逃亡
「王!」転がるように、軍神が入って来てイリダルの前に膝を付いた。「あの月と、ドラゴン王が!」
イリダルは、それだけで悟って一気に地下牢へと飛んだ。あの膜へ篭めた上、地下へ篭めて結界を掛けてあった。それを、どうやって抜け出たと申す!
イリダルがそこへ到着すると、見張りの軍神達が身を縮めて膝を付いた。イリダルはそんな軍神達には目もくれずに中へと入り、そのこの天井近く、寝台からなら手が届いたであろう位置に、不自然な穴が開いているのを見た。
「まるで岩が溶けたかのように…そこから地上へ出たようでございまする!」
イリダルは、浮き上がってそこから外を見た。もちろんのこと、二人の姿はもうない。自分の軍神達がそこらじゅうを飛び回って血眼になって探しているが、そんなことで見つかるような逃げ方はしないとイリダルには分かっていた。しかも、自分の膜に篭めてある状態なので、気が全く読めない。穴は、軍神が言ったように溶けたように不自然に開いていて、回りには砂が積もっていた。何かで砕いたようには見えない…そんなことをすれば音がして、見張りの軍神達も気取ったはず。いったい、何の力がこんなことをした。破壊するわけでもなく…。
イリダルは、月を失ったことに歯軋りした。あの龍王に、どうやって言うことを聞かせるか。しかし、気が読めない以上まだあの膜の中であることは確か…その間に、ヤツを使って回りの城を陥落させ、その後ヤツを殺すしかない。つまりは、時はあまりない。そのうちにヴァルラムならばあの膜を破るやもしれぬ。
「…月とヴァルラムを探せ!探しておることは、気取られぬでない!」
イリダルは、踵を返した。もちろん、見つかるとは思っては居なかった。見つかれば幸運程度の考えだった。それより自分は、今から龍王と対峙せねばならぬのだ。あの、強大な気を持ち、手だれだと分かっている、一夜にしてドラゴンを殲滅した、龍王と。
その城の上空に、維心は皆と共に到着していた。
朝日に照らされたその城は、大変に美しかった。それを見た炎嘉が、横で言った。
「ほう、城は悪くないの。あれは大理石か?ふーん、我も我の宮を大理石にするかの。主の宮でも大理石の部屋があるしの。ほれ、一番大きな大広間ぞ。」
維心は、眉を寄せた。
「やめぬか、炎嘉。あんな部屋一つで良いわ。我は壁はもう少し暗めの色のほうが落ち着く。居間のしつらえを見よ。白壁ではなく、僅かにブルーグレーであろう?」
炎嘉は肩をすくめた。
「我の性格では明るい方が良いのだ。鳥の宮は総大理石だったのだぞ?主が前世めっちゃめちゃにしてしもうたがの。」
維心は不機嫌に眉を寄せた。
「何とでも言えば良いわ。まあ、主の宮ぞ。好きにせよ。」
ヴコールは、こんな状況でも軽口を叩く二人に背を向けながら眉を寄せていた。なぜにこれほどに余裕がある。あの折、あれほどに我が王に太刀打ち出来ず、死の恐怖に向き合ったはず。あまつさえ妃を捕らえられ、その命に従って龍とは関係のないドラゴンを根絶やしにしたのではないのか。その王にこれから対面しようというのに、怯えることもないのか。龍にとって、殺すということはそれほどにどうでも良いことなのか。
そんな龍に、後ろ寒いものを感じながら、ヴコールはイリダルが待つ城の、王の間へと向かって行ったのだった。
宮の王の間の玉座では、イリダルが険しい顔をして座っていた。その尊大な表情に維心と炎嘉以外は眉を寄せた。維心はというと、無表情でそれを見つめ、炎嘉は堪えきれぬようにぷっと噴き出した。そんな炎嘉を、維心は軽く小突いた。
「こら。いくら滑稽でも場所柄を弁えぬか。」
炎嘉は腕の甲冑で口を押さえながら言った。
「無理よ。我は主のようには出来ぬ。」
イリダルが、それに拳を握り締めて立ち上がった。
「何が滑稽ぞ!口を慎むが良い!主らは既に我が下に下った龍族。頭が高いわ!」
それでも、維心も炎嘉も頭を下げなかった。
「ほう、目通り叶って光栄とでも言えば良いのか?いやいや、我らはそんなに簡単には頭は下げぬぞ。頭が高いと申すなら、主の方であろうが。地の王とて、主は地の化身とも会うたことがないであろう?そもそも、その存在を知っておるのか疑問であるの。」
炎嘉が血のついた甲冑のまま、不敵に笑って言うのに、イリダルは激昂していきなり力を放った。
「たわけ!」
しかし、炎嘉はそれを事も無げに横へすっと避けた。
「来ると分かっておったら、避けもするわ。そんなことも分からぬのか。」と、隣りの維心を見た。「思うたより愚かであるの。」
維心は苦笑した。
「ま、良い。どうせこれから根絶やしになる種族ぞ。黄泉への土産に、戯れてでもやらねばの。」
イリダルは、維心を見た。
「こちらに妃が居るのを忘れておるのではないのか。我でなくばあの膜は取り去れぬぞ!」
維心は、まるで忘れてでも居たように、今知ったというような顔をした。
「おお、そうであったの。」と、急に険しい顔をすると、青く光る目でイリダルを睨んだ。「我は気が長い方ではない。あれ以外はどうでも良いのよ。なのでドラゴンも殲滅した…主の城へ攻め入る良い口実になると思うたからの。あれを助けるためなら、誰でも殺す。主とて同じ。ここの城を空にすることなど、我一人でも半日あれば出来るわ。」
イリダルは、その目に知らず背筋に汗が伝うのを感じた。龍王…何を考えている。我の力は、思い知ったはず。ゆえにドラゴンを殲滅したのではないのか。
「何を言うても、負け犬の遠吠えぞ。」イリダルは、手を上げた。「苦しんで思い出せば良いわ!」
イリダルから、あの白い光が大きくその場に居る全ての者に向かって放たれた。そこに居た維心、炎嘉、将維、義心は、一斉に自分を囲むように用意した力を放って防御した。するとイリダルの白い光は、何の前置きもなく突然にスッと消えてなくなった。
それには、レムもイリダルも愕然とした。何が…何が起こった。
将維が、維心に言った。
「何と、面白いものでありまするな、父上。この力がこんなことに役立つとは思ってもみなんだ。」
維心も、まるで居間で茶でも飲んでいるような風に答えた。
「いろいろ知っておくが良いぞ、将維。何なりと試して見るが良い。例えばこれを」と、維心はイリダルの方へと手を向けた。「攻撃に使ったらどうなるかの?」
その光がイリダルに向かうのを、イリダルは防ぐことが出来なかった。そんなイリダルを見たヴコールが、必死に前に飛び出してイリダルを庇った。維心の光をもろに食らったヴコールは、激しく全身を痙攣させてその場へ倒れた。
「ヴコール!」
イリダルが、必死に叫ぶ。維心は舌打ちした。
「なんだ、倒れただけでは分からぬではないか。」
しかし、将維は言った。
「ああ、綺麗に浄化されておりまする。父上の仕事には無駄がありませぬな。このまま黄泉へ送ったら、面倒が無くて良い。」
イリダルは、それすらまるで遊んでいるかのように軽口を叩きながら行なっているのに、心底腹を立てた。そして、再び光を放った。
「死ね!」
炎嘉が、白紫の炎を放ってその力を弾き飛ばした。
「無駄よ。主の力はとっくに我らに破られておるわ。」
イリダルは、自分のこの特殊な力を破られたのは、全くの初めてだった。近付いて来る龍王に後ずさりしながら、とにかくこの場を離れなければと飛び上がった。
「逃さぬ!」
維心から、細く気が発しられ、それががっつりとイリダルを掴んだ。イリダルは、必死にもがいた…化け物…これは、化け物なのだ!
維心は、浮いたまま掴んだイリダルを見て言った。
「地の王とやらを捕らえたぞ。ほんに笑わせる。」と、するするとその気を縮めて自分の方へとイリダルを引き寄せながら笑った。「地の王は我よ。よくも我の命より大事な妃を捕らえて、命の危機に晒してくれたの。我は命を司る神。主の筆頭軍神とやらは我が魂の浄化に使う力を受けて、中身は空になった。しかし、身は健在よ。このまま呆けて暮らすのも良い。主も共に赤子になって生きてみるかの。」
イリダルには、もはやあの尊大さはなかった。どうにもならないほどの大きな気…自分のあの特殊な力が利かぬのなら、この龍王に太刀打ち出来るはずはない。
「ご命令を。」
義心が、膝を付いて言う。維心は、それをちらと見て言った。
「どうするかのう…ここの軍神達がドラゴンの領地へ入って来よったから、全部殺したしの。」維心の言葉を聞いて、イリダルが目を見開いた。維心は、フッと笑った。「我はいつなりこのように返り血を浴びることなどないのよ。浴びぬ方向へ斬ることが出来るゆえな。しかし、主を騙してこちらへ入れさせるには、これぐらいの装飾は必要だと炎嘉が申すから、敢えてこのように。早よう風呂に入ってすっきりしたいもの。」
では…では、もしかして?
イリダルは、絶望の眼差しで維心を見ていた。




