おばけだもん!
その日はよく晴れた日で、私は久しぶりに散歩することにした。
青い屋根の集合住宅、フェーリーン公爵邸を出る。パラソルをさし、侍女ひとりを連れて石畳の町並みを散歩した。
——まったく、アルヴィッド様は。
町並みを眺めながら、アルヴィッドのことを思い出した。
嫉妬深くて甘えん坊だ。どうしようもないほど。ただ、彼といるととても張り合いがある。人生に。
人の心や傷を真面目に考えて。そのくるくる回る表情に翻弄されて。どうしようもない行動に呆れて。
——私、久しぶりに「生きている」な。
実母に傷つけられたものは残るだろう。だが、同じ傷を抱えるアルヴィッドを見ていると、残るなら残るで受け入れるしかないか、という気分にさせられる。
それより今は、アルヴィッドの暴走を止めたい。ロヴィーサお母様と綺麗な服を選びたい。果物を食べたい。酒を飲みたい。弟のテオドルと遊びたい。
国王陛下とはしばらく目を合わせて会話することはできないだろうが、それは仕方ない。
——あとはマデリエネ嬢か。
あれ以来、令嬢は表に出てこない。尋ねても留守だった。正確には居留守を使われていた。「魔女」と会う気にならないのだという。
——魔女ねえ……。
そんなことを言われる年になったか、と思った。独り者の女が、ある程度の年齢を越すと魔女と言われるとはよく耳にしていたが。
——傷つく……。
胸を掻きむしる。まあ、アルヴィッドが心変わりしなければ、しばらくすると既婚女性となる。
すると、いきなり。
「魔女だな!」
男の声が飛んできた。肩を掴まれる。私は訳も分からず、そちらを見た。
三名ほどの男が、私を囲んでいる。侍女が悲鳴を上げた。
「何!? 何でしょう。傷つきます」
「異端審問を執り行うためついてこい! フェーリーン公爵令嬢イレイェン。お前を魔女だと告白してくださった大変可愛らしいご令嬢がいてな」
「カルネウス侯爵家のマデリエネ嬢ですか?」
「ぬっ。それを見抜くとはますます魔女っぽいぞ」
異端審問とは魔女を狩り、異端を迫害する旧弊な制度だ。教会が治安維持のために導入したが、内政干渉にあたるとして国家は嫌がり、国家の権力の拡大とともに形骸化している。ちなみに告発者は匿名とされるはず。
「思いっきり思い当たる節しかないので……、魔術でも何でもありません」
ぐう、と男三人は目を逸らす。よっぽどマデリエネに騒がれたらしい。
「と、ともかく! 異端審問官様のところへお連れするぞ! 今日、異端審問官様は国内巡察を終えられ、首都の大司教様のところにご宿泊だからな」
「……!」
私は馬車に押し込められた。ちなみに大司教のいる聖堂はここから歩いて二分のところにあるはず。馬車に押し込めるだけ無駄な時間といえる。
そのことを、私はめんどくさがり、げふんげふん従順な性格なので、黙っていた。侍女が急いでフェーリーン公爵邸に戻ったから、迎えは来るだろう。
大聖堂にすぐたどり着いた。ステンドグラスの美しい大聖堂には、聖人の像が所狭しと並んでいる。
私は三人の男たちに聖堂に無理やり連れてこられ、大理石の美しい床に放り投げられた。
「いたっ」
「異端審問官様! 大司教様! こいつです! こいつが魔女です」
顔を上げると、フェーリーン公爵家もお世話になっている人のよい大司教の横に、怜悧冷徹そうな薄銀の髪の、顎のとがった白皙の男が立っている。鋭い刃物のようで、見ているだけで恐怖する、有能そうな男であった。
――この人が異端審問官かあ……。
男は微笑んで、私の傍に寄り、膝をついた。
「フェーリーン公爵令嬢。異端審問官のルンドストロムと申します。二、三ご質問申し上げます。よろしいですか? あなたは真実をおっしゃらなくてはいけません」
「……はい」
「とりあえず、お立ちになって、聖人聖女様に祈りを唱えましょう」
「はい」
私は言われた通り素直に立ちあがり、祈りをささげた。
その瞬間、がたん、と聖女の像の一体が壊れた。
「あーーー!! 像が壊れた」
三人の男たちは心底から恐怖し、私と像を見比べた。
私は目を見開く。大司教はもっと目を見開いている。
「ふぇ、フェーリーン公爵令嬢? イレイェン殿、なにかなさいまし、た?」
「いえいえいえいえいえいえ……」
やっぱりなあ、と私は足がガタガタと震えあがる。出るんだ。やっぱり教会、聖堂には、《《いる》》んだよきっと、と。
「おばけ……」
次の瞬間、私は涙を流しながら、異端審問官のルンドストロム様の前で大暴れしていた。
「おばけ! おばけいる!!! おばけおばけおばけばけ!!!」
生真面目そうな異端審問官様はため息をついた。
「おばけではなく、貴女が魔女なのでは?」
「おばけだもん! ぜったいおばけが聖女様の像を倒したの!! あなたねえ、異端審問官のくせにおばけを全く信じないなんておかしいわ!! 人の道を外れてる!」
ぴき、と今まで、実生活でも人生でも道を一度も踏み外したことのなさそうな異端審問官様のこめかみが動いた。
あっ、やっちゃった。




