妻と娘
ディークは、イリダルの城、玉座の間で膝を付いて憔悴しきっていた。ついに、ヴァルラムと維月がイリダルに捕らえられてしまった。少なからず、自分がもたらした情報のせいで…。
イリダルが、機嫌よくヴコールと共にそこへ戻って来た。それを見たディークは、急に目を異常に光らせてイリダルに駆け寄った。
「イリダル殿!どうか、我の妃と子の解放を。事が成れば、解放してくださるとの事であったはず!」
イリダルは、面倒そうにディークを見ながら玉座に座った。
「そうよの…まだ事は成っておらぬが、面会ぐらいはさせてやっても良い。」と、ヴコールに頷きかけた。「あれの部屋へ連れて行ってやれ。」
ヴコールは、イリダルに頭を下げた。
「は!」と、ディークに頷きかけた。「こちらへ。」
ディークは、必死の形相でヴコールについてそこを出た。ああ、レイティア、ラティア…!
しばらく暗い階段を降りたところで、ヴコールは粗末な木戸を示した。
「ここぞ。膜は取り払われておらぬが、会って来るが良い。」
ヴコールは、手を振った。その木戸に掛けられていた結界が解かれたようだ。ディークは急いでその戸を開いて中へ飛び込んだ。
「レイティア!ラティア!」
中は、石畳に粗末な木の寝台が一つあるだけの、飾りも何もない牢のような部屋だった。窓もなく、光も入らない。ランプの炎だけが揺らめく中で、レイティアがやつれた顔を上げた。ディークは、弾かれたように駆け寄った。
「ああレイティア…!無事であったか。」
レイティアは、ディークをみとめると、乱れてほつれた髪を直そうともせず、みるみる涙を溢れさせた。
「ディーク…」そして、寝台の上に横たわる、小さな少女を見た。「ラティアの…ラティアの気が補充出来なんだ。我らが別々にこんな膜に篭められておるゆえ…気を分けてやることが出来ず、弱って参るのを、見ておることしか出来ず…。」
ディークは、慌てて娘の気を読んだ。娘は、気を枯渇させて、息絶えていた。ディークは、その亡骸を抱きしめて、号泣した。
「ああ間に合わなんだか…!」
最後に見た時のことが、脳裏をかすめた。我は女王になるから、お父様を、きっと耐えて待つの、と気丈に膜の中から言っていた。なのに、戻ってやることが出来なかった。
「父を許せ、ラティア。父がもっと力を持っておったなら…!」
小さな体に、この数日の気の遮断は耐え切れなかっただろう。弱って行く娘を、ただ見守ることしか出来なかったレイティアは、どれほどにつらかったことか。
レイティアは、泣き崩れるディークを抱きしめた。
「もう、我は良い。」ディークは、驚いてレイティアを見た。レイティアは、声を潜めて続けた。「ディーク、リークを守らねば。このまま、もしも維心殿がイリダルなどの思うままになってしもうたら、世は乱れて戦国になる。我らの国は滅ぼされ、根絶やしにされぬでも奴隷のように扱われよう。リークを王座に就けて君臨させるには、イリダルの思うようになってはならぬのだ。我のことは案じるでない。元より我は王。死する覚悟など出来ておる。ラティア亡き後、我にはもう怖いものなどない。」と、ディークの目をしっかりと見た。「ここを出よ、ディーク。そして、知り得たことを今度こそ維心殿とヴァルラム殿に伝えるのだ。イリダルを滅ぼして、世を元に戻すのだ。」
ディークは、レイティアを見た。
「ヴァルラム殿は、既に囚われた。我が、イリダルに言われるままに動いたために。」
レイティアは、険しい顔をしたが、ディークをじっと見た。
「では、維心殿とサイラス殿に。ディーク、しっかりするのだ。我は膜がある限り助からぬ。リークを、我の代わりに守ってくれ。もう二度と、我らの子を失わぬために。」と、ラティアの亡骸を見た。「ラティアは最後まで、女王としての誇りを失わなかった。幼いのに、取り乱しもせずに逝った。」と、また涙を流した。「ディーク、主が戦えば、我はもしや助かるやもしれぬぞ。急ぐのだ。何が正義か考えよ。王は、私情で動いてはならぬだろう。民のためにも、イリダルを滅ぼせ。我は、最期までここで待っておる。」
やつれていてさえ、レイティアは誇り高かった。ディークは、そのレイティアを見て頷いた。
「確かに、約そうぞ。」と、ラティアの手を握った。「ラティア、父は世を助けるため戦う。」
幼い娘は答えない。しかし、ディークは意を決して立ち上がった。ここを出る。そして、必ず全てを平和に導くために尽力して見せようぞ。
夜が明けて来ている。
龍の宮の会合の間には、維心、炎嘉、サイラス、レム、バリー、慎怜、義心、そして十六夜が座っていた。十六夜は空を睨んでいた。
「維月の気配が読めねぇままだ。ヴァルラムもそう。しかし、城へ入ったのは見た…そこから動かされてないのは確かだ。」
サイラスは頷いた。
「恐らく地下であろう。あやつの城の構造は知っておる。我ら、どれほどに長くあの種族と戦って来たことか。しかし、あの厄介な力のお陰で、滅するまでは出来なんだ。だが、ヴァルラムならば追い払うぐらいは出来た。ヴァルラム一人の力でしか対抗出来ぬのだから、他の神を守るには深追い出来なんだのよ。」
レムも、頷いた。
「はい。我が王のお力でなければ対抗出来ぬので、我らただ他の軍神を消して行くよりなく…王は、我らがあの力に捕らえられぬように、ただ炎を放つよりなかったのでございます。我らの炎は、術に掛けられた者達の、術を消すことは出来申すが、あの力を防ぐことは出来ませぬ。あれは王だけが放てる炎であるので…。」
炎嘉は、己の手の中で小さな炎を形作り、手の平を上に向けて浮かせた。
「我は前世鳥であったゆえ、炎の術には長けておる。いろいろな種類の炎を出せる…ただ、龍として転生してしもうたゆえ。鳥であったほどの威力はないやもしれぬの。」
サイラスは、身を乗り出した。
「主、炎を扱えるか。では、ヴァルラムがあの折使った炎の波動を覚えてはおらぬか。」
炎嘉は、顔をしかめた。
「覚えてはおるが、あれを再現するとなると難しいの。」と、手の上に浮かぶ小さな炎をじっと見つめた。「こうか…しかしこんなに単純ではなかった。ではこんな感じか…」
炎嘉が何やら言いながら炎を見つめている間、その炎の色は次々に変化した。それを真剣に見つめていたレムは、感心したようにため息を付いた。
「なんと…器用なこと。鳥族はどこに?」
炎嘉は、炎から視線を外すと苦笑した。
「我が死んだ後、龍に歯向かっての。滅しられた。愚かなことよ…今は数体しか残っては居らぬ。しかし、このようにいろいろな炎を扱えたのは王の我のみ。」そしてまた、炎に目を向けた。「今はあの炎ぞ。もっと強かったように思うの…ではこうか…。」
炎嘉は、いろいろと模索している。十六夜が、ハッとしたように炎嘉を見た。
「炎嘉、仙術に似てないか?気を遮断する膜だ。あれの波動と合わせた感じで作ってみたらどうだ?」
サイラスは、眉を寄せた。
「仙術?」
十六夜がサイラスを見た。
「あっちには居ねぇかもな。人が修行して寿命と力を持って仙人と呼ばれるものになって、自分達でも扱える術を編み出したんだ。神にも使えるが、人が考えたものだから、神もその人が書き残したものでないと知らねぇ。その中に、気を遮断する膜ってのがあったんだ。」
炎嘉は、眉を寄せた。
「あの膜と波動を合わせたら…」と、炎がパッと瞬いて紫色になった。炎嘉は顔をしかめた。「膜は黄色だったのに、紫になったぞ。」
レムとサイラスが、同時に叫んだ。
「それだ!」炎嘉がびっくりして二人を見る。炎も炎嘉の手の上でちかちかした。サイラスが言った。「その炎ぞ、炎嘉!何と、主にも扱えたのか!」
炎嘉は、まじまじと自分の手の平の上で踊る紫の炎を見つめた。
「ふーん…威力は強くはない。しかし、複雑な気よな。確かにこれを瞬時に作り出すとなると、王ほどの力がなければ無理であろうて。」と、息を付いた。「で、我がこれを作れることが分かった上で、どうするのだ。今度は我がヴァルラム殿の代わりにこれで皆を守るのか?それでは維月を助け出すことは出来まい。もっと意表を突いた策を考えねば、あの城は堕ちぬ。ましてレイティアと子も囚われておるのだろう…ディークも巻き込まれておるのだからの。」
十六夜が、珍しく神妙な顔をして頷いた。
「助けてやらなきゃな。蒼もディークの気が消耗してたのを気にしていたんだ。あれは、嫁と子供を人質に取られてたからだったんだな。」
サイラスが、じっと黙って考え込んでいる。炎嘉は、維心を見た。
「維心。」維心は、答えない。「維心!」
維心は、顔を上げた。炎嘉を見る目が、光を失って落ち窪んでいるように見えた。炎嘉は、険しい顔で言った。
「しっかりせよ、維心!何を呆けておる。己の目の前で妃がさらわれたからか。力のない神ならば、誰しもそんなことは起こりうるのだぞ。主は今まで無敵で来たゆえ、慣れぬだけのこと。ならば取り返せば良いではないか!」
維心は、炎嘉を見た。
「我の力では、太刀打ち出来なんだではないか。」維心は、力なく言った。「手も足も出なんだ…主のように、あれを封じる炎を作れたら、我のような心持ちにはならぬであろうよ。我の知りうる力では、維月を助けてやることが出来ぬ。」
炎嘉は、維心を睨み付けた。
「では、そこで指をくわえて見ておれ!我が助けて南へ連れて行く。今度こそ、我が妃に迎えるわ!」
維心は、キッと炎嘉を睨んだ。
「そのような…!」
炎嘉は、声を荒げた。
「維月はきっと、主と十六夜が助けに来ると信じて待っておるぞ!いやもしかしたら、己の夫では頼りにならぬとヴァルラム殿と共に脱出の方法を考えておるやもしれぬ。あれの気質は、知っておるだろうが!」
維心は、ハッとして窓から見える空を見た。維月…どこまでも気が強く芯が強く、自分のことは自分で守ると言って…。我のことも、守ると言って…。しかし諦めるような気の弱い男は大嫌いだった。今の我では、維月に会えぬ。きっと、厭われてしまう…。
維心は、しっかりとした視線を炎嘉に向けた。
「我が行く。」維心は、決心して言った。「我が迎えに参ろうぞ。」
炎嘉は、頷いた。
「我らがだ。維心、何事も己一人でする必要はないのだ。もう知っておろう…他の神を信じよ。」
維心は、膝に乗せた拳を握り締めた。維月…この我の手で、皆の力を借りてきっと助ける!




