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こっくりさん④

「なるほど、興味深い」


 静まり返った部室に、淡々とした低音の声が落ちた。


 志摩創一は手元の『認知神経科学テキスト』をパタンと閉じると、眼鏡のブリッジをクイと押し上げ、顔を真っ青にさせている美咲と綾、そして「お祓い」を提案していた詩織を順番に見据えた。


「でしょう? あなたもようやく、この古典的で魅力的な『狐憑き』の現象に興味が湧いたのかしら?」


 勝ち誇ったように胸を張る詩織に対し、創一は製図用の黒ボールペンをくるりと指先で回しながら、冷ややかにかぶりを振った。


「まさか。霊だの狐だのという非科学的なオカルト話に興味はない。僕が興味深いと言ったのは、人間が『無意識の自己正当化』を行うための免罪符として、いかに『こっくりさん』というシステムを巧妙に利用しているか、という仮説についてだよ」


「仮説……? それどういう意味ですか……?」


 綾が不安そうに尋ねる。創一は愛用の大学ノートを開き、手際よく図とキーワードを書き込み始めた。


「いいかい。まず前提として、十円玉が勝手に動き出した現象。これは心理学において解明されている『観念運動イデオモーター効果』だ。『動いてほしい』という無意識の強迫観念が微小な筋肉の収縮を引き起こし、本人の自覚がないまま指先を滑らせたに過ぎない」


「そ、そうなの?!でも、沙織のあの変化はどう説明するの!? 髪を染めて、ピアス開けて、綾の好きな人にグイグイ行ってんのよ!?」


 美咲が納得いかない様子で食ってかかる。創一は「そこなんだよ」とノートに大きく『仮面ペルソナ』と書き込んだ。


「仮に、綾瀬の言う『狐憑き』が本当にあるとしよう。では質問だが……『中身が入れ替わった人間』を、僕たちはどう定義すればいいと思うかい?」


「え……? 定義……?」


 美咲と綾がポカンとする。創一はペン先でノートをトントンと叩いた。


「哲学者ドナルド・デイヴィッドソンが提唱した『スワンプマン(沼男)』という有名な思考実験がある。雷撃を受けて沼地で消滅した男と、全く同じ分子構造で再構成された『複製(沼男)』が誕生したとする。外見も記憶も全く同じだが、果たしてそれは『元の彼』と言えるのか?……という問題だ」


「沼男……? 急に何の話だ……?」


 後ろで見守っていた蓮司が眉をひそめる。


「沙織さんのケースは、姿形や遺伝子は『沙織さん本人』だが、行動や性格が180度変わってしまった。……では、今の彼女は『沙織さん』ではないのか? 警察に『友達が別人になったから何とかしてくれ』と訴えるかい? そんなわけがない。法的にも生物学的にも、彼女は100%『沙織さん』なんだよ」


「どういうことだよ!! 話が進まねぇだろ!!」


 蓮司が耐えかねてツッコミを入れる。しかし創一は大真面目な顔で続けた。


「つまり、僕が立てた【仮説A:自己解放と免罪符説】に基づけば……彼女は別人(狐)に乗り移られたのではなく、『ずっとやりたかった本当の自分』を解放した可能性がある」


「え……?」


 綾の息が止まる。


「沙織さんは今まで、君たち二人の後ろを必死についていき、自分の意見を押し殺し、顔色を窺っていた。……だが、本当はもっと派手に垢抜けたい、自分を魅力的に見せたい、そして……綾さんの好きな『神崎くん』という魅力的な男子を自分のものにしたいという、強烈な欲望を内面にはらんでいたんじゃないのかな?」


「そんな……っ、沙織が、私の好きな人を奪うために……!?」


「そうだ。だが、普通の女子高生がそんな裏切りを行えば、当然グループからハブられ、悪者として非難される。……だからこそ、彼女は『こっくりさん』という最高のお膳立てを、無意識に利用したのかもしれない」


「お膳立て……?」


「『私はこっくりさんに呪われたから、性格が変わってしまったんだ』『私が神崎くんにアプローチしているのは、霊の仕業なんだ』——そう自分自身と周りに思い込ませることで、罪悪感をゼロにして自分の欲望を満たしている……という可能性だね。彼女は狐に憑依されたんじゃない。『こっくりさんのせい』にして、やりたい放題やっている最中なのかもしれない」


「……うわぁ……えぐ……」


 部室に、どんよりとした重い空気が流れた。


「ちょ、ちょっと待て! お前、言ってることメチャクチャえぐいぞ!? 霊のタタリより、女子の裏切りの方が100倍怖ぇじゃねえか!!」


 蓮司が引きつった顔で叫ぶ。以前、「自分の脳がハッキングされた」と言われた時と同じトラウマが蘇り、背筋を寒くさせていた。


「ハァ……また始まった……。本当に嫌な理屈ね」


 詩織は心底うんざりしたように深いため息をつくと、自分の黒髪の毛先を指先で退屈そうにいじくり回し始めた。


「創一、あなたって本当に可愛げがないわね。なんでもかんでも人間の悪意のせいにしたがるんだから」


「僕はただ、考えられる可能性(仮説)を提示しているだけだよ、綾瀬。お祓いの塩をいくら撒いたところで、彼女の『神崎くんを奪いたい』という現実の欲望もしそうならだがは消えない。除霊をする前に……君たちの日頃の関係性や、彼女の本当の思惑から見直してみた方がいいんじゃないかい?」


 創一はノートを閉じると、極めて真面目な顔で、呆然とする美咲と綾を見つめた。


「怪異のせいにして逃げるか、きちんと人間関係に向き合うか。……さあ、君たちはどっちの現実を選ぶんだい?」

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