投降
維心は、イリダルを気で捕らえて宙に浮かせたまま、王の間を出て城の中を進んだ。炎嘉と将維が両隣の少し後ろを歩き、その後ろには義心が、維心の真後ろに当たる場所を歩いていた。つまりは、四人で四角い位置取りをしていたのだ。イリダルは、諦めたように力なく捕らえられている時もあれば、思い出したように暴れだすこともあって、そのたびに将維か炎嘉に鬱陶しそうに一撃されてぼろぼろになっていた。四方から軍神達が束になって斬りかかって来たが、そんなものは意にも介さぬように、維心は手を一振りすると簡単に滅してしまった。横からも後ろからも囲んでは来たが、それも炎嘉、将維、義心が簡単に斬り捨ててしまった。進む歩みすら、止める必要はなかった。
そのうちに、皆遠巻きに回りを囲んでこちらに向かって刀や剣を構えるだけで、襲って来なくなった。そして、城の外へ出た。
たくさんの軍神達が、維心達を待ち構えてずらりと目の前に揃っている。それでも、掛かってくる勇気のある者はないようだ。炎嘉が、腰に手を当ててふんと鼻を鳴らした。
「人数ばかり居ってもの。こうまとまっておったら、一気に滅してくれと言うておるようなものであろう。潜んで脇から襲ってやろうという気概のある者は居らぬのか。おもしろうないのう。また主一人でやってしまうのか。」
維心は、炎嘉をちらと見た。
「此度は抗わぬ限りこやつらを全て滅しようとは思うておらぬ。」と、おもしろくなさげに目を細めた。「…維月に後で何を言われるか分からぬからの。」
炎嘉は呆れたように横を向いた。
「またそれか。いい加減にせよ。口を開けば維月維月と、鬱陶しいの。」
維心が何かを言い返そうとした時、十六夜の気配がなかった有明の月に向かって、二つの光が打ち上がって行くのが見えた。維心は、それを見上げて叫んだ。
「おお、維月!ああ、無事であったの!月へ戻れば何も案ずることはない!」
将維も、義心もホッとしたような顔をした。炎嘉だけが、眉を寄せた。
「…よう考えたら、ここに居るのは皆ライバルではないか。やってられぬわ。」
そう小声で呟く炎嘉に、将維は涼しい顔をしていた。義心は表面上神妙な顔をして視線を合わせないが、内心ではそうではないだろうことはその気で分かった。
イリダルが、維心に捕らえられて宙に浮いたまま、絶望的な顔をした。これで、ヴァルラムも解放されたということだ。つまりは、自分を抑えられる神が増えた上、月まで敵に回してしまった以上、もうイリダルに希望はなかった。
打ちのめされてただ捕らえられるままになっているイリダルを尻目に、維心はその場で呆然と空を見ている軍神達に言った。
「さて、主らには選択権を与えてやろうぞ。」軍神達は、一斉に構えてこちらを見た。維心は続けた。「ここはドラゴンの支配下に置く。我の領地からは離れておって、こちらまで見るのは面倒なのでな。ヴァルラムに任せようと思うておるのよ。ドラゴンの配下に下るか、ここでイリダルの臣下として今死ぬか。どちらかを選べ。」
軍神達は、顔を見合わせた。イリダルは、本当に自己中心的な王だった。王とは皆そうであるが、イリダルの場合は偏っていた。ドラゴン憎しとそればかりで、臣下達の面倒など何も見て来なかった。なのに突然に出撃命令が出て、ドラゴンへ向かって行っては殺される。何しろ、イリダルのあの力以外でドラゴンに敵うはずなどなかったのだ。元々が、それほど大きな気を持つ種族ではなく、いつも北で、人の面倒などを見て穏やかに暮らしていた。それが、イリダルの父王の世代になってから、付近の王国へと侵略を繰り返すようになり、殺伐とした雰囲気になった…全てはあの、王の血筋に伝えられる力の悪用から始まったのだ。
一人の軍神が、剣を前へと投げた。
「我ら、平和に暮らすことを望んでおりまする。我ら軍神も、侵略ではなく、民を守るためのみに戦いたい。罪もない神を殺し、それに巻き込まれて人も死ぬようなことは、望んでおらぬ。」
それにつられるように、他の軍神達も次々と刀や剣を前に放り投げた。イリダルは、黙ってそれを聞いていた。確かに、父王の代になる前は、祖父の王がそれは穏やかに暮らしていたのを覚えている。いつも、祖母の妃と笑い合い、時に寒さに凍えて困っている人を助けたり、凶作で食す物がない人のため、たくさんの動物を人の住む場所に追い込んで狩らせたり、そうやって皆に感謝される神としてこの地に君臨していたのだ。この力も、確か祖父は、病を運ぶ気を遮断して神や人を守るのに使っていたはず…遠い記憶のことだった。それが、父王の代になり変わった。自分が教わったのは、病を遮断するのではなく、神の命の気を遮断する力としてだった。そうして、幼い自分がその力の発現を待つことすらなく、父王は目の前でヴァルラムに滅しられた…王なって、また数十年の頃だった。しかしこの地に住む人は、その間に激減していた。守る神がなくなって、放って置かれ生きる術が難しくなったからだった。
維心は、イリダルに視線をやって、あからさまに嫌な顔をした。イリダルは、自分の顔を見ただけで怒りがこみ上げるのだろうと、何かの力で弄られるかと覚悟した…が、維心が言ったのは、別のことだった。
「ああ、ほんに面倒よ。こやつ、気が変わりおったわ。」
炎嘉が、それを見上げて同じように顔をしかめた。
「こやつだけはここでひと思いに殺そうと思うておったのに。残せば後が面倒ぞ。維心、見なんだことにしてやってしまおうぞ。」
維心は今にも頭を抱えんばかりの表情で言った。
「そうしたいが、維月が月に戻っておるし、見ておったら面倒なことになる。ああ、先にやってしもうておったら良かったわ。」
イリダルには、何のことか分からなかった。だが、維心は吐き捨てるように言った。
「…主、選ばせてやろうぞ。」本当は言いたくないようだ。「もう王には戻ることは出来ぬ。二つに一つぞ。あの主の筆頭軍神と同じく全て真っ白に浄化して…魂の浄化であるがの、生まれ変わりと言って、我らのように記憶を持って来るのは困難であるのだ。大概はこの浄化で全て忘れて真っ白になる。それを今主に行なって、赤子の心とその体でやり直すか、記憶はそのままであるが、主の神の命を切り離して人として生きるか。だが人であるから寿命は神の十分の一。それは理解せよ。」
イリダルは驚いた…自分を殺さないというのか。
「ひと思いに殺さぬのか。」
維心は歯軋りした。
「だから我はすぐにでも殺したいのだ!だが殺したら妃が何を言うか…」と、ため息を付いた。「さっさと選べ。選ばせてやるのだからありがたいと思うが良いわ。」
イリダルは、考えた。また神としてやり直しても、恐らく自分は何も分からず、また同じような失敗をするのではないだろうが。ならば、この記憶のまま何の力も持たぬ人になり、知とこの体だけを頼りに生きる方が、後悔はないのではないか。
「我を、人に。」イリダルは言った。「減った我が領地内の人を、我の知識の及ぶ限りで増やして参りたい。人の力だけでも、生きていける知恵を授けて。」
それを聞いた炎嘉が、悪態をつくように言った。
「…ふん。一人前なことを言いおって。」
維心は、イリダルを掴んでいた力を消した。イリダルが、地へと落ちる。四人が見ている前で、イリダルは膝を付いて起き上がった。維心がそれを見下げて、刀を抜いた。
「我、命を司る神として主の神の命を切り離す。」と、維心は刀を振り上げた。「じっとしておれよ。全部切ってしもうたら死ぬしの。」
炎嘉がちゃちゃと入れた。
「どっちでもいいぞ。それで維月に言い訳する主も面白いしの。早ようせよ!」
維心は炎嘉を睨んだ。
「茶化すな。一人の神が死ぬのだぞ。」と、刀を振り下ろした。「人が誕生するがの。」
イリダルは、頭の上の何かを切られたような衝撃があって、その勢いで飛ばされて後ろへ倒れた。義心が歩み寄って、手を貸して身を起こさせる。イリダルは、朦朧とした頭で思った…体が重い。音が静かだ。聴覚が鈍いのか。回りに騒がしいまでに感じていたあの、神達の気を感じないのだ。軍神達や維心、炎嘉や将維、義心の姿は見えた。少し勘が鋭い、人ぐらいになったということか。
「気は一切使えぬ。」維心は言った。「その体と、知識のみが武器。それが人よ。それで生き抜いてみよ。」
イリダルは、決心したように頷いた。
「やり遂げようぞ。時はないからな。」
維心は、イリダルに言った。
「ディークは生きておるのか。」
イリダルは答えた。
「あやつの気であればまだ生きておるだろう。妃はもう駄目かもしれぬ。西の地下ぞ。」
維心は、さっと将維を見た。
「将維、義心を連れて見に参れ。見つけたら、主はそのままドラゴン城へ二人を連れて参れ。そして、レムにこちらを制圧したゆえ、後を引き継ぐようにと伝えよ。」
将維は、頭を軽く下げた。
「は。そのように。」
維心は、薄れて行く月を見上げた。日が高くなる…後はここを、ドラゴンに引き継ぐまで見ていればいいだけのこと。
すると月から、何か覚えのある力の波動を感じた。十六夜と維月が同時に放っているだろうその術は、間違いなく覚えがあった。
「何ゆえ?」維心は、驚愕したように空を見上げた。「何ゆえ黄泉への道を開く?」
炎嘉は驚いたように慌てて空を見た。
月からは、相変わらずその力の波動が感じられた。




