囚われの身
ヴァルラムは、自分の頬に冷たい床を感じて目を開けた。自分の身から、無意識に微かな炎が上がっている…これは、消耗した気をどうにかして補充しようとするゆえの自己防衛本能がさせていること。つまりは、そうしなければ気を補充出来ないような過酷な状況に居るということだ。
そこは、地下牢のような場所だった。透明でありながら光の加減で薄っすらと見える力の中に捕らえられているのを見た時、一瞬で状況を悟って慌てて横を見ると、維月が青い顔をして横たわっていた。急いで維月を抱き起こしたヴァルラムは、その冷たい体に急いで必死に呼びかけた。
「維月!維月…しっかりせよ!」
「…。」
維月は、何かを言いたそうに薄っすらと目を開けてヴァルラムを見たが、微かに動く口は言葉をなさなかった。ヴァルラムは、維月の気が尋常でないほど失われているのを感じて、驚いて膜を凝視した。しかし、この膜はサイラス達に使われたような気を吸い上げる性質は持っていない。ヴァルラムは、維月に言った。
「なぜにこのように気を失っておる?!主、月であるなら気は無尽蔵であるのでは…。」
ヴァルラムは、ハッとした。そうだ。月の実体化したものだと聞いた。月からこのように分断されてしまったら、維月は何から気を得ているのだ。
「もしかして、主は気を補充出来ぬのか。消耗する一方なのか。」
維月は、微かに頷いた。ヴァルラムは、自分に戻って来た気を身の内に感じ、言った。
「では我の気を分けようぞ。」と、ためらいがちに唇を寄せた。「しばし堪えよ…こうすのが一番早いゆえな。」
維月は、黙って目を閉じた。ヴァルラムは、ためらったままその唇に自分の唇を重ねた。そんなことは自分の生涯の中で、全く初めてのことだった。誰かを回復させようなどと、今までしたことがあっただろうか。全て城の臣下に任せて、自分から手を下すなどしたことがなかった。しかし、維月だけは他に触れさせる気にはなれぬ…。
維月の体が、段々と温かくなって来るのが分かった。ヴァルラムは唇を離すと、じっと維月を見つめた。
「維月…気分はどうか?」
維月は、頬に赤みが戻って来ている状態で、弱々しく微笑んだ。
「はい…体が楽になりました。ありがとうございまする。」
やっと身を起こして座れるようになった維月に、ヴァルラムは回りを見回した。粗末な寝台が、一つだけある。それをみとめてから、ヴァルラムは維月をそこへ促した。
「さあ、石畳の上では体が冷える。あちらへ。」
ふらついてはいたが、しっかりと足を踏み出して維月はそこへヴァルラムと並んで座った。膜の大きさは大きくはなく、動きにあわせて形は変化するものの、球体になったら直径ニメートルも無かった。なので、二人は別々に動くことが出来ないようだった。少し離れてその膜の大きさを超えるようなことがあったら、まるでゴムの膜のように引き戻される。ヴァルラムは、ため息をついた。
「すまぬ…助けてやることが出来なんだ。我らの種族の炎でなくば、この力に太刀打ちできぬ。しかもイリダルの力を跳ね返すだけの力があるのは、我の炎のみであるのだ。これでは、あれらも手の打ちようがあるまい…。何とか、我がこれを破らねばならぬ。」
維月は、首を振った。
「ご無理はなりませぬ。今しばし様子を見ましょう。恐らくあちらでは、皆で策を練っておるはずですわ。」と、回りを見た。「と申しても、十六夜にもこちらは見通せませぬわね。地下であるし…私達の目を通してみようとしても、膜の中であるから気が通らないし…。」
ヴァルラムは考え込んだ。
「我の炎さえ、これを破ることが出来れば良いのだが。」と、気遣わしげに維月を見た。「しかし、主もこのままでは不自由であろう。気を補充出来ぬのだろう。」
維月は視線を落とした。
「はい…月から分断されてしまったら、誰かに気を分けていただくより他、生き延びる術はありませぬ。今の私の本体は月。本体から離されて、本来長くは生きられぬのです。地上に降りておっても、いつも何かしら月と繋がっておりました。十六夜も維心様もそれを知っているので、今頃どれほど案じておることか…。」
ヴァルラムは、維月を見つめた。
「我が気を分け与える。我はこの膜の中に居ようとも、炎を使ってこうして気を補充することが出来るのだ。主は案ずるでないぞ。」
維月は、頷いてヴァルラムを見上げた。
「ありがとうございます。お手間をお掛け致しまするわ。」
ヴァルラムは、戸惑うように視線をそらした。
「そのような…手間などと。」
その瞬間、戸口の方でカタ、と音がした。ヴァルラムは、咄嗟に維月から離れられるだけ離れた…我が、維月に懸想しておると気取られてはならぬ。
咄嗟にそう思ったのだ。
思った通り、イリダルがヴコールを伴ってそこに立っていた。維月とヴァルラムが、膜の中いっぱいいっぱいまで離れて座っているのを見たイリダルは、フッと笑った。
「女嫌いで有名な主が、女と狭い膜の中とは苛立つであろうの。」
ヴァルラムは、それには答えない。イリダルは気にせず維月の方を見た。
「月の女、維月。ここへ来た時は青い顔をして死んでおるようだったゆえどうしたものかと思うておったが、今は顔色もそう悪くない。ヴァルラムが、気を分けたのか。」
ヴァルラムは、それには答えた。
「維月は本体の月から離されると気を補充出来ず消滅するのだ。維月だけでもこの膜から出さぬか!」
イリダルは、少し驚いたようにヴァルラムを見たが、ふふんと笑った。
「我らにとって大事な人質であるが、主にもあの龍王の手前、これを殺すわけにも行かぬだろう。だが、主をその責から解放してやるつもりはない。ここから出せば、こやつは月へ帰るだろう。膜を消した時、主も炎を放つつもりだろうが。せいぜい、気を分けて世話をするが良いわ。女の世話をする主など、誰が想像出来るものか。表情一つ変えずに妃候補を斬り殺した主がな。」
と手を上げた。途端に、膜はまたグッと縮んだ。ヴァルラムが踏ん張ったので、維月の方が膜に引っ張られてヴァルラムの方へ倒れ込んで小さく悲鳴を上げた。ヴァルラムが、それを慌てて受け止めたのを見て、イリダルは笑った。
「意に染まぬことを強いられる者の気持ちが分かるようになるやもしれぬぞ?」と、踵を返した。「同じ膜へ篭めたことを悔やんでおったが、こんな嬲り方もあったの。仲良くしておれ。その間に龍王が、我のために主の一族を根絶やしにしてくれようぞ。」
ヴァルラムは、燃えるような瞳でイリダルを睨んだ。イリダルはその目を睨み返すと、サッとそこを出て行った。
足音が遠ざかるのを待って、ヴァルラムは維月を起こした。
「維月…大事ないか。我が踏ん張ってしもうたゆえに、主の方が引き寄せられてしもうた。」
維月は、首を振った。
「大丈夫です。あの、本当にヴァルラム様にはご迷惑を…このように過ごさねばならないなんて、申し訳ありませぬ。」
本当に申し訳なさげに、維月は下を向いた。確かにこの膜の大きさでは、座って居ても離れているわけにはいかなかった。ヴァルラムは、イリダルが意図したのとは違った方向で、戸惑っていた…このように身近くで、お互いの呼吸すら、体温すら感じ取るような状態で、これからどれほど過ごさねばならぬのだ。思い切ろうとした、初めて自分が妃にと望んだ維月と…。
ヴァルラムが黙ったので、維月は話題を変えようと小さく開く天井近くの空気口を見上げた。そこから、微かに光が漏れているのが見える。
「ああ、夜が明けて参ったようですわ。少し休まねば…。昨夜は疲れてしまいましたから。僅かばかりでも、横になりましょう。」
ヴァルラムはまだ戸惑いながら、維月と共にその粗末な寝台に横になった。維月は本当に疲れていたようで、すぐに規則的にすーすーと寝息を立て始める。ヴァルラムは、その寝顔にソッと唇を寄せた。維月…我には出来ぬ。主を諦めることなど…もはや主を忘れることなど、出来ようものか。
ヴァルラムは、維月に腕を回して抱き寄せて目を閉じた。このままここで、こうして過ごしても良いのかもしれぬ…その間に、世がどうなっていようとも、誰も我の責だなどと言えぬではないか…。




