだら私が死んでしまうからって、気だけは抑えなきゃならないのですって。その命が、時間が経てば、私の身に吸収されるから…の繰り返し。そうしているうちに、神としての命を形成するんだって。すごく気と体力を使うから、常の維心様ではないぐらい、あの、回数は普通に三回ほどだったわ。無理をすると、命を失うんですって。」
十六夜は、感心したように目を丸くした。
「へ~!維心が三回か。そりゃよっぽどしんどいんだな。オレなら一回ぐらいかも知れねぇ。だが、親父はまだ部屋から出て来ねぇけどよ。」
維心は、憮然として言った。
「地と同じにするでないわ。」と、維月を抱き寄せた。「我にも、同じことが出来ればの。だが、主を殺してしもうてはならぬし。あの瞬間に気だけを抑えるなど、ほんに器用な…。どうやるのか、我には検討も付かぬ。」
十六夜は、神妙に頷いた。
「今後のためにも、オレもシンに教わっとこう。記憶の玉をもらって、それを読むんだ。今度こんなことがあったら、どうにかできるようにさ。」
維心も、大真面目に頷いた。
「我もそうする。どうせ維月にしか出来ぬが、維月を助けられたら我はそれで良いから。」
維月は、維心を見上げた…今言っておかなきゃ。
「維心様…私は、時々に里帰りの時など、こちらへ参ろうかと思うております。」
十六夜と、維心が同時に維月を見た。維月は、続けた。
「あの維心様は、今だけで良いとそれ以上は何もおっしゃいませぬが、これまで、本当に辛い思いをおさせしたのですわ。死んだと知ってからも、私の前世の写真を、ずっとお持ちになっておられて…」維月は、それを思い出して涙ぐんだ。「あれほどに擦り切れてしまっておるのに。どれほどに寂しいと思われておったのかと、こちらへ一度も思いを馳せなかったのを、後悔しましたの。少しでも、お側に居とうございます。」
それを聞いて、維心と十六夜は顔を見合わせたが、維心がため息を付いて頷いた。
「そうであろうの。主がそれを知れば、そう思うとは分かっておった。では、どうするのだ。主、三日は嘉韻の所へも参っておるだろうが。その後、こちらへ来ると申すか?十六夜はどうするのだ。」
十六夜が、それには口を挟んだ。
「里帰りの期間を延ばしゃあいい。」維心が眉を寄せたが、十六夜は続けた。「いつもひと月だが、こっちに二週間、嘉韻に三日、オレに三週間で一ヶ月半にすればいいじゃねぇか。どうせお前、途中で月の宮へ来るんじゃねぇかよ。だったら、半月ぐらい延びたって構わないだろうが。」
維心は、十六夜を睨んだ。
「こっちへ来ておる二週間は、我も追っては来れぬではないか。ややこしいからの。一週間では?」
十六夜は、顔をしかめた。
「たまにしか会えねぇのに、一週間はねぇだろ。同じ維心だぞ?二週間ぐらいやれ。」
維心は、ふて腐れた顔をしたが、渋々頷いた。
「…分かった。」
維月は、ぱあっと明るい顔をした。
「まあ…ありがとうございまする。きっと、あの維心様も楽になってくださるのではないかしら。」
維心は、ふっと肩で息を付いた。
「ほんに、どれほどに我は譲歩せねばならぬ。だがまあ、あれも我であるから。仕方がない。それより、早よう神に戻って、我の腕に戻って参れ。もう長く主と共に休むことしか出来ぬから…持て余すことよ。」
維月が、赤くなった。十六夜が呆れたように言った。
「仕方のない奴だな。別にあんなことしなくったって、一緒に居たらいいじゃねぇか。」と、維月の肩を抱いた。「そういうわけで、今夜はオレも一緒に寝よう。」
維心は、慌てて首を振った。
「どういうわけで一緒に寝ると申す。また三人か?」
十六夜は、恨めしげに維心を見た。
「いいじゃねぇか、どうせまだ人の維月に何も出来ねぇんだからよ。さっき見たけど、寝台がでかいから三人でも大丈夫だよ。」
「そんな問題ではない!全く主は!」
そう言いながらも、維心は共に奥へと歩いて行った。
そうして、その夜は三人並んでぐっすりと眠ったのだった。




