表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

32/53

第3話 診察(後編)

     5


 倒れたアベル殿下の身体からは、呪いの気配が感じらました。


 それはあり得ないはずでした。

 呪いは核から発生するものです。その核を潰した以上、再発をするはずがありません。

 少なくとも、これまでわたしが浄化してきた呪いは、それで完全に浄化することが出来ていました。


 だけど――。

 わたしの脳裏に、昔読んだ本の記述が浮かびました。


 それは極めて特異な呪いに関する記述。

 教会に保管してあった記録をたまたま目にして覚えていたもの。


 そこには、対象者の心臓に呪いを生み出す文様を植え付けるという外法が存在するとありました。

 そうすることにより、体内を廻る魔力が自動的に呪いに変換され、高濃度の呪いが新たな核を再生成していくというのです。

 だから、いくら浄化したところで、すぐに呪いは復活してしまう。

 呪いの核を植え付けるのではなく『対象者を呪いそのものにする』というものです。


 まさか、現代にそんなことが出来る人がいるとは思いもしませんでした。

 一体誰が、何の目的で。

 いえ、それよりも――。

 ――今は苦しむ殿下を何とかしないと。


 そう考え、殿下の様子を窺いました。

 息が荒くなっています。深く、それでいて短い呼吸。

 体温も高くなっており、大量の汗もかいています。

 身体が呪いを生み出す際に、自律神経に影響を与えているのでしょう。


 呪いの根絶は、現時点では不可能。

 だとすれば、対症療法を取るしかありません。

 以前読んだ資料には、こういう場合の対応も書かれていました。


 まずは、呪いの再生成を緩くすること。

 呪いの核を生み出しているのは、おそらく心臓です。

 そこに白色魔力を少しずつ注ぎ込み、呪いが原状回復しようとするスピードを緩くするのです。

 それにより、体調不良を少しは収めることが出来るはずです。


 わたしは殿下の胸に手を当てました。

 やはり、心臓が呪いの発生源となっているようです。

 そこから呪いが発生するのをはっきりと感じます。


 わたしの白色魔力もあまり残っていません。ですが、躊躇っている場合ではありません。

 わたしはなけなしの白色魔力を注ぎ込み、少しずつ呪いの生成スピードを落とさせました。

 これで、身体への負担は少なくなったはずです。


 後は、元の状態に戻るまで様子を見るしかありません。

 呪いが全身に廻るのを待つしかないのです。


 遺憾ながら――今回の浄化は、完全に失敗でした。

 無駄に殿下に負担をかけてしまっただけ。

 わたしにできるのは、その負担を少しでも減らすことだけです。

 わたしが持つ魔力を全て絞り出してでも、それはやり遂げて見せます。


「殿下、もう少し耐えてください」


     7


 殿下の呼吸が落ち着き始めたのは、呪いの再生成が始まってから三十分後のことでした。

 呪いは全身に廻り、再生成は停止しました。


 ――これで、一応は大丈夫でしょう。


 わたしはようやく一安心しました。

 いえ、安心なんてしている場合ではありませんね。

 わたしはとんでもないことをしでかしてしまったのです。

 一国の王子の呪いに気軽に手を出し、挙句苦しませてしまいました。

 場合によっては、処刑されかねません。


 ――これは、逃げた方がいいのかもしれませんね。


 とりあえず、立ち上がろうとしました。

 ですが、わたしの身体に異変が起きました。

 身体に力が入らないのです。酷い寒気を感じます。

 おそらく、この症状は『魔力欠乏症』でしょう。

 一定以上の魔力を持っている人間が、その魔力を大量に消費するとこういうことになるのです。

 要は燃料不足ですね。


 ですが、これを甘く見ることは出来ません。

 最悪の場合、これで死に至ることもあります。

 というか、このままだと高確率で死にます。

 魔力欠乏症は基本的には時間が経てば治りますが、最後の一滴まで絞り出すような無茶をしてしまった場合、回復が出来ない場合があるのです。

 専門家による適切な対処が必要となります。


 ですが、ここに助けは来ません。

 わたし以外にいるのは、同じく満身創痍で気絶している殿下だけ。


 ああ、学院の皆さん。

 先立つ不孝をお許しください。


 いえ、わたしが死んだら奴らは喜びそうですね。


 ――だったら、ここで死ぬわけには行きません。


 死ぬにしても、それで他人を喜ばせたくはありません。

 わたしは机に捕まりながら、ゆっくりと立ち上がりました。

 わたしの記憶が確かなら、机の上には『アレ』があるはずなのです。


「あった」


 わたしは机の上にあったもの――すりおろしたマンドラゴラが入ったボールを手に取りました。

 そして、手づかみで口に運びます。

 苦くてえぐくて筆舌に尽くしがたいマズさではありましたが、仕方がありません。

 このまずさのおかげで、気を失わずに済んでいるのです。


 勿論、マンドラゴラを食べた理由はそれだけではありません。

 気付けに関しては、オマケに過ぎないのです。

 本音を言えば、もう少しマイルドな味であって欲しかったくらいです。


 わたしの狙いは、マンドラゴラの持つ魔力です。

 マンドラゴラは音に魔力を乗せて、外敵を攻撃する魔法植物です。

 つまり、マンドラゴラ自体に魔力があるということになります。

 それを摂取すれば、少しは楽になるはず。


 わたしはそのえぐみに耐えながら、マンドラゴラを口に入れていきました。

 そして咀嚼し、飲み込みます。それを何度か繰り返した後、突然限界が訪れました。


 目の前がゆっくりと暗くなっていったのです。

 身体から力が抜けていき、腕がだらりと垂れました。

 そして――最後に、自分の身体が倒れる音を聞きました。


     4


 わたしは真っ暗な世界にいました。

 自分が立っているのか倒れているのかも分かりません。

 上下の間隔がなく、何かに触れているようでいて、何もつかめていません。


 ただ、寒かった。わたしの身体は、凍えるような寒さに晒されていました。

 それは悪意ある者からの攻撃。防ぎようがなく、身体の芯まで凍らされているようでした。


 少しして、わたしはその正体に気づきました。

 これは、純粋な恐怖です。

 何者かによって、恐怖の感情を押し付けられている。

 こんな場所にはいたくない。

 一刻でも早く逃げ去りたい。

 そう思っても、身体が動かないのです。

 ただこの恐怖が去るのを待ち続けることしか出来ませんでした。


     5


 目が覚めて、先程までのものが夢だったことに気づきました。

 これまでで最悪の悪夢です。ですが、目が覚めても悪夢は終わりませんでした。

 恐怖はわたしの身体に染みついています。

 そのせいで、目を開けることが出来なかったのです。


 怖い。怖い。怖い。

 身体は冷たいのに、全身に汗をかいています。

 目が覚めても悪夢が終わりません。パニック状態になり、呼吸が出来ません。


 ――このままでは本当に死んでしまいます。


 それだけは避けなければなりません。

 わたしは意を決して、目を開けました。


 目の前には、アベル殿下の姿がありました。彼はまだ眠っているようです。

 この恐怖は、これが原因なのでしょう。

 殿下の呪いが、わたしに悪夢を見せたのです。いや、今でも悪夢を見せ続けています。


 ですが、原因は分かりました。

 わたしは急いで魔力を練り上げました。

 このような精神状態で魔力を練り上げるのは難しいことです。

 恐慌状態になりながらも、少しずつ、慎重に進めていきます。

 その白色魔力は、次第に呪いを中和しはじめました。

 わたしの中の恐怖は少しずつ薄らいでいきました。少しずつ呼吸を整えていきます。


 これで思い知りました。

 わたしは殿下の呪いのことをあまり重く考えていませんでした。

 少し我慢すれば何とかなる程度のものだと思っていました。

 ですが、これでは確かに近寄れません。

 数分ならともかく、長時間耐えられるようなものではありません。


 これではまともな人間関係を築くのは難しいでしょう。

 それは酷い孤独。

 わたしは雑多な人間関係を疎ましく思っていました。

 聖女をしていたころには、無数の人間の相手をしなければならなかったのです。

 嫌になって当然です。今でもその性根は変わりません。


 ですが――この人はその真逆なのです。

 人間関係というのは、濃過ぎても薄過ぎてもいけません。


 わたしは横で眠っている殿下の顔を見ました。

 顔は美しい銀髪で隠されていますが、呼吸はしっかりしています。


 ――とりあえず、殿下が大丈夫か確認しないと。


 わたしはゆっくりと身体を起こしました。

 そして、殿下の髪に触れました。

 恐ろしいくらいに艶のある手触り。

 髪の隙間から除く表情は、少し苦しそうでした。

 この人も今、悪夢にうなされているのでしょうか。

 まさか、あの悪夢を毎日見ているということはないでしょうが。


「殿下。大丈夫ですか?」


 わたしが声をかけると、ゆっくりと殿下の目が開きました。

 彼の額には汗がにじんでいます。胡乱な瞳がわたしに向けられます。


「……誰だ?」

「セレナ・アリアーナです」


 わたしがそう答えると、殿下はよろよろと起き上がりました。

 かなり体力を消耗しているようです。

 わたしは殿下の背中を押して、体を起こすのを手伝いました。


「何が起きた? 呪いはどうなった?」

「申し訳ありません。呪いの解除は、失敗しました」

「……そうか」


 殿下は左手を顔に当てます。

 そして、そのまま尋ねました。


「だが、一度は成功したのだろう?」

「根本的な部分で治療が出来ていませんでした。説明をしてもよろしいでしょうか?」

「ああ、頼む」

「まず、結論から申し上げれば、わたしの力では殿下の呪いを根本から解除することは出来ません。殿下の心臓には、魔力を呪いに変える『紋様』があると推測されます。これがあると、殿下の身体を駆けめぐる魔力が自動的に呪いに変化させられてしまいます」

「その紋様を消すことは出来ないのか?」

「それも難しいかと。まず、紋様を消すためには大量の魔力が必要になります。わたし一人では足りません。それと、紋様によって生み出された呪いは、自己増殖を繰り返すものです。浄化を試みれば、消えた部分を補おうと増殖スピードは上がります。その際、殿下の身体に大きな負担がかかることになります。最悪の場合、死に至るかと」

「そうか……」


 これを何とかするためには、わたしの十倍程度の出力は欲しいところです。

 ですが、そんな魔力を持つ人はこの世に存在しないでしょう。

 もしもいれば、世界中で大騒ぎになっているはずです。


「期待させてしまい申し訳ありませんが、今のわたしには何もできません」


 そう言って、わたしは頭を下げました。

 これは心からの謝罪です。


「いや、気にしないでくれ。頼むから」


 殿下はそう言ってくださいました。

 その先、会話は全く弾みませんでした。

 全てが徒労に終わってしまったことで、精神的にも肉体的にも疲労してしまいました。

 少しすると、殿下が声をかけてくれました。


「ところで君は、戻らなくて大丈夫なのか?」


 時計を見ると、時刻は既に午前10時を過ぎていました。

 大丈夫ではありませんでした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ