動き
維心の居間からは、ヴァルラムもサイラスも、もう出て行こうと戸口へ向かっていた。
ディークは、同じように維月を伴って戻って行こうとする維心に、立ち上がって言った。
「維心殿。」維心は、振り返った。「我は、このままあちらへ戻る。」
維心は、心持ち驚いたような顔をした。
「そのように急いで戻る必要があるのか。明日でも良いであろう。」
ディークの言葉に、出て行こうとしていたヴァルラムとサイラスも振り返って見ている。ディークは、頷いた。
「我ら、あちらではあまり力の無い神。妃と子のことを思うと、イリダルの動きが気になって仕方がないのだ。部下に調べさせてはおるが、我は己でも密かに調べに参ろうと思う。」
サイラスが言った。
「良い心がけぞ。あの地は我らが平和に保っておるようなもの。イリダルが戦を起こすのを押さえられるのは、我らだけぞ。そのように主が情報を我らに送るようにしてくれれば、こちらも策の練りようがあるというもの。」
ディークは、心持ち頭を下げた。
「は。どうしても、妃と子だけは守りたい。今の我の願いはそれのみ。」
維心は、ディークを見つめて頷いた。
「主の気持ちは分かるぞ。妃に危険が迫るようなことは避けたいよの。では、戻るが良い。そして、我らに知り得た事を逐一知らせよ。何としても、我らが戦を避けるよう尽力するゆえな。」
ディークは、やつれた顔で頭を下げた。
「よろしくお頼み申す。」
そして、サッとそこを出て行った。まだ維月の側に居た十六夜は、それを黙って見ていたが空を見た。
「…まだイリダルのヤツは出て来ねぇな。ちょっと見張ってなきゃ気になって仕方がねぇ。ほんとは維月と一緒に月へ戻りたかったんだが、お前が面倒だし置いて行く。だがオレに命じるなよ?オレはオレの考えでなければ動くつもりはねぇ。」
維心は、呆れたようにため息を付いて、しかし頷いた。
「ああ、わかった。」
十六夜は光に戻ると、月へと打ち上がって行った。黙っていた蒼は、それを見て言った。
「ディークの気が、消耗しておりましたね。」
維心は、蒼を振り返った。
「そうであるな。しかしあの距離を一気に飛んで来たのであるから、それも道理よ。しかし、妃と子を得てあれも気苦労が多いようだ。確かにまだ幼い子を抱えて戦など、気になって仕方がないであろうの。いくら妃が、女王であっても。」
ヴァルラムは、止めていた足を進め出した。それを見てサイラスも、黙って軽く会釈すると出て行く。蒼は、月の宮の方向を見た。
「…オレも、宮が心配になって来ました。あちらに戻ります。またご用の際にお呼びください、維心様。」
維月が、蒼を心配そうに見た。
「そうね。あなたにも妃が三人居るし、娘達も居る。心配になっても仕方がないわ。」
維心も蒼を見た。
「そうか、すまぬ。呼びつけてそのままであったしの。早よう帰ってやるが良い。」
蒼は、肩をすくめた。
「いえ、十六夜の結界が無敵だし、そのうえ中には碧黎様と陽蘭様、それに将維が居る。あちらに何かあることは無いのですが、それでも顔を見ないとホッとできないだけなんですよ。」
維心は、蒼が軽い気持ちで言ったことに大真面目頷いた。
「おお、よう分かるぞ。我も維月の顔が一時でも見えぬと落ち着かぬでな。」
蒼は苦笑した。これは前世から変わらないなあ、維心様は。
そして、蒼も夜も更けたその時間から、月の宮へと帰って行ったのだった。
イリダルは、玉座に座ってヴコールが戻るのを待っていた。昨夜も寝るのもそこそこに、将達と今後の事を話し合った。この策を講じるのに、人数は要らぬ。後は、あちらの様子を合わせて実行に移す時を探るだけだ。
ヴコールは、マントを翻してその王の間へと入って来て、イリダルの前に膝を付いた。ヴコールは、イリダルがまだ幼い頃からずっと共に育った軍神の子だった。生きて来た間、常にこの透き通った青い瞳が側にあった。同じように1000年前の戦で親を亡くして、それからは共に一族を立て直そうと、小さな体で必死に生きた。そうして、同じ思いを持つ者同士、いつも戦って来た同志だった。王と臣下ではあっても、イリダルはヴコールを兄弟のように信頼していた。
そのヴコールが、口を開いた。
「王。事は順調に進んでおりまする。既に結界近くに将数人を配置し終えて参りました。襲撃を行なう時は、明日の深夜。その時には、王にあの結界を封じてもらわねばなりませぬが。」
イリダルは頷いた。
「全ての結界を解くのは無理であろう…何しろあの強大さなのだ。しかし、穴を開けることは出来よう。その瞬間に龍王は気取るであろうから、時はそう無いぞ。」
ヴコールは頷いた。
「はい。我は王に付きまする。」と、手を翳して龍の宮の形を示した。宙に、光る線で表されている。そこに、赤い光の玉が現れた。「こちらの東の客間に、ヴァルラムとサイラスが並んで配置されておりまする。そしてこちら南側が、奥宮。北西のこの辺りが第一皇子の対。出入り口はこの北北東の位置にありまするので、こちらに訪問した神は参るようで、常軍神か臣下が居るとのこと。」
イリダルは、じっとそれを凝視した。
「…そうか。皇子の対はヴァルラム達とほぼ対極の位置であるか…。」
ヴコールは、頷いた。
「しかし、龍王の奥宮からは近い位置にありまする。」
イリダルは、考え込む顔をした。
「…困ったもの。どうしたものか…。」
ヴコールは、その澄んだ青い目でイリダルを見上げた。
「我ら、誰一人として命を惜しいなどとは思うておりませぬ。王がお力を使われるまで、充分に時を稼ぎましょう。」
イリダルは、じっとヴコールの目を見つめ返した。そして、決心したように一つ、頷くと、立ち上がった。
「参る。万が一のために、あれを使え。」
ヴコールは同じように立ち上がると、言った。
「既に指示してございまする。」
二人は、そこを出て行った。明日の夜まで…首を洗って待っておるがよい。
月はより満月に近くなっていた。十六夜はしばらく月に居て地上を見ていたが、イリダルは相変わらず動きがなかった。それで痺れを切らして、苛々とした状態で維心の居間でそっくり返って座っていた。維月が気遣わしげにしているのに、維心は憮然とした表情でいた。
「まーったく、動かねぇ。」十六夜は、はーっとため息を付いた。「ほんとによう、あの城見てるのにも飽き飽きしちまった。」
維月は、言った。
「分かるわ。広範囲が見えるのに一点を凝視するのって疲れるわよね。それに、月に戻っている時ってこの体の目を使うような感じで見ていないもの…何と言うか、気を探っているっていうか。」
十六夜は頷いた。
「そうだな。こんなに鮮やかには見えねぇな。だが、生き物なら見逃すってことはねぇけどよ。気が動くし。」
維心は諦めて椅子に沈みながら言った。
「しかし、昨日報告に来たディークは、数日中にもこちらへ来るようなことを言うておった。」と、袿の袖を後ろへ直しながら十六夜を見た。「どうも、維明を狙おうと思うておるようよ。あれは皇子とは言うても手ごわいぞ?しかし、北西の守りは強くしてある。それに、維明は月の宮へ預かってもらっておる。つまりは、イリダルのヤツが来たとしても無駄足ということよ。ヴァルラムもサイラスも、北西を気遣いながら休んでおるようだし、すぐに気取るだろう。維明を人質に、我に言うことを聞かせようとの魂胆であろうが、見え透いておるわ。」
十六夜はフッと肩で息を付いた。
「じゃあ、オレはちょっと休む。あの城ばっかり見てて感覚がおかしい。」と、維月の頬に唇を寄せた。「じゃあな。お前はここから出るんじゃねぇぞ。危なくなったらすぐに月へ戻って来い。」
維月は、心配そうに十六夜を見上げた。
「私は大丈夫。十六夜、無理してない?私も一緒に戻ろうか?」
十六夜は嬉しそうに微笑んだが、首を振った。
「大丈夫だよ。心配すんな。ほら、維心が機嫌悪くなるだろうが。これが片付いたら一緒にゆっくりしよう。」
維月は、子供のように頷いた。
「うん。きっとね。」
こういう時は、今生での記憶が強く働いている時。維心にはそれが分かった。赤子の時から一緒に育った記憶があるからだ。十六夜は、維心を見た。
「何か動きがあったら連絡するよ。今の所気取れる気配はないけどな。」
維心は、不機嫌ながら頷いた。
「ああ、分かった。」
十六夜は、月へと戻って言った。




