片割れとは
碧黎は、孫にあたる維明との立ち合いを終えて、龍の宮の中を引き上げて来ていた。
こちらでの生活にも、すっかり慣れた。ここには愛する娘の維月も居る。娘といっても、自分達には生物学的なつながりは何もないので、同じ種類の命に他ならないのだが、幼い頃より育てたので、それはかわいかった。神や人は、これを親子愛だというのだろう。なので、碧黎は、娘として維月がかわいくてならないのだと皆に公言していたし、神世もそれで納得していた。
事実十六夜もかわいかった。自分が発祥の原点である命であるのだから、かわいくて当然だろう。だが、維月とは違う。維月に対する無償の愛情というのは、どうも陽蘭にかつて抱いていた愛情と似通っているように思えてならなかった。だが、これもこの命特有のことであるが、男女の営み云々のことには、興味は湧かなかった。しようと思えば出来るし、すれば心地よいと感じるが、そんな衝動に突き動かされるというほどでもない。つまりは、自分でコントロール出来る訳で、もしも維月に対して対にしたいような愛情を感じたとしても、今まで同じように親子として一緒に居るので充分だった。
そんなわけで、碧黎は今、龍の宮に居たいと思っていた。つまりは、興味の対象がここに居るので、ここに居たいと思っているだけなのだ。
しばらく歩いて行くと、これもまたかわいい孫の、維織の気を感じた。何やら、考え込んでいる風情だ。
碧黎は、そちらへ向けて方向を変え、向かって行った。
維織は、友との茶会を体調不良を口実に断って、北の庭の隅で、じっと考え込んでいた。大氣に、何かあってもそれを受け止められると維織は昨夜の時点で思っていた。しかし、実際にそれを聞いてしまうと、それが後からじんわりと心に重くなって来て、分かっているのに落ち込んだ。まだ、自分に会う前のことなのに。でも、娘まで居てその子が嫁ぐとなると、やはり考えずには居られない。どうしたらいいのか、分からなかった。
維織が悩んでいると、そこへ碧黎が現れた。突然のことだったので、維織は飛び上がった。
「お、お祖父様!」
碧黎は、苦笑した。
「ああ、すまぬの。主なら驚かぬかと思うたのに。そうか、急に現れたら、驚くよの。」
維織は、碧黎を見ると大氣が思い出されて、思わず涙が出た。お祖父様…大氣様と同じ命。ならば、大氣様のお心もお分かりになるのかしら…。
碧黎は、驚いて維織を抱き寄せた。
「維織?どうした、なぜに泣く。」
維織は、涙を拭こうともせずに言った。
「あの、本日お聞きしたのですわ。大氣様から、お子のことを。」
碧黎は驚いた顔をしたが、頷いた。
「ああ…そうか。あれは話したのであるな。」と、しばらく黙って維織の頭を撫でていたが、言った。「…実はの。我も、十六夜と維月の手前何も申せなんだが、大氣のやったことが、何がいけないのかと思うてしもうての。」
維織は、目を丸くして碧黎を見上げた。でも…確かにいけないことだと知っていらして。
しかし、碧黎は苦笑した。
「そう、表向きはそのように言うし、もう知っておるから皆と同じように考えることが出来るがの、我ら本心から、それがいけないなどとは思ってはおらぬ。そのような欲求がない以上、我らが欲することはないのだ。なのにそうなったということは、相手が求めたということ。それに、応えてやっただけなのだ。別に応えなんでも良かったものを、応えてやったばかりに責められる…意味が分からぬのだ。しかし、神達の間ではあれを重要視するようで…そうなったら男が責任を取らねばならぬようであるの。そんなこと、知らないのであるから、我らは損よ。分かっておったら、そんなしたくもないことをせなんだであろう。なので、我は大氣が悪いなどと思うてはおらぬ。知った時維月は大層怒っておったが、我はその意味が分かっても同じ気持ちにはなれなんだ。」
維織は、目が開かれる気持ちだった。そうだ、これが地なのだ。違う命、特殊な命なのだ。神も人も、一時の衝動や気の迷いでそのようなことをすることがある。なので、責任云々あるのだが、そんな衝動のない命ならば、意味がわからないのかもしれない。
「では…大氣様もそのような心持ちであられましょうね。」
碧黎は、頷いた。
「あれは、我より神達と接してこなんだから、恐らく分からぬことだらけであろう。しかし、主を対にしたいと決めて、必死に慣れようとしておるのだ。それを見ておったら、我の方が辛ろうなるわ。あれは気ままなヤツであるのに。あのように慣れぬしきたりだのなんだのを押し付けられて、それでも文句も言わずに従っておるのだからの。嫌なら大気へ帰ってしまえば良いのであるし。」
維織は、頷いた。大氣様は、私のために頑張ってくださっておるのだ。
「お祖父様…私も、頑張ってみまするわ。大氣様が頑張ってくださっておるのに、私が根を上げてしまってはいけませぬものね。」
碧黎は、涙を流したままで微笑む維織に、微笑み返した。
「何との。維月と同じよな。泣いておったかと思うたら、もう笑ろうておる。ま、主が何かを吹っ切れたと申すなら、良い。」
維織は、笑った。
「お祖父様ったら…でも、大好きですわ。」
碧黎は、笑って頷いた。
「知っておる。」
維織はまた笑いながら、碧黎に連れられて部屋へと戻ったのだった。
「お父様が、役に立つなんて。」
維月がびっくりしていた。十六夜も、うんうんと頷いた。
「まあ、一番真実味があるだろうよ。大氣と同じ命なんだしよ。で、維織は大氣のところへ行ったか?」
維心が、うなずいた。
「南の、大杉のところよ。」
十六夜も、空を見上げて頷いた。
「ああ、いつもの場所だ。大氣はよくあそこでオレを見上げててな。オレもそれを見てたんだ。」
維心は、維月の肩を抱いて頬を摺り寄せた。
「もうそろそろ、夕刻であるものの。あれらも、今宵夫婦になるか。維月、我らも…」
十六夜が、ぶんぶんと首を振った。
「後だ、後!あいつらのことをきちんと見送ってからでねぇと、オレも月へ戻れねぇよ。娘のことなんだぞ?しかも、オレが赤ん坊の時育てたんだしな。」
維月も、頷いた。
「維心様、ご辛抱くださいませ。維織の一大事なのですから。」
維心は、ため息を付いたが、頷いた。
「分かった。待とうぞ。」
そして、三人は再び維織と大氣を見守ったのだった。
大氣は、また月を見上げていた。
月は、昔からある。しかし、碧黎があの二人を月へ打ち上げるまでは、誰もいないただの、力を溜め込んだ大きな存在でしかなかった。その力に願えば、何でも叶うような気がしたものだ。今では、あの二人が居て、その力を地上へと分け与えながら生活を助けて、生きている。なので、あの二人が叶えられることなど大氣にすれば寝ていても出来るようなことであった。それなのに、やはりどうにもならないことがあると、自分は月を見上げる。そうして、月がどうにかしてくれるような、そんな気になってしまうのだ。
大氣が、そうしてじっと浮いていると、下から小さく声が呼んだ。
「大氣様。」
大氣は、その声に急いで下を見た。
そこには、維織が不安そうに立っていた。
大氣は、慌ててそこから維織のところへと降りて行くと、手を伸ばそうとして、留まった。そうだ…維織に、まだ我は良いと返事をもらってはおらぬ。
大氣は、維織が何を話しに来たのかと不安になりながらも、維織を見て言った。
「このような時間に…どうしたのだ。」
維織は、下を向いた。
「あの、先ほどのこと。」維織は、とても小さな声で答えた。「お返事せねばと、思いましたの。」
大氣は、俄かに緊張した。維織は、自分に引導を渡しに来たのか。それとも、受け入れてくれるのか…。
大氣が黙って維織を凝視していると、維織は言った。
「あの…正直を申しまして、とても驚いて、ショックでしたの。でも、それは私と出会う前のことでありまするし、それに、大氣様がお祖父様と同じ命で、そんなことの考え方が違うというのも、父母や祖父から聞いて知っておりまするし、それに、大氣様はきちんと責務を果たされて、ご自分の娘としてそのお子を嫁がされました。ですので、私がそのことに、どうこう言う立場ではないと思いまするの。」
大氣は、何が言いたいのか分からないまま、とにかく頷いた。維織は、続けた。
「ですので…大氣様さえ良いのなら、このまま婚姻のお話を、進めてくださらないかと思って…。」
大氣は、それを聞いた瞬間、いきなり維織の手を掴んだかと思うと、自分に引き寄せて抱きしめた。維織は、心底驚いて、小さく悲鳴を上げた。
「きゃ!あの…大氣様?」
大氣は、小さく震えていた。維織は、驚いて思わずその背を撫でた。どうしたの?いきなりだから、驚いてしまって訳が分からない…。
「もう、駄目なのかと。」大氣は、搾り出すような声で、維織を抱きしめたまま言った。「我は主に厭われて、何をしようと、許してはくれぬのかと…。」
維織は、震える大氣の背を撫でたまま、大氣がそれほどまでに自分のことを考えていてくれたのかと涙が浮かんで来た。何も知らない大氣が、一生懸命慣れようとしている。祖父が言っていた。維織は、言った。
「…そのように、一生懸命学んでくれようとしてくださっておるからですわ。」維織は、大氣の髪に頬を摺り寄せて言った。「逃げようと思えば出来たはずですのに。私のために頑張ってくださっておると、聞きました。私は、ならば私も理解しようと頑張らなければと思ったのです。大氣様…過去のことはもうよろしいのです。これからは、共に生きて参りましょう。」
大氣は、何度も頷いて、維織から身を離してその顔をじっと見た。
「維織…我の対。我の片割れに、主はなってくれるか。」
維織は、頷いた。
「はい。」そして、そっと大氣に唇を寄せた。「はい、大氣様…。」
大氣は、自分からもそっと唇を寄せて、維織に口付けた。
その口付けは、自分が知っているそれとは全く違った。愛している…熱く湧き上がるこの気持ちは、そうなのだ。だからこそ、神も人も、こうしていつも身近くに過ごすのだ…。
大氣は、それを感じながら、維織とそうして、ずっと抱き合っていた。
そして、特別な夜を、共に過ごしたのだった。




