姉弟
維織は、友の女神達と庭を歩いていた。
龍王を見たいという女神達も居たが、その女神達は広間が見下ろせる回廊の方へと歩いて行き、自分は他の女神達とこうして庭へと来たのだ。
女神達は、皆同じ年頃で、そろそろ嫁ぎ先が決まる者も居た。皆が皆、恋愛をして愛する男の下へ嫁ぐのではなく、親の言いなりで嫁ぐ者も居た。神世の婚姻というものが、そういうものなのだと、維織には分かっていた。しかし、親の十六夜は、好きな男と一緒になればいい、と言う。それは、母の維月も同じだった。なので、自分は恵まれている、と思っていた。
思えば、祖父の碧黎は乱暴なことを言っていたのだ。まだ幼くて何も知らないからこそいいと思っていたが、愛してもいない神の元へ行って、その子を産んでまた帰って来るなど、本当に普通ではなかった。それを、父も母も言っていたのだと、最近やっと分かった。そして、感謝してもいた…自分が、後で後悔しないようにと、考えてくれたのだから。
維織が、黙って池の水面を見つめていると、側の女神が言った。
「あら?龍王様を見に行った方々よ?」
維織は、顔を上げた。何やら急いだ風で、こちらへ走って来る…女神は、滅多に走ったりしないのに。
「皆様!早くこちらへ!大陸の、神の王達が来たのですわ!それが、それがとても美しい方々なのでございますの!」
「まあ!」
横に居た女神が、維織の手を取った。
「維織様!早く参りましょう!滅多に見られない方々でございまするわよ!」
「え、私は別に…、」
維織が断ろうとしているのにも関わらず、その女神は維織を引きずって言った。
「そのようなことを!とにかく、行きましょう!」
維織はそれに抵抗できずに、女神達に引きずられるように宮の中へと入って行った。
回廊には、鈴なりの神達で満員状態だった。
しかし、入って来た女神達の中に、維織が居るのが分かると、皆場を開けた。維織は、月の娘として他の神達に一目置かれているのだ。
それを知っている女神達が、自分達の場を作るために、どうしても維織を連れて来たかったのは、維織にも分かった。そして、手を引かれるままに回廊の下を見下ろせる場まで来ると、母と龍王が、並んで座っているのが見えた。母は、ああしているとまさに龍王妃で、おっとりと本当に生まれながらの女神のように見えた。本当に自分の母で、父と愛し合っているのかと、維織でも分からなくなるぐらいだった。
そして、龍王はこうして見ると本当に凛々しく美しかった。維織が思わず赤くなっていると、隣りの女神がため息を付いた。
「本当…なんと美しいかた。お名は何と言うのかしら。」
すると、こちら側の女神が答えた。
「何でも、金髪の方がサイラス様、ブルーグレイの髪のかたが、ヴァルラム様とおっしゃるそうですわ。」
維織は、思わず身を乗り出して見た。ヴァルラム…お祖父様が私を嫁がせようとなさったかただわ。
そして、ヴァルラムの姿を見た維織は、びっくりして息を飲んだ。何と美しいかた…あのようなかたは、見たことがないわ。
こちら側の女神が、ふふと笑った。
「ああでも、龍王様のお美しさに比べたら。我は、未だあれ以上のかたを見たことがありませぬわ。こうして七夕でしかお目にかかれませぬけれど、いつも心が洗われるように思いまする。」
反対側の女神が、まあ、という顔をした。
「確かにそうですけれど、龍王様は王妃様以外のかたにはとても冷たいかたですから。我らもそろそろ嫁ぐようにと父に言われておるのに、いつまでも夢を見ておってはならぬのですわ。ほら、あのように美しいかたがいらっしゃるのですもの…父に、頼んでみようかしら。」
維織は、驚いてその女神を見た。
「え、頼む?」
その女神は、赤くなりながら頷いた。
「我らは己から殿方に話し掛けるなど出来ませぬもの。父から茶会の打診をしてもらって、宮へ来ていただいて、そして、婚姻のお話となるのですわ。」
反対側の女神が言った。
「そう。でも、直接お会いせぬ間に婚姻の打診ということもあるのです。どちらにしても、我らにはどうしようもないことで。父が良いと申さねば叶わぬことでありまするし。」
維織は、ヴァルラムをじっと見た。そうか…月の宮では自分で探して仲良くなって、婚姻となることが多いのに比べて、一般の神の宮では父王の力で縁を結ぶのだわ。それなりの力を持つ父王が居るこの女神達なら、あのように大きな気を持つ王の妃に、自分の娘をと言うことが出来るのだろう。
でも、それじゃあ愛してもらえないかもしれないのに…。
維織は思った。あのように美しいかたに娶られるなら、私も良いかな…。以前聞いたことでは、とてもお寂しいかたのようだし。もしも私を望んでくださると言うのなら、だけど。
そんなことを考えている間に、維心が立ち上がった。そして、維月の手を取ると、奥へと帰って行く。そして、それについてヴァルラムもサイラスも奥へと入って行った。それを見た回りの神達は、残念そうに息を付いた。
「ああ…引っ込んでしまわれたわ。」
皆が、踵を返して場を立ち去ろうと思い思いの方角へと足を向けながら言う。
「でも、宴の席には龍王様もあの方々も来られるのでは?我らは、きっと同席出来ませぬけれど。」
違う女神も言った。
「父に、夕刻までには帰るようにと言われておるから。本日のこと、父に話して、一度あの王の方々に茶会の打診をしてもらおうと思いまするわ。」
反対側の女神も、頷いた。
「我もそのように。」
皆がぞろぞろと場を外す中、維織は、ため息を付いた。皆、結構積極的だわ。私には、そこまで自分でする気持ちにはなれないなあ…。
そして、皆が帰り支度を始めるので、維織は宮の自分の部屋へと帰って行ったのだった。
維明は、父の維心から七夕の祭りに出るのはまだ、どちらでも良いと言われていた。あのように面倒なことは、どうせ王になれば嫌でもせねばならぬから、今は好きにすれば良い、というのが父の考えだった。
なので、維明はそれに出なかった。あれほどの神達に囲まれるのは、どうも落ち着かない。
なので、常の日と同じように、退役した義心に相手をしてもらい、訓練場で汗を流していた。
と言っても、維明にはもはや敵はいなかった。父王・維心のほかに、維明の動きについて来れるのは、月の宮の将維ぐらいのものだった。炎嘉も、変わった動きをするのでたまに一本取られてしまう。しかし、維心は炎嘉にも負けなしだった。そんな父に追いつくため、維明は今日も懸命に義心に教えを乞うていた。
「維明様、大変に筋がよろしいので、我ではもうお教えするようなことはありませぬ。我がもっと巧みであったなら、お相手も出来ようと思いまするが。」
義心が言うのに、維明は首を振った。
「何を申す。主は経験からほんに巧みな技を使って参る。我はいつも良い訓練になると思うておる。」
義心は、維明を見上げた。維心そっくりであるのに、維明はとても穏やかで相手を気遣う皇子だった。それに、将維の若い頃を思い出した義心は、微笑んで頭を下げた。
「恐れ入りまする。皇子にそのようにおっしゃっていただくと、我もこの歳までこのように姿を保って生きて参った甲斐があるというもの。」
維明は、刀を側の別の軍神に渡すと、歩き出した。
「主は不思議よの。王でもないのに、その気のせいか。400を過ぎて老いが止まったのだと聞いたぞ。」
義心は、維明について歩きながら頷いた。
「は。恐らくは、まだせねばならぬことがあるのだろうと思うておりまする。我は、責務をまだ果たしておらぬのでありまするな。」
維明は、驚いたように義心を見た。
「責務?」
義心は、頷いた。
「は。神も人も、この世に生まれる時、何らかの責務を負っておるのだと聞いております。それを果たすべく努力するのが、生きるということ。皇子はおそらく、父王維心様の跡を継いで世を治める龍王として君臨なさるのが、責務であられましょう。今、これほどに努力なさっておられるのです。立派に果たされましょうほどに。」
維明は、考え込むような顔をした。
「そうか。ならば我はもっと精進せねばの。あの父の跡を継ぐのであるから。並の力では叶うまい。身の引き締まることよ。」
そうして歩いていると、同じように宮を歩く異父姉、維織が目に留まった。姉といっても、二年しか違わないので、神世では同い年という認識だった。維織とは、幼い頃から月の宮でよく会って話して来た。そして、ここへ来てからは姉弟なので、よく話をしていた。なので、維明は声を掛けた。
「維織。」
維織は、驚いたように振り返った。そして、呼んだのが維明だと分かると、微笑んだ。
「維明。まあ、こんな日にまで訓練なの?」
義心と二人、甲冑姿だったからだ。維明は、頷いた。
「祭りには興味がないからの。それで、主は祭りを楽しんで参ったのか。」
維織は、頷いて少し赤くなった。維明が、それを見て眉を寄せた。
「…維織?何かあったのか。母上が、女が赤くなる時は何かがあった時だと申しておった。」
維織は、困ったように維明を見た。
「確かにそうだけれど…お母様は、そんなことも維明に教えておられるの?」
維明は、大真面目に頷いた。
「父上があまりに知らないからだとおっしゃっていた。それぐらいのことを知らないと、妃を迎える時に相手が困るのだと申して。」と、ため息を付いた。「して、主はどうしたのだ。」
維織は、恥ずかしそうに言った。
「あの、友と共に、とても美しい王達を見たの。それだけよ。」
維明は、驚いたような顔をした。
「美しい王?」と、傍らの義心を見た。「…主、心当たりはあるか。」
義心は、膝を付いたまま首をかしげた。
「…そうでございますな、もしかして、大陸の神達のことでは。我も神の外見のことには疎いのですが、サイラス様と、ヴァルラム様は大変に美しいと、維月様もおっしゃっておられたゆえに。女はそう感じるのやもしれませぬ。」
維明は、頷いた。
「おお、あの二人か。そういえば母上がそのように申しておったの。父上には内緒だと申されて。」と、維織を見た。「そうであろう?維織。」
維織は、顔から火が出るかと思った。どうしてこう、いつも遠慮なく言うのかしら。
「た、確かにそうだけれど…維明、そのようにはっきりと面と向かって言うのは、きっと良くないと思うわよ?恥ずかしいのですもの。」
維明は、顔をしかめた。
「またか。何を言うてはいけないだの…我には分からぬ。女とは、難しすぎるわ。」と、踵を返した。「ではの。我は行く。父上に呼ばれておるから。おそらく、その王達も同席しておろうし、我が代わりに見て参るの。」
維織は、慌ててその背に言った。
「維明!私のことは、言わないでよ!絶対に!」
維明は、振り返って頷いた。
「余計なことは言わぬようにする。面倒は抱えとうないしの。」
維明は、歩き去って行った。維織は、本当に何も言わないでいてくれるのか心配だったが、それを見送るしかなかったのだった。




