第2話 自己紹介
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制服に着替えたわたしは、食堂で食事をとりました。この後すぐに職員室に行くことになっていたため、朝食は少なめに抑えておきました。講義中に眠くなってしまうのも避けたいですし。
食事を終えた私は、改めて身支度を整えた後で職員室へと向かいました。ドアを開けると、数人の職員がわたしを見ました。でも、すぐに目をそらしました。昨日やらかしてしまったのが尾を引いているのかもしれません。
そんな中、わたしに気づいたマドベさんがやって来ました。今日はタートルネックにスーツを合わせたお洒落な出で立ちです。もっとも、この人は何を着てもお洒落になってしまうのでしょう。さすがは王子様。羨ましい限りです。
「ああ、セレナさん。早めに来てくれて助かります」
さわやかな笑顔が、窓から差し込む朝日で輝いていました。ミューズさんの言った通り、女学生にモテるというのも頷けます。
「昨日はお世話になりました。とても助かりました」
「いえいえ。それでは、軽く説明をさせてもらいますね。まずはこれを渡しておきます」
マドベさんから一枚のカードを手渡されました。手のひらサイズのもので、わたしの名前と『0339』という番号が書かれていました。この0339というのは学籍番号なのでしょう。
「これはセレナさん専用のカードです。授業の出欠状況や成績などが、自動的に記録されることになります。出欠については、貴女がそれを持った状態で授業に出席しなければ出席として記録されません。そのため、代わりにカードを誰かに預けても出席とはなりません。また、実際は出席していたとしても、カードを部屋に忘れてきたりすれば記録上欠席扱いとなってしまいます。取り扱いには気を付けてください」
「どこかにかざしたりする必要はありますか?」
「ありません。ただ持っているだけで大丈夫です」
「便利なものですね」
わたしは素直に感心していました。知らないところで、魔導具も随分と進化していたものです。少なくとも、ドラゴニア王国ではこのような魔導具を見たことはありません。流石は世界最高峰の研究機関です。
「次に、クラスのことを簡単に説明しておきます。三年生は全部で一クラスしかありません。全員で38人。セレナさんは39人目の学生ということになります」
「三年生の39人目だから0339なのですか?」
「はい、そうです」
「他の学年はもっとたくさんクラスがあるのですか?」
「そうですね。二年生までは二クラスあることが多いです。ただ、授業についていけなくなったりして退学する子も多いので、基本的には三年生になると一クラスまで減ってしまうことになります」
「中途入学はいないのですか?」
「基本的にはいません。特に三年制の中途入学なんて例外中の例外です」
「そうでしたか」
「他に質問はありますか?」
「いえ、大丈夫です」
昨日のうちに、ある程度のことはミューズさんから聞いていました。親切なルームメイトというのは、何よりもありがたいものです。後で祈りでも捧げておきましょうか。
「それでは、ここからが話の本番です。これからセレナさんには、教室に行っていただきます。ですが、昨日のこともありますし、何よりも貴女は偽物の聖女ということになっています。君に反感を持っている子も多いと思います」
「それは気が重くなる話ですね」
「だから、自己紹介でどれだけインパクトを出せるかが勝負です。初対面で何か面白いことを言って、それがウケたら人気者になれますよ」
そう言いながら、マドベさんは素敵な笑顔を向けました。
その発言内容は嘘ではありませんでした。少なくとも、マドベさんは本気でそう思っているようです。
――本当にそんなものなのでしょうか。
わたしは疑問に思いました。そもそも、教会と王城の外の世界について、わたしは多くのことを知りません。ほとんど何も知らないと言っていいくらいです。聖女時代は、外に出るときは誰かが同行しており、その同行者が様々な手配をしてくれていました。
それに、上手いことを言える自信もありません。聖女候補だった時、わたしは人前で話をする機会がありました。その時、他の候補者よりも優れたことを言おうと背伸びをしたことがあったのです。
結果、やらかしました。盛大に。
あの瞬間、わたしが聖女になる可能性がゼロになったと本気で思いました。
思い出したくない思い出です。それなのに、時々そのことを思い出してしまうのです。その度に、大声で叫んでしまいたくなります。壁に頭を思いっきりぶつけたくなる衝動に襲われます。そんな黒歴史を増やすのは二度とごめんです。
ですが、マドベさんはそんな事情を知りません。善意100%の笑顔で告げます。
「貴女は聖女だったわけですから、人前で話すことも多かったでしょう。でしたら、面白いことを言うのもお手の物でしょう」
叩きたい、その笑顔。
3
一通りの説明を受けた後、わたしはマドベさんと一緒に教室へと向かいました。学生たちは既に教室の中にいるらしく、途中で誰かとすれ違うことはありませんでした。
わたしは教室の外で待機することになりました。まずはマドベさんが中に入り、連絡事項の伝達を行うことになっているようです。その連絡事項の一つとして、わたしの転入が扱われることになっています。
わたしはドアの前で、マドベさんの言葉に耳を傾けていました。数人の学生がわたしの存在に気づいたらしく、こちらに視線を向けています。居心地が悪くて仕方がありません。
事務的な連絡事項の伝達はすぐに終わったようです。マドベさんは教室のドアを開け、わたしの入室を促しました。
「さて、今日は中途入学の方が来ています。ご存じの方も多いでしょうが、聖女をされていたセレナ・アリアーナさんです。それでは、セレナさん。一言、何か話していただけますか?」
マドベさんはそう言ってわたしに微笑みかけました。その笑顔を見て、うっとりとした表情をしている女学生が数人いるようです。
――これは、卒業後も『後遺症』に悩まされる人が出てきそうです。
それはともかく、自己紹介です。
わたしは教室の中にいる生徒たちを見ました。
そして、拍子抜けしました。
人数はわたしを含めずに三十八人。貴族が多いとはいえ、まだまだ若く勉強中の身。こうしてみると、これまで緊張していたのが馬鹿らしく思えました。
これまで、人前での演説は何度もしてきました。その場に国の重鎮たちが集まっていたこともありましたとも。それを考えれば、学生を前に話すことくらい、なんてことはありません。緊張をする必要もないでしょう。
わたしは心の余裕を持つことが出来ました。出来てしまいました。そして、余裕が出来ると色々緩むものです。その結果、余計な考えを持ってしまいました。
――ここは一つ、インパクトのあることでも言ってみることにしましょう。
そんな阿呆なことを考えてしまったのです。
愚かにも。
「ドラゴニア王国出身、元聖女のセレナ・アリアーナです。これまでの成果を全て台無しにされてここに来ました。皆さんには裏切られずに済むと嬉しいです。よろしくお願いします」
そう言って、わたしは頭を下げました。
この小粋なジョークには、少し自信がありました。ですから、わたしは拍手と歓声が聞こえてくるのを待っていました。わたしは、救いようのない阿呆でした。あるいは、学ばない愚物でした。
期待どおりの展開が訪れることはありませんでした。ちらほらと、小さな拍手の音が聞こえてきましたが、それだけです。
ゆっくりと頭を上げます。すると、学生たちは皆微妙な表情を浮かべていました。まるで、見てはいけない恥ずかしい秘密を見てしまったかのような気まずげな表情。聖女の立場を奪われて以降、これほどまでに気を使われたのは初めてかもしれません。
どうやら、わたしの自虐ネタは、笑いをとるには重すぎたようです。羞恥心のあまり、顔が熱くなるのを感じました。
「……冗談でーす」
そう言いながら、わたしは海よりも深く後悔していました。
止めておけばよかった!
少し前の自分を全力で殴りたい!
心のどこかでこうなることは分かっていたのに。
微妙な雰囲気の中、わたしは席を指定されました。わたしは指定された席につくなり、頭を抱えました。クラスメイト達は、わたしのことを遠巻きに見ているようでした。その中で、唯一ミューズさんだけが腹を抱えて笑っていました。彼女のことだから、わたしのことを馬鹿にしているわけではないでしょう。
――これも一つの友情の在り方なのかもしれません。
わたしはそう思うことにしました。
そう思わなければ、やっていられませんから。




