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もしかして

陽蘭は、月の宮に戻った。

維月と同じように、生来のあっさりした性格から、人になったからと特に憂いてもいなかった。しかし、回りは違う。腫れ物に触るような侍女達の様子に、うんざりしながら毎日を過ごしていた。

人は、いい。気の音が何も聞こえないし、外から流れている鳥の声とか、風の音とかしか聞こえないので、落ち着いていられる。今までうるさくて意識的に遮断していた音が、そうしなくても自然なのだ。人は、こんな中、こんな視界で生きて来たのかと、この状況を楽しんでも居た。なので、これで寿命を迎えて死ぬというのなら、それでも良かった。何しろ、自分は黄泉の事も知っている。それに、これほど長く生きて、今更に惜しい命でもないのだ。

怪我でもしたら大変と、外出も嫌がられるのだが、陽蘭は、そっと抜け出して湖の方へと向かった。


天気は、とてもよかった。自分の足を使ってこれほど長い時間歩くのも初めてのことだったが、流れる汗まで心地よい。完全に運動不足の人の状態であったが、陽蘭はそんなことは気にならなかった。

それよりも、気にしていたのは、碧黎が自分に向かって最後に言った言葉だった。

…我は主のように人を伴侶にしておったことはないゆえな…。

まさか、碧黎がそんな風に思っていたなんて。

陽蘭は、歩きながら地面を見た。確かに、お互いに誤解して離れていた間、自分は人の男と暮らしていた。相手が自分を愛して、それは乞うてくれたからだ。老いることのない身を男に合わせて徐々に老いさせて行き、いつもどの男も見送った。そうして、幸せに見送ることが、自分がもらった愛情に返す、唯一の方法だと思っていたからだ。しかし、碧黎は、それをずっと心の底に暗く持っていたというのか…自分は、それに気付くことが出来なかった。

陽蘭は、湖に着いて、その水面を見つめてボーっと考えた。自分が、碧黎をあんな風にしてしまったのかもしれない。碧黎は、きっと何かに八つ当たりたくて、その矛先を我に向けることも出来ないので、他へと転化し、心の闇を昇華していたのだ。だが、あの出来事でそれをいよいよ我に向けることが出来て、それであんな風に一気に我を批判するようなことを…。本当に言いたかったのは、きっと、離れていた頃の、我のことなのだろう。

陽蘭は、後悔していた。自分も、あまり人のことも神のことも分かっていなかった。そのうちにその価値観を学んで、これではいけないと思ったが、もう遅かった。愛しているのが碧黎だけなのには変わりないけれど、碧黎は応えてくれないとずっと思っていたから。でも、自分は碧黎のように強くはなれなかった。誰も居ないなんて、耐えられなかったのだ。

湖面を見つめていると、そこに移る姿は維月によく似ていた。維月を作る時、女は我しか知らなかったから、我に似せて作ったのだと言っていた。碧黎…もう一度きちんと話が出来たらいいのに。我らは、お互いに頑固であるから…。

フッと、何かの影が過ぎった。月の結界の中に何かが入って来ることはないが、それでも陽蘭は驚いて目を伏せた。気が気取れないとは、何と不自由なことか…。突然に、何かが目の前に現れるなんて、恐ろしいこと。しかも、その正体が気で探れないのだ。人は、何て恐ろしい生活を。

今の今まで人を満喫していたのに、陽蘭はそんなことを思いながら目をそっと開けると、そこには見慣れた人型が浮いていた。

「碧…黎!」

陽蘭は、碧黎を見上げた。碧黎は、じっと陽蘭を見て言った。

「…人であるな…。」

陽蘭は、ふいと横を向いた。

「元より、そなたでさえ戻し方が分からぬのに。誰も方法など探し出せるものではないでしょう。我は良いのよ。もう、神ではあり得ないほど長生きしておるから、あの穏やかな黄泉へ行くのも。でも、維心がとても疲れておるわ。維月のことを思うゆえ、今にも老いるのではないかって、そんなはずはないのに、毎日側にべったり付き添ってここへ来るの。そして、大氣や十六夜と、何とか元へ戻せないものかと考えておるわ。我は手を貸すことも出来ないし、見ておるしかないけれどね。」

碧黎は、じっと黙っていたが、思い切ったように陽蘭を見て言った。

「…維月一人なら、我にも救うことが出来ようぞ。」

陽蘭は、驚いて顔を上げた。

「え…」と、少し黙ってから、碧黎を見つめ返して震える声で言った。「もしかして、それは…。」

碧黎は、頷いた。

「我の命ぞ。」と、陽蘭の前に降り立った。「この、地としての命を維月にやれば、我は人になるが、維月は地になる。」

陽蘭は、碧黎を見つめた。

「碧黎…それは、あなた…。」

碧黎は、頷いて陽蘭の手を取った。

「主が人になった。」碧黎は、思いつめたような顔で言った。「そうなってみると、我は主が瞬く間に老いて死ぬのが、怖くてならないことを知った。この地上に、たった一人の地として遺されるなど…。ならばこの地として命を維月に渡し、我は主と共に老いて死んで逝こうと思う。」

陽蘭の、碧黎を見つめる瞳が見る見る涙で潤んだ。

「碧黎…我が、離れておる間他の男と共に居たこと、心にわだかまって居るのでしょう。我など、どうでも良いようになったのではないの?こんな我と共に、黄泉にまで来なくともいいのに。」

碧黎は、首を振った。

「すまぬ。我は妬いておったのだ。なので、あのようなことを。」碧黎は、同じように潤んだ瞳で陽蘭を見つめ返した。「我ら、気が付けば共に居た。二人で子をなし、こうしてやって参ったではないか。ならば、最後まで共に参ろう。維月と十六夜も、維心も、皆そうして居るのだから。」

陽蘭は、頷いた。

「ありがとう、碧黎。ごめんなさい、我は素直になれなくて…。でも、本当に碧黎のこと、愛しているのよ。他の神も人も、愛したことなどないのだから。」

碧黎は、頷いて陽蘭を抱きしめた。

「…こうしておると、心地よい。」碧黎は、そう言って力を抜いた。「ここ数日の、憂いが抜け去って参るようぞ。」

陽蘭は、ふふふと笑った。

「まあ…維月を抱いた維心のようなことを言いますること。」

碧黎は、笑った。

「おお、そうかもの。我はあそこまで追いまわすことは出来ぬがなあ。」

陽蘭は、いたずらっぽく碧黎を見上げた。

「あら。黄泉にまでついて参るとおっしゃるかたが、何を申されることか。」

碧黎は、陽蘭を抱き上げた。

「うるさい。さ、早よう維月に我の命を渡さねばの。」

そうやって、碧黎が浮き上がると、向こうから、維月を抱いた十六夜が必死の形相で飛んで来ている最中だった。維月が叫んでいるのが聞こえる…。

「お父様ー!お父様の命なんて、要りませぬわー!お母様と私、まとめて戻せる方法を、一緒に考えてくださいませ!わざとじゃないのは分かっておりまするから、お小言は全て終わってからに致しまするゆえに!!」

碧黎は、ちっ、と舌打ちをした。

「なんだ、十六夜に聞かれておったか。確かに、あやつの結界の中であるし、我が来れば気取るわな。それにしても、維月は人に戻ってもうるさいのう。」

維心も慌ててついて飛んで来ている。碧黎は、それらの面々を見て、ため息を付いた。

「わかったわかった。我の負けぞ。とにかく、とても無理であるように思うが、しかし何かやり方を模索しようほどに。」

すると、維心が憤って言った。

「あのな碧黎!早急に戻すのだ!維月に何かあったらと、我は毎日気が気でないのだ!」

それには十六夜が言った。

「そうなんだよ。こいつ、維月のためにこっちへ来る時は道中絶対に雨を降らせないとか、とにかく徹底してるんでぇ。庭を散策するのだって、手を握ってないと出さねぇんだぞ?転んで擦り剥いて化膿して、病いになったらどうのとか言ってさ。みんな迷惑してる。何も手立てがないわけじゃない。きっと何かあるはずだ。とにかく、親父は自分のしたことの後始末だけはつけな!さ、来い!大氣も蒼もオレ達の部屋で待ってるんだ。」

碧黎は、仕方なく十六夜と維心に従って飛んだ。それでもどうしても方法が見つからなかった時は、皆に隠れてそっと維月に自分の命を渡そう。

碧黎は、そう思っていた。

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