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決行

その夜、いつもと同じように奥の間へ入り、維心も維月も穏やかに眠っていた。宮は滞りなく夜を過ごしていた。宿直の軍神や臣下達が数人起きているだけの宮は、本当に静かだった。

そんな中、サイラスは一人じっと庭で座り、月を見上げていた。元々夜行性なので、ここへ来て夜は寝たことがなかった。しかし、ここの宮の者達は昼間に活動するので、それに付き合って朝方から昼までは起きていることが多かったが、昼からは大概一人寝ていた。そして、夕方また起きて来る生活をしていたのだ。

静かなその中でじっと佇んでいると、さくさくと芝を踏みしめる音がして、誰かが来たのがわかった。こんな時間にと思ったが、サイラスにはその気に覚えがあった。

「…やはり夜は眠れぬか。」

サイラスは、その声にため息を付いて答えた。

「主は夜眠るのではないのか、炎嘉。」

炎嘉は、振り返るサイラスに苦笑した。

「確かにそうだが、眠れぬ時もあるわ。」

サイラスは、頷いて側の大きな石を示した。

「座ればどうだ。」

炎嘉は、頷いて座った。落ち着いて見てみると、炎嘉は驚くほど自分と受ける印象が似ていた。一見人懐っこそうであるのに、その芯では何を考えているのか分からない。そして、その瞳は自分が赤いのに対して赤みを帯びた茶色だった。その炎嘉は、言った。

「なあ、主、ヴァルラムが心配か。」

いきなりそんなことを聞かれて、サイラスは目を丸くした。何を言うておる。

「今更よの。主に維心が心配かと聞くようなものよな。」

炎嘉は、頷いた。

「あれの前では言えなかったが、いくらヴァルラムのためというて、維月に懸想しておるふりをするのはやめよ。」

サイラスは、それを見抜かれていたことにムッとした。

「…なぜにわかった。」

炎嘉は、サイラスの赤い瞳を見つめた。

「我がそうであったからだ。」サイラスが驚いた顔をすると、炎嘉はサイラスから目をそらして続けた。「我は、最初冗談程度のつもりであった。維心が女に懸想するなど珍しゅうての。やっと幸福になるのかと嬉しゅうて、つい維月に構っておったら知らぬ間に深入りしてしもうた。恐らく主は今、ヴァルラムにあの女なら良いと思う程度であろうが。しかしそれが入り口ぞ。主が何を考えておるか分かるぞ。己が表立って維月に構うことで、維心の注意が己へ向かうようにしようと思うておるの。その間に、ヴァルラムが維月と過ごすことも可能やもと。」

サイラスは、眉を寄せて炎嘉を睨んだ。

「…だからどうよ。我は、維心殿などこれっぽっちも案じておらぬからの。それよりも我が友が、これを初めてとやっと望んだものを手にさせてやりたいと望むのだ。」

意外にも、炎嘉はわかっているというように頷いた。

「そうであろうの。我とてあの友が生涯唯一つ望んだものを、横取りする気など到底なかった。素直に嬉しかっただけであるのに…維月を愛してしもうたのだ。」

サイラスは、驚いてまじまじと炎嘉と見た。

「何と申した…友の妃を?」

炎嘉は、頷いた。

「陰の月。あれはこちらの望みにあわせて変化する気を持つ者。維月自身にもどうにも出来ぬ。無意識にそうするのであるから。我はそれに合わせて維月の気質にも惹かれ、そして結局その気持ちに抗うことが出来ぬでな。未だ維心と維月を取り合っておるわ。もちろん、我とて分かっておるから、表立って略奪しようなどと思わぬが、こと維月となるとお互いに複雑な気持ちであるのは確か。主も、軽い気持ちであるなら止めよ。ヴァルラムに維月をと思うなら、他の策を考えた方が主のためぞ。」

サイラスは、ぽかんとしてしばらく黙った。こやつは、他の策をと。つまりはこれは、ヴァルラムに維月を渡したくないという気持ちから話しているのではなく、単に自分の経験からサイラス自身を案じて話していることだというのか。

「しかし…」サイラスは、言葉を探して口ごもった。「その…我が別の策などと練ったら、主が案じておる維心は妃を失うやもしれぬぞ?我は策すのは得意であるし。」

炎嘉はふふんと笑った。

「難しいことであるぞ?我でもまだ成功しておらぬのに。ま、せいぜい頑張るが良い。主も少し、己の望みというものを正直に表してみよ。いつなり仮面を被っておったら、後悔する時も来ようぞ。」

サイラスは、じっと炎嘉を見た。この男は、我に嫌というほど似ている。きっと、同じなのだ。こやつも己を隠して、傍目には気ままに振舞っておってもその実回りを見て自分の立ち位置を決めて演じて生きている…。

炎嘉は、サイラスがあまりにも炎嘉に似ているので放っておけず、こうして訪ねて来たのだろう。サイラスは、フッと笑った。

「主こそな。まさかこんな遠く離れた地へ来て、己の兄弟のような男に会うとは思わなんだ。」

炎嘉は、あからさまに嫌な顔をしたかと思うと、立ち上がって背を向けた。

「また厚かましいの!今の我には兄弟などおらぬわ。前世では居ったがな。心配して来てやったというのに。」と、さっさと歩き出した。「戻る。もう寝る。」

サイラスは、それを黙って見送った。サイラスには、それが炎嘉の照れ隠しであることが、手に取るように分かったからだった。

それに、炎嘉の口調からは棘は感じられなかった。サイラスがその背に少し親しみを感じていた時、50メートルほど先まで歩いていた炎嘉が、はたと足を止めた。俄かにその気が緊張したのを見て、サイラスは慌てて炎嘉に駆け寄った。

「炎嘉?」

炎嘉は、急いでサイラスを振り返った。その目は、緊迫した色を浮かべている。

「…来た!」炎嘉は、突然に浮き上がった。「イリダルではないのか、維心の結界に穴が開いたぞ!」

サイラスは驚いた。

「何?!ヤツの気は感じられぬ!」

自分も飛んで行きながら叫ぶサイラスに、炎嘉は尚も叫び返した。

「そんなこと知らぬ!あちらぞ、聞いていた通り北西だ!」

《ヴァルラム!北西ぞ!》

サイラスは宮北西へと向かいながら、ヴァルラムに念を飛ばして炎嘉と共に飛んだ。


維心は、小さな衝撃を感じてハッと目を開けた。結界に穴が開いた!

維心は飛び起きると、叫んだ。

「北西から十数人ぞ!」そして、刀を手にまだ目を覚ましたばかりでびっくりして状況が掴めない維月に言った。「主はここに居れ!何かを感じたらすぐに月へ!」

維月は、訳が分からないながらも、必死に頷いた。維心は窓から外へ出ると、そのまま北西へ向けて飛んだ。

ディークの報告して来た通り…維明を狙って来おったか。

しかし、あの対に維明は居ない。維心は先にイリダルの手の者であると思われる軍神達と対峙する、龍の軍神達を上から見た。しかし、相手の軍神達の気が全く読めない。遅れて飛んで来た炎嘉とサイラス、そして更に後ろからヴァルラムが来るを見て、維心は言った。

「あやつらの気が読めぬ。」

サイラスは、苦々しげに顔をしかめた。

「気を封じておる…つまりは、イリダルが己で己と軍神達に、一時的にあの忌々しい膜を掛けておるのだ。僅かの間なら、支障ない。身に気があれば、死ぬことはないからの。ああやって、気配を読めぬようにしておるのだ。」

《だから、オレにも見えづらかったのか。》突然に、十六夜の声が上から降って来た。《あの仙術の膜でも、探すのは困難だった。何しろ目視に頼るしかないだろう。誰が誰か、目視だと分かりづらいんだ。》

戦う軍神達を上からじっと凝視していたヴァルラムが、ハッとしたように言った。

「…イリダルが居らぬ。」

サイラスも、じっと目を凝らした。

「確かに…しかし見えぬだけか。ヤツが来ておらなんだら、維心殿の結界に穴を開けるなど出来ぬはず。気が読めぬと、居るか居らぬか定かではない。」

しかし、維心も言った。

「確かに、居らぬ。」

ヴァルラムが、顔色を変えて物凄い形相で空中で踵を返した。

「維月か!」

維心も、すぐに後を追った。しかし維月は月へ帰れる…すぐに十六夜が引き上げてくれる!


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