報告
十六夜は、まだ機嫌が悪かった。維月は、そんな十六夜に必死に言った。
「ねえ、転生する時、共に生きようって約束したじゃない!十六夜、このままじゃこっちにまであの困った神様が来て、ややこしいことになるのよ。犠牲になる神だって出て来るかもしれないのよ。維心様は、自分のためにおっしゃっているのではないわ。皆のために十六夜の力が必要だって言っているんじゃないの。」
十六夜は、その小さな近親者が来た時にだけ使う応接間のソファに、気だるげに座りながら横を向いていた。
「共にってことだろうが。あいつはオレを家来かなんかと勘違いしてるんでぇ。お前が側に居て、オレが何も言わないから何だって許すと思ってるんじゃねぇのか。オレはあいつに使われるつもりなんかこれっぽっちもねぇんだよ。手伝ってくれと頼むなら手伝ってやってもいい。だが、あいつはいつも上からじゃねぇか。」
維月は顔をしかめた。確かにそうだけど。
「十六夜の言うことは分かるわ。でも、維心様は王なんだもの。あんな風が身についてしまってて、誰かにものを頼んだことなんてないのよ。命じるのが当たり前だったんだもの。最近でこそ、少し慣れて来て頼むってことも出来るようになったの。緊急時には、そんな気も回らなくなるわ。仕方がないのよ。」
十六夜は、恨めしげに維月を見た。
「そうやって、維心の肩ばっか持つだろ、お前はよ。分かってるが、オレは道具じゃねぇ。月だ。お前もだぞ、分かってんのか。」
維月は、ますます機嫌が悪くなる十六夜にどうしたらいいのか分からなくなって、困った顔をして下を向いた。
「わかってる…。」
すると、十六夜は急に気遣わしげに維月を見た。十六夜は維月と、前世の記憶も去ることながら、その上に今生は手のかかる妹のような存在として、双子で月の宮で育った。なので維月が困っていたりすると、放って置けないのだ。そして、しばらくグッと黙っていたが、盛大に顔をしかめて叫んだ。
「あーもうわかった!お前には勝てねぇよ!」と、びっくりしている維月を乱暴に引き寄せると、軽く口付けた。「今回だけだ。言うことを聞いてやる。で、あのイリダルってヤツは今、城の奥へ篭っててオレには見えねぇ。そのうちの誰かの目を通して見ようにも、あいつらと接触したことがねぇから何を話してるのか見る術がねぇ。」
維月は、目を丸くした。
「え、じゃあそれを知らせなきゃ!」
十六夜は、苦笑した。
「ああ。じゃ、行くか。」
その頃、呼び出された蒼はあからさまに眉を寄せて空を凝視していた。側には、案内して来られたディークが既に座っている。しばらく皆が黙ってそれを見ている中、蒼は諦めて首を振った。
「…駄目です。城の中に居る。オレは向こうの城の誰とも接触したことがないから、誰かの目を通して見ることも出来ない。なので、月の光が届かない場所に居たら見えないし、何を話しているのかも聞こえないんですよ。」
維心は、眉を寄せた。
「では、十六夜も同じか。」
蒼は、維心を振り返って頷いた。
「はい。月も万能ではないんです。見える場所と見えない場所がある。こちらの神なら知っている者達ばかりだから、宮の中を見ようと思ったらその宮の誰かの目を通せば見えるし聞こえるんですけど、あちらは無理だ。外へ出て来たら、見えますが。」
ヴァルラムは、フッと軽く息を付いた。
「ならば、また振り出しか。」
しかし、サイラスが首を振った。
「ディークが居る。こやつの話を聞こう。」
維心が頷いて、ディークの方を見た。ディークは、明らかにやつれたような様子でそこに座っている。維心は言った。
「待たせたの。して、我に話したいこととはなんぞ?」
ディークは、頷いてヴァルラムを見た。
「ヴァルラム殿にも話したいと思うたので、急ぎ参った。実は、我はあちらでいろいろと調べさせておった…我らの国にまで、何かあってはならぬと思うて、とにかく情報が欲しかったのだ。」
サイラスが、苛立たしげに手を振った。
「前置きなど良いわ。事は急を要しておる。何ぞ。」
ディークは、急いで言った。
「イリダルが、こちらへ来ようと軍を整えておるらしい。しかし、こちらに月が付いておるのを知っておるゆえ、あくまで水面下で動こうと画策しておるとのこと。イリダルはあの気を遮断する力を持っておるゆえ、それで龍王を抑えようと考えておるのだろうの。」
サイラスが、立ち上がった。
「やはりあれか!しかし、密かに来ようにもこの強い結界を抜けてなど来れぬだろう。戦であれば、こちらも迎え撃ちに行くゆえ出て参ることもあるであろうが。」
維心は、サイラスを見上げた。
「確かにそうかも知れぬが、結界も我の気で形作っておるもの。気を遮断する力の大きさがどれほどか分からぬが、我が領地全体を覆うほどであれば、消え去る可能性もある。」
ヴァルラムは頷いた。
「確かにの。大陸の領地に比べてこちらは狭い。これぐらいなら押さえ込んでしまう可能性もあるの。」
サイラスは、二人を代わる代わる見た。
「何を落ち着いておるのだ、主らは!こちらの龍が皆、過去の我らのようになっても良いのか!」
しかし維心は落ち着いて言った。
「そのように憤るでない。我はその気になれば一人で軍を壊滅させることが出来る。ゆえイリダル一人がその力を発動させる前に、滅してしまうのは簡単なことよ。しかし」と、眉を寄せた。「我が分からぬのは、あれとは面会しておるから我の気を知っておるはず。なのになぜこんな危険を冒そうとする。何か、策があるのか。」
ディークは、維心を見た。
「甘く見ておるのだろう。主とて、その力も気が補充出来ねば発動できまい。主が油断しておる隙をついて、潜んで押さえ込もうと考えておるやも。」
ヴァルラムは、じっと考え込んだ。
「…そうだとして、我もここに居るのを知っておるはず。あれは、我の盾の炎には太刀打ち出来ぬ。あれがあれば、あの力も跳ね返されてしまう。だが、我とて全てに対してその守りを行なうことが出来る訳ではない。そこを突くつもりなのか…。」
サイラスは、息を付いて言った。
「…そうやもな。あれとのいざこざがあるたび、主はあの力で皆を守って来たが、絶対に漏れが出る。なので、追い払うことが出来ても、結局こちらには犠牲が出た。同じパターンに持ち込もうと思うておるのやも。」
そこへ、十六夜と維月が、並んで入って来た。十六夜は憮然とはしていたが、機嫌は直っているようだ。強い怒りの感情は、伝わって来なかった。維心は、ちらと十六夜を見た。
「なんだ。機嫌は直ったか。」
維月が、慌てて嗜めるように維心を見た。
「維心様!やっと協力してくれる気になったのですから。」
蒼も、慌てて言った。
「そうですよ!オレが使える月の力はまだ一部です。十六夜が居ないと、困るんだ。」
維心は、唸るように言った。
「わかっておるわ。だが、こやつには事の重大さが分かっておらぬのよ。」
十六夜は、ふんと鼻を鳴らした。
「利用価値がなかったら見向きもしないってのか、維心。重大さだって?オレには重要でも何でもないんだよ。ここが使い物にならなくなったら、維月を月の宮へ連れて帰ってあっちで暮らすだけのことだ。お前が居ないから、オレもあっちの方がせいせいすらあ。」
維心は、眉を寄せた。
「…相変わらず腹の立つことよ。しかし主にもどうにも出来まいが。あれは城に篭って軍議をしておるゆえ、中を探ることは出来ぬのだろう。」
十六夜は頷いた。
「ああ、見えねぇな。今のオレに出来るのは、月の宮を強い結界で守ることと、維月をそこへ連れて帰ることぐらいか。」
十六夜は、維月の手を握っている。それに気付いた維心は、急に立ち上がった。
「ならぬ!我の結界内で守るゆえ、そのような必要はない!」
十六夜は、ふんと維心を見た。
「親父だって連れて帰って来いって言って来たんだ。今度は面倒なことになりそうだから、維月が維心の集中力を妨げるかもしれねぇってさ。」
維心はぶんぶんと首を振った。
「そのような!あんな神一人、我の相手ではないわ。碧黎も、何を言うておるのか。」
維月も、十六夜を見た。
「十六夜、私もここに居たいわ。もしかして何か出来るかもしれないし。何か起こったらすぐに月へ帰るから、大丈夫よ。」と、刀を振るしぐさをした。「ほら、軍神の代わりも出来るし。」
ディークが、維心に並んで立つと言った。
「確かに、我もそう思うぞ、十六夜。維月殿の立ち合いは、レイティアを軽々負かすほど。これほど心強い妃は居らぬ。」
それには、サイラスもヴァルラムも、驚いた顔をした。
「王妃が立ち合い?」
維心は、誇らしげに言った。
「我が妃は月であるから。何にでも優秀であるのよ。」と、維月の空いた方の手を取った。「主らに正式に紹介しておらなんだ。これが我が正妃の維月。」
維月は、慌てて頭を下げた。
「初めてお目にかかりまする、サイラス様。御機嫌よう、ヴァルラム様。」
ヴァルラムは、軽く頷いただけだったが、サイラスはずんずんと近付いて来て珍しげに維月をまじまじと見た。
「ほう…これはこれは何と珍しい気よ。これは覚悟がなければ惹きつけられてしまうの。それに美しい。確かに我も、こちらに居って欲しいと思う。」
維心は、維月の肩を抱いてあらかさまに顔をしかめた。
「我の正妃であるから、主はそのように近寄るでないぞ。」
サイラスは、ふふんと維心の方を見た。
「ほほう、聞いておった通り主、この妃を溺愛しておるか。ふーん、ま、我は誰の手が付いておっても別に平気ぞ。せいぜい気を付けよ。」
維心は険しい顔をして維月をその視界から外そうと前に出た。
「ならぬ。これ以降は目通り許さぬわ。」と、維月を見た。「さあ維月、主は奥へ入れ。十六夜、いつまで手を握っておるのだ。」
維心は、それでも手を離さずそのまま出て行こうとする十六夜と、何やらもみ合っている。
一見興味も無さげにその背を見るサイラスの目は、鋭く赤く光っていた。
炎嘉だけが、それを見ていた。




