両親
王の居間で、維月を腕にいつものように幸せを感じていた維心の耳に、不意に十六夜の声が飛んで来た。
《またお前らは昼日中からベタベタと!こっちはそれどころでないってのに!》
維心は、せっかく維月を抱きしめて穏やかに癒されていたのに邪魔をされたので、眉を寄せた。
「ほんにもう…良いではないか!我らいつなりこうしてまどろんでおるのが何より癒されるのだからの!邪魔をしおって。」
そういう維月は、うとうとと眠り掛けていたところだったので、びっくりして目を開いた。
「十六夜?…お母様はどう?お父様は、こっちで楽しそうよ。」
十六夜の声が、不機嫌に答えた。
《そうかよ。こっちはなあ、お袋が落ち込んじまって部屋へ篭って出て来ねぇよ。お前は親父担当だから面倒ないかもしれないが、こっちはお袋だぞ?》
維月は、いくらかはっきりして来た頭で答えた。
「お父様は、こちらが珍しいと言って、龍の宮を隅から隅まで堪能していらっしゃるわ。珍しく訓練場にまで顔を出して、維明と立ち合いなんかしたり。あんなこと絶対しないかたなのに。お父様ったら凄いのよ?維心様もついていけないぐらい。」
維心が、眉を寄せたまま言った。
「碧黎は地ぞ。敵うはずあるまいが。しかし、面白いがの。」
十六夜の声が、興味深げに言った。
《え、維心が勝てねぇって?オレも見てみたい…》と、慌てて口調を変えた。《違う!親父はまだこっちへ帰って来ねぇのか。お袋を何とかしてくれねぇと、オレもこっちから離れられねぇから苛々するんだが。》
維月は、首をかしげた。
「そうねえ…お父様にあれからお母様のことを聞いてみたけど、別にもう怒ってはいないようだったわ。ただ、呆れたのだ、と言っていらした。ただ、あれの側に居るより、こちらで遊んでおった方が面白い、とか言って。だから、まだ帰らないじゃない?気が向かないと。」
維心が、付け足した。
「誰かに似ておるよの。誰かもそんな感じで、気が向かないと何もせぬしの。回りの都合など関係ないのだの。」
それを聞いた十六夜の声が、一段と不機嫌になった。
《はいはい、オレのことだろうが。分かってるよ、似てるんだ。だがオレは、落ち込んでる維月をほっといて遊んでるなんてことはないぞ。親父は大氣と一緒で、そういうところに疎いんだ。自分の感情に正直だしな。つまりは、今はお袋に興味がないんだ。》
維月が、ハッとして口を押さえた。維心が、そんな維月を見て首を振った。
「興味がないとて、すぐに思い出すであろうて。何千年対で来たのよ。案ずるでないぞ。」
すると、低い声が割り込んだ。
「何千年であっても、一瞬にして消え去る想いもあるぞ?維心よ。人世に、百年の恋も冷める、という言葉があるのを知っておるか。」
維月が、弾かれたように立ち上がった。
「お父様!」
碧黎は、甲冑姿で維月に歩み寄って手を取った。
「おお、かわいい娘よ。機嫌は良いの?」
維月は、茶化したように言う碧黎に首を振った。
「お父様、今消え去るっておっしゃいましたわ。」
碧黎は、維月を抱き寄せた。
「…このように愛おしいものもあるというのに。我は今、あまりあれに必要を感じぬ。こうして愛娘が側におり、かわいい孫も居り、面白い龍達が居る。それらと戯れておる方が、よっぽど良いわ。最初から決められた対、我が選んだのではない。維月、主と十六夜とて、命は繋がっておるとて、前世それを選んだのは主ら。維心、主と維月、魂が繋がっておるとて、選んだのは主ら。なのだから、我とて己で選んでも良いではないか。大氣でも、己で選んだのであるからな。」
維月は、碧黎を見上げて気遣わしげに言った。
「そのような…お母様は、お父様を想うからこそ、あのように憤ったのでありますわ。それが違うと分かって、後悔しておいででしょうに。」
碧黎は、険しい顔をした。
「…維月、主は知っておろう。あれは、人の男と暮らして居った時もあったのだぞ?それを我は不問に付した。何しろ、行き違いからああなったと思うたゆえのこと。であるのに、あれはどうだ。真実かどうかも分からぬのに、最初から話もきかなんだではないか。その性質に、呆れたのだ。今は共になど思わぬよ。好きすると良いと伝えよ。」
すると、窓から十六夜が入って来た。維心と維月は驚いてそちらを見た。月から話してたんじゃなかったのか。
「十六夜!」
維月が言う。十六夜は、碧黎を真っ直ぐに見て言った。
「今更何言ってるんだよ!親父、伝えるなんてこと出来るはずねぇじゃねぇか。自分で言いな。そんなことは、子供に伝えさせることじゃねぇだろう!」
碧黎は、維月を離すと、十六夜をじっと見た。
「…我が言っても良いのか。」
維月が、慌てて首を振った。
「駄目よ!お父様が言ったら、徹底的になってしまうわ!私達が言うからまだマシなのよ!とにかく、私達で何とかしよう?お父様は、こういうお気持ちなのよ。でも、完全に切り離してしまおうと思われてるんじゃないのよ。その、やっぱり…。」
「主らが居るからの。」碧黎は、その言葉の後をついて、言った。「主らが困るであろうが。父と母が全く別の生活をし始めたら。我は、ここで維月の側に居る。主は、あれの側に居てやれば良い。さすれば、特に困ることもあるまい。我は戻るつもりはない。ここへ来るというなら、我があちらへ参る。今は、対と思えぬでな。…これを、気持ちが冷めると言うか。うまく言ったものよ、人も神も。確かにそのような心地よ。」
十六夜と維月は顔を見合せた。これは、いよいよ本物だ。しかも、自分達は今生共に生きて来て育てられたから分かるが、碧黎はかなり頑固だった。十六夜の性格を強くしたようなのが碧黎なので、自分が嫌なことはしない。陽蘭の側に居たくないと言っているのだから、その気持ちが変わるまでは絶対に会いになど行かないだろう。
維月が、言った。
「十六夜、じゃあ私も一緒にお母様に会いに行くわ。それで、二人でこのことを話しましょう。ちょうど、維心様も明日から留守にされるの。大氣について、ヴァルラム様のお城へ行くから。」
維心が、慌てたように言った。
「留守と申して、二日ほどぞ。明日朝こちらを出て、明後日の朝にはあちらを発つゆえ。」
維月は、維心に歩み寄って微笑んだ。
「分かっておりますわ。私も、あちらで母に話して参るだけでありまするから。維心様が帰られる頃には、戻っておるように致しますから。」
維心は、ホッとしたように頷いた。
「そうか。ならば良い。」
いつもならここで嫌味のひとつも言う十六夜だったが、今回は真面目な顔で維月を見た。
「じゃあ、今から行くか。早い方がいい。お袋だって余裕がねぇんだ。」
碧黎が、手を振った。
「ではの。我はもう関係あるまい?維月は早よう帰せ。我の娘であるのに。本当なら主だってここに置きたいぐらいぞ。もっと頻繁にこちらへ顔を出せ、十六夜。」
十六夜が、碧黎を睨んだ。
「オレにお袋の世話を今押し付けたばっかでよく言うよ。オレだって大概気ままだと思うが、オレは無責任じゃねぇ。」そして、維月を抱き上げた。「維心、そんな訳でちょっと維月を連れてくからな。親父を頼んだぞ。」
維心は、頷いた。
「別に我は何もしておらぬ。臣下達が良いようにしよるわ。」
そして、二人は光になって、空へと打ち上がって行った。
月へと戻った十六夜と維月は、そのまま地上を見下ろしながら言った。
《ねえ…お父様のあれ、一時的なものだと思う?》
すると、十六夜が不安そうな気を発した。
《…いや。親父は、ああいうことにはっきりさっぱりしてるんだよな。お袋だってそれを知ってるから、恐らく戻って来ない親父にあんなに暗く落ち込んでるんだと思うんだ。でもなんて言ったらいいんだ…親父が、自分は対を他に探すから、もう好きにしろって言ってるってか?》
維月は、嗜めるように言った。
《ちょっと!他に探すなんて言ってないでしょ。ただ、もう好きにせよって言ってただけで…。》
十六夜は、ため息を付いた。
《困ったな。好きにしろなんて、出て行けって言われたようなもんなんじゃないか?》
維月は、うーんと考えた。
《とにかく、もしかしたら落ち着いて来て考えも変わるかもしれないから。あの、お母様が人の男と云々のくだりは言わずにね。ええっと、そうね…お父様は、今龍の宮で居るのが楽しいから、あちらに居るって言ってるって。お母様のことは、呆れてしまってしばらく離れていたいって言ってるって。これでどう?》
十六夜は、同じようにうーんと唸った。
《呆れてどうのはやめといたらどうだ?しばらく離れていたいでいいんじゃないのか。》
維月は、首を振ったようだ。
《それだったら、お父様がただいつもの気ままであるようでしょう?お母様も、状況証拠だけで話もよく聞かなかったのに非があるんだから、そこはきちんとお灸を据えなきゃ。もしお父様が戻る気になって、その時にまた何か言ったら今度こそ絶対に駄目になっちゃう。》
十六夜は、悟ったような気を出した。
《そうだな…きっと、親父は戻らねぇような気がする。》
維月は、え、と十六夜の方を見た。といっても、月で同じ体なので、自分の背を見たような感覚だった。
《どうしてそう思うの?》
十六夜は、自信無さげに言った。
《いや、勘だけど。》
維月は、もう!と同じ体の十六夜の命を押した。
《びっくりするじゃないの!そんな不吉なこと言わないで。》
十六夜は、しかし大真面目だった。
《オレさあ、親子だからか、親父とは特に共鳴する時あるんだよなあ。そんな時にお袋の前に居ると、親父のお袋に対する気持ちってのが分かる。元々、親父って淡々とした感じの愛情っていうより親愛って感じの感情だったんだけどよ。オレが焦ったのが、ここ最近は違うんだ。平坦。》
維月は驚いた。平坦?
《平坦って何?あの、病院の機械の、手術の時とかにピーッってなる、あれ?》
十六夜は、ハッとした。
《あ、そうか!お前が今言ったから、思った。それって言い得て妙だぞ。そんな感じだ。何の反応もない。その辺の草でも見るような。山がないんだ、平坦。つまり、死んじまってる状態だな。》
維月は、急に不安になった。
《え…それって、気持ちが死んじゃってるってこと?》
十六夜は、首を振ったようだ。
《だから、はっきりわからねぇんだよ。そう感じられるだけで。》
維月は、はーっとため息を付いた。
《…なんだか、不安になるよね。私達にも、こんなことが起こったりしたらって。》
十六夜は、慌てて言った。
《オレ達はないぞ!何やかんや言って、維心と三人だし。あいつが居るから、オレ達がギクシャクしても、何とかなるじゃねぇか。反対に、オレが居て、お前達もうまく行く時もあるし。でも、親父達って二人だからなあ…オレ達が、何とかできるんなら何とかしなきゃな。》
維月は、頷いた。
《じゃ、行く?》
十六夜は、維月の命を抱きしめた。
《行こう。月の宮へ。》
二人は、光の玉から徐々に実体化しながら、月の宮へ向かって降りて行った。




