第4話 診察(後日談)
1
殿下の研究室から出たわたしは、事務局の事務室に向かいました。
わたしが戻らなかったことで、事務局の人たちが心配しているのではないかと思ったのですが――。
「遅刻だよ」
職員たちの反応は冷たいものでした。
「遅刻どころか、わたしは仕事先から戻っていなかったのですが」
「そうなの? でも、タイムカードは切られていたから」
成程、そういうことでしたか。
わたしに残業代が出ないようにするために、タイムカードを誰かが勝手に切っていたというわけです。
犯人は一人しかいませんが。
まぁ、今回は死にかけて気を失っていただけであって、仕事をしていたわけではありません。
それも致し方ありません。
それに、もう文句を言う気力もありません。
「それじゃあ、お疲れさまでした」
わたしはふらつきながら事務局を出て寮へと向かいました。
きっとミューズさんなら、わたしを心配してくれているはずです。
3
部屋に戻る前に、あることに気づきました。
今日は授業がある日です。ミューズさんは当然、そちらに出席しているのでしょう。
その程度のことにすら気づいていませんでした。
――これは、相当疲れていますね。
講義に出たところで、内容は頭に入ってこないでしょう。
今は体力の回復に努めるしかありません。そう思いながら部屋のドアを開けたところ――。
「おお、無事やったか!」
部屋の中には、ミューズさんがいました。
はて、今日は休日だったでしょうか。いえ、そうではないはずです。
「どうしてここに?」
「どうしてって、セレナが戻ってこないから心配しとったに決まっとるやないか! 事務局に聞きに行ったら『退勤した』と言われるし! アンタ、行方不明になってどこに行っとったんや!」
「仕事をしていました。塔の最上階にいる方のお世話係です」
「お世話係。ああ、そういうことか」
何やら、心当たりがあるようです。
「あそこには、呪われた人がおるらしいで。部屋の近くに行くだけでも呪いが移るちゅう噂や。大丈夫やったか?」
「問題ありません」
「無理はしなくてええんやで。あの呪われた人な、たまに校舎の一階まで降りてくることがあるんや。私もチラリと見かけたことがあったけど、背筋が凍った。恐怖で顔を見ることも出来んかった」
ミューズさんはそう言いながら、わたしの顔を覗き込んできました。
「やっぱり、疲れた顔してんで。大分参っているみたいやないか」
「少し事情がありまして。ただ、基本的にわたしに呪いは効きませんので問題ありません」
「そうなんか? それやったら、その呪われた人の素顔を見ることも出来たんか?」
「はい」
「それで、それで? どんな人やったんや?」
「容姿に関しては、相当恵まれているものと思います」
「それじゃあ、呪われた人って中身はイケメンなんか!?」
「そのようです」
「ちなみに、どれくらい?」
「私がこれまで見てきた中では、ダントツで一番だと思います」
わたしは、これまで聖女として多くの方々と会ってきました。
わたしの主観や好みも入ってしまいますが、やはりあの方の美しさはダントツです。
「それ、すっごくイケメンってことやないか!」
「ええ。呪いがなければ、多くの女学生がそれにひっかかっていたかもしれません」
「せやろか?」
「男性であっても危ないかもしれません」
「そこまでか!?」
ミューズさんがツッコミを入れました。
アレを見ていたい人からすれば、そんな人間がいるはずがないと思えるのでしょう。
ですが、わたしはそれを言い過ぎだとは思っていません。
あの色気は、本当に危ないのです。
「私も見てたいもんやなぁ。セレナ、何とかならへんか?」
「どうにもできませんね」
そうは言ったものの、見せるだけならできると思ます。
昨日やったのと同じことをすればいいのです。
あれで、一時的に呪いの効果を打ち消すことは出来ます。
ただし、その後で呪いは復活し、アベル殿下の身体に大きな負担をかけることになってしまいますが。
「それで、あの呪われた引きこもりが何者なのかは分かったんか?」
「ドラゴニア王国の第二王子、アベル・ド・ドラゴニア殿下でした」
「マジでか!? いや、第二王子って、セレナはこの前第一王子との婚約破棄があったばかりやないか!」
「まぁ、そうですね。ですが、第二王子はまともな人でしたから。第一王子と違って。まともどころか、誠実な人でした。第一王子と違って」
「うん、第一王子が嫌いなことは伝わった」
「それに、あの方は、呪いに随分と苦しめられてきました。人に見られた時に、その容姿を醜く感じさせてしまう呪い。人を孤独にする呪い。あの呪いも何とかしてさしあげたいのですが……」
「いいや、それは駄目や!」
ミューズさんは断言しました。
どうしてそのようなことを言うのか、すぐには理解出来ませんでした。
彼女なら、むしろ応援してくれると思っていたのに。
あの呪いを解くことで、ミューズさんに何か不利益が生じるのでしょうか。
まさか、ミューズさんの出身国がドラゴニア王国と対立しているとか。
私はそう考えました。
ですが、真実は斜め上の方向にあったのです。
「だって、あの王子の呪いが解けたら、女たちが群がることになるで! いや、セレナの話からすると、男たちも群がるかもしれん! 身分も顔立ちも申し分ないんやから! せやから、呪いはそのままを維持! そして、そのまま王子様を独り占めすればええねん! どうしても呪いを解きたいというのなら、結婚後やな!」
実に的確なアドバイスでした。
「あ、でも、見せびらかしたいというのであれば、結婚を確約させた後に呪いを解くというのもアリやと思うで!」
「それは面白そうですね。でしたら、都合がいいです」
「どういうことや?」
「あの方は現在、私の婚約者となっています」
「展開早ないか!?」
「第一王子がそう決めてしまいまして」
「そうなんや! 第一王子、ナイスアシストやな! って、ゴメン! 本当にごめん! 陳謝して撤回します!」
頭を下げるミューズさん。
確かに、今の発言はひどかったと思います。
ですが、ほとんど気になりません。
婚約破棄自体は、どうでもいいのです。
そもそも、カイン殿下との婚約自体、あまり現実感がありませんでした。
好意もなかったから、婚約はそのうち破棄するつもりでいました。
その件については、手間が省けたと言っていいくらいです。
そんなことよりも、今はアベル殿下のほうが気になって仕方がありません。
これまで見たことがない程に強力な呪い。
古い書物にしか出てこないような特殊なもの。
あれを何とかする方法はないのでしょうか。。
わたしは頭の片隅で、そんなことを考え続けていました。
その度に、美しい相貌と肉体も思い出してしまいますが。
「あれ? セレナ、顔が赤くなってるで?」
「そうですか? 特になにもありませんが」
「……惚れたか」
「そ、そんなことはありません!」
常識的に考えて、今日会ったばかりで恋愛感情が生まれるはずがありません。
「まぁ、ええわ。それにしても、本当によかったわ」
「何がですか?」
「セレナが笑っていて」
「え?」
自分の顔に触れてみます。
言われてみれば、確かに笑っていました。ごく自然に。
「私、笑っていましたね」
「せやな」
久しぶりに笑ったような気がします。
聖女の身分を剥奪させられ、国外追放されたのですから、これまで笑うような気分になれなかったのは当然のことです。
いえ、そうではありませんね。
そもそも、ドラゴニア王城でもわたしはほとんど笑っていませんでした。
式典の際などは愛想笑いを浮かべていましたが、心からの笑顔ではありません。
でも――今は笑うことが出来ています。
愛想笑いではなく、心の底から笑うことが出来ています。
その大きな要因の一つは、目の前にいるミューズさんでしょう。
彼女は対等な存在として、気軽に接してくれています。
ここでは、一人の人間として気軽に過ごすことが出来るのです。
もしもドラゴニア王国で聖女を続けていれば、そのような機会は巡ってこなかったでしょう。
その点では、第一王子に感謝したいくらいです。
絶対にしませんけれど。
この魔法学院にも、わたしに敵意を向ける人は多くいます。
ですが、ここで得た友は、何にも代えがたいものでした。
ですから――。
この学院に来て本当に良かったと心から思えました。
勿論、あのアホ王子は許しませんが。
ここ大事。




